大地より日へ微笑むや福寿草

セドナは世界の5大ボルテックスがある地です。ダンワールドの主宰するセドナ瞑想旅行に参加したことがあります。

ダンワールドのマスターヒーラーコースの 一期生だった和多志たちだけに お祝いとしてプレゼントされたた瞑想旅行でした。

セドナの木々の幹はゴッホの絵のように エネルギーで渦巻いています。しかも夏の旅だったので 日差しは超強烈でした。

かの有名なグラウンド・キャニオンにも行きましたが 大した感慨もなくシナイ山の勇壮さを偲んでしまうほどでした。

しかし、ベルロックに足を踏み入れた途端 跪きたいような畏敬の念と嘆きが起こり 涙を流し続けてしまいました。

魂の嘆きとでもいうのでしょうか?

もう一つは日の出の瞑想でした。日の出の神々しいさまを観たくてもサングラスを持たない

和多志は サンバイザーを用意しました。

サンバイザーを通してみる日の出の荘厳な様に感動し涙が溢れました。 そこに赤い竜を観ました!!!後ほど知ったことですが 赤い竜は尾骨にあるクンダリー二エネルギー(生命の根源エネルギー)の象徴とされます。竜は魂をくわえるとも言われます。

セドナでのこの体験は 太陽から生命エネルギーが降りてくるさまを目撃したと言っても過言ではありません。

太陽はお天道様と呼ばれ 天そのものの象徴です。

無条件に誰にでも同じようにエネルギーを送り続けます。

和多志の生きているここでは 生命エネルギー(プラウナ)として魂の成長を助けていただいているのではないかと思います。

アニミズムは幼稚な信仰と考えられていますが 言葉による汚染を受けない 頃の 素直な魂感覚と言えるのではないかとも思います。

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2012/45.html 【太陽神論(洪 聖牧)】より

 本来太陽神は、毎日朝東から昇って夕方西に沈み、大地に恵をもたらす自然神であって、自然の中で生きてゆく人間にとって、その生活に大きな影響を与える神として信じられてきた。古代日本の人々が農耕を営むようになってから、五穀の成長と豊穣をもたらす太陽は崇拝の対象となり、やがて「国」という概念が発生し人々を束ねる首長たるものが登場するにつれて、太陽神もそのものを信仰するほかに、首長の祖神というイメージを重ねるようになった。そして各氏族を退けた大和の天皇家によって日本は統一され、天皇家の祖神アマテラスは唯一の太陽神として独占されて崇められ、祀られるようになる。それ故に、日本の太陽神といえばアマテラスと、アマテラスを祀る伊勢神宮を思い浮かべるようになった。ところが、もともと太陽神信仰は大和の天皇家のみの産物ではなく、普遍的なものであった。そのため、日本各地に散在していた太陽神と太陽信仰は、天皇家によって皇祖神アマテラスに一元化され、まつられるようになったにもかかわらず、記紀をはじめ多くの民間伝承にはアマテラスとは異なる太陽神の存在を窺わせる記述が存在するのである。そして太陽神の原像は、自然の太陽神から様々な動物に象徴される太陽神へ、そして太陽神の象徴物からしだいに擬人化し、人のような姿の太陽神となるのである。日本神話に伝わるアマテラスは、こうした擬人化した太陽神であるため、先に擬人化以前の太陽神を語る必要がある。

 一章「古代日本の動物太陽神」の一節「ヤタガラス小考」で論ずるヤタガラスは、神武天皇の東征神話のなかで、先導役として登場する鳥である。烏は様々な民間伝承や熊野大社の例から、古くから日本人の生活に深くかかわりを持つ鳥として認識されていて、太陽の中の三足の烏が住むという大陸からの伝承の影響もあって、神話の中に神の使いとして大きな役割を担う霊鳥として登場するようになったと考えられる。

 ヤタガラスを祖先神として奉ずる鴨氏は、大和国と山城国にわたり大きな勢力をもった豪族であったゆえに、鴨氏の祖先であったヤタガラスをあげて皇祖神アマテラスと結びついたと考えられる。しかし中国の「太陽の中に住む三本足烏」という思想が伝来してから、ヤタガラスも単なる烏ではなく、太陽との関連を考慮するようになり、鴨氏から離れ、大和王権側の存在として重視されるようになる。これは天皇家による太陽神信仰の独占ともいえる。

 二節「古代日本の太陽神の痕跡―動物太陽神としての猿」で述べるサルタビコは、サルの太陽神である。サルタビコは天孫降臨神話の中に登場し、太陽神アマテラスの子孫であるホノニニギを降臨地まで案内する。これは、伊勢地方で祀られていたサルの太陽神サルタビコが、新しく浮上する太陽神アマテラスの子孫ホノニニギに、太陽神の地位を明け渡して、巫女であるアメノウズメの案内で伊勢地方に身を隠したことを意味する。

 こうしたサルタビコの伝承は、ヤタガラス、猿神のような動物の太陽神から擬人化した太陽神へ移行する太陽神の交代を示す神話であると考えられる。

三節「蛇神小考」では、記紀に登場する代表的な蛇神であるオホモノヌシを中心に、その神の伝承と天皇家との関係、そして奉祭氏族の大神氏について論ずる。三輪山に鎮座する蛇神オホモノヌシの本来の姿は、光り輝いて、海を光らしつつ来臨し、聖なる山の上に祀られた太陽神であったと思われる。そして三輪山には古くから祭祀が行われており、それが太陽崇拝であって、その祭祀が当時の天皇家と深くかかわっていたと考えられる。

 この神を奉祭する大神氏は、王朝交代期に新しく登場した氏族であり、渡来人系、若しくはそれにゆかりの深い陶器製作の工人出身であった。そして、この氏族は三輪山のオホモノヌシの神裔と称し、その祭祀権をもって天皇家と結びつき、大和朝廷で長い間活躍したが、天武・持統朝の伊勢中心の政策により、政治の表舞台から姿を隠したと思われる。

 二章「アマテラス成立以前の日本の太陽神」の一節「天照日女之命―日並皇子挽歌」では、アマテラス成立以前の女性太陽神「ヒルメ」について述べる。「日女の命(ヒルメ)」は『日本書紀』の記事からみると、その神格は太陽神であり、アマテラス成立前の太陽神の神名である。そして、「ヒルメ」の神名と対をなす「ヒルコ」もやはり太陽神であって、記紀にその痕跡を伺える。

 人麻呂の『万葉集』巻二・一六七からは、「ヒルメ」から「天照らす(さし上がる)ヒルメ」に発展し、「アマテラスオホミカミ」に到るまでの太陽神の変遷の過程がうかがえる。従来の太陽神の霊格は高くなく、自然神の一柱にすぎなかった。王権にふさわしく、神々の上に君臨する至高の姿が必要だったではなかろうか。そのため、アマテラスには様々なイメージ「太陽神・皇祖神・織姫・至高神・穀霊・男神」が重ね合わされたと思われる。

 二節「古代日本の太陽神―アマテル神」はアマテル神について論ずる。アマテルはその名称の如く、天地を照らすという太陽神らしい神の名に冠する名称であり、自然の太陽をそのまま神格化した神と考えられる。平安時代の物語や諸文献において、アマテル神に関する記事を見出すことができる。菅原孝標の女が書いた『更級日記』の中の「わが念じ申す天照御神」という表現は、アマテラスだけをさすのではなく、紀伊国造家の紀直氏によって祀られる紀伊国の日前国懸神とすくう神と呼ばれた神までを含む、アマテラスとは異なる太陽神格のアマテル神をもさす言葉であると思われる。伊勢の太陽神アマテラスも、こうした「アマテル」の神の一つであったが、天皇家によって皇祖神として仕立てられるようになったとみるべきであろう。

三節「太陽神の渡来伝承」では、朝鮮半島とかかわりを持つアメノヒボコ・神功皇后と応神天皇の伝承をとりあげ、海の彼方から来臨する太陽神の渡来伝承について述べる。

アメノヒボコは、太陽神を祀る渡来人一族のもたらした太陽を象徴する呪物、祭具の擬人化した太陽神、またはその祀りを司る司祭の反映であろう。

 神功皇后と応神天皇の伝承は、典型的な他界訪問神話と母子神の来臨という構造を持っている。巫女の母とともに来臨した太陽神の御子は、死と再生の儀礼を経て禊と名変えを通じて、太陽神の性格をもつ祖神アメノヒボコの霊を継承し、天皇として即位するのである。

四節「太陽神の呪器小考」では、『出雲国風土記』に登場する太陽神サダノオホカミの伝承に伝える「弓矢」を太陽神の呪器と見なし、考察する。

サダノオホカミの伝承は、天皇家の皇祖神アマテラスとは異なる出雲の太陽神の誕生を物語っている。これは日出時の太陽は黄金の弓矢に象徴され、その太陽光線(弓矢)が射しこむ加賀の神埼の洞窟に女神が住んでおり、洞窟を女陰または母胎として太陽神が生まれたと信じた古代出雲に伝わる太陽神誕生の伝承であろう。

加賀の潜戸の洞窟は、日出時の太陽光線が洞窟の内部を照らす自然洞窟であり、キサカヒヒメの名にみえるカヒのように、女性の陰部を象徴している。その洞窟に黄金の弓矢を射ることによって光輝いて出雲の太陽神サダノオホカミが誕生した。太陽を射る話や高句麗の始祖朱蒙王の伝承にあらわれているように、弓矢は太陽神の象徴するものである。

 三章「伊勢太陽神の変遷―地方太陽神から皇祖神アマテラスへ」の一節「古代伊勢の太陽神小考」では、元々伊勢の原始的な太陽神であったと思われるサルタビコ、イセツヒコ、そしてイセノオホカミについて論じる。サルタビコは、天孫降臨の際にホノニニギを降臨地まで案内してから、伊勢に身を隠す。これは猿の太陽神サルタビコが、新しく浮上する太陽神アマテラスの子孫ホノニニギに、太陽神の地位を明け渡して、伊勢に退去したことを意味する。また風土記に伝わるイセツヒコの退去の光景は、この神の神格が太陽神であったことを示している。そしてこの神が、神武天皇東征の際に退かれ伊勢を去ったという記述は、伊勢の太陽神変遷過程を示しているといえよう。さらにイセノオホカミもまた、雄略天皇朝から用明天皇朝まで、伊勢の日神として天皇家の皇女によって祀られてきたが、天武天皇の頃にアマテラスへと変わっていったのであろう。

二節「伊勢神宮成立小考」では、伊勢神宮の成立とその歴史的背景について述べる。大和からみて東にある伊勢は日の昇る太陽信仰の聖地であった。度会氏は、ある時期この地域に勢力を伸ばした大和朝廷に服従し、伊勢神宮の成立にともない彼らのもつ太陽信仰は新しく登場する天皇家の皇祖神アマテラスによって一元化されるようになったと思われる。

このように成立した伊勢神宮は、壬申の乱を画期に天武・持統天皇朝において歴史上に全面的に浮上するようになる。そしてそこに鎮座する太陽神アマテラスは天皇の即位式(大嘗祭)や新嘗祭といった国家の祭祀儀礼と宗教思想の核をなす存在になってゆくのである。

 三節「アマテラス誕生」では、これまでの成果をまとめ、それを踏まえて太陽神アマテラスの誕生を論じる。皇祖神アマテラスに一元化される以前に存在した、様々な太陽神の存在が確認できる。そして、アマテラス成立とともに確立されたのが天皇の権威に神聖性と絶対性を付与する国家儀礼が大嘗祭である。天皇は大嘗祭を行うことによって、日の御子として、また太陽神と稲魂の後継者として即位するのである。その際、天皇によってアマテラスと天神地祇に供える初穗の稲は、神そのものを意味し、それを食することによって先帝の御魂を受け継ぎ、太陽神の新しい後継者になるのである。壬申の乱に勝利し、新しく天皇に即位した天武天皇は、本格的な律令国家体制の導入と国家儀礼の確立によって天皇への権力集中をはかった。そしてそのために、太陽神アマテラスと伊勢神宮を全面的に浮上させ、天石屋戸神話と天孫降臨神話につながる大嘗祭の儀礼の確立し、天皇の権威に神聖性と絶対性を付与したのである。


https://www.y-history.net/appendix/wh0101-118.html 【ミトラ教】より

西アジアにあった原始的な密儀宗教。太陽神ミトラを崇拝する信仰で、ゾロアスター教以前のイラン人に始まり、前1世紀にはローマにも入り一時盛んとなって大きな影響を与えた。ローマではキリスト教の広がりとともに衰えた。

 もとはアーリヤ人の太陽神(光明神)であるミトラ神(ミスラ神とも表記)をまつる密儀宗教であり、西アジアではイラン高原でゾロアスター教が成立する前からイラン人に信仰されており、アケメネス朝ペルシア帝国の時代に小アジアにまで広がっていた。前1世紀にローマのポンペイウスが小アジアを征服しことを機にローマに伝えられたという。共和政ローマから帝政ローマ時代の価値の混乱した時代、キリスト教が下層民の宗教にとどまっていたのに対し、ローマの国家神として祭られたこともある。

 密議の内容は、牡牛を屠り、その脂肪と髄から作られた飲料を飲むと不死となるという類のもので、ローマ帝国でキリスト教が公認される前の3世紀には、ミトラ教(ミトラス教)はローマの神々と融合し、帝国各地に多くの神殿が造られた。しかし、女性の入信を認めないなど、普遍的な信仰となる条件が無く、キリスト教の台頭とともに衰えた。ただし、その儀式などはキリスト教にも影響を与えておいる。<本村凌二『多神教と一神教-古代地中海世界の宗教ドラマ-』2005 岩波新書 p.151,193>

Episode クリスマスは異教の祝祭日だった

 キリスト教ではイエスの誕生日を12月25日とし降誕節(クリスマス)を祝っている(その前日の24日夜がイブ=前夜祭)。ところがローマ時代のアンティオキアなどではクリスマスは1月6日が降誕祭とされていた。12月25日はもとは東方のミトラ教の祝日であった。この日は冬至にあたり太陽が成長を開始する日とみられ太陽神ミトラの誕生の日とされていたのだ。この太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神とされ、ローマで盛んに祝われるようになった。やがてミトラ教に代わり、キリスト教が公認されると、教会はこの日をイエスの誕生日として祝うことによってキリスト教の勝利を表明した。この日付には敗れたミトラ教が生き残っていたのである。<高橋秀『ギリシア・ローマの盛衰』1993 講談社学芸文庫 p.343>

イランのミトラ神

 古代イランのアーリヤ人は、ササン朝ペルシアでゾロアスター教が国教とされるまで、さまざまな神々を祀っていた。その一つがミトラ神で、友情・契約などをつかさどる太陽神であり、非常に人気が高かったらしい。特に、宇宙の秩序を維持する機能は、地上における神官階級の役割を投影したものと考えられている。しかし、イラン高原でゾロアスター教の二元論的世界観が主流となると、目立たない位置に追いやられた。それでもゾロアスター教の影響をそれほど受けない周辺部の古代アーリヤ人の間ではかなり後世まで生き残り、ローマ帝国におけるミトラ教、中央アジアにおける弥勒菩薩信仰などに形象された。<青木健『ゾロアスター教』2008 講談社学術選書メチエ p.34>

 ササン朝より前のアルサケス朝パルティアには全盛期であった前2世紀ミトラダテス1世などの王名は、ミトラ神に認められた者、という意味があったという。


https://www.amazon.co.jp/-/en/review/R3BX7GL2FA0KT1/ 【カスタマーレビュー

弥勒菩薩とキリスト教はミトラ教】より

世界で最も古い宗教はミトラ教という。 紀元前20世紀ごろの成立と推定されそこから紀元前12世紀ごろにゾロアスター教が成立したとされる。 ヒッタイト、ミタン二、メデイア、リデア、パルチア、バクトリアなどの中東の古代王朝はミトラ教が国教であった。 ローマ帝国でもミトラ教は4世紀末まで国教であった。 ミトラとアポロは同一神で太陽神である。 ユダヤ教のエッセネ派はミトラ信仰そのものでその福音書がそのまま新約聖書になったという。 ローマでは当初キリストーミトラ教と呼ばれた。 このキリストはメシアの意味であり救世主ーミトラ教の意味であった。 キリスト教徒がミトラ教を迫害したというのは虚偽で、その後ミトラが省略されてキリスト教になったという。 ユダヤ教はバビロン捕囚の時にゾロアスター教やミトラ教の影響をかなり受けたという。 バクトリアのあとにクシャナ朝が起こり被支配国の宗教を保護してミトラ教は弥勒教となりチベット仏教を経由して日本に空海が伝えたという。 真言密教の蜜は弥勒を意味する。 大日如来は弥勒菩薩であり太陽神である。 したがって弥勒菩薩は釈迦とは無関係で仏教の神ではない。アケメネス朝ペルシャのマゴス、ガウマータは釈迦の父とみなされダレイオス1世に追われて3000キロ離れたルンビニに逃亡したという。 大乗仏教はガンダーラにいたゾロアスターやミトラのマギたちによって作られたのではと疑義される。 特にプラトンはミトラ教のマギやバラモン教の聖職者と密接な関係があったという。 キリストやミトラが誕生したとき救世主誕生と予感して駆けつけた東方の3博士はミトラまたはゾロアスター教のマギである。 世界3大宗教の源流はすべてゾロアスター教もしくはミトラ教である。 不可解なのはイエスの13歳から29歳までの足取りが不明なことである。 29歳で突然人類の救済に目覚めたというのであろうか。 布教活動は3年程度に過ぎない。 ヨハネから洗礼を受けているのでエッセネ派と見受けられる。この短期間でなぜキリスト教は世界宗教になれたのか。 エッセネ派がユダヤ教内で主導権を握るためにミトラをイエスに入れ替えてイエス神話を偽造、捏造したのではないか。

34人のお客様がこれが役に立ったと考えています

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000