Facebook相田 公弘さん投稿記事 「日本」 山村暮鳥
日本、うつくしい国だ 葦の葉っぱの 朝露がぽたりと おちこぼれてひとしづく
それが此の国になったとでも言ひたいやうな日本
大海のうへに浮いている かいらしい日本 うつくしい日本 小さな国だ
小さいけれど その強さは 鋼鉄のような精神である
おう日本 ぴちぴちしている魚のような国 勇敢な日本 古い日本
その霧深い中にとじこもって 山鳥の尾のながながしいゆめをみていたのも いまはむかしのことだ めをあげて そこにどんな世界をお前はみたか
日本、日本 お前のことをおもふと 此の胸が一ぱいになる
お前は希望にかがやいている お前は力にみちている そして真剣だ
だが日本よ お前の道はこれまでのように もうあんな平坦なものではあるまい
お前はよるひる絶えず お前のまはりに打寄せている その波の音をなんときいているか
寂しくないか おう孤独な 遠い一つの星のような日本 からりとはれた黎明の天空(そら)のような国 ときどきは通り雲の さっとかかるぐらいのことはあっても
おまえはまだただのいちどでも その顔面に泥をぬられたことはないんだ そんな美しい国なんだ 日本 幸福な日本 強い日本 わたしらは此処で生れたんだ また此処で最後の息をひきとって 遠祖らと一しょになるんだ 墳墓の地だ 静かな国、日本 小さな国、日本
つよくあれ すこやかであれ 奢(おご)るな 日本よ、真実であれ 馬鹿にされるな
山村暮鳥 http://ja.wikipedia.org/.../%E5%B1%B1%E6%9D%91%E6%9A%AE...
アドラーの言葉@mint83977233「あらゆる悩みは対人関係の悩みだ」
アドラー心理学の最も重要な概念。人と関われば悩みは起きる。
しかし、対人関係を避けてまったく孤独になっても幸せにはなれない
満月のりこ【心理セラピスト@東京】@mitsukinoriko
NOを言うことは 相手を 否定することではない 嫌われて 孤独になることでもない
そう思ってしまうのは 幼少期から否定されてきたから
自分の意思を出したら 見捨てられるような 経験をしたことがあるから
NOと言うことは 自分にも 相手にも 正直でいること 自分を 大切にすること
Facebook加藤隆行さん投稿記事【「みんな」に注意】
「みんな」という言葉には「力」がある。なぜなら人間は社会的動物だから。
「社会≒みんな」がどう思っているのかどう行動しているのかが自分の「生存」に関わってくる。とくに単一民族である日本人なら「みんな」がめちゃ重要な意味を持つ。
一人だけ「みんな」から外れたら生きていけないかもしれないからだ。
「村八分」というのは村の掟に従わない者が村全員から「絶交」されるという重い重い制裁だ。昔は村から自由に出ることもできなかったので絶交されたら食べ物も情報も話し相手も手に入らなくなりツライツライ想いをしながら気がフれて孤独に◯んでいくことになる。
現代なら学校や職場で行われる「無視」といういじめがそれにあたる。
それぐらい「みんな」の動向が僕らの意識に与える影響は大きい。
*
「みんな言ってるよ」「みんなやってるよ」という言葉を聞いた時は要注意。
そんな理由から誰もが容易に「みんな」という言葉に不安になり、操られてしまう。
お母さんも先生も「ほら、みんなやってるよ!」と言って、子どもを動かそうとする。
あの人も「ねえ、みんながそう言ってるよ」と言って、私を説得しようとする。
だけども実際のところ「みんな」なんてよく考えてみればありえないこと。
Aさんがそう言っていてもBさんはそう言っていないかもしれない。
実際言ってる人に確かめてみれば、いてもその人の周りにいる2,3人程度。いやむしろ「誰も言ってない」ということも多いはず。
「みんな」という”架空の集団圧力”を使ってあなたを説得、コントロールしようとしているだけ。まあ村八分の昔と違って現代なら誰もがそんな悪意を持って「みんなが」と言っているワケではないのかもしれない。
でも「みんなが」「みんなも」という言葉にはそんな強力な「魔力」があって、誰もがその魔力を無自覚・無意識に使いがち、というところに、大きな問題がある。
「みんなが」と言う言葉を使ってしまうとそれだけで言っている自分が「エラく」感じたり「優位」になったり「力」を持ったり、という気になってしまう。
でもそれは幻想で「相手」と「私」といった個人同士に誠実に向き合えない弱い者がする卑怯な行為だとおぼえておいたほうがいい。
そして、”自分が自分”にこの言葉を使ってしまっているときはもっともっと注意が必要。
「みんなやってるし」「みんな出来てるし」「みんな持ってるし」いや、それ絶対に「みんな」じゃない。あなたの周りの2人程度か架空の”集団”を勝手に背負っているだけ。
残りの80億人はそんなこと思ってないしやってない。
自分で自分を魔力で苦しめているだけ。あなたが弱っていると、不安にとらわれているとこの魔力に巻き取られる。魔力から目が覚めなないと「自分」を生きることは、できない。
(関係ないが今、 人口を調べて80億4500万人に驚いている)
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ここまで怖いこと書いちゃった。でもね、「みんな」という言葉には「力」があるのですが、
その力はマイナスにもプラスにも使えるのですよ。
元気のない子くじけてしまっている人に「みんなでやろうよ」「みんな一緒だよ」「みんな大丈夫って言ってる」そう伝えてみたらどうだろうか。
そしたら実際はその人数は2、3人なのかもしれないけれどなんだか勇気が出てくるかもしれない。なんだか許された気がするかもしれない。それぐらい「みんな」には
力がある。
マイナスの魔力。プラスの魔法の力。「みんな」が悪いのではない。
それは全部、使う人次第で使い方次第なのです。だからあなたにもそんな「魔法」がいつでも使えるのですよ(^ω^)って、みんな言ってるよ(笑)
https://www.osho.com/ja/read/featured-articles/other-myself/relationship-amalgamated-misery?fbclid=IwAR2SrdRcSBXHUiem2vRZEdVmZVDa2mL-wBAiAlzL7HXhdEnT0qG7VHoGKng 【OSHO TimesThe Other: Myself関係性――混じり合った惨めさ】より
関係性――混じり合った惨めさ
私は孤独が怖いのです。いま、誰ともつき合っていません。それが実状なのですが、この状態は好きでもあり嫌いでもあります。
あなたが独りでいられるようになる時も訪れるだろう。だが、その時はまだ来ていない。だから、好きだろうと嫌いだろうと、あなたは誰かといっしょにいるしかないだろう。孤独でいられるのは、人がほんとうに成熟したときだけだ。そして、その成熟をすぐに何とかしようとしても、何もできない。成熟は、あなたが人びとといっしょに過ごして苦しみ、また楽しんでもいるときに、徐々に訪れる。
ひじょうに多くの関係性の経験を経て、ある日、人は独りで十分だということが、あなたの意識の中で明らかになってくる――他人に依存する必要はないことが、孤独はある種のネガティブな空間ではなく、深い成就だということが、孤独はその中に祝福のある、美しいものだということが。だが、それが訪れるのは、あなたが多くの地獄と煉獄を経験してこそだ……そのときになって初めてだ。あなたは天国に一足飛びには行けない。天国への道は地獄経由だ。あなたは地獄を通り抜けなければならない。それは学びの場――あなたを天国に向けて鍛えてくれる。だから、急いではいけない。さもなければ、あなたは惨めになる。
付き合って惨めでいるほうが、惨めに独りでいるよりいい。今現在、選ぶのはそれしかない――独りで惨めか、いっしょに惨めか。だが、いっしょに惨めなほうが、いい。少なくとも、あなたは相手に責任を転嫁できる!
まったく独りのとき、どこに責任を転嫁するかね? あなたがすべての重荷を負っているのだ……それを共に負ってくれる人すらいない! 誰かといっしょにいて惨めであれば、なぜ惨めさがあるのかという理由を、説明を見つけることができる。独りのときは、理由も原因もない。だから、マインドはまるでやることがなくて、惨めさはどこまでも果てしなく、永遠に続くように思われる。
今は、その惨めさを選ぶがいい、もう一方の、人びとが関わりと呼ぶものを。それは通過するしかない必要悪だ。そうすればある日、あなたはそれを越えることができるだろうが、今はまだその時ではない。その時が来たら、あなたは独りでいても、まったく惨めには感じないだろう、世界の頂点にいる感じがするだろう。それに匹敵する喜びはない、その喜びをもたらすことのできる関係性はない。関係性はつねに混じり合った現象のままだ――喜びの瞬間が少し、そしてそれ以上の惨めさ。それが、このわずかしかない歓びの瞬間のために、人が払わなければならない代償なのだ。
だが、もしあなたがいま現在独りだとしたら、このわずかしかない瞬間すらないだろう。惨めさに次ぐ惨めさだけで、単調な感じがする。誰かといっしょにいるときは、少なくとも惨めさが色、形、状態を変える。朝にはこうだったのに、夜には別物だ。それでもやはり、惨めさにちがいはない。だが、それは変化する! だから、誰かかわいそうな人を見つけるがいい。探しはじなさい!
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