未知の細道

https://www.driveplaza.com/trip/michinohosomichi/ver171/ 【未知の細道】より

未知なる人やスポットを訪ね、見て、聞いて、体感する日本再発見の旅コラム。171

山形県尾花沢市

高校の卒業旅行を皮切りに、これまでさまざまな場所を訪れた親友とのふたり旅。そのなかから今回は、山形県にある銀山温泉を訪れたときのことを振り返る。貧乏旅ばかりだった私たちが少し背伸びをして訪れた憧れの温泉街や、あるハプニング後のお風呂。 長風呂ばかりだった、友との山形の旅を綴った。

#1 もう私たち、オトナだから

山形行きの新幹線でテンションが上がっている私と親友。

「旅の“行き先”と、旅を共にする“人”、どっちが大事だと思う?」

旅先に向かう夜行バスや電車、飛行機のなかで、私と親友はよく同じ会話を繰り返す。旅のいいところは、どこに行くにも数時間はかかることだ。この長い移動時間が、私たちにとっては「いくらでもおしゃべりを許された時間」となる。

「そりゃあ、もちろん“人”だと思うよ。一緒にいて楽しくない人とは、どこ行ってもつらいでしょ」

「だよねえ」

何度も繰り返した話題だけれど、お互いの考えを確かめるように頷き合う。そこから私たちのおしゃべりは大抵、目的地に着くまで止まらない。今回の目的地は、山形県尾花沢市だ。普段は夜行バスばかりの私たちが、珍しく新幹線に乗っている理由。それは、今回が私たちにとって初めての「オトナの贅沢旅行」だからだ。

親友とは、高校時代、同じ吹奏楽部でサックスを吹いていた。その頃は休みらしい休みがなく、旅行と言っても部活の仲間と行く遠征がほとんど。行き先は前々からわかっており、朝から晩までスケジュールがみっちり決められていた。時には観光も組み込まれていて、それはそれで楽しかったけれど、正直、連れて行かれるがままという感じはあった。

だから、私たちは「ふたり旅」にハマったのだと思う。

「ここ、行ってみたい」「いいね、行こう行こう!」

「これ、食べてみたいんだよ」「私も!」

ガイドブックを覗きこみながら、行き先も、見たいものも、泊まる場所も、全部ふたりで決める。だからこそ、実際に辿り着いたときの達成感は、先生に引率されてバスで連れて行ってもらっていたそれとは比べ物にならなかった。

「山形に行こう」と言い出したのは、どちらだったかあまり記憶がないけれど、親友が『一生に一度は行きたい絶景』のような本に載っている、なんとも幻想的な写真を見せてくれたのがきっかけだった気がする。

「この銀山温泉、映画に出てくるみたいな景色だよ。宿も高そうだけど、一度は行ってみたいね……」試しに宿を調べてみて、顔を見合わせる。高い。

当時、社会人になりたてだった私たちにとって、宿はなるべくお金をかけない部分だった。それなら、美味しいものを食べたり、お土産を買ったりしたい。だから、ビジネスホテルで小さなベッドにふたりで寝たり、古い民宿で虫に怯えたこともあった。

でも、貧乏旅行は大学生までだ! せっかく働いてお金を稼いでいるんだもの。年に一度のふたり旅くらい、ちょっと贅沢してもいいはず。

お互いにそう言い聞かせ、私たちは山形県にある銀山温泉の旅館を予約したのだった。

『旅の思い出』編 蛙の大合唱を聴きながら心許せる友と入った、山形の湯

#2 着いた!山間の温泉街

雪こそ降っていなかったけれど、吐く息は白い11月。山形駅からバスを乗り継ぐこと、およそ1時間。まわりに木しかないようなバス停から少し歩くと(おそらく降りるバス停を間違えた)、銀山温泉は山と山のあいだに突然現れた。静かな山奥に、川の音が響く銀山温泉。

「わあ! 着いたぞ!」

本の中にあった憧れの景色が、目の前に広がる瞬間の興奮。町の中心を流れる大きな川の左右に、ずらりと並ぶ大きな旅館やお店のどれもが、東京で見られるものとは全然違った。

昭和元年に流行した、温泉街の洋風化の流れにより一斉に洋風に作り変えられた木造の建物。それが戦後にブームが落ち着いて、改めて和風に戻っていったという過去がある。なるほど、だから洋風と和風が入り混じり、どこか懐かしいような、それでいて異国のような雰囲気があるのだ。当時は、おいしそうな匂いのする蕎麦屋さんや、お土産屋さんに目を奪われていた私たちだけれど、改めて調べてみると銀山温泉は温泉街としても、とても古い歴史を持つ。

町中にある足湯の熱さに驚いた。

銀山温泉の公式サイトにある年表によれば、採鉱のため切り開かれた銀山に温泉が発見され、利用が始まったのは1600年前後のこと。その後、温泉地として盛り上がりを見せたのは1741年とある。山々にひっそりと囲まれた温泉地に、普段の暮らしから離れて癒やしを求める人々の姿は、徳川吉宗が江戸幕府の将軍だった時代から変わらないのだろう。温泉地としての盛り上がりとともに、必然的に宿屋や小商いが増えていった。

「他を抜く」という意味もある商売繁盛のたぬきが、宿の目印。

私たちが宿泊したのは、『味とまごころの宿 昭和館』。温泉街のちょうど真ん中あたりに位置する旅館だ。大きなたぬきの置物がある玄関をくぐると、女将の手作りだという和小物が並ぶ。

銀山温泉のなかでは比較的リーズナブルなお値段で、しっかりと源泉かけ流しのお風呂が楽しめる。しかも、最上階に天空露天風呂があり、上から温泉街を見渡しながら風呂に入れるのだ。私たちは、真っ先にそちらに駆け込んだ。

11月の山形は、寒い。一度温かい湯船に入った私たちは、ずいぶん長いこと出られなかったけれど、また別の「おしゃべりを許された時間」として、いろいろなことを話した。蛙の声がよく聞こえる露天風呂で、身体はポカポカ、顔はキンキンに冷えていた。

#3 小さな明かりが集まって

日が暮れてくると、徐々に温泉街に明かりが灯ってくる。

太陽が沈むのと反比例するように、私たちのテンションは上がっていく。私たちは旅先で夜に出歩くのが好きなのだ。しかも、ここは憧れの銀山温泉。山奥のノスタルジックな温泉街の夜を見ずには寝られない。

同じように考える観光客が多いらしく、旅館の玄関には「ご自由にどうぞ」と、足元まである分厚いロングジャケットがかけられていた。ありがたく貸していただくことにする。

温かなお風呂に浸かり、お肉やお魚、山菜まで盛りだくさんの豪華な夜ごはんをいただき、今の私であればそのまま布団に寝転ぶところだが、6年前の私は違った。髪も乾かさずにニット帽をかぶって、玄関へ。

「そんな格好で、風邪引くよ!」

脳内で響く母の声を振り払いながら、湯上がりの浴衣のままジャケットを羽織る。むふふ、親から離れたふたり旅では、こんな好き勝手もできてしまうのだ。

外に出ると、冷たい空気が顔面に当たる。けれど、さすがのロングジャケット、中は浴衣一枚でもほとんど寒さを感じなかった。もしくは、興奮で体温が上がっていただけかもしれない。

おなかはいっぱいなので、写真を撮りながら温泉街をブラブラ歩く。温泉街の中心を流れる川の流れは速く、ゴォっという音ともに山から大量の水が流れていた。夜の写真撮影はむずかしい。当時、手のひらサイズのコンパクトデジタルカメラ、通称コンデジで一生懸命撮影したものを見返しても、ブレているものばかり……。今度行くときは、いいカメラを持って行きたい。

ふたり旅でいつも撮っていた「ジャンプ写真」に挑戦するも、なかなかタイミングが合わなかった。

昼間には気付かなかったけれど、銀山温泉は明かりの数がとても多い。各旅館の軒先や街灯に明かりが灯ると、温泉街全体がぱあっと明るく浮かび上がって、まさに「一生に一度は行きたい絶景」だった。

「せっかくなら、奥のほうまで行ってみよう」

温泉街自体は、そこまで大きくはない。奥の方まで行ってみると、昼間は見つけられなかったカフェがあった。多くのお店が閉まるなか、そこだけはポッとオレンジの明かりがあたたかそうで、私たちは吸い寄せられるように中へ。

お店の名前やどんなメニューがあったかはあまり覚えていない。でも、私たちが頼んたホットココアが想像より大きくて熱々だったことや、窓辺の席から見えた銀山温泉の町並みは、今でもときどき思い出す。

#4 温泉に入れない?!

秋の山寺は、赤やオレンジ、黄色の紅葉で溢れていた。

翌朝、連泊したい気持ちを抑え、銀山温泉を後にした。予算的な問題もあるし、何よりせっかく山形まで来たのだから、他にも見たい場所があった。

ふたり旅でありがちな「同じおみくじを引いてしまう」現象。

そうして向かったのが、1689年に松尾芭蕉が訪れ、「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を読んだことで知られる宝珠山 立石寺、通称「山寺」である。紅葉を見たり、玉こんにゃくやおかきを食べたり、観光を楽しんだ。

階段を必死にのぼる私。

しかし、笑っていられたのも最初だけ。山寺は階段が多く、その名のとおり、ほとんど登山状態。私たちは分厚いコートを脱いで抱え、セーターを腕まくりし、汗をかきながらなんとか登りきった。

ひいひい言いながら、それでも私たちががんばれたのは、そのあとに入る温泉のことを考えていたからだ。

銀山温泉がきっかけで山形行きを決めたものの、調べてみると山形には「蔵王温泉」と呼ばれる日本屈指の古湯があるというではないか。読めば、開湯1900年の歴史を持ち、強酸性のお湯が肌を若返らせる「美人づくりの湯」。温泉好きの私たちは、すぐさま蔵王温泉を旅程に組み込んだ。

ところが、ここで私たちの甘さが出た。

たいして調べもせずに、さまざまな寄り道をして蔵王駅に辿り着いたとき、私たちは愕然とした。何もない、のである。てっきり「蔵王駅」に行けば、目の前に観光地らしき何かがあると思い込んでいた。でも、何もない。ただ真っ暗な駅前のロータリーに、人っ子一人いないのだ。駅前の地図を見ると、今いる「蔵王駅」とは遠く離れたところに「蔵王温泉」はあった。

「あのぉ、蔵王温泉に行きたいんですけど……」

駅のおばちゃんにおそるおそる聞くと、聞きたくなかった返事が返ってきた。

「え、ここからは行けないよ。山形駅からなら、バスが出てる」

なんと、蔵王駅に来る途中で経由した山形駅から、蔵王温泉までのバスが出ていたという。私たちはただ一心に「蔵王」という字面だけを追いかけてきてしまったのが間違いだった。

仕方ない。温泉は諦めて市街に戻ろう。そう決めて電車を待つが、いくら待っても電車がやってこない。改めておばちゃんに聞くと、この時間に市街に戻る電車は一時間後とのこと。乗り逃しても3分後には次の電車が来る都市での生活に慣れきっていた私たちは面食らった。

「どうしようか……?」

見合わせた困り顔に、もはや笑えてくる始末。ええい、こうなったら何が何でも温泉に入りたい! 私たちは駅のおばちゃんに地元のタクシー会社の電話番号を聞くことにした。

#5 「結果オーライ」が合言葉

蔵王駅前にぽつんと設置されていた地図。温泉は遥か右上にある。

「それがね、蔵王温泉と蔵王駅が別物だったなんて知らなくて! 運転手さん、今から蔵王温泉に行けませんか?!」

「いや、今から蔵王温泉まで行っても、夜遅いから開いてないよ」

タクシーに飛び乗り開口一番、一握りの希望を持って尋ねるも撃沈。駅のおばちゃんに引き続き、タクシー運転手のおじちゃんも無理だと言う。そんなあ……。それでも、やっぱり温泉を諦めきれない私たち。

「運転手さん、もうどこでもいいんで、この辺でお風呂入れるところありませんか?」

もはや源泉かけ流しじゃなくてもいい。なんなら、チェーンのスーパー銭湯でもいいから、山登りで疲れ切った私たちを湯船に浸からせてくれ!

タクシー運転手さんに連れて行ってもらった「月岡ホテル」。良いお湯でした。

そんなわけで、タクシーが到着したのが、かみのやま地区にある『仙渓園 月岡ホテル』だった。この地域、実は「かみのやま温泉」として知られ、約560年の歴史がある温泉地。私たちが間違えて降り立った蔵王駅から、車でおよそ10分のところに別の温泉地があったのだ。ミラクル!

『仙渓園 月岡ホテル』では、宿泊の他に日帰り入浴もやっている。広い大浴場で汗を流し、やはりすぐさま露天風呂へ。ここでも蛙の大合唱を聴きながら、私たちはいろいろな話をした。

「蔵王温泉と蔵王を間違えたのは、どっちの責任か」なんて、つまらない話はしない。それよりも、結果的にこんな気持ちの良い温泉に辿り着いたことがいかに奇跡だったかを、何度も繰り返し話しては笑った。

結果オーライ。これまでのどの旅行でも、私たちは自然とそれを合言葉にしてきたのかもしれない。

#6 どこに行くか、より誰と行くか

蔵王温泉には入れなかったけれど、その夜、私たちは大満足でホテルに辿り着いた。その日宿泊したのは、市街地の駅前にあるビジネスホテル。小さい部屋にシングルベッドが2つ押し込まれた典型的な部屋を見て「昨日の宿とは、雲泥の差だな」と笑う。

夢のような「オトナの贅沢旅行」は、今は一泊で精一杯。そんな現実を思い知らされた私たちは前日までの宿を思い出し、「昨日はよかったね……」としょんぼり小さなベッドに入ったか。いやいや、私たちのテンションは最高潮だった。

東北限定のどん兵衛を買い込み、ビジネスホテルへ。

コンビニで買ってきていた、東北限定のどん兵衛「芋煮うどん味」を食べる。飛び跳ねても怒られないベッドの上でジャンプして、「なんて楽しい旅だろう」を笑い合った。何かおもしろいものがあるわけでもないビジネスホテルの一室で、私たちは夜遅くまではしゃいでいた。

結局、「オトナな旅をしよう」などと言っているうちは、まだ子どもなのだ。私たちは一生懸命に背伸びをしたけれど、やっぱりビジネスホテルも気楽で好きだった。トイレに立ち、ユニットバスのシャワーを覗くと、信じられない狭さ。豪華な旅もいいけれど、貧乏旅行に「おかえり」と言われたようだった。

ふたり旅はやっぱり楽しい。“どこに行くか”は、究極的には関係ない。銀山温泉のかけ流しの露天風呂でも、ビジネスホテルのシャワーでも。私たちはどこだって同じように楽しみはしゃぐことができるのだ。

「次の旅行は、どこにする?」「うーん、どこもいいなあ」

本屋にずらりと並ぶガイドブックを見ながら、相談する私たち。どこに行ったって楽しい旅になるのがわかるから、なかなか行き先が決められない。さて、次はどこへ行こうか。仕事や住む場所が変わったり、家族が増えたり。高校生の頃と環境は大きく変わっても、私たちはこれからもずっとふたり旅を続けていくだろう。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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