https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7081876/ 【言葉でもって言葉を超える】
https://weekly-haiku.blogspot.com/2009/03/blog-post_08.html 【〔阿部完市追悼〕
ほとんど作家本人の言葉からなる、阿部完市小論 上田信治】より
阿部完市の俳句の言葉は、双葉が土からあたまをもたげ伸びてゆく映像のような「書かれつつある」または「書かれてゆく」言葉である。
それは、作家自身が克明に書きしるしていることでもある。たとえば以下の文章の「俳句とはそれがそのまま一個の行為」というところ。
俳句を作る、一句を成就するということは、言葉、言語の組み合わせだけとは、思っていない。俳句とはそれがそのまま一個の行為 ── 作り出す、作り上げるという行為、と思っている。一句を作ると言うことは、今までになかった、今までの自己にとって全く未経験のものを内蔵する一行為、と思っている。それは私にとって動いて止まぬ、次に在るようになる言葉、言語を作り出すこと ── 既成の言葉、言語の組み合わせでなくて ── と考えている。すなわち、私は、時枝誠記の謂った「言語過程論」を真似て、一句成就することを「俳句過程説」とでも唱えたいほどに思っている。全ての私の行為 ── 私にとっての精神の一新動体であると考えたい。
(『阿部完市俳句集成』(1984沖積舎)「あとがき」)
このしつように繰り返しつつじりじり進む文章の「行為」「動いて止まぬ」「過程」というのが大事なところで、つまり阿部完市にとって、書き終えたものが止まってしまっては、元も子もないらしい。
一句は、実は全く「言い了える」ことはない。一句は、わが思いの方向、わが思念の志向をのみ提示する。方向のみ、志向のみであるから、わが思いは終わらず、わが思いはより多方向に、つよく広がり止むことがない。鑑賞者は、一句によって ── 作者が決断したその意志による十七音という「短」さそれゆえの示す志向、方向の保証の下により想わされ、直感させられる。
一句言い了えている、と思わせる「完結感」は、俳句には絶対に在らねばならぬものであっても、真実「終り」「言い了える」ということは、俳句という切断、決断の詩に於いては絶対にあってはならぬ。 「完結感」が在らしめられ、そして絶対に「完結」して在ってはならぬのが一句・俳句である。
山本は「詩は聴者の胸に一つの波を立てることが出来れば」(※)と言っているが、私はこの波の「実在感」 ── 一波ありたりという確かな手応え ── を「完結感」と言いたいと思う。(※上田注『純粋俳句』山本健吉 1952 )
「認識の刻印」── 認識と言う、いわば完全に解釈し、自己嚢中のものとするというところまでは欲しない、あるいは欲し得ないが、しかし何かが確かに在る ── 言い得て何か存在せしめたという実感 ── 完結感。その存在を私は「俳句存在」ということと考える。(…)「認識の刻印」という、より理論的、理知的な把握実感よりも「不確実」という確実・実感の方を私はより「俳句」と思う。この確かには何もない、しかし何かは確在すること・実在感の存在を、私はより「現代俳句」の重さと謂う。
(『絶対本質の俳句論』(1997邑書林)「時間論」)
一句が、書き終えてなお、止まらず動いていること。言い了えずに、言い了えること。確かな「不確実」の手応えがあること。
そうでなければ俳句は「一定の作り方、一定の美の言い立て、いつもの感傷」「いつものように、いつもの通りに美しいよ、という種の演歌」(同「定型論」)になる他ない。
一句一句つくって行っていつも同じような感情の色彩、匂いのなかにすとんと落ちてしまうこと ── 感情論理を辿ること、その結末としていつも同じような情緒、情念に一致 ── 悪しき一致 ── してしまうこと。これを私は「俳句」の変化、新しい「俳句」 への、「俳句」の生成への障害と考える。(同・「時間論」)
いったい、これほどの矛盾とケッペキを道連れに、書くとはどういうことか。
それは既知の言葉への固着から、身をよじるようにして逃れることの連続である。身をよじりつつ反らせつつ、いかにしてそのステップを踏みおおせるかという運動、その軌跡「として」書くこと。
それは、言葉による一つの舞踏である。
「風を見る」と書き、次になにを書くか、今、目の前にゆれ動いているものよりも確かなもの、私にとってより私の心のものとしての確定的なもの、を探す。探すために書く、言葉として、私の在り方の隙間から洩れ出てくる言葉を書く、いろいろ書く。風、吹く、見える、風立つ、きれいに吹く、淋しく吹く、林が動く、信州、野分、風が曲る、道を吹く。見る。ふらりと立って見入る。手に持って見る、ぶら下げてみる。風を見る、ぶらさげてみる。「風を見る、ぶらさげて見る」、このとき、ひとつの質感、なにかの影が私に見える。イメージがちらりと形を見せ、残りたい、在りたいと言う。私は、その言葉を信用する。つづいて書く、ぶらさげる、紐、人間の絆、悪心、嘔気など、ぶらさげる、きれいにぶらさげる。もの、命名されることのないなにかが手にある。なにか、風のなにからしい。信号だ、風への知らせだ。風からの知らせだ。風の合図だ、私の合図だ、きれいな合図だ。そして、私が、ここに在るようだ。在ることができる。ふしぎに在る。きれいな、合図をぶらさげて、風を見ている。それが、いま、私が在るということだ。風の中に在る、私、だ。
風を見るきれいな合図ぶらさげて 阿部完市
(『俳句幻景』(1975永田書房)「わが《イメージ》論」)
ここに追体験され記録されているのは、既知のそれを振り落としつつ手探りされてゆく、イメージの生成過程である。
しかし、このなまなましい運動が、目の前の一句に「過程」あるいは「生成」としてあらわれ得ているかというと、どうもそうではない。句はゆるぎなく完成していて、そのイメージは鮮烈だが、作者の句としては、むしろ運動が不足しているような気がする。だいたい自分は、この句を「風鈴」の見立てだと思っていた。
この作家の最も知られたいくつかの句は、句自体が、そのイメージと韻律の生成過程として書かれている。
と書けば、たちまち反問がわきおこる。全ての書かれ終わった句において、イメージと韻律は「すでに」その句そのものである。言葉は書かれて目の前にある。その言葉があらためて「生成」であり「過程」であることが可能だろうか。というか、それは「馬から落ちて落馬」式のナンセンスであり、空論ではないのか。
阿部完市は、それをやってみせた。一句が、自らこわれてみせることによって、それは可能だった。
少年来る無心に充分に刺すために 『絵本は空』
ローソクもつてみんなはなれてゆきむほん 〃
〈少年来る〉。〈充分に〉の5音によって、言葉が定型からさまよい出そうになる。その「浮遊感」が、ベタですらある内容を、夢幻のように見せている。少年が、なんどもなんどもスローモーションで来そうでこわい。
〈ローソクもつて〉。「……て……て、ゆき」「むほん(3文字)」という言い方が、ひらがな書きの効果とあいまって、ほろほろくづれてゆくようだが、くづれるのは、〈みんな〉か、自分か。
それらがほとんど韻律から与えられる印象であることに、あらためて驚かされる。
栃木にいろいろ雨のたましいもいたり 『にもつは絵馬』
木にのぼりあざやかあざやかアフリカなど 〃
兎がはこぶわが名草の名きれいなり 〃
〈いろいろ〉〈たましい〉〈あざやか〉〈アフリカ〉……阿部完市にあっては、しばしば音数4の語が不穏である。それらの語が入ってはいけないところに入ってしまったことをきっかけに、定型が、はらはらと自己展開してゆく。〈いろいろ〉に押されて〈たましい〉が生じ、下五にはみ出した〈も〉が、そのあとの一音アキを生む。
そして〈兎がはこぶ〉の、語の不確かな連結(連体終止同形の動詞による疑似三段切れ、「わが名草の名」の並列、口語文語のめまぐるしい混用)により生じる、はかなさ。
韻律や、イメージや、語の連結が、読む順に、ゆるんだり、はずれたり、こわれたり、していく。
それは「俳句として予期される様態」からの逸脱である。わずかに「予期」に先行されつつ、読まれてゆく言葉が、継起的に、予期されたラインからずれるという運動である。
ここにあげた5句などは、何度読みかえしても、口が喜ぶ。というか、黙読すると、仮想の発声器官のようなものがキモチイイ、といったほうが正確か。
読者にとって「予期」と「逸脱」は一句上にタイムラグをもって併存するので、句がこわれていく運動は、ダンスのように何度でも再現される。
そのとき、一句は、それがその句になっていく「過程」を演技する。音韻とイメージが相同し相乗する働きもあって、もうその句は、読まれてゆく運動それ自体である。
それは、まったく当たり前の書き方ではない。
さて、生成する韻律やイメージと同時に、全体でひとかたまりの何ものかが立ち上がらなくては俳句ではない ── というのが阿部完市の考えである。
俳句一句は、結局ひとつの塊り ── ひとつのまとまりとして在るもの。私たちの心中に、詩的享受の一定の構え・一定範囲に適合するための一塊・一個である ── 読者への一体・全体、鑑賞者の心為へのゲシュタルトとしてあると考えられてよい。
俳句は一つのゲシュタルト・全として在り、読者にすぐさまにいきなり把握され、直接にその心中に入りこみ、安定し不動となる。そして、それが一種の詩的共感、快感を惹起せしめる。
(同「時間論」)
言い換えれば、俳句は言葉でつくるもの、しかし、俳句の「目ざすもの」は言葉ではないし、イメージでもない(ましてや意味ではない)。
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
帚木に影といふものありにけり 虚子
鶏 頭の十四五本もあるだろう、程の意味。また、帚木に影というものがある、程の意味であろう。意味としてはいわば当然・当たり前、である。しかし、この二句 からほとんど無限と言ってよい感動の与えられるその理由は、よくよく思わなければならない。鶏頭の句が、私にとって名句であるとするその理由に二つある。 一は、その語調・音韻・音律の一気さであり、二は、五七五一塊の一気に存在するその焦点そのもののごとき有様である ── 一気であり、その一塊・いわば一つのまとまり・総体・ゲシュタルトとしての快感・直感である。この句の意味の当然さ、当たり前を完全にのり超えて、いわば 〈音韻〉そのものだけの意味、〈音律(意味を消去してのちの)のいわば純粋意味〉を示しているからであると私は考えている。(…) 本来意味を生じる「言葉」の音の連なりが、その連なりだけをより浮遊化して、より純粋な音の綴りそのものだけからの直感・共感を実現するということである。
(同「音韻論」)
阿部完市の一句一句の「一つのゲシュタルト・全」を受けとった感じをざっくりと言うならば(本来言い換え不能だろうが、あえて「次を附ける」なら)、それは、自分にとって「物語の印象」のようなものだった(同じようなことを感じる人は多い気がする)。もちろん、具体的なものではなく、なんとなく、こわいような、おかしいような「物語の印象」。
その物語は、童話とか民話とか神話とかであって、いわゆる小説ではない(いわゆる小説のような「印象」を与えることを、最高の達成とする俳句の多さよ)。童話・民話・神話は、単純すぎて、けっきょく何を言っているのかよく分からないことが、その特質である。
「知的論理の操作を絶対に拒否しなければ「俳句」は決して出現しない」と書いた作家による、あまりにも論理不在な作品の背景に、読者は「前=論理としての物語」のようなものを、読み取ってしまうのかもしれない。
俳句はその一行に表れている意味を了解して終わるという物ではない。その一句の背後に秘匿されている一つのあるもの(エトワス)を体感し、直感するものである。一句を作り出すときに作者・作る意識者は、まずその俳句の特性であるゲシュタルトにとらわれ、そしてそれに従って作句しはじめ、おわり、「次」の何ものか(エトワス)へという方向、指示を直感し、書く──俳句の志向性。そしてそれからその一句の深奥に浮遊している何ものかを直感し、さらなる次を附けること──これが俳句を作す、読むということである。
(同)
言いたいことは言い終わった(引用し終わった)ので、あとは好きな句を、ほんの一部だけ。
姉の小さいぐらいだー飛び有職故実 『春日朝歌』
雨から東へあるいて男きものかな 『純白諸事』
遠方とは馬のすべてでありにけり 『鶏論』
翡翠をあつとこころはこえるなり 『軽のやまめ』
水甕の置かれていつしよけんめいなり
ねぱーるはとても祭りで花筵
昼顔のように品物ありにけり 『その後の・集』
精神はぽつぺんは言うぞぽつぺん 『地動説』
空豆空色負けるということ
山々や三六五日と休日
横顔は小舟をすてるのです
きつねいてきつねこわれていたりけり
世評も高い『絵本の空』(1969)『にもつは絵馬』(1974)につづく、『春日朝歌』(1976)『純白諸事』(1979)には、いくつかの忘れがたい佳句はあるものの、どこか前二句集の達成を追っているようなところがあって、正直、苦しげに見えた。
ところが作者63歳の句集『軽(かる)のやまめ』(1991)は、韻律は以前ほどこわれなくなったし、切れ字も多用しているのに、どこから見ても阿部完市の俳句であるという自由自在ぶりで、〈豊旗雲の上に出てよりすろうりい〉も集中にあり(〈すろうりい〉のこわれっぷり!)、これは名句集といっていいように思う。『地動説』は未読。
最後の4句は、2007-2009版の年鑑の自選5句から。作家晩年の充実がうかがえるこれらの句は2009年2月刊の『水売』(角川書店)に入っているはず。これが遺句集になった。
俳句の「一定の作り方、一定の美の言い立て、いつもの感傷」を拒否して書くということは、俳句を「天才の仕事」として書くことだ。
阿部完市は、最期まで「天才の仕事」をめざすことを諦めなかったし、それを達成したように思われる。(引き合いに出しては悪いが、同じようにこわれた韻律を持つ荻原井泉水の晩年のぐだぐだとはえらい違い)。
その理想の高さ、きびしさは、仰ぎ見て讃えるべきものだった。
https://gokoo.main.jp/001/?cat=18 【カテゴリーアーカイブ: 俳句入門】より
《俳句の相談》互選は意味がない
互選の点数がまったく意味がないのはこのためです。
互選は点数でなく、誰がその句を選んだかが大事です。
いいかえると、選句力のある人がどの句を選んだかこそが大事です。
《俳句の相談》作句と選句
句会にゆけば作ってきた句を出し、当然のように選句をするわけですが、作句と選句はまったくちがいます。
句を作るときは誰でも一生懸命に作ればよい。
「俳句は頑張らないほうがいい」などという人がいますが、とんでもない見当違いです。
ともかく作句のさいにはこの「一生懸命」が大事です。
これに対して、選句では「冷静」になって選ぶ、これが大事です。
この「冷静」は「冷徹」さらに「非情」といってもいいものです。
なぜかといえば、句を選ぶということはその句が文学作品(一編の詩)として成り立っているかどうかを判定することだからです。
くわしくいえば、詠んでいる対象はこれでいいのか? 発想捉え方は? 表現はこれで十分か? そして、こういう作品が過去にないか? あるとすればそれを超えているか?などを判定するわけです。
単に「共感したから」というだけで選んでは行けない。
そうした選ができるようになるには俳句をはじめ文学や世の中の勉強(精進)をしなければなりません。
いいかえると、誰でも句は作れるし、句会にゆけば誰でも選句をしますが、誰もが選句ができるわけではないということです。
《俳句の相談》全部写さない
句会で選句をするとき、清記用紙のすべての句をノートに写している人がいます。
理由を聞いてみると、勉強のためとか作者への敬意という答えが返ってきます。
しかしながら、これはとんでもない見当違いであり、ぜんぶ写すのは百害あって一利なしです。
・披講がそこで滞り、句会に時間がかかる。
・下手な句も写すので、下手になる。
・もっとも大きな問題は選句といいながら、全部写したのでは選句になっていたいということです。
全部写せばあとであらためて選ばなければならないわけですが、たとえばそこでもし倒れれば選句はできません。
全部を写している人は自分はいつまでも生きていると勘違いしている人です。
いいかえれば、いつ死んでもいいという覚悟ができていないわけです。
選句のときは選句をする。
そこで倒れても、その人の選んだ句がわかるというようでなくてはなりません。
《俳句の相談》平等ということ
句会を貫いている最大の原則は平等ということです。
職業、性別、人間関係などではなく、作品だけで句を選ぶのが句会です。
平等を守るために句会にはいくつかの仕掛けがあります。
・投句のとき、短冊には句だけを書き、無記名であること。
・投句された句は別の人が清記用紙に清書すること。
筆跡でわからないようにするためです。
・主宰(先生)も会員といっしょに(互選の披講の前に!)選句を披講者に渡すこと。
これらの原則が守られていないような句会は句会ではありません。
主宰が互選の披講を聞いて自分の選を直しているならば、その句会はすぐやめたほうが賢明です。
《俳句の相談》季語と季題
季語と季題という言葉は使い分ける必要があります。
季語は季節を表す言葉全般をさします。
これに対して季題とは題詠の題にする季語のことです。
題詠の場合、季語を題にすることも季語でないふつうの言葉を題にすることもありますが、季語を題にするとき、その季語を季題というのです。
「ホトトギス」系の結社では季題という言葉を使い、季語という言葉は使いません。
これは俳句を詠むときは必ず季語を題にして詠みなさいという姿勢の現われです。
《俳句の相談》季語の宇宙性
季語とは季節を表わす言葉です。
季節は地球の回転軸が傾いているために地球上に生じる現象ですから、季語は宇宙的な現象を表わす言葉です。
俳句には季語を入れるという約束がありますが、それは俳句を宇宙とつなぎ、小さな(世界でもっとも短い定型詩)を大きな詩に変える働きがあります。
理由のない決まりではありません。
《俳句の相談》切れは「間」を生む
切れは俳句にとって季語以上に大事なものです。
ただ切れが大事というのはただの決まりではなく、季語同様、理由があります。
俳句は短い詩ですから言葉だけで何かを伝えようとすると、長い散文や短歌にはるかに及びません。
しかしながら俳句には切れがあって、この切れが「間」を生み出します。
「間」は絵でいえば空白であり余白です。
音楽でいえば沈黙です。
このように何もない空間、時間である「間」が言葉以上に雄弁に働く。
これが俳句最大の秘密です。
俳句を作るときは「間」が働くようにしてください。
また俳句を読むときは言葉だけ読んでもだめで、言葉と言葉の「間」を読んでください。
「間」を作ったり、読んだりするには心を静かにしなくてはなりません。
《俳句の相談》なぜ575なのか
短歌もそうですが、俳句は575のリズム、5拍と7拍の組み合わせのリズムでできています。
なぜ5拍、7拍なのか。
これは俳句だけでなく古くからの日本の詩歌の大問題です。
日本は海に浮かぶ島国ですから、大昔、人類がこの島にたどりつくには舟を使うしかなかった。
それも1日か2日ではなく、数か月、ときには何年もかかる舟旅です。
舟を操るには櫓や櫂を漕ぐわけですが、このとき櫓、櫂に合わせて歌うのが舟歌です。
5拍、7拍のリズムはもともと舟歌のリズムだったのではないか。
この舟歌のリズムが日本に定着したあとも人々の心にずっと残っていて、やがて和歌の調べとなり、のちに俳句が生れてきた。
私はそう考えています。
*参考=長谷川櫂『海の細道』中央公論新社
《俳句の相談》俳句はなぜ短いか②禅の思想
もうひとつは中国の宋・南宋から伝わった禅の影響が考えられます。
禅は言葉に対してふたつの相反する考え方をもっています。
1)言葉では真理に到達できない。つまり言葉を信用しない。
2)しかし言葉は真理に到達するための有効な手段ではある。
このふたつの考え方が合わさると、言葉は短くなるしかありません。
禅の語録に残されている禅の言葉が短いのはそのためです。
中世以降、禅のこの思想が日本に流れこみ、そのなかから短い俳句が誕生したと考えられます。
《俳句の相談》俳句はなぜ短いか①蒸し暑さに適応
俳句は世界でもっとも短い定型詩です。
この短い詩がなぜ日本で誕生したのか。
これにはふたつの理由が考えられます。
ひとつは日本の夏が高温多湿でたえがたい暑さであるために、言葉はできるだけ短いものが求められたということが考えられます。
*参考=長谷川櫂『和の思想』中公新書
【言葉とシンボル】
ヨハネ福音書の冒頭に 「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。」と記されています。
また「言霊」という言葉があります。
その意味をWikipediaでみると 「森羅万象が それによって成り立っているとされる五十音の云々」と記してありました。
また母子一体であった幼子がことばを獲得することにより母子分離をし 個別化の過程を歩むと言います。(本来持っていた一体感を失います。)
ことばとはいったい何なのでしょう?
世界が現象として現れ出るのにことばが 大きく関与していると考えていいのでしょうか?
混沌として一体だった世界が 言葉で規制されることにより 現象として現れたと言えるのでしょうか?
然し[自然]とはなにですか?「森」とは何ですか?「空」とは何ですか?「人間」とは何ですか?「コップ」とは何ですか?
一人一人「自然」という言葉から思い浮かべるイメージはあまりにも異なります。
そして 森という言葉からも、 空という言葉からも、人間という言葉からも、コップという言葉からも、 思い浮かべるイメージは誰ひとり同じになりません。
一人一宇宙と言われる所以でしょうか?
ことばは一体感を失わせる道具だとも言えます。
宇宙は波動(原子雲)で満ちていると言われます。
実であり虚である,在って亡きが如しといわれます。
全ては一体であり、相互に依存しあい、循環し続ける故、私はあなたであり、あなたは私である、しかも絶えず変化し続けているゆえ 私に実態を与えることは不可能です。
ある日 Jさんに 「幼子は 魂感覚(ESP感覚)があり、一体感に包まれているが ことばの獲得とともに それらは失われると言われるのに ここでは教学を一番大切にしている理由はなぜか?」と尋ねてしまいました。
答えは「毒を以て毒を制す」でした。
幼い時から学習してきたことを 単なる想念として白紙に戻し ダルマという真理を全ての規範に置き換える作業が教学と言われるものなのかと解釈しました。
修行の中で 自分の想念の一つ一つを消してゆき、消している自分までも消した時 胸からエネルギーが立ち上がり 光の海が見えました。
ことばによる縛りがなくなった時 自分という幻想が消え エネルギーの吹き溜まりのような実感を持ったりします。
通常和多志たちは顕在意識で現実認識しますが 真実に自分を突き動かしているのは潜在意識です。
一般に顕在意識のコミュニケーション手段は言語、潜在意識のコミュニケーション手段はイメージ(シンボル)と言われます。
心理健康オフィスでの セッションは クライアントさんに 今一番必要なメッセージを掴んでいただくため 言葉でも色々話してはいただくのですが 箱庭を置いていただき 筋肉反射テスト(身体からのバイオフィードバック)を使って 箱庭で表現されたイメージ(シンボル)の世界を言語化しながら進めます。
それほど言葉は曖昧で 言葉の背後にある内実は人それぞれ異なります
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