日本の哲学

https://www.iwanamishinsho80.com/post/nihonshisoushi 【なぜ日本思想史であって、日本哲学史でないのか?(新書余滴)】より

末木文美士

『金春禅竹伝書』より六輪一露の図(国文学研究資料館所蔵.『日本思想史』86頁に掲載)

1 日本哲学と世界哲学

岩波新書の『日本思想史』のあとがきの最後のほうに、こう記した。

ちなみに、近年、英文でJapanese Philosophyとして、古典思想まで含めた大冊の出版が相次いでいる(参考文献の末尾に記した)。今後、こうした動向も併せて考えていかなければならない。

じつは、この部分は最初の原稿にはなく、校正の際に加えたものだった。参考文献の末尾に掲げたのは、以下のような三書であった。

J. Heisig, Th. Kasulis & J. Marald (ed.) (2011) Japanese Philosophy: A Sourcebook. University of Hawai`i Press.

Thomas P. Kasulis (2018) Engaging Japanese Philosophy: A Short History, University of Hawai`i Press.

Bret W. Davis (ed.) (2019) The Oxford Handbook of Japanese Philosophy, Oxford University Press.

最初のものには私も多少関与しており、次のカスリスのものも部分的に目を通していた。しかし、当初は英文のものまで挙げるとややこしくなるので、和文の書籍に限る予定だった。ところが、最後のものの出版を聞いて、入手してパラパラ開いてみると、なかなか刺激的だったので、急遽拙著のあとがきに言及することにしたものである。

日本の伝統思想をphilosophyとして論じた入門書は他にもある。

Chun-chieh Huang & John Allen Tucker (ed.) (2016)Dao Companion to Japanese Confucian Philosophy, Springer.

Gereon Kopf (ed.) (2019) The Dao Companion to Japanese Buddhist Philosophy, Springer.

この2書は、そのタイトルから見ても分かるように、Dao Companions to Chinese Philosophyというシリーズに属する。このシリーズは中国哲学を中心に数冊出ているが、その中に、韓国や日本のものも含まれているのである。

以上の諸書はいずれも2010年代になって刊行されたもので、この10年ほどの間に、急速に日本哲学への関心が高まってきたことが知られる。そのきっかけをなしたのが、最初に挙げた『日本哲学資料集』(Sourcebook)で、伝統思想を含む多数の日本哲学の著作のアンソロジーと解説、そしてその全体像をめぐる概説とを含み、日本哲学への入門と同時に、高度な成果をぎっしりと詰め込んでいる。編者のハイジック、カスリス、マラルドの三人は、いずれも日本哲学研究の開拓者で、これまでも多くの著書やシンポジウムなどで日本の研究者にもおなじみである。本書はハイジックの所属する南山大学宗教文化研究所を母体として、長時間かけて準備を進めてきたものである。

カスリスの著書はその姉妹編として刊行されたものであるが、A Short History(小史)と称しながら700頁もある大冊で、Engaging(参入する)という書名からも知られるように、単なる客観的な叙述ではなく、空海・親鸞・道元をはじめとする古典に飛び込んで、そこから何を引き出せるか挑戦した、意欲的な本である。彼らを日本哲学第一世代とすると(彼らはだいたい私に近い年齢)、デイヴィスやコプフは次の世代を担う研究者である。デイヴィスの編著の序論は「日本哲学とは何か」What is Japanese Philosophy?と題した意欲的な論考で、後ほど多少言及する。

すでに、欧州日本哲学ネットワークEuropean Network of Japanese Philosophy (ENOJP)という学会が組織されていて、2019年には第5回大会が南山大学で開催され、数百人の研究者が集まった。それだけ、日本哲学ということが市民権を得つつあるということである。

こうした日本哲学への注目は、日本だけ特別視されているということではない。非欧米圏を含めた世界哲学という発想が2010年代になって急速に欧米で大きくなりつつある状況の一端ということができる。そのような世界哲学という視座に立って、新しい潮流を作ったのが、次の本である。

Jay L. Garfield & William Edelglass (ed.) (2011) The Oxford Handbook of World Philosophy, Oxford University Press.

先のデイヴィスの編著と同じOxford Handbooks in Philosophyの1冊で、第1部・中国哲学、第2部・インド非仏教哲学、第3部・インド・チベット仏教哲学、第4部・日本・韓国哲学、第5部・イスラム哲学、第6部・アフリカおよびアフリカ系哲学、第7部・グローバル哲学の最近の動向という7部構成になっている。これで、「世界哲学」をカバーできるか、あるいはまた、欧米哲学を別扱いにして、これだけで「世界哲学」と称しうるかなどの疑問はあるし、第4部の日本哲学にしても十分に練られたものと言えるか、などの問題は残るが、ともかく「世界哲学」が大きな主題として提示された記念碑的な著作である。編者の一人ガーフィールドは分析哲学にも通じた仏教哲学の研究者であり、後述のように、非欧米哲学の権利獲得へ向けて積極的に活動している一人である。

英語圏以外でも、世界哲学的な視座が問題になりつつある。ドイツはもともと哲学の強い国であり、日本哲学への関心も強かったが、日本哲学の研究から出発したエルバ―フェルトが、世界哲学に視野を広げて、新しい方向を目指している。

Rolf Elberefeld (ed.) (2017) Philosophiegeschichtsschreibung in globaler Perspektive, Meiner: Hamburg.

Rolf Elberfeld (2017) Philosophieren in einer globalisierten Welt: Wege zu einer transformativen Phänomenologie, Verlag Karl Alber: Freiburg/ München.

世界哲学という視座は、日本でもようやく問題にされるようになってきた。日本学術会議の哲学部会では、世界哲学会議World Congress of Philosophyの日本招致を目指しながら、世界哲学という観点を大きく打ち出し、2019年11月にはシンポジウム「世界哲学の可能性」を開催し、私も発表した。伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編『世界哲学史』全8巻(ちくま新書)も刊行を開始した。私も関係している比較思想学会でも2019年度の大会で「世界哲学をリードする日本哲学」という刺激的なタイトルでパネルを開催し、海外の研究者も加わって議論が沸騰した。

ちなみに、こうした流れの中で、Tetsugaku(哲学)という日本語までもがそのまま英語圏で用いられるようになり、SpringerからTetsugaku Companions to Japanese Philosophyというシリーズが出始めている。例えば、荻生徂徠に関する論集が出ている。

W.J. Boot & Daiki Takayama (ed.) (2019) Tetsugaku Companion to Ogyu Sorai

はたしてどこまでTetsugakuが市民権を得ることができるのか、また、単にphilosophyというのとどこが違うのかなど、まだこれから検討されなければならない課題である。

2 非欧米圏を含む哲学へ

以上、資料的に文献を列挙したので、いささか煩わしかったかもしれない。しかし、そこから2010年代になって急速に非欧米圏の哲学が問題にされるようになり、その中で「日本哲学」もまた光を浴びるようになっていることが十分に確認できよう。そのような非欧米圏の哲学を含む「世界哲学」への視野の拡大は、人文系の諸学において欧米中心主義が反省されるようになってきた動向が、ようやく哲学に及んできた結果である。

人文学における欧米中心主義への反省は、1978年に出版されたエドワード・サイードの『オリエンタリズム』の問題提起が大きなきっかけになった。それによって、従来の「西洋」からの「東洋」への眼差しが、欧米の優越を前提とした大きな偏見に基づいていたことが明らかにされた。そこで、非欧米地域に対する欧米の研究、とりわけ東洋学や人類学、地域研究などは大きな転換を余儀なくされ、それとともに、従来の研究のあり方が批判的に再検討されるようになった。

ところが、そのような動向の中で哲学だけが遅れていた。すでに1980年代にはデリダの脱構築論をはじめとして、従来の欧米の哲学が行き詰まりを見せ、「哲学以後」とか「脱哲学」「哲学の終焉」などが語られるようになっていた。フランス現代思想がアメリカにも日本にも華やかに紹介され、言語学、人類学、精神分析など、狭義の哲学に属さない思想が注目され、もてはやされた。

そうした状況にもかかわらず、その後も哲学の欧米中心主義は変わらなかった。おそらくその理由の一つは、他の人文学と異なり、哲学は地域や文化の相違に左右されない普遍的真理を求めるものだという信念が強かった点にあったのではないだろうか。それはあたかも、物理学などの自然科学が、たとえ西欧以外の文化圏でもある程度の発展があったとしても、今日の自然科学は西洋の伝統に連なるものであり、それが近代科学となって普遍性を持っているのと類比的に考えられる。例えば、物理学の研究において、インド人や中国人や日本人の研究者が成果を上げたとしても、それは国籍や文化圏と無関係に普遍性を持つ「物理学」の成果であって、「インド物理学」「中国物理学」「日本物理学」という別々の分野があるわけではない。それと同じように、哲学もまた、西洋以外の伝統にもその萌芽や類似したものがあったとしても、普遍性を持つのは西洋の伝統に由来する欧米の哲学のみだ、というのである。

英語圏で主流であった分析哲学は、そもそも論理学や言語分析に由来し、自然科学と親和性が強く、文化や時代による相違に左右されず、あらゆる人間に通ずる理論の構築を目指してきた。そうした発想が勢力を持つ限り、非欧米圏の哲学は、欧米の哲学の普遍性探究に到達する途上のエピソードに過ぎず、それ以上、哲学の本質に関わるものではないことになる。インド人も中国人も日本人も哲学を研究して成果を上げられるが、それは「インド哲学」等々ではなく、西洋由来の普遍的な「哲学」であるはずだ、というのである。

ところが、1990年代以後には、そうした分析哲学が行き詰まり、隘路に入り込んで、重箱の隅をつつくような問題にはまり込むようになった。一見厳密そうであっても、もともとの哲学が持っていた世界や人生に関する大きな見通しを失い、専門家の知的遊戯以上の意味を持ちにくくなった。マイケル・ピュエットのハーバード大学での中国哲学の講義が大人気を博したように(ビュエット『ハーバードの人生が変わる東洋哲学』、早川書房、2018。原書は2017)、東洋の哲学が若い学生たちの関心をひくようになった。かつての禅ブームの後で、チベット仏教やテーラワーダ仏教のメディテーションやマインドフルネスが広く受け入れられるようになっている。それらをも哲学と呼ぶことがなぜいけないのか。もはや欧米の哲学だけが、他の文化圏の哲学を軽蔑して、自己満足的な普遍性に甘んじられる状況ではない。こうして2010年代になって、ようやく欧米、とりわけアメリカの哲学界は、非欧米圏の哲学に目を向けなければならなくなったのである。

衝撃的な出来事は、2016年5月11日に起こった。仏教哲学研究者のガーフィールド(前述のOxford Handbook of World Philosophyの編者の一人)と中国哲学研究者のブライアン・ヴァン=ノーデンBryan W. van Nordenの連名で、ニューヨークタイムズのコラムに、「もし哲学が多様化しないのであれば、それが実際にある通りの名前で呼ぼう」“If Philosophy Won’t Diversify, Let’s Call It What It Really Is”という痛烈な皮肉たっぷりの記事を掲載したのである。

二人がここで主張しているのは、アメリカの大学の哲学科で欧米の哲学のみを教えるのはおかしく、もし非欧米哲学を教えないのであれば、その実態に即して「欧米哲学科」と呼ぶべきだ、ということである。この記事に対しては、12時間のうちにタイムズ紙のウェブサイトに797の応答が寄せられたという(下記のノーデンの著作、p. 10)。それらのうちで、賛意を表したものはわずかであり、多くは否定的であったという。依然として哲学界は頑迷であった。

それに反撃し、多文化哲学のマニフェストとして書かれたのが、ノーデンの『哲学を取り戻す:多文化宣言』(Taking Back Philosophy: A Multicultural Manifesto,Columbia University Press, 2017)であった。本書は徹底して従来の欧米中心の哲学をエスノセントリズムとして排し、非欧米圏へも等しく配慮した多文化哲学を主張する。同書に序文を寄せたガーフィールドは、従来の哲学は人種差別主義的(racist)だ、とさえ断言する。

こうしたガーフィールドやノーデンの挑戦的な発言が、どれほどの影響力を持ちえているかは、何とも言えない。ただ、日本哲学などの非西欧哲学の研究が勢いづいてきたのは事実である。欧米哲学しか知らない頑迷な自称「哲学者」たちは、いずれは時代遅れの軽蔑の対象にしか過ぎなくなるであろう。

欧米の猿真似ばかりしている日本の哲学界にも、早晩同じことが起るであろう。なぜならば、そのような動向が欧米、とりわけアメリカで勢力を持つようになれば、すぐにその真似をしなければ、たちまち流行に取り残されてしまうからだ。日本の自称「哲学者」たちも、慌ててインド哲学やら中国哲学やら日本哲学やらを語りだすに違いない。それこそ猿真似主義の面目躍如である。やれやれ、というしかない。

3 哲学か、思想か

だが、そうなると、「哲学」の概念は際限なく広がってしまい、何が哲学なのか、訳が分からなくならないか。哲学とは、どのように定義され、哲学以外の諸思想と区別されるのか。ノーデンは、ソクラテスと孔子を比較して、次のように定義する。

哲学は、私たちが重要という点では一致するが、解決の方法では一致しないような問題に関する対話である。「重要」ということは、私たちがいかに生きるべきかという問題から最終的にその意味を得る。(前掲書、p. 151)

結局のところ、私たちの生き方の問題に関わってくるのである。この定義については議論すべきところも多いが、今は立ち入らず、それでは、「日本哲学」の場合どうなるか、という問題を考えてみたい。中国哲学やインド哲学がある程度可能ということは分かる。しかし、日本の場合、近代の西洋哲学導入後はともかく、それ以前のさまざまな思想を「哲学」と呼びうるであろうか。この問題に正面から挑んだのが、前述のThe Oxford Handbook of Japanese Philosophyの編者デイヴィスによる序論である。「日本哲学とは何か」と題して、次のような各章からなる。

「日本哲学とは何か、を問うのは何の意味があるのか」

「前近代の日本に哲学があったのか」

「哲学的な西欧中心主義と西欧独占主義の撤廃」

「西洋哲学とは何か」

「近代の西欧独占的哲学を超えて」

「生き方を解放する哲学の実践」

「非西洋宗教・芸術・哲学:包含的暴力対排除的暴力のディレンマを超えて方向づける」

「日本哲学の競合する諸定義」

「日本哲学についての一般化」

「普遍性への特殊なアプローチのセットとしての日本哲学」

「文化間哲学対話への寄与としての諸日本哲学」

「(主として)日本における哲学の部分集合としての日本哲学」

「本書のテーマの選択について」

これらの章名を見るだけでも、きわめて力の籠った本格的な論であることが分かる。その内容をここで細かく検討する余裕はないが、重要なポイントを挙げておこう。デイヴィスは西洋哲学に関して、単に西欧中心主義Eurocentrismというだけでなく、西欧独占主義Euromonopolismという強い表現を用いている。その傾向は19世紀末に頂点に達し、ちょうどその時に日本が西洋哲学を輸入したために、そのパラダイムを共有することになったという(同書、p. 31)。

それでは、哲学の西洋中心/独占主義をどう乗り越えることができるのか。いったいなぜあえて日本の伝統思想に対して、「思想」ではなく「哲学」として論ずる必要があるのか。デイヴィス自身、日本の思想がすべて「哲学」と言いうるわけではないことを認める。しかし、空海や荻生徂徠のような前近代日本の「思想」は、「哲学」の定義を変容させるのに寄与しうるのではないか、と問題を提起する(同書、p. 21)。

デイヴィスも指摘するように、「欧米では、明治以前の言説を「日本哲学」の範疇に入れることが多いのに対して、今日の日本では、「哲学」は主として西洋哲学と、西洋哲学の文献や思想と関わる明治以後のアカデミックな言説について用いられる」(同書、p. 9)。それ故、近代以前まで含めて日本の思想を扱う学問領域は「日本思想史」と呼ばれるのが普通である。それに対して、「日本哲学」というと、近代以後の西洋系の哲学思想に限定される。そのことは、東北大学の日本思想史専攻と、京都大学の日本哲学専攻の相違にほぼ合致する。

つまり、ややこしいことに、欧米で言うphilosophyと日本語の「哲学」は必ずしも外延が一致しない。philosophyは日本語で「哲学」だけでなく、「思想」と呼ばれる領域にも食い込んでいる。だからと言って、「思想」がすべてphilosophyと訳せるかというと、そうも言えず、philosophyの範囲を超えるものまで含んでいる。すなわち、次のような包摂関係が成り立つ。

  哲学⊂philosophy⊂思想

興味深いことに、日本思想史学会の英訳はAssociation of Japanese Intellectual Historyであるのに対して、比較思想学会の英訳はJapanese Association for Comparative Philosophyであって、「思想」の訳が異なっている。「思想」は文字通り訳せば、thoughtであろうが、この語は英語ではあまり用いられないようである。

将来的に、欧米のphilosophyの用法の影響で、日本の「哲学」ももっと幅広く用いられるようになる可能性はある。しかし、それによって「思想」の領域をすべて覆いうるかというと、それは無理のように思われる。私が『日本思想史』で目指したのは、いわば顕在化した思想(=哲学)の奥にある思想の磁場、あるいは重力場のようなものの構造を明らかにすることであった。それは、個々の思想が形成されるその底にある潜在的な思想空間とも言えるものである。その構造を、王権と神仏の緊張というところに求めてみた。そのような試みは思想史の基礎構造を探求するという意味で、思想史の課題となり得るが、哲学の枠からは外れるであろう。あるいはまた、歴史史料や非文字資料は哲学資料とは言えないであろうが、それらをも含んで、思想史を描くことは十分に可能である。非哲学領域を含み込むことで、思想史は豊かなものになる。その点で、やはりすべてが哲学史に吸収されるのではなく、思想史を書く意味は大きいと考えるのである。

* * *

すえき・ふみひこ

1949年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)

現在―東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授

専攻―仏教学、日本思想史

著書―『日本仏教史』(新潮文庫)、『日本宗教史』(岩波新書)、『仏教――言葉の思想史』(岩波書店)、『思想としての仏教入門』(トランスビュー)、『碧巌録を読む』(岩波現代文庫)、『草木成仏の思想』(サンガ)、『思想としての近代仏教』(中公選書)、『日本仏教入門』(角川選書)ほか


https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/191779/ 【松尾芭蕉は日本初の哲学者!?『おくのほそ道』のハンパない功績を辿る】より

『おくのほそ道』から浮かび上がってくる松尾芭蕉のイメージといえばどのようなものだろうか。旅行系ブロガー!?全国を行脚する修行僧!?それとも……。

ところで、善の研究を行い、独創的な哲学を展開した西田畿多郎(にしだきたろう)は、日本人初の哲学者とされている。

が、西田よりも約200年前に生まれた松尾芭蕉こそが日本初の哲学者に値する人物なのかもしれない。

ど、どういうこと!?

先入観に支配された女、サッチー

芭蕉はどのような哲学観を持ち、紀行文の最高傑作である『おくのほそ道』の刊行へと至ったのだろうか。

謎に包まれたその真相やいかに……。

松尾芭蕉が小林一茶や与謝蕪村よりも抜きん出ているワケ

芭蕉、一茶、そして蕪村はともに江戸の三大俳人として知られる。ところが、芭蕉は一茶や蕪村よりも抜きん出ている。その理由はなぜだろうか。

松尾芭蕉は“ただの物思いにふける詩人”ではない

まず、芭蕉と深い縁で結びついた俳諧の歴史は、室町時代末期に詠まれた連歌を端に発する。その連歌から五・七・五の発句を独立させたのがいわゆる俳句である。その後、江戸時代に芭蕉によって本格的な詩文芸として俳諧が誕生。後に正岡子規の手に渡り、一般向けの文芸として大成した。

俳諧に対して和歌の短縮バージョンとかそういうイメージを持っている人も少なくないだろう。しかしながら、芭蕉が生み出した十七字の俳諧には哲学的エッセンスが詰まっている。

俳句(俳諧)の魅力は、そのたった十七音からなる短い詩文が、一つの生ける世界を眼前に創りだしてみせるところにあると思う。俳句の約束ごととして、「季語」と「切れ」がある。季語は季節を示す語であるが、この語は自然の世界を取り込む役割をもっているといってよい。また、「切れ(切れ字)」とは俳句が一つの「間」を含むことを示している。この「間」は、句が別次元の、あるいは哲学的にいうなら超越論的な意義をもっていることを意味していると考えられる。

(石上豊の論文「芭蕉とカント-俳句の論理構造」)

こうした約束ごとを規制だとして排除する立場もあるが、俳句の深みはやはりこの二つ約束ごとに負っているところが大きいのではないか(ただし、切れのない句もある)。俳句の芸術性というと難しいが、一方で現実性・日常性を離れることなく、また一方で、ある種の精神性・理念性をもっている点に、俳句の芸術性あるいは創造性をみることができるのではないかと思う。この生きた宇宙をわずか十七音で現前化させるのが俳句の真骨頂である。

(同上)

日常の思いを綴るのが平安時代の和歌であるならば、芭蕉によって打ち出された俳諧とはそこに精神性や理念性が込められた、いわば古代ギリシャ哲学に準ずるものと位置づけられ得る。

『芭蕉の全貌』(萩原蘿月著/三省堂)昭和10年-国立国会図書館デジタルコレクション

アリストテレスに限らず、ヘラクレイトスやタレスといった古代ギリシャの哲学者たちは「SはPである」という形式の命題をとってきた。そして、芭蕉の俳諧においてはそういった形式の命題が見出される。例えば「五月雨をあつめて早し最上川」という芭蕉の句を挙げると、「五月雨が降り注いだ最上川は凄まじい速さで流れている」という「SはPである」の形に言い換えることができ、その奥にはヘラクレイトスの「万物は流転する」に匹敵する人間啓蒙的な思想が横たわっている。

そして、芭蕉は命題に辿り着くまでに哲学的考察を幾度となく繰り返したであろう。少なくとも芭蕉は単なる旅行系ブロガーではなく、哲学者であったと考えるのが無難であり、蕪村や一茶とは一線を画している。

松尾芭蕉にそんな解釈があったとは!

先入観に支配された女、サッチー

松尾芭蕉はただの哲学者ではない

芭蕉はただの哲学者ではない。ひとつ言えるのは、西洋への最大の功労者のひとりとして崇められるアリストテレスにも引けを取らない存在であるということだ。

ど、どういうこと!?

先入観に支配された女、サッチー

松尾芭蕉と古代ギリシャの哲学者・アリストテレスには共通点があった

アリストテレスといえば、プラトンの弟子として、倫理学、形而上学、政治学、文学、論理学などを体系的に網羅した人として知られる。論理学分野においては、言論を通じて聴き手を説得させるための方法として独自の弁論術を展開した。ここからは芭蕉との共通点について詳細に触れていく。

独自の口承術を考案

アリストテレスは弁論術のひとつの方法として格言の使用が重要であるとした。ただし原則として、彼の弁論術の適用範囲が政治分野に踏みとどまったのに対し、それを俳句の中で応用しようと試みたのが芭蕉であった。これは芭蕉とアリストレス、両者に見る決定的な違いであろう。

弁論術のフィールドが違ったってことかな?

先入観に支配された女、サッチー

芭蕉は俳諧に特有のレトリックを多数編み出した。そのひとつが「や」「かな」「けり」といった発句における切字である。

「古池や蛙飛びこむ水の音」もそうだってことですよね

先入観に支配された女、サッチー

こういった俳諧における表現手法というのは、いわゆるアリストテレスの弁論術に相当する。そのような切字にはどのような役割があるのだろうか。

ロマン派以前の音楽におけるカデンツァ(演奏家が埋められるように、作曲家が楽譜を空欄にしておいた個所)のように、発句における「切字」は、読者に対して、積極的な演奏者・解釈者となること、作品を作り出し、完成させることを求めるのである。生け花においては、芸術家は自然を模倣しようと試みる代わりに花を「切る」。それによって、鑑賞者がその想像力によって入っていけるような空間を開くのである。これと同様に、発句における「切字」は、俳諧の読者が細部ないし部分から想像上の全体へと働き、場面ないし物語を完成させることによって、換喩的ないし提喩的に占有するような、あるいは異なる部分の反響や相互作用を探求することによって、モンタージュ的・コラージュ的方法で占有するような、ひとつの空間を開くのである。(中略)こうした探求は単に個人の想像力に任されていたのではなく、詩的連想の手の込んだシステムと読みの上での約束事によって導かれていたのである。

『芭蕉の風景-文化の記憶』(ハルオ・シラネ著/衣笠正晃訳)

以上を纏めると、芭蕉によって確立された俳諧というのは、要は受け手がどう捉えるかに委ねられている。つまり、受け手側の想像力と連動して俳諧の面白みが醸し出されると考えたのが芭蕉というわけだ。

ここで、アリストテレスの話に戻るとしよう。自身が提示した弁論術のひとつに「説得」という手法が含まれる。そして、その説得には3種類あるとしている。

一つは論者の人柄にかかっている説得であり、いま一つは聴き手の心が或る状態に置かれることによるもの、そうしてもう一つは、言論そのものにかかっているもので、言論が証明を与えている。

『弁論術』(アリストテレス著/戸塚七郎訳)

私たちが「説得」と聞いてまず思い浮かべるのは3つ目の用法ではないだろうか。「説得」を構成する要素には話し手の人柄と聴き手側の感情があり、特にこれらは2つの要素は「説得」という概念の形成において重要な意味を持つとアリストテレスは説く。

アリストテレスと芭蕉の思想とでは、いわゆる口承術として発揮する場が政治的な演説か、娯楽かでその性質は大いに異なる。ただ、「最終的に聴き手がどう捉えるか?」を重視している点では、両者の思想には共通項がある。

つまり、西洋の学術界で最高位に君臨するアリストテレスと、日本の俳諧の巨匠、松尾芭蕉とは時代やジャンルを超えて繋がっていたのだ。ここでひとまず、芭蕉はただの俳諧人ではなく、人間的探求において優れた見識を持った哲学者であるかもしれないと考えることができる。

社会的影響力を持つ格言を残した

アリストテレスといえば、「人間は社会的動物である」という社会的影響力を持つ格言を残している。アリストテレスのその格言に匹敵するものが、芭蕉の代表作である『おくのほそ道』の中でも見出される。

芭蕉が『おくのほそ道』の中で何を伝えんとしているのかと言うと、その意図は「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」という有名な冒頭文に集約される。現代の言葉で解釈すると、「月日は永遠の旅人であり、やってきて過ぎ去っていく年も旅人である」。そこに表されるのは「人生は旅である」という命題である。そして、その命題には「人生」という抽象的な概念を、より身体的経験に根差した「旅」で理解するというオペレーションが働いている。

『おくのほそ道』における漂泊者とは過去の聖人ないし詩人であり、過去の聖人ないし詩人たちが道祖神となって時を超えた旅へと導いている。また、実際に歩いたかどうかはともかく、自らの足を地面に着地させて前進するという身体的行為を通じて「人生」を表現している。そしてそこに「人生」を「旅」で理解するという構図が成り立つ。

一見何の変哲もないものに思えるかもしれない。しかしながら、それはアカデミックな場に通用する画期的な理論であるのだ。芭蕉が『おくのほそ道』の中で見出した「人生は旅である」という命題の背景にある優れた知見は、20世紀を代表するオーストリアの哲学者・ウィトゲンシュタインの観念の中でも生きていた。ちなみに、「私たち人間の思考に入り込んだ概念は社会的な実践や日常生活の中で基礎づけられ、表現されるのだ」という独自の見識を持ったのがウィトゲンシュタインだ。

そして、ウィトゲンシュタインのその見解を応用し、「旅(Journey)」のみならず、「愛(Love)」「コミュニケーション(Communication)」「感情(Feeling)」「考え(Idea)」といった抽象的な概念が日常の経験の中で理解され得るプロセスを言語学的に裏付けたのが、アメリカの言語学者であるジョージ・レイコフと哲学者のマーク・ジョンソンである。

ウィトゲンシュタインやレイコフらが提示した、「人生などの抽象的な概念は日常の経験を通じて理解され得る」という見解は、物理学でいうところのアインシュタインの相対性理論に匹敵するもので、今では哲学者や言語学者の論文などで多数引用されている。そして彼らが提示した学説の根底において、「松尾芭蕉」という人物が存在感を放っていると筆者は思うのである。

「人生は旅である」という命題を提示した松尾芭蕉ってすごいということですね。でもどうしてか、まだイマイチわからない。

先入観に支配された女、サッチー

松尾芭蕉はアリストテレスを超えていた!?

『おくのほそ道』の中で提示された「人生は旅である」という命題が、なぜ画期的な知見であると言えるのか。ここでカギを握るのが、芭蕉の『おくのほそ道』が国内外でどう受け入れられるに至ったかというその受容の経緯だ。

『おくのほそ道』が国内外で支持されるワケ

芭蕉の『おくのほそ道』といえば、全世界で翻訳され、特に西欧人から絶大なる人気を得ている。そもそもなぜ『おくのほそ道』はこれほどまでに西欧諸国で愛されているのだろうか。

日本の中世の歌人や連歌作者にとっては、旅の目的とはすでに存在しているものを確認すること、文化的記憶の根源を確かなものにすることだったのである。紀行文学の古典的モデル-『土佐日記』『伊勢物語』など-は、都で育った貴族によって書かれており、彼らにとって地方は全く未知の領域だった。(中略)「歌枕」を訪れることによって中世の歌人=旅人は、みずからの文学上の先達の経験を追体験し、同じ風景について詩歌を詠むための感動を得て、彼らと一体化することを願ったのである。旅日記それ自体が詩的、文学的継承の連鎖のなかの環のひとつとなった。

『芭蕉の風景-文化の記憶』(ハルオ・シラネ著/衣笠正晃訳)

まず、少なくとも芭蕉以前の日本の紀行文学においては、旅を別の新しい世界から理解するという発想はなかった。つまり、「旅」を「人生」いう別の切り口から捉えることは真新しい試みであった。その意味では、「人生は旅である」という現代の日本人が共有するある種の価値観を生み出した『おくのほそ道』は、日本文化に新境地を開いた作品であったのだ。

おぉ〜!!

先入観に支配された女、サッチー

さらに世界的な視点から見ても、『おくのほそ道』はヨーロッパの紀行文学にない特徴を備えており、紀行文学という文学ジャンルを切り開いた作品であった。旅の思いを綴るという単なる旅ブログに終わっていないのは確かだ。

少なくとも英文学やヨーロッパ文学の伝統において、紀行文学の興味はふつう、知られざるもの、つまり新しい世界、新しい知識、新しいパースペクティブ、新しい経験にある。

(同上)

伝統的なヨーロッパの紀行文学が求めていたものとと、『おくのほそ道』のコンセプトには重なりがあった。紀行文の中で「人生は旅である」という斬新な命題を提示するという芭蕉の姿勢そのものがまさしく西洋的であり、これが芭蕉自身が海外、特に西欧諸国で支持される理由とも結びついていると言えるのではないだろうか。

松尾芭蕉の社会的影響力がハンパない

イギリスの小説家・詩人であるロバート・ルイス・スティーヴンソンや、フランスの小説家マルセル・プルーストは「人生は旅である」の命題をほのめかした名言を残している。いずれも芭蕉よりも数百年後の時代を生きた人たちである。「人間が発する言葉は社会状況に応じて変化する」という言語学で主流となっている仮説を照らし合わせてみても、日本および日本文化に関する情報が宣教師経由で伝えられるなかで、自分たちの伝統における紀行文学と『おくのほそ道』を比較の末、その異国の傑作に感銘を受けたという経緯が読み取れる。

より最近の事例を例に挙げると、Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズもまた類似の名言(以下参照)を残したひとりだ。

The Journey is the reward. Not the destination.

(日本語訳)旅そのものが報酬である。目的地ではない→旅そのものに価値がある

まず、これは旅について記述したものではない。「旅」の要素を借りて「人生」を表現するという手法がとられている。

ジョブズの脳内では「人生」領域と「旅」領域間の写像という認知的オペレーションがなされた。その結果、この名言が生み出された。つまり、その名言の基底には『おくのほそ道』の中で提示された「人生は旅である」という命題が存在する。

1950年代には芭蕉を教祖として奉るという一大ムーブメントが全米で巻き起こった。アメリカでは芭蕉は間違いなくトム・クルーズやマイケル・ジャクソンに並ぶ大スターであり、米国を代表する起業家であるジョブズが芭蕉を知らないはずがない。そして、芭蕉の代表作である『おくのほそ道』はジョブズ自身の経営哲学にも影響を与えた。極端に言えば、もし仮に松尾芭蕉という人物が寛永21(1644)年、伊賀国(現在の三重県)で産声を上げていなかったとしたら、iPhoneは誕生していなかったのかもしれない。

『芭蕉講和』(潁原退蔵著/新日本図書)昭和21年-国立国会図書館デジタルコレクション

こうして見ると、松尾芭蕉という人物は時代や国境を超え、圧倒的な存在感を醸し出しており、小説家のみならず、アカデミックな研究者、世界の起業家や政治家など、ありとあらゆる人々の思想形成に寄与している。その点、2000余年にわたり西洋や中東諸国における科学の進歩や、ヨーロッパの正教会に対して多大な影響力を持ったアリストテレスと重複するところがある。

松尾芭蕉は現代のドラマや音楽の中で生き続けている

ここで、アリストテレスとの決定的な違いについていえば、エンタメ領域への凄まじい波及力だ。『おくのほそ道』における基本精神や作風は、時代を超えて現代のドラマや音楽にも受け継がれている。例えばテレビ東京系列ドラマ『孤独のグルメ』の主人公である井之頭五郎からはどことなく『おくのほそ道』の松尾芭蕉の面影が偲(しの)ばれる。そして、『孤独のグルメ』と『おくのほそ道』とがシンクロし、エンディングでは

ま・つ・お・ばしょう、フー

とお馴染みのメロディーとともに言葉が響いてくる。空腹を満たすべく街なかを彷徨い歩き、時折自虐的に呟く。そして、そのぼやきにはユーモアがある。そんな井之頭五郎は松尾芭蕉であり、全体として井之頭五郎の心の中にいるもうひとりの自分が道祖神となり食の旅へと誘(いざな)うというプロットに仕上がっている。筆者が思うに、そんな『孤独のグルメ』はまさに現代版『おくのほそ道』なのだ。

1980年代から1990年代半ばにかけて放送され、画家の山下清をモデルに描いたフジテレビ系列テレビドラマ『裸の大将放浪記』。そのドラマのモチーフは「人生は旅である」であり、その点『おくのほそ道』の思想が受け継がれている。

松尾芭蕉が愛した門前仲町の現在。-写真AC

最後に、関根麻里さんの夫として知られる韓国・ソウル出身のJ-POPアーティスト、Kさんの代表作『Only Human』。女優の沢尻エリカさん主演のフジテレビ系列ドラマ『1リットルの涙』の主題歌として注目を集めた曲だ。

徐々に身体を思うように動かせなくなる脊髄小脳変性症と呼ばれる難病と診断された少女の闘病を描いたドラマに合わせて作られた主題歌ということもあり、全体的にもの哀しい曲調となっている。この曲の奥には「今は悲しいけれど、この悲しみを乗り越えた先には幸せがある」というメッセージが込められている。そして、「人生は旅である」をモチーフとしており、歌詞には「旅」というワードが出てくる。

『Only Human』の作詩を手がけた松尾潔(まつおきよし)氏。「小山内舞」「立田野純」として提供した楽曲を含めると、提供楽曲の売上は3千万枚を超える。EXILEや東方神起、3代目J SOUL BROTHERSなどの楽曲の作詩を手がけ、R&B研究家としての立場を貫いてきた松尾潔氏は、自身の作詩家としてのポリシーについてこう語る。

僕はエッジの利いたものを手放しで礼賛する人たちを信頼していない。小説にしたって、事件めいた何かが起こらなくてもいい。庄野潤三のように。どこかで見たような情景が美しい日本語で書かれていればそれでいい。(中略)誤解のないように言うと、ポップカルチャーとして、何か新しいものが含まれていることは、もちろん大切ですよ。でもそこに懐かしさの粒が含まれていなければ、僕は手を伸ばそうとは思わない。

2021年5月18日、「noppon.com」に公開された記事「音楽プロデューサー松尾潔 初の長編小説:R&B的大衆小説の存在理由」の一節より

松尾潔氏は作詞活動を行う際に重視しているのはデジャブ感だ。ということで、松尾氏が手がけた『Only Human』における芭蕉との遭遇は、単なる偶然ではなく、必然的な巡り合わせだったに違いない。

国境や時代を超えて後世のクリエイターたちの手中で何度も蘇り、ビジネスや政治、カルチャーの中で古今東西、圧倒的な風格を放ち続ける芭蕉は、アカデミックにおける権威としての古代ギリシャの哲学者・アリストテレスにも劣らない存在である。そんな芭蕉は間違いなく“日本のアリストテレス”を冠するに相応しい人物と言えよう。

(参考文献)

『芭蕉の風景 文化の記憶』ハルオ・シラネ著/衣笠正晃訳 角川書店 2001年

『Metaphors We Live by』George Lakoff他 University of Chicago Press 2003年

『翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動』スコット・L・モンゴメリ著/大久保友博訳 白水社 2016年

『アリストテレス 弁論術』アリストテレス著/戸塚七郎訳 岩波書店 2018年

「芭蕉とカント-俳句の論理構造-」石上豊 『通信教育部論集18」創価大学通信教育部学会 2016年

江戸時代

書いた人

大澤法子

1983年生まれ。愛媛県出身。ライター・翻訳者。大学在籍時には英米の文学や言語を通じて日本の文化を嗜み、大学院では言語学を専攻し、文学修士号を取得。実務翻訳や技術翻訳分野で経験を積むことうん十年。経済誌、法人向け雑誌などでAIやスマートシティ、宇宙について寄稿中。翻訳と言葉について考えるのが生業。お笑いファン。

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先入観に支配された女、サッチー

編集長から「先入観に支配された女」というリングネームをもらうくらい頭がかっちかち。頭だけじゃなく体も硬く、一番欲しいのは柔軟性。音声コンテンツ『日本文化はロックだぜ!ベイベ』『藝大アートプラザラヂオ』担当。ポテチと噛みごたえのあるグミが好きです。

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