https://haikusousaku.lalalan.com/node/18 【俳句とは何か?】より
俳句とは何か
高浜 虚子(ホトトギス派俳人)
俳句とは「客観写生」、「花鳥諷詠詩」である。 客観写生とは、(心で)発見、(技で)描写(「虚子俳話」)「花鳥諷詠と申しますのは花鳥風月を諷詠するといふことで、一層細密に云へば春夏秋冬四時の移り変わりに依って起る自然界の現象、並びにそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂であります。」 (「虚子句集」序)
俳句は季題を詠む詩である。
俳句は存問(挨拶)の詩である。
松根 東洋城(俳人)「渋柿のごときものにては候へど」
古沢 太穂(俳人) 俳句とは「人間だよ」。
山本 健吉 (俳句評論家)「俳句は滑稽なり。俳句は挨拶なり。俳句は即興なり」(俳句3ヶ条)
桑原 武夫(フランス文学研究者)「俳句というものは同好者だけが特殊世界を作りその中で楽しむ芸事。大家と素人の区別もつかぬ第二芸術に過ぎない。」
俳句と川柳との違い
川柳には、 「季語」がない。
川柳には、 「切れ」がない。(一句一姿)
川柳は、自分の思いをストレートに言い切り、「余韻」を残さない。(穿ち)
https://haikusousaku.lalalan.com/node/19 【客観写生(叙景詩)】より
松尾芭蕉の言葉(石寒太著「芭蕉の言葉に学ぶ 俳句のつくり方」)
「見るにつけ、聞くにつけ、作者の感じるままを句に作るところは、すなわち俳諧の誠である」(芭蕉の門人・服部土芳「三冊子」) 俳諧の誠というのは私意や虚偽を排し、対象をよく観察し、傾聴して、そのありさまを 十七文字で表現することに全力を傾けるという意味である。「松の事は松に習え、竹の事は竹に習えと師の詞のありしも、私意をはなれよということ也。」(服部土芳著「赤冊子」)
「松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」とおっしゃったのも、「対象に対する先入観(我執)のすべてを捨てて、ひたすら物に従いなさい」ということをいわれたのです。
正岡子規の客観写生(明治期)
「俳句をものするには、空想によると写実によるとの2種あり。 写実の目的をもって天然の風光を探ること最も俳句に適せり。」子規は、蕪村の積極・雄壮・明快な面に惹かれた。
それは、客観美、絵画美であった。子規の「写生」は、中村 不折の西洋画論に負い、それが蕪村の客観美、絵画美と共鳴したのである。
高浜 虚子の高木 素十を称賛する言葉の中に「写生」の概念が語られている
「厳密なる意味における写生という言葉は、素十君のごときに当て嵌まるべきものと思う。
素十君は、心を空しくして自然に対する。自然もなんの装いもしないで素十君の前に現れる。
自然は雑駁であるが、素十君の透明な頭は、その雑駁な自然の中からある景色を引き抽(ぬ)き来たってそこに一片の天地を構成する。それが非常に敏感であってかくて出来上がった句は、空想画、理想画というような趣はなく、いずれも現実の世界に存在している景色であるということを強く認めしむる力がある。すなわち真実性が強い。」
(「秋桜子と素十」昭和3年ホトトギス)
主観は貴といが客観の修行が第一(高浜虚子著「俳談」)
私ははじめの頃は主観の傾向が多くって、客観の叙述には不得手であった。客観句を作ることは、碧梧桐の方旨かった。(中略)
主観がなければ文学はない。しかしその主観を最もよく運ぶものは客観の具象である。客観の描写のまずい、主観の暴露しているものは、文芸として価値がない。そういう信念に立っている。
荻原井政泉水の客観写生批判
五月雨を集めてすずし最上川 五月雨を集めて早し最上川
(「すずし」よりも、「早し」がすぐれている。)
最上川のふちに立って腕組みをしていたのでは、百年たっていても、この「早し」は出て来ないのであります。その舟に乗って、「水みなぎりて舟あやふし」という命がけの体験をしてこそ初めて「集めて早し」という言葉が探り得られたのです。
子規の流れをつぐものは、客観主義、写生主義という事を標榜して、これが今日の俳句界の
本流であるかのように一般から考えられて居ります。なるほど、自然をあるがままに写す
という事、そのことが悪い訳ではありません。これはいつまでも変わることのない本格的
なる手法でありましょう。しかし、その写生が作者の目を通して見ただけのものであって、作者のたましいを通して来たものでなければ、または、作者の「身」、からだを通して来たものでなければ、それは客観主義というよりむしろ傍観主義であります。写生主義というよりも写真主義であります。今日世間にある句は大抵この傍観主義であります。腕組み主義であります。腕組みをしていて本当の句の出来る訳はありません。またカメラをもって、レンズにうつるものをパチリパチリとシャッタアを切っただけで出来たような写真主義の句に、魂のこもった句の出来る訳はないのであります。
「句と身と一枚になりて案ずべし」という芭蕉の言葉は今日にあって、新しく味わいかえさねばならないものであります。(荻原井泉水「芭蕉鑑賞」)
水原 秋桜子は、高浜虚子の「客観写生」に異を唱え、主観の大切さを表明
「我らの信じる写生俳句の究極は一にして二はない。しかしながらその究極に達せんとして作者が取るべき態度は大別して二つあるということができると思う。
その一は自己の心を無にして、自然に忠実ならんとする態度、その二は自然を尊びつつもなお自然の心に愛着を持つ態度である。
第二の態度を持して進むものは、まず自然を忠実にに観察する。しかして句の表には自然のみを描きつつ、尚は心をその裏に出さんとする。勢い調べを大切にするようになるのである。」 (句集「葛飾」序)と主観の大切さを表明した。
https://haikusousaku.lalalan.com/node/21 【抒情詩】より
水原秋桜子の考え
俳句も短歌も、性格から言えば抒情詩に属します。(中略)俳句ではその感動を与えた景色
を要領よく読者の前に描き出して見せればよいのです。(中略)
言葉の選び方および組み合わせ方によって生ずる音調によって、作者の感動は読者に伝えら
れ、同じような感動を読者の胸に沸きおこさせる のであります。(中略)
表面には景色を描きだし、感動は音調によって伝えるというのが本筋。
萩原朔太郎の考え(「郷愁の詩人与謝蕪村」より)
すべての客観主義的芸術とは、智恵を止揚したところの主観表現に外ならない。
およそ如何なる世界においても主観のない芸術というものは存在しない。
芥川龍之介君と俳句を論じた時、芥川君は芭蕉をあげて蕪村を貶した。その蕪村を好まぬ理
由は、蕪村が技巧的の作家であり、単なる印象派の作家であって、芭蕉に見るような人生観
や、主観の強いポエジイがないからだということだった。友人室生犀星君も、かつて同じよ
うな意味のことを、蕪村に関して僕に語った。そして今日俳壇に住む多くの人は、好悪の意
味を別にして、等しく皆同様の観察をし、上述の「定評」外に、蕪村を理解してないのであ
る。
蕪村を誤った罪は、思うに彼の最初の発見者である子規、およびその門下生なる根岸派
一派の俳人にある。子規一派の俳人たちは、詩からすべての主観とヴィジョンを排斥し、
自然を「あるがままの印象」で、単に平面的にスケッチすることを能事とする、いわゆる
「写生主義」を唱えたのである。
僕の断じて立言し得ることは、蕪村が単なる写生主義者や、単なる技巧的スケッチ画家
でないということである。反対に蕪村こそは、一つの強い主観を有し、イデアの痛切な
思慕を歌ったところの、真の叙情詩の抒情詩人、真の俳句の俳人だったのである。(中略)
蕪村のポエジイの実体は何であろうか。一言にして言えば、それは時間の遠い彼岸に実在
している。彼の魂の故郷に対する「郷愁」であり、昔々しきりに思う、子守唄の哀切な思慕
であった。一般に詩や俳句の目的は、或る自然の風物情景(対象)を叙することによって、
作者の主観する人生観(侘び、詩情)を詠嘆することにある。単に対象を観照して、客観的
に描写するというだけでは詩にならない。
つまり言えば、その心に「詩」を所有している真の詩人が、対象を客観的に叙景する時にの
み、初めて俳句や歌ができるのである。それ故にまた、すべての純粋の詩は、本質的に皆「抒情詩」に属するのである。
萩原朔太郎の芭蕉私見
芭蕉の俳句は、言葉がそれ自身「詠嘆の調べ」を持ち、「歌うための俳句」として作られている。(中略)故に芭蕉も弟子に教えて、常に「俳句は調べを旨とすべし」と言っていたという。「調べ」とは西洋の詩学で言う「韻律」のことであり、言葉の抑制節奏する音楽の事である。 そして芭蕉の場合において、その音楽は詠嘆(寂びしおり)のリリシズムを意味していたのだ。
蕪村は主観的詠嘆派の詩人ではなく、客観的即物主義の詩人であった。(中略)蕪村の技巧は、リリカルの音楽を出すことよりも、むしろ印象のイメージを的確にするための音象効果にあった。たとえば、
鶯のあちこちとするや小家がち 蕪村
春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村
の如く、「あちこちとするや」の語韻から、鶯のチョコチョコとする動作を音象し、
「のたりのたり」の音調から春の海の悠々とした印象を現しているのである。
蕪村が「絵画的詩人」と言われるのはこのためであり、それは正しく芭蕉の「音楽的詩人」と対照される。
芭蕉の句では、或る一つの主題をもった人生観や宇宙観が、直接に観念(思想)として歌われている。
これ芭蕉が、蕪村に比して理知的な頭脳を持ち、哲人としての風貌を具えていた事の実証である。(中略)蕪村は感覚の人であり、思想というものを持たなかった。(中略)
芭蕉のイデアした哲学は、多分に仏教や老荘の思想を受けてる。(中略)彼は人間性の普遍な
悲しみを体験して、本質に宗教的なモラルを持ったところの、真のヒューマニストの詩人であった。
俳句は、ー即興的な抒情詩、家常生活に根ざした抒情的な即興詩。(参照:成瀬櫻桃子 著「久保田万太郎の俳句」 )
(句集「道芝」昭和二年:38才)
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