瞑想を連想します。
https://www.manrakudo.co.jp/zengo【無季の禅語】
https://renpho.jp/blogs/wellness-fitness-blog/effects-of-meditation 【瞑想による感情のメンテナンスは有用であるか?】より
緊張や心配、悲しみ、怒りなどの感情に支配されているように感じたことはありませんか? これらはすべて、あなたの感情的な知性を向上させることを示しているのかもしれません。自分の感情を表現することは大切ですが、いつどのように表現するかが重要です。"感情のジェットコースター "から抜け出して、慢性的なストレスや感情をうまく処理する方法を学び、気分の落ち込みを抑えて普段の生活により良い感情のバランスをもたらしましょう。
感情を抑えることによる影響、ネガティブな感情をコントロールすることの重要性、そしてそれらの感情に対して瞑想がどのような効果をもたらすのかは下記を読んでみてください。
感情を“ボトルアップ”
「ボトルアップ」とは、感情を押し込めることです。つまり、自分の感情を押し殺し、吐き出すことを許さないことです。しかし、ボトルアップによって複雑な感情を避けようと試みても、結局傷つくことを恐れたり、ネガティブな感情を持つことをためらったりして、その感情自体は消えませんし、体も心も傷つくことになります。
専門家によると、私たちの体と心は密接に絡み合っており、心の健康は体の健康や幸福を感じるために非常に重要な要素であると言われています。
私たちはしばしば、怒りや不安などの不快な感情を経験すると、ストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールの適切なバランスを乱す傾向があります。
フィットネスブランド『ジヴァ』のエミリー・フレッチャーによると、瞑想の身体への影響は、ハンバーガーを食べてチアシードのスムージーを飲むようなもので、それぞれが異なる影響を与えると述べています。
様々なスタイルの瞑想は、脳の特定の領域を照らして一定レベルのエネルギーと持続時間を必要とするため、日常生活で明確な利益をもたらします。
感情をコントロールすることの重要性
感情を管理するということは、健全な方法で自分と向き合うということです。
感情を発見して気づき、その背後にある思考を処理し、それを受け入れ、感じさせ、そして最後にそれを手放すことです。これは、誰もが習得できるスキルです。
自分の感情を効率的に扱う方法をまだ知らないとしても、何も恥じることはありません。学校で教わることではなく、自分で発見するかしないからです。
感情が時に激しくなり、コントロールが効かなくなると考えるのは普通のことです。感情的な反応を管理することが難しくなるような気分障害や人格障害、精神的な健康状態に苦しんでいるかどうかにかかわらず、それは私たちの誰にでも起こり得ます。
感情をコントロールすることがなぜ良いのか、その研究結果をいくつか見てみましょう。
1.人間関係のバランスがよくなる
感情と言動の間に適切な距離を作ることを学べば、そのとき私たちはすでに自分の感情をコントロールできるようになっています。
2.不必要な口論を防ぐことができる
争いの理由は表面的な理由よりもずっと深く、満たされていない欲求に関係していることがあります。感情のコントロールを学ぶことで、私たちは適切なコミュニケーションと解決策を見つけることに集中することができます。
3.心臓病を患うリスクを下げる
高いストレスレベルや怒り、うつは、心臓のリズム障害の発症に大きな影響を及ぼします。また、不適切な怒りのコントロールは、高血圧や消化器系の問題などとも関連があるとされています。
4.幸福感を向上させることができる
感情は行ったり来たりするものですが、それをうまく導く方法を知っていれば、私たちはより良い気分になることができます。怒りを感じなくなったとき、あるいは悲しみが経験の一部として統合されたとき、私たちはより穏やかになります。これによって、全体的な幸福感を向上させることができます。
5.健康的な習慣を作ることができる
私たちは皆、不健康な習慣を持っています。抑圧された気持ちが中心にあるとき、このような習慣は、生活のさまざまな場面で人の心のバランスを脅かす問題になります。
感情を閉じ込めたまま処理することは困難です。自分の感情を手放すことは、ある人にとっては簡単なことですが、ある人にとっては難しいことです。抑圧された感情とどう向き合えばいいのか、自分の内なる考えを理解する方法がわからない場合は、セラピストやメンタルヘルスの専門家の力を借りて、自分が経験していることを探ることができます。
ネガティブな感情に対処するのに役立つ瞑想のヒント
では、実生活でネガティブな思考パターンを減らすにはどうしたらよいのでしょうか。心配事や自信喪失の終わりのないサイクルに吸い込まれるのを避け、ポジティブな感情を構築するのに役立つマインドセットと瞑想のヒントがここにあります。
身体をリラックスさせる
私たちは、嫌なことがあると体が硬直し、苦痛の度合いが増します。
一旦現実から離れるためには、座って呼吸をし、体をほぐす時間を作りましょう。緊張している部分をできるだけリラックスさせ、呼吸の力を不快な場所に向けるようにイメージしながら息を吐き出すと、緊張がほぐれます。
身体を動かさず、全身を頭からつま先まで集中して瞑想してください。好ましくない思考の波に気を取られないようにし、あなたの体に集中することによって、心を占有することができます。
良いことに集中する
慢性的な痛みや感情的な苦痛、頭痛などを経験しているかどうかに関係なく、喜びという感情に集中することができます。自分のさまざまな不調に集中するのではなく、いま自分の体がどう感じているかを考えてみてください。肩を回してみたり、首を伸ばしてみたり、体を整えるためにヨガをしてみたり。体全体が柔らかく感じられるようになり、そこに注意を向けることができるようになるはずです。
自分のネガティブな思考パターンを注意深く観察する
悪い考えが浮かんだときに、それを強制的に消そうとしないことです。これは、流れに逆らって泳ごうとすることではなく、それと戦うことに似ています。代わりに、それを観察します。考えるのではなく、観察者の役割を担うのです。あなたの思考は、あなたから独立していることを心に留めて、ただその観念を漂わせるのです。自分のネガティブな思考パターンを認識するという行為は、負のループが始まる前に止めるのに役立つでしょう。
深く息を吸う
心配事があると呼吸が浅くなりますが、これは肺の奥に十分な酸素が行き渡っていないことを示しています。胸を張り、背筋を伸ばし、長く、ゆっくりと、深い呼吸をすることに集中しましょう。
マインドフルネスとスピリチュアルの教師であるラム・ダスは、「呼吸をコントロールしようとしないこと。呼吸をコントロールしようとは思わないで、ただ見守ってください。呼吸が速いか遅いか、浅いか深いか、呼吸の性質は重要ではありません。呼吸に完全に注意を向けることこそが重要なのです"。
呼吸に集中力を戻せば負のサイクルを断ち切ることができ、ネガティブな思考パターンに陥っていることに気づいたら、自分の考えではなく実際に起きている出来事に注意を向けるよう心に教えることができるのです。
ザ・アートオブマインドフルリビングのティク・ナット・ハンによると、マインドフルネスは歯磨きから食事、さらには車の運転まで、1日のどの瞬間も楽しむことができるようになるそうです。このエネルギーは、立つこと、歩くこと、話すこと、その他どんなことでも実践することができます。
まとめ
瞑想を習慣に取り入れると、日常生活にその習慣を定着させることができます。毎日まったく同じ時間に瞑想する必要はありませんが、朝や寝る直前に瞑想をすることで、より早く習慣を身につけることができます。
自信がついて嫌な考えを遮断できるようになると、自分の態度が変化していることに気づくはずです。
RENPHOには様々なリラックスアイテムがあり、瞑想の最中にご利用いただけます。一例として、アイマッサージャー・アイウォーマー、あるいはストレッチマッサージャーを一緒に利用することをおすすめいたします。目元が温まり、心がよりリラックスでき落ち着きます。瞑想のよきパートナーを探しに、ぜひRENPHOストアを覗いてみてください。
https://ameblo.jp/minamiyoko3734/entry-12827999174.html 【④ ライフスキル】
感情のコントロールに一番困るのが 怒りです。激しい怒りは茫然自失、発狂に至ることさえあります。
リーダー養成講座の初回は「怒り」と、「効果的に自分の氣持ちを伝えるコミュニケーション法」について学びます。
和多志が監修した「ライフスキル」を参照してください。
このコースでは ライフスキルプログラムのファシリテーター体験もしていただく予定です。
怒り
1.怒りの体験を振り返る(怒りのタワー:ライフスキル参照)怒りの体験を10選び、附箋に記入 怒りのタワーを完成 シェアー
2.怒りについての自己点検
チェックシート使用(次の投稿記事をご覧ください)
怒りに対しての自分の関わり方を振り返って、「満足しているもの」「改善したいもの」を明確にし、グループで話し合ってください。
怒りは二次感情といわれます。怒りの体験の奥にあった氣持を振り返ってください。
3.怒りを鎮める方法を身につける (ライフスキル参照)
4.「怒りの氣持ち」を効果的にコミュニケートする。(ライフスキル参照)(ロールプレィ)
怒りのタワーから一つを選び効果的にコミュニケートする。
3人ひと組 怒っている役、怒られている役、観察者 3分×3クール)
効果的にコミュニケーションをするためのポイントをグループごとに話し合い、発表 。
5.「嫌と言う」ゲームを通して氣持ちを効果的に伝える練習をする。
https://miho.opera-noel.net/archives/2415 【千夜千句 第四百三十九夜 鈴木貞雄の「怒り」の句ほか3句】より
一日一怒!
この言葉を、私は同時代人のための「時代訓」にしたいと思う。もっと気軽に怒ろうではありませんか。
親父の尻を蹴っ飛ばし、
お役所仕事に噛みつき、
矛盾と不合理を殴り飛ばし、にっこり笑って、
to love again ! ――街に戦場あり――
上に紹介した言葉は、寺山修司著の『両手いっぱいの言葉』の中の413のアフォリズムの1つである。
わが夫はよく怒る。何か言ったかしらと思う間もなく怒りはじめているから、私も負けないように怒りん坊かもしれないと思うことがある。故なく怒られるのは、女だって癪にさわる。
「怒り」を詠み込んだ俳句ってあるだろうか、と探していたら、今回はネットで「怒り/忿りを使用した俳句」一覧に出合った。作品のいくつか引用させていただいた。
今宵は、「怒り」を詠み込んだ俳句を紹介してみよう。
怒り抑へがたししづかに蟬鳴きだす 鈴木貞雄
(いかりおさえがたし しずかにせみなきだす)
句意は、抑えがたい怒りの中にいるとき、しずかに蟬が鳴き出しましたよ、となろうか。
心の底から怒っているときというのは、いきなり怒鳴りだすのではなく、怒りが本当に怖いのは逆に物しずかに怒り出すものであり、ちょうど、蟬の鳴き出す瞬間と同じであるという。【蟬・夏】
女にも怒りはじめの臍ありぬ 小檜山繁子
(おんなにも いかりはじめの へそありぬ)
「臍」とは、物の中央にあたる重要な部分である。俳句で言えば、1句の要である。女の怒りは、ヒステリーのように突然に怒り出すばかりではない。ちゃんとした怒るべき理由があって怒ることがある。
「怒りはじめの臍」というと、また少し違ってくる。ちょっとしたことにも「臍を曲げる」と言われる女だから、この臍は、何かの拍子に曲がってしまった臍で、そこから、女の怒りは爆発するとでもいうのだろうか。
句意は、女にも、怒りの始めの臍、つまり理由はちゃんとあって怒っているのですよ、となろうか。【無季】
鶏頭のやうな手を上げ死んでゆけり 富澤赤黄男
(けいとうのよやうな てをあげ) しんでゆけり)
句意は、兵士が血にまみれた鶏頭のような手を上に挙げたまま死んでいきましたよ、となろう。
富澤赤黄男(とみざわ・かきお)は、戦前の新興俳句の作家。戦場を詠んだものであろう。「鶏頭」は、茎の上にニワトリの鶏冠のような赤い花穂を立ている花。
「鶏頭のやうな手を上げ」とは、死んでゆく瞬間まで兵士は自分の死を納得していないという動作なのではないか。兵士たちが納得できる理由で戦場に来たわけではない。戦では駒の1つに過ぎない。命を失うには大義名文がなくては、わが生命を無駄死にさせたくはない、「鶏頭のような手」に怒りをに込めて詠んでいる作品。【鶏頭・秋】
鳥影や火焚きて怒りなぐさめし 寺山修司
(とりかげや ひたきて いかりなぐさめし)
焚火や暖炉の火、正月のどんど焼き、花火もそうであろうが、人は、燃えている火を眺めるときが何故だか心が落ち着く。
句意は、焚火をずっと眺めていると次第次第に怒りが収まり宥められてくる。そんなとき、鳥が通りすぎてゆく影がありましたよ、となろうか。
NHKのBSプレミアムで「魂のタキ火」という番組がある。夜の11時15分からなので、再放送で時折見ている。美しい炎に照らし出されて2人か3人の素顔のトークが新鮮に感じるのは、焚火の炎の力であろう。心が落ち着き、素直になるから思わず本音を言わされてしまう力だ。【焚火・冬】
https://www.shinchosha.co.jp/book/143021/ 【自分自身に出会う「ことば」にぶちあたれ。 両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム―寺山修司/著】より
「一字に影があるように、一行にも影がある。」――言葉と発想の錬金術師・寺山修司ならでは、諧謔と毒との合金のような、文字どおり寸鉄の章句たち。愛と暴力、快楽と死、賭博と夢、もちろん男と女。つごう52のキィワードの下、広く著作群のなかから集められ、あの鬼才のエッセンスがそのまま凝縮された413言をこの一冊に。さあ、町へ出ようッ。“寺山修司”をポケットに入れて……。
忘れていた過去が蘇る
橘ケンチ
昔は、書店に行くと途方もない絶望感に襲われることがあった。この膨大な数の本を、死ぬまでに読み尽くすことは絶対にできない――。その事実にひどくがっかりし、焦りが募った。だが、今はもう諦めの境地に達し、書店で気になった本を次々と手にとって眺めてみるのは、ひたすら幸福なひとときである。
本を読み始めた二十代半ばの頃、自己啓発本を愛読した。ダンサーとしてメジャーデビューを目指す道の途中で、強くポジティブでストレートな言葉に背中を押され、勇気をもらっていた。本のなかに自分の悩みの解決策を探し、前進するための力を求めていた。
朝吹真理子『きことわ』
自己啓発本は今も大切な存在だが、最近は、未来ではなく過去に潜ってゆけるような文学作品に触れることも楽しい。
『きことわ』はまさにそんな作品だった。かつて同じ時間を共有したふたりの少女が、二十五年のときを経て再び会う。夢と現実、記憶と幻想が混じり合うような神秘的な雰囲気が物語全体に漂っている。貴子と永遠子が再会する場面にこんな一文がある。「おひさしぶりからはじまる時候と社交辞令のあいさつも、身の置きどころの迷いからでるぎこちない早口のおしゃべりもなかった」。
僕も同じような経験をしたことがある。幼稚園の同級生と、およそ十年の空白期間を経て、高校で一緒になった。一年生のときには、お互い「アイツだ」とわかっているのにひと言も話さなかった。二年で仲良くなり、彼の家に遊びに行くことになった。
かつては気安く話しかけていた彼のお母さんに、なんと挨拶するべきなのだろう。「お久しぶりです」なのか「お邪魔します」なのか。距離感がつかめず、ドキドキしながらドアを開けたとき、彼のお母さんは言った。
「ケンちゃん、カレー食べる〜?」
その瞬間に、僕は幼稚園児の「ケンちゃん」に戻った。「食べる食べる!」と言いながら、大股で友人の家へと上がりこんだ記憶が、『きことわ』の行間から飛び出してきた。
三辻仁成『海峡の光』
『海峡の光』の主人公・斉藤は、小学生の頃に自分を巧妙にいじめた花井が傷害の罪を犯した受刑者として現れたことに動揺する。刑務所看守の斉藤は、花井を監視・管理する立場にあるにもかかわらず、幼い頃と同じように花井に翻弄され、心乱されてゆく。
おそらく誰の心にもいる「常にアイツに悩まされている」と思わせるような存在。大嫌いなのに自分のなかの存在感は大きくて、どうしても意識してしまう相手。読みながら、何人かの顔が頭をよぎった。本作ではそんな厄介な関係性が看守と囚人という極限にまで研ぎ澄まされている。
斉藤にとってはこの関係性や状況はきわめて不条理だ。人間の醜さや悲しさとともに勧善懲悪とはかけ離れた世界が描かれていて、何も解決しなくてもいいんだ、人生はこう在ってもいいんだ、と思わせてくれる。
『あゝ、荒野』で寺山作品を初めて読んで魅了され、続いて『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム―』を手にとった。自分と接点のある、演劇やスポーツについての名言が特に心に残っている。例えば、
「人生はそのまま大河演劇であり、私たち自身は台詞を言い、演技論(という名の幸福論)を身につけ、そのとめどない劇の流れの中で、じぶんの配役が何であるかを知るために、『自分はどこから来たのか? そしてどこへ行こうとしているのか?』と自問しつづけている」
若い頃は、自分は何でもできる、自分の限界を決めつけてしまいたくない、などと思っていたが、自分の「配役」を知ることは可能性を狭めることではないと次第にわかってきたように思う。得意不得意を把握し、自分の専門性を追求することで、人生はもっと楽しく、奥深くなるのではないだろうか。
本を読むのは、朝晩の自宅と、ツアーやイベントのための長距離移動中が多かったが、コロナ禍のいま、長い移動はほとんどなくなった。思うように動けない今だからこそ、考えることを深めたい。文学を通して「自分はどこから来たのか?」という問いに向き合うことで、「どこへ行こうとしているのか?」という展望もより深く鮮明に描けるような気がしている。
(たちばな・けんち EXILE、 EXILE THE SECONDメンバー。EXILE mobileにて「たちばな書店」更新中)波 2020年10月号より
著者プロフィール
寺山修司
テラヤマ・シュウジ
(1935-1983)青森県弘前市生れ。県立青森高校在学中より俳句、詩に早熟の才能を発揮。早大教育学部に入学(後に中退)した1954(昭和29)年、「チエホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞。以後、放送劇、映画作品、さらには評論、写真まで、活動分野は多岐にわたる。とりわけ演劇には情熱を傾け、演劇実験室「天井棧敷」を主宰。その成果は国際的にも大きな反響を呼んだ。
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