https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-035-07-10-G222.html 【和の心 暦と行事】より
芭蕉忌
芭蕉忌は、俳聖とも呼ばれる江戸期の俳人、松尾芭蕉の命日のことで、陰暦10月12日、現在の11月下旬。芭蕉は、それまでの、西行、世阿弥、雪舟、利休といった日本文化の巨人たちが残した「美学」の集大成者でもあった。だからこそ、俳句という世界で最も短い詩の表現者として、誰よりも日本人の心に残る人名となり、また世界中の文学愛好者からの尊敬をも集めているのである。
正保元(1644)年、徳川三代将軍家光の時代に伊賀上野に生まれた芭蕉は、十代の終わりごろに俳諧(はいかい)に出会う。ちなみに、俳句という言い方が一般化するのは明治期に正岡子規が文芸改革を提唱してからのことで、それ以前は俳諧と呼ばれていた。
芭蕉はその後、江戸に出て武家から俳諧師となり、そして37歳で江戸の街中を離れて深川の草庵に入る。これが、芭蕉庵である。
以後、「野ざらし紀行」「笈(おい)の小文」「更科紀行」「奥の細道」と旅を重ねながら、人生の真実と自らの美学を追究、詩境を深めた。それは「不易流行(ふえきりゅうこう)」の思想であり、「軽み」という美学を実体化する闘いであった。
時は移り、5代将軍綱吉の世。元禄7(1694)年、芭蕉は最後の上方(かみがた)への旅に出て、「秋深き隣は何をする人ぞ」などの句で「軽み」の奥義(おうぎ)に至る。そしてついに、「旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る」の句を辞世として、大阪で51年の生涯を終えたのである。折しも初冬、芭蕉が追究した「わび」「さび」「しおり」「細み」といった詩境に通じる時雨(しぐれ)の時季。そして、芭蕉自身も時雨の風情を生涯愛したことをもって、芭蕉忌は「時雨忌」とも称される。
また俳句の世界で「翁(おきな)」といえば芭蕉のこと。現代では行年51の男を翁とはいわないが、俳人たちは敬意をこめてそう呼ぶ。したがって、「翁忌」も芭蕉忌の別称になっている。
https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b09610/ 【水とりや氷の僧の沓(くつ)の音 ― 芭蕉】より
文化 環境・自然・生物 暮らし 2023.03.05
深沢 眞二 【Profile】
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第10回の季題は「お水取り」。
facebook sharing button Sharetwitter sharing button Tweetprint sharing button Printemail sharing button Emailsharethis sharing button Share
他の言語で読む
English 日本語 简体字 繁體字 Français Español العربية Русский
水とりや氷の僧の沓の音 芭蕉
(1685年作、『野ざらし紀行』所収)
奈良・東大寺の春の行事「修二会(しゅにえ)」は「お水取り」の名で知られています。3月1日から14日まで、夜ごとに大きな松明(たいまつ)を持った僧が次々と二月堂まで上り、舞台から火の粉をまき散らします。火の粉を浴びると無病息災になるとされ、その下には参拝者が詰めかけます。二月堂では高らかに沓の音を立てて僧たちが走り回る行法(ぎょうぼう)が行われます。「お水取り」の名は13日未明に、堂の脇の若狭井(わかさい)から本尊に供える聖なる水を汲むことに由来します。
芭蕉はこの句に「二月堂に籠(こも)りて」と前書(まえがき)を付けていますから、二月堂内に泊まって「僧の沓の音」を聞いたのです。「水とりや」はお水取りの行法を間近に接した際の感動の表現です。「氷の僧」は「氷のように厳しい行法を勤める僧」と理解できるでしょう。
しかし実は、この句の「水とり」には、同音異義語の「水鳥」が隠されています。鴛鴦(おしどり)や鴨などの「水鳥」は、形状の類似から「沓」にたとえられました。「水鳥」との連想関係によって「氷」と「沓」の二語が選ばれたのです。「二月堂のお水取りに籠(こ)もって身も氷るような僧の沓の音を聴きましたよ」という実体験の報告と見せかけて、「同じミズトリでも氷った池にいる水鳥は沓に姿が似てますね。水鳥は『氷の沓』ですな」と、シャレを使って裏の意味を持たせた言葉遊びの句なのです。
https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/nozarasi/nozara25.htm 【野ざらし紀行
(二月堂お水取り】より
奈良に出る道のほど
春なれや名もなき山の薄霞(はるなれや なもなきやまの うすがすみ)
二月堂に籠りて*
水とりや氷の僧の沓の音(みずとりや こおりのそうの くつのおと)
春なれや名もなき山の 薄霞
結句を「朝霞」とする本もある。二月堂参篭のために伊賀を発って奈良へ向かう、その途中吟。伊賀は盆地ゆえ、何処へ行くにも峠を越えなければならない。冬だ冬だと思っていたのにお水取りの頃ともなると春の気が立ってくる。それが朝霞となってディスプレイされる。
三重県上野市長田の旧奈良街道にて(撮影:牛久市森田武さん。前回、3月に行った撮影旅行の時は、旧奈良街道筋を大分探しましたが、この句碑は見つかりませんでした。今回、伊賀上野の芭蕉記念館のご協力で所在地が判り、「旧奈良街道筋」で撮影しました。2003.0819)
二月堂からみた東大寺大仏殿など
水とりや氷の僧の沓の音
「春なれや」とはいっても、三寒四温。お水取りの僧の沓の音は寒夜に響いて、季節は一進一退している。「お水取り」は二月堂修二会(しゅにえ)の主要行事。 「氷の僧」というので、僧侶の下駄に氷が張っているような寒々しい情景を想像しがちだが、旧暦の二月はもはや「春なれや」であることにかわりはない。「如月の望月」の頃には桜が咲いたのであるから。
なお、『芭蕉翁發句集』などでは「水とりやこもりの僧の沓の音」とある。また、『芭蕉句選』では「水鳥や氷の僧の沓の音」とあるが、これ らはいずれも杜撰。
初夏の二月堂風景。右隣に三月堂、正面方向に四月堂がある。
二月堂にあった句碑(牛久市森田武さん撮影)
二月堂に篭りて:二月堂の行は、2月1日から14日までの2週間。その間にお水取りの行事は、2月7日と14日に行われる。「修二会」は、国家安泰の祈りをする国家行事であった。
https://www.youtube.com/watch?v=B065gIpMT78
0コメント