荘子

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/43_soji/motto.html 【荘子】より

「天道は運(めぐ)りて積む所なし、故に万物成る」(「荘子」天道篇)

「応(まさ)に住する所なくして其の心を生ずべし」(「金剛般若経」)

玄侑宗久さんに「荘子」の解説をお願いするきっかけになったのが、玄侑さんの著書「荘子と遊ぶ」と出会ったことでした。そのラスト近く、玄侑さん自身と思われる「私」が「周さんは、完全に受け身なんですか?」と問いかけたのに対して、「荘子」の執筆者たる周さんは次のような言葉で返します。

「受け容れて随順した瞬間から、自然な反応そのものに強靭な意志がこもるんや。それだけが揺るぎない主体性とちゃうか」

私はこの逆説的な言葉に、正直、しびれてしまいました。その深い意味まではこの段階では気づいていなかったのですが、なにかとてつもないことをいっているということが直観的にわかりました。そして「受け身」というテーマを番組一回分に当てることにしました。「受け身」という思想を荘周がどのように展開しているかをもっと深く知りたいと考えたのです。これが第二回「受け身こそ最強の主体性」誕生のきっかけでした。

第二回の放送で、まさに期待通りの素晴らしい解説を展開してくださった玄侑さん。「受け身こそ最強の主体性」というテーマの本質が氷解しました。しかし、その解説内容の密度が高すぎて、放送枠の25分間にはどうしても収まりきれませんでした。上記の引用部分の解説は、惜しくもこぼれてしまったものの一つです。ここでその解説の一部をご紹介させていただこうと思います。

「天道は運(めぐ)りて積む所なし、故に万物成る」。玄侑さんの解説によると、「運りて」とは「変化する」、「積む」とは「滞る」。つまり、このフレーズは「天然自然の道は変化して滞ることがない。故にあらゆるものが生成する」という意味です。

玄侑さんは、人間の側からいうと、「積む」というのは、「記憶する」「こだわる」ということではないかといいます。本来は、ありのままをそのまま変化として流してやればいいのですが、人間は、記憶したりこだわったりして、その流れを捕まえてしまおうとする。でもそうしてしまうと、その間に流れてしまうものに気づけなくなってしまう。だから「荘子」は、記憶したりこだわったりする気持ちをやめた方がいいと説くのです。

「応(まさ)に住する所なくして其の心を生ずべし」は、仏教の「金剛般若経」の一節で、禅宗の六祖慧能が出家するきっかけとなった言葉といわれていますが、「荘子」のこの考え方と見事に照応しています。玄侑さんの解説によれば、「其の心」とは我々が本来もっている素晴らしい心のこと。我々がその本来の素晴らしい心を取り戻すためには、「住する所がない」状態にならなければならない。「住する」とは、何かにこだわること、そこに気持ちを向けて心が淀んでしまうこと。それがなくなったときに、初めて本当に生き生きとした素晴らしい心が生じてくるというわけです。

私たちは、コンピューターやスマホといった便利なツールが登場したおかげで、膨大なデータをストックしておくことができるようになりました。我々のような番組制作現場でも、そうしたデータを元にさまざまな現象を分析したり、シミュレーションしたりします。でももしかしたら私たちは、そうした「蓄積」や「データ」にしばられすぎているのではないか? 現実は絶え間なく変化しているのに、そうした変化をもっとダイレクトに感じる「直観」や「勘」のような力が弱くなっているのではないか? そんなことを玄侑さんの解説を聞きながら痛感しました。

では私たちはどのような心構えでいればよいのか? 玄侑さんは、荘子の鏡のたとえをひいてこういいます。「住する所がない、積まないっていうのは『鏡』です。『鏡』は何かを長く写していたいとか、ああいうものは写したくないとかって思わない。全てを写すんです。しかもこだわって記憶しない。…世の中は今、ブレないとか揺るがない方がいいってよくいわれますけど、全てが変化し続け巡っているわけですから、その中で揺らぎながらその流れに合わせていくのが一番いい生き方だと思います」と。何か心がすっと軽くなるような気がしました。まさか2300年も前の名著にこんなことを教えられるなんて驚くばかりです。ぜひこの驚きを「最終回」まで皆さんと一緒に味わっていけたらと思います。


https://www.minnanokaigo.com/news/special/sokyugenyu/ 【賢人論。玄侑宗久「日本人は古来、年をとることを肯定的にとらえてきた」】より

玄侑宗久「日本人は古来、年をとることを肯定的にとらえてきた」

臨済宗の僧侶として多くの人々の死を見送るかたわら、小説家としてさまざまなアプローチで「死」を描いてきた玄侑宗久氏。果たして彼の目に、高齢化した日本社会はどのように見えているのだろうか。福島第一原発から西に45kmのところにある、福島県三春町の福聚寺を訪ね、話を聞いた。

結晶性知能は、年をとっても衰えない

みんなの介護 日本は総人口が減少する中で高齢者が増加し、2036年には65歳以上の高齢者が3人に2人となります。玄侑さんは、そんな時代をどう見ていますか?

玄侑 社会の高齢化はもはや避けられない流れでしょうから、それにしっくりくる仕組みを作っていかなければならないでしょう。

そんな中で、コンピュータやスマホといった最先端のIT技術がそれを解決してくれると考えている人も多いようですが、そうしたものに頼りきるのは非常に危険だと私は考えています。

遠隔操作で台所の家電を動かしてくれる技術だとか、話しかけるだけで調べものをしてくれるAI技術といったものは、あれば確かに便利なものなのかもしれませんが、世の中が便利になることで高齢化の問題は解決しないと思います。

みんなの介護 高齢者にとって、生活の不便が解消されるのはいいことだと思いますが?

玄侑 果たしてそうでしょうか。人間の体は、心と密接に結びついています。もし、日常生活で自分の手を動かす機会、足を動かす機会が技術の発展によって奪われていくなら、心はどんどん貧しいものになっていくでしょう。

結局のところ、技術の進歩が解決してくれるのは商売上の利益といった経済的な問題にすぎず、高齢化社会における心の持ちようという、本質的な問題は置き去りになってしまうのです。「お年寄りに便利です」という言葉には、気をつけなければなりません。

みんなの介護 「高齢化社会における心の持ちよう」とは、どんなものですか?

玄侑 日本人が古来、持ち続けた人生観では、年をとることは悪いことではなく、めでたいことだと捉えられてきました。

「七つまでは神のうち」という言葉がありますね。人間は生まれて数え年が7歳になるまでは神の側、つまり霊的な世界に半分は身を置いているという意味です。私はこの考え方は、老人についても同じだと思います。年をとるにつれ、人間は元いた神の世界に近づいていくのでしょう。

みんなの介護 老人は、子どものように神の世界に近い存在なのだから、敬わなければならないというわけですね?

玄侑 その通りです。人間の知能は、「流動性知能」と「結晶性知能」と呼ばれる際だった側面があります。流動性知能は、新しいことを学習したり、新しい環境に適応する知能のことをいいますが、これは20代の中ごろをピークに徐々に衰えていくと言われています。暗記力、計算力などもこれに含まれます。

もう一方の結晶性知能は、過去の経験が土台になる専門的な知識や料理などの日常の習慣、長年にわたる趣味の手順や方法などを指しますが、こちらは年齢によって衰えることなく、亡くなる直前まで洗練されていくのです。

東日本大震災をきっかけに、多くの人が「一瞬先は闇」ということを実感したと思います。未来がわからないというのは非常に不安な状態ですが、すぐれた結晶性知能を持った人の知恵を借りれば、必ず答えが見つかるはずです。

「賢人論。」第55回(前編)赤羽雄二さん「「死ぬ時期を決める権利」という考え方はまだ日本では根づいていない」

さまざまな臨死体験に共通するパターン

みんなの介護 老いて「神のうち」に近づいていった先には「死」があります。私たちは「死」とどう向き合っていくべきだと思いますか?

玄侑 「死」は人間にとって、究極の謎で、「死んだらどうなるのか?」という問いにたくさんの人々が答えを求めてきました。

ところが、ある人が「まったくの無だ」と考えれば、別のある人は「約束の地に赴く」と考えるように、双方とも思い込みを信じているに過ぎません。それこそ、ビックデータを集積してコンピュータに計算させても、プログラムの仕方でいくつもの違った答えが出るのではないでしょうか。

仏教でも、宗派によっては「浄土」というところを想定する場合と、そうでない場合があります。では、仏教の開祖である釈尊はどう考えたかというと、「無記」、すなわちノーコメントという態度をとりました。結論の出ない問いを繰り返すのは無益なことだから、わからないまま進んでいこうというわけです。

みんなの介護 しかし、「わからない」というのは非常に不安な状態です。だから多くの人が「死んだらどうなるのか?」という問いを繰り返すのでしょうね。

玄侑 ええ。ですから私自身も、『アミターバ―無量光明―』(新潮文庫)という作品で「死」にゆくプロセスを描いてみました。

東北の寺に嫁いだ娘の母親である80歳の女性が、難治の肝内胆管ガンを患って亡くなるまでの意識の変化を描いたのですが、意識は死後も3日間ほど生き続けて記述を続けていきます。宗教学や物理工学などの知見を生かして私なりに「死」を描いてみたわけです。

臨死体験を綴った文献をひもとくと、ある共通のパターンが見つかります。簡単に言えば、暗いトンネルのような空洞を抜けて、光の世界に入っていくというもの。日本では、その先に三途の川があって、それを渡っていくというバリエーションが加わりますが、その部分は国や宗教の違いによって、さまざまなパターンがあります。

ところが「暗いトンネル」、「光の世界」という現象は多くの臨死体験で共通しているのです。

みんなの介護 なぜ、そのような共通のパターンがあるのでしょう?

玄侑 立花隆さんの『臨死体験』(文藝春秋)では、脳に血液がいかなくなって脳死に至る状態を生理学的に考察して、意識の中でそのようなことが起こるという説を紹介していますが、私は別の解釈をしています。

「暗いトンネル」は、母親の産道。そして「光の世界」は、生まれ落ちた先の現実世界なのではないでしょうか。

どんなに考えても結論は出ないし、それでいい

みんなの介護 「死ぬ」ということは、「生まれる」ことと同義というわけですね。

玄侑 そうです。臨死体験には、「これまでの人生で経験したことが、走馬燈のように頭を駆けめぐる」という報告も多いですが、私自身もそれに似たような体験をしたことがあります。

7メートルほどの高さの木の枝から落ちたのです。

「あっ、しまった」と思う間もなく、地面に落ちるスピードがスローモーションのようにゆっくりになりました。走馬燈──、私の場合は映画のフィルムのようなものがタテに流れて、それまで記憶していたことさえ忘れていた古い記憶が次々とフィルムとして見えました。「死」が強く意識されることで、「生」の記憶の全体が甦るのでしょうか。

ただし、私たちにわかるのはその程度のことで、「死んだらどうなるのか?」という問いにはあいかわらず結論が出ませんし、それでいいのだと私は思います。

みんなの介護 やはり私たちは、「死後の世界はわからない」という不安を抱えたまま生きるしかないのでしょうか。

玄侑 物事にシロクロをつけて、結論を求めたがる気持ちは充分わかります。たとえ思い込みだとしても、結論が出ればある種の安心はありますからね。ただ東洋、とりわけ日本ではそうじゃない文化をつちかってきました。

私が冒頭で述べた「日本人が古来持ち続けた人生観」に立ち返ることの意味は、わからないことをわからないままで生きていく智慧がそこにあるような気がするからです。

老いは楽しみであり、死は休息である

みんなの介護 年をとることは「老い」という衰えと直面することだと思いますが、それについて玄侑さんはどのように考えていますか?

玄侑 『荘子』は、「老いは楽しみであり、死は休息である」と規定しています。「老い」を楽しみと感じることなんてあるんだろうかと思う人も多いでしょうが、実は私自身、そのことを実感したことがあるのです

2018年1月に上梓した『竹林精舎』(朝日新聞出版)という作品は私にとって、久しぶりに300ページを超える長編小説になりました。そこでは、東日本大震災によって両親を失った、27歳の若き僧侶の成長が描かれています。

この作品を書くにあたって自分でも意外だったのは、「性欲」がストレートに描かれた場面があるということです。主人公の僧侶が、学生時代の仲間の1人の女性が入浴している音を聞いて、欲情をかきたれられて思い悩むのです。

自分で書いてみて、驚きました。そんな場面、これまで書けるとは思っていませんでしたから。よくよく考えてみて、61歳になった私の衰えがこれを書かせたんじゃないかという結論に達しました。

みんなの介護 年齢とともに「性欲」が衰えることで、それを客観的に見ることができるようになったわけですか。

玄侑 そうなんでしょうね。仏教の説く苦の分類(四苦八苦)の一つに「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」というものがあります。五蘊、すなわち人間の精神と肉体が盛んであるがゆえの苦を指して、そう呼びます。

中でも「性欲」について、仏教は根本的な解決策をいまだに見出していません。浄土真宗の宗祖の親鸞聖人は、この問題を正面から悩んだすえに「破戒」を覚悟で妻帯し、非僧非俗の生活に入ってからは自らを謗るように「煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)」な「愚禿(ぐとく)」などとうそぶきます。

強いて言えば仏教は、「性欲」を生命エネルギーの一種として別な方向に誘導する。純粋な「性欲」については「衰え待ち」という姿勢で対処しているようにも思えます。性欲があるうちはエネルギーを懸命に瞑想に流し込んで修行し、加齢によって衰えた状態もそれはそれで愛でています。

小説の中で「性欲」を正面から描くことができたのは、まさしくそのような作用のおかげでしょう。「老いは楽しみである」という荘子の説が、そこで初めて腑に落ちたような気がしました。

「賢人論。」第56回(中編)玄侑宗久さん「「死」は別の現実に変化していく過程に過ぎない」

「死」のない世界には進歩も成長もない

みんなの介護 一方、「死は休息である」という考えについては、どうとらえればいいですか?

玄侑 中国では古くは秦の始皇帝が不老不死を求め、徐福に命じて蓬莱の国の仙人を訪ねさせたことが『史記』に記録されています。また、傾国の美女と言われた楊貴妃も、美貌を維持するために若い女の生き血を飲んだという伝説があります。

しかし、不老不死が実現した世界というのを想像してみると、それはそれで恐ろしい世界であるように思います。なにしろ命が永遠に続くのですから、進歩や成長といったものとは無縁で、砂を噛むような世界になるのではないでしょうか。

荘子とともに道家の祖とされる老子は、200歳以上生きたとも言われますし、荘子も長寿を否定はしていません。ただ、否定しないということが、すなわち長寿を目指していいというわけではありません。人間の寿命というものは自然にまかせるべきであって、ことさら長生きしようとか、体を強壮にしようなどと思うべきではないというのが基本的な考えなのだと思います。

みんなの介護 「死」を自然のままに受け入れるということですね?

玄侑 『荘子』という書物には、「胡蝶の夢」という有名なエピソードが紹介されています。ある日、自分が蝶になってひらひら愉しく飛んでいる夢を見た。目が覚めてそれが夢であることに気づいたけれど、果たしてそれは本当に夢だったのか、もしかしたら今の自分のほうが蝶の見ている夢の中にいるのではないかと考えるのです。

夢というのは、目覚めるまでのすべての時間を指してそう呼ぶわけですが、目覚めた後の現実もまた夢のようなものであって、別の現実に変化していく過程に過ぎないと荘子は考えたのでしょう。

お葬式の回向文に「大夢(だいむ)俄(にわか)に遷(うつ)る」という言葉があって、これは「死ぬこと」を意味しています。「死」は単なる終わりなのではなく、夢から覚めて別な状態に遷っていく過程だと考えるのですね。

「賢人論。」第56回(中編)玄侑宗久さん「地域のネットワークのハブとして機能してきたお寺の役割は、今こそ大きくなっている」

「死」を前にすれば、「みんな同い年」

みんなの介護 「老いは楽しみであり、死は休息である」と考えてみると、年をとるのは苦しみばかりではないと納得できます。玄侑さんご自身は、「老い」とどう向き合っていこうと思っていますか?

玄侑 江戸後期の禅僧で、仙厓義梵(せんがいぎぼん)という人がいます。ユーモラスな禅画と逸話で「博多の仙厓さん」として親しまれましたが、若いころは非常に優秀だったにもかかわらず、自己意識が強く、劣等感の反動で競争心を燃やすようなところがあったといいます。

そころが、その仙厓さんは年をとるに従って、まるで渋柿の渋味が甘味に変わっていくように人間味を増していった。できれば私も、仙厓さんのようでありたいと思っています。

仙厓さんは晩年、書を求められると「みんな同い年」という言葉をよく書きました。老少不定(ろうしょうふじょう)、すなわち人間の寿命の長短は老若に関係ないという思想をわかりやすい言葉で表現したのです。

仙厓さんは、竹の画もよく描きました。あの成長の早さと弾力、また竹林全体が繋がっているところなども好きだったのではないでしょうか。私は『竹林精舎』を書いているときに目にしたので、思わず求めてしまいました。

「この竹は小さいけれどぬっと出た」。そんな言葉が画に添えられています。

みんなの介護 なぜ、「竹」の画なのでしょう?

玄侑 仙厓さんは「竹」の姿に、一つの理想を見ていたのではないでしょうか。竹には節目がありますが、全身に力が分散していて、ちょっとやそっとの強風でも折れません。力みがなくて、気が全身に満ちています。そのような特徴は、禅の精神をそのままに体現したものだといえるでしょう。

もう一つの大きな特徴は、根っこのネットワークを持っているということです。竹はただ一本で立っているのではなく、地中に根っこを張り巡らせて他とつながっています。おそらく、現代のお年寄りに足りないのは、このネットワークなのではないでしょうか?

みんなの介護 確かに、世の中が無縁社会になり、独居老人の孤独死なども社会問題になっています。

玄侑 そんな時代には、それこそ「みんな同い年」の精神で互いが寄り添うことが重要です。昔からお寺は地域のネットワークのハブとして機能してきましたが、その役割は今こそ大きくなっているということを感じます。

介護の仕事は、働く人が誇りを感じられる仕事であるべき

みんなの介護 2025年は団塊の世代が75歳以上になる年ですが、厚生労働省の推計によるとこの年には介護職員が全国で約38万人も不足するといいます。この深刻な人手不足の問題について、玄侑さんはどう思いますか?

玄侑 介護施設の方々には私の母もお世話になっていますので、とても感謝していますが、大変な仕事だなと感じています。「お茶でも飲んでいきませんか」と誘っても、たいていの方は「けっこうです」とお断りになる。時間に追われているという印象がありますね。

一つだけ言えるのは、人手不足の問題は行政まかせにするのではなく、国民全体が考えねばならない問題だということです。そもそも作業の内容にしても、細かいところまで規定されていて、サービスをする側も、受ける側にも選択肢の幅がせまい。これは、国が関与し過ぎているからこうなるのではないかと思います。

みんなの介護 介護保険の制度が足枷になっていることについては、多くの人が指摘しています。

玄侑 介護にたずさわる方に大事なのは、介護を受ける人に「向き合う」姿勢ではなく、「寄り添う」姿勢だと思うのです。

「あの星がきれいだね」とつぶやけば、一緒に空を見上げて「ああ、本当にきれいですね」と応じること。誰かが横に座って共に時間を過ごしてくれることが、どんなに励みになることか。

もし、そのような姿勢で仕事をすることができれば、介護をする人にとっても「役にたっている」という実感が得られ、離職率も下がるはずです。

「賢人論。」第56回(後編)玄侑宗久さん「昔の人の教えには現代人が気づくことのできない尊い教えがある」

天海僧正がアドバイスする「長生きの秘訣」

みんなの介護 ところで、福島県三春町も他の地域と同様、高齢化が進んでいると思いますが、そのことを実感することはありますか?

玄侑 もちろん、日々感じています。ただ、三春町のお年寄りはみな長生きな方が多いんです。

先日、他県のお寺の和尚さんと話をする機会があって、私が「明後日は100歳の方のお葬式があります」と言ったら、驚いた顔をしてこう言われました。「私は30年以上、住職をしていますが、100歳以上の方をお見送りしたことは一度もありませんよ」と。

福聚寺では100歳以上の方のお葬式が年間で3~4人ほどありますから、それほど珍しいことではありません。それから、法事も五十回忌などがよく行われていることを驚かれることもあります。先日は百六十回忌の法事について、相談がありました。こういうことは、東京などの都会のお寺ではめったにないことだそうです。

みんなの介護 先祖を大事にする心が、長生きにつながるのでしょうか?

玄侑 さぁ、どうでしょう。自然の多い環境と、田舎ならではの程よい不便さのおかげで健康が保たれているのかもしれませんね。

長生きの秘訣について、天海僧正にまつわるこんな話があります。天海僧正は、徳川家康公をはじめ、秀忠公、家光公の3代の将軍につかえた政治と宗教のブレーンですが、108歳、別説では135歳まで生きたと言われています。その天海僧正が家康公の母親の年忌法要のとき、長生きの秘訣を問われてこう答えたそうです。

「正直、素食、日湯(にっとう)、陀羅尼(だらに)、ときどき下風(かふう)召さるべく候」と。

みんなの介護 その5つについて詳しく教えてください。

玄侑 「正直」は読んで字の如しで、包み隠すところなく、誰はばかることなく生きることが第一であるという教えです。

「素食」については解釈が分かれるところで、「粗食」と同義と考えて大食をしないと考えるか、それとも肉類を加えない野菜中心の料理と考えるかで内容が変わってしまいますが、平生の食べ物を平生通りに食すのがいいと解釈してもいいように思います。

「日湯」についても、毎日風呂に入ることとも、食事のあとに茶碗に白湯を注いで飲むこととも解釈できます。ですが、どちらも身体にはよさそうなことなので、両方やっておけばいいと私は解釈しています(笑)。

「陀羅尼」は、お経を唱えること。お経に限らず、長い文章を暗記して声に出して唱えるという行為には、脳波をアルファ波にして心と身体をリラックスさせるという効果があります。心身を整える、最も簡単な方法なのです。

最後の「下風」は、おならのこと。これは、人前で放屁することなど許されない環境で生きている武家の人たちに向けてのアドバイスですが、ストレスの多い現代社会に生きている人にも通じることではないかと思います。

昔の人の教えには、案外今を生きている人にも通じる、尊い教えがあるものです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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