祭り

https://note.com/tih_711_z/n/nbaf443e84e14 【祭り上げる=間(ま)を吊り上げる】より

昨日から改めて「祭り」について改めて調べている。

調べてみると色々と面白いことがあったので、整理してみる。

祭りの語源

昨日のブログでは「祭り」の語源は「祀る」から来ている、という話があったが、「間(ま)を吊り上げる」という意味で「祭り」だという説もあるらしい。

石川 そして、「間」についていろいろ調べてみると、面白い発見がありました。「間」が破綻することというのはよくあるのですが、その破綻した間をどう元に戻すかというのが「祭り」なのだそうです。

破綻した間を「吊り上げ」て元に戻すというのが「祭り(間吊り)」なのです。ということは、間違えた後は「祭り」をすればいいのだということになる(笑)

神と人間・人間同士の間(ま)一度吊り上げる。

つまり、一度「非日常の空間」に吊り上げ、関係性を再構築するための「祭り」ということだ。

関連して面白かった内容として、下記のような文章があった。

…私が感じたのは、プロジェクトとは「祭り」だということである。

かつて予防医学者の石川善樹氏が「『祭り』は『間吊り』だ」と語るのを聞いたことがあるが、四角い布の真ん中をつまんで持ち上げると、四隅は中央へとつい寄せられる。同じように、真ん中にみんなで一緒に担ぐ神輿があると、人と人の心は一気に「間」を縮める。

プロジェクトをうまく進めるためには『行動』を伝えるのではなく、『目的』を伝えることが重要であると山口氏は唱えるが、まさに「目的」とはメンバーにとって目指すべき北極星であり、「間」を吊り上げるものに他なるまい。

「布の真ん中を吊り上げることで、四隅は中央へと依る」という表現が分かりやすい。「神輿・神社が布の真ん中・吊り上げた頂点が神様が居る場所」と捉えると、まさに祭りは四隅(人間)が真ん中に集まるイベントだ。

布を吊り上げるイメージ

また吊り上げる場所が高ければいいって問題でもない。

高ければ高いほど、それだけ祭りを準備するメンバー同士が長い期間「密」になる。

「疎」であることが善であるわけではないけれど、「密」になりすぎてもメンバー同士の関係性が淀んでしまう。

「エントロピー増大の法則」という自然法則があるが、密で居ることは自然ではない。

なので、祭りをやるにしても長くて半年、短くて3ヶ月ぐらいのプロジェクトとしてやるのがちょうどいいのではないだろうか。

エントロピー増大の法則

定期的に一年に一度や二度、無事であることに感謝しながら、何か神様に当たるものを祭り上げ、イベントを催し、人々の関係性を再構築することが必要なんじゃなかろうかと。

コミュニティデザインの観点からそんなことを思ったりする。

胴上げも「祭り上げ」


https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/jinja_no_omatsuri/jinjanoomatsuritoha 【神社のお祭りとは】より

神社とは、神様をお招きし、その場所にお鎮まりいただいた神様へのご奉仕をする場所であり、この神様へのご奉仕こそが「お祭り」なのです。「政」も「務」も「まつりごと」と読みます。このことから広く社会に奉仕することが、広い意味での「まつり」であることがわかります。

現在、神社で行われているお祭りに、大きく分けて次の2種類があります。

神社自体が行う祭り

氏子崇敬者の依頼に基づき行われる祭り

神社自体が行う祭りには、その軽重によって大祭、中祭、小祭、諸祭に分けられます。大祭には例祭や祈年祭、新嘗祭のほか神社のご鎮座に関わるお祭りが、中祭は歳旦祭、元始祭、紀元祭、昭和祭、神嘗奉祝祭、明治祭、天長祭など皇室と関わりの深いお祭りが区分されています。

氏子崇敬者の依頼に基づき行われる祭りは、入学・卒業や就職や人生の節目に関わる報告祭・祈願祭などが挙げられ、神社によっては諸祭として行われます。また家内安全や商売繁盛、安産、病気平癒、厄除けなどの諸祈願、さらにはお宮参りや七五三参りなどもこれにあたります。

いずれも神様に神饌を捧げることでしてご接待を行い、神様に喜んでいただき、祝詞を奏上することで神様のご神徳をいただいて、皇室を始め天下、地域の安寧と発展、さらには願い事をする氏子崇敬者の繁栄をいのるものなのです。

(参照『神道の基礎知識と基礎問題』184頁、『お宮と私たち』126〜130頁参照)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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