https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230220/k10013985851000.html 【【松本零士さん死去】ちばてつやさん「体中の力が抜けていく」】より
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など宇宙や冒険をテーマにした壮大なSF作品で知られる漫画家の松本零士さんが今月13日、急性心不全のため亡くなりました。85歳でした。
親交のあった漫画家などから惜しむ声が相次いでいます。
ちばてつやさん「体中の力が抜けていくよ」
松本零士さんと長年親交のあった漫画家のちばてつやさんは、公式ホームページに追悼メッセージを掲載しました。
(メッセージ全文)
「松本零士さんが高校を卒業して北九州の小倉から上京したばかりのツメエリ姿、当時19歳の彼と出会って60年以上が経ちました。ワシもデビューした翌年の18歳。同じマンガ家の卵、トシが近いせいもあって意気投合、本郷三丁目にあった西陽差し込む4畳半の彼の下宿にはよく遊びに行ったものです。二人ともまだ稼ぎも少なく満足に食べられなくてね。松本さんはよく『座布団のようなビフテキを食べたい!』なんて言いながらマンガを描いていました。二人そろって締め切りに追われ、同じ旅館にカンヅメにされて一緒に机を並べて仕事をしたものです。当時からワシは遅筆だったので、先に原稿を終わらせた彼に手伝ってもらうこともありました。忙しい盛りの40歳の頃に、一緒に世界旅行にも行きました。その時に訪れたアマゾン川やマチュピチュの遺跡などはいちばんの思い出です。海外で体調を崩し、中々調子が戻らないとは聞いていて、ずっと心配していたのですがまさか…言葉もありません。ここ数年、親しいマンガ家仲間が次々と旅立って淋しい思いをしていたのに、君も逝ってしまったのか。もう…体中の力が抜けていくよ」
声優 野沢雅子さん「楽しい旅を続けてください」
アニメ「銀河鉄道999」で主人公・星野鉄郎の声を演じた声優の野沢雅子さんは「松本先生とは銀河鉄道999の全国縦断イベントで本当にいろいろなところにご一緒させて頂きました。気さくでお話が上手、山口では車掌さんの制服を着てとても喜んでいらっしゃったお姿を昨日のことのように思い出します。劇場版を録る時にはスタジオにいらして下さって、いいですね~と仰って下さるので私たちもとても演りやすくて・・優しい方でした。お会いするといつも『そのうち999で何かやりましょうね』と仰られていて、またご一緒出来るのを楽しみにしていたのですが、叶わなくなってしまい寂しい気持ちでいっぱいです。既に車掌さんが999号で待ってると思いますので、どうか一緒に楽しい旅を続けてください」とコメントを出しました。
声優 池田昌子さん「私の一生の宝物」
アニメ「銀河鉄道999」でメーテルの声を演じた声優の池田昌子さんは「あまりにも突然のことで何と言っていいものか、言葉が出てまいりません。松本先生にはただただ感謝を申し上げるしかありません。先生と一緒に旅ができたことは私の一生の宝物です。出来ることならもう一度お会いしたかった。心よりお悔やみを申し上げます」とコメントを出しました。
歌手 ささきいさおさん「作品の心を大切に歌っていく」
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」などのテレビアニメで主題歌を歌った歌手のささきいさおさんは、松本零士さんが亡くなったことを受けてコメントを出し、「果てしない夢をいだきながら、宇宙に旅立たれたことと思います。ご存命中は、色々とご指導いただき、有難うございました。これからも作品の心を大切に歌っていきます」などと死を悼んでいました。
漫画家 里中満智子さん「大きな柱の1本でした」
松本零士さんと長年親交があった漫画家の里中満智子さんは「漫画家にとって大切なことを形で示してくれた大きな柱の1本でした」と語りました。
里中さんは中学生のころから松本さんの作品を読んでいたということで、「私がこの道に進もうというきっかけのひとつでした。すばらしい作品のひとつひとつが自分を育ててくれました。改めて、ありがとうございましたと伝えたいです」と振り返りました。
そして、里中さんは「漫画家は、自分だけのものを描かなければいけないと強く意識することが大切で松本先生はそれを形で示してくれた本当に大きな柱の1本でした。松本先生自身がすごくロマンチストで、夢みる少年みたいな感じで、それがそのままキャラクターに反映されていました。国境や民族を超えて感じるロマンみたいなものでだからこそ色あせないし、これからも廃れないと思います」と話していました。
そして、「松本先生の作品をどう生かしていくのか、どう残していくのかは、私たち世界全体の使命だと思うので、きっちりと守っていきたいと思っています」と話していました。
元宇宙飛行士 山崎直子さん「これからも見守ってください」
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」など、松本零士さんの作品が最初に宇宙に興味をもつきっかけとなったという元宇宙飛行士の山崎直子さんはNHKの取材に対し、「とても残念で、悲しい気持ちでいっぱいです。松本さんはいつも未来の少年少女への教育に力をいれておられた。私もその遺志を引き継いで次世代につなげていきたいと思う。宇宙に帰られた松本さんに祈りをささげたい。これからも宇宙から私たちを見守ってください」と話していました。
ふるさと 北九州市では
松本零士さんが育った北九州市の小倉駅には、代表作「銀河鉄道999」のキャラクターの像が設置されていて、駅を利用する人からは松本さんの死を悼む声が聞かれました。
北九州市を訪れた大阪府に住む50代の女性は「子どもの頃から見ていた作品でした。松本零士先生の描いた女性のキャラクターは強くて憧れでした。昔から知っている作家が亡くなってさみしいですが作品はいろんな形で残っていってほしいです」と話していました。
横浜市に住む夫婦は「北九州には松本零士先生の作品がラッピングされているモノレールやキャラクターの像があるのが印象的です。大先生と呼ばれる人が亡くなってさみしいですがご冥福をお祈りします」と話していました。
福岡県行橋市に住む60代の男性は「とても残念です。これからもいい漫画を描いてほしかったです」と話していました。
長年活動した東京 練馬区では
松本零士さんは、故郷の福岡県から上京したあと、東京 練馬区で長く活動し、数多くの作品を生み出してきました。
平成20年には名誉区民に選ばれ、平成27年には大泉学園駅の前に「銀河鉄道999」に登場するメーテルと鉄郎の銅像が設置されました。
訃報が伝えられた20日、銅像には、花や松本さんの作品に登場する銃のおもちゃが添えられ、銅像を撮影する人の姿も多く見られました。
このうち、34歳の男性は「日本のアニメや漫画の礎を築いた地元の偉大な方なので、追悼の意も込めて写真を撮りました。地元のお祭りにも参加してみんなに愛されていました。『本当にお疲れさまでした、ありがとうございました』と伝えたいです」と話していました。
また、45歳の女性は「子ども心に、美しい絵と壮大なストーリーにひかれました。銅像の除幕式の時に先生の姿を拝見し、練馬区、大泉の希望、星のような素敵な先生でした。どうぞ安らかにゆっくりしてほしいです」と話していました。
57歳の男性は「訃報に驚き、何も考えずにここに来てしまいました。昔、漫画家を目指していた時に、『弟子入りさせてください』と手紙を書いたら、奥様から返事をいただき、まだ若いということで断られてしまいました。作品から、人生で大事なものをいただいた気がします」と話していました。
名誉館長務めた「北九州市漫画ミュージアム」では
松本零士さんは、「北九州市漫画ミュージアム」で2012年の開館当初からおととし6月までの9年間、名誉館長を務めました。
漫画ミュージアムは漫画やアニメといったサブカルチャーの発信拠点を目指そうと北九州市が整備した施設で、館内には松本さんの作品を特集するコーナーも設けられています。
北九州市漫画ミュージアムの専門研究員、表智之さんは「松本零士先生には、施設の計画段階から大変お世話になったのでたくさんのご恩と思い出があります。突然の訃報で一同、心を痛めています。作家としての原点が北九州市の小倉にあるということで、小倉の思い出をいつも熱く語っている姿が印象に残っています」と話していました。
また、松本零士さんの功績について、「SFを題材とした漫画が世界的に人気を博す、その道筋を作ったのは間違いなく松本零士先生です。海外からいらっしゃるお客さんが松本先生を記念するコーナーで非常に感激して涙を流していることもありました。松本先生が残した功績や北九州に対しての熱い思いを受け止めて運営しているので引き続き漫画文化の振興に努めたいです」と話していました。
松野官房長官「心から哀悼の意を表したい」
松野官房長官は、20日午後の記者会見で、「戦後日本を代表する漫画家の1人として、海外でも人気を博す優れた作品を生み出した松本さんのご逝去に際し、心から哀悼の意を表したい」と述べました。
中国からも追悼の声
中国の一部のメディアも漫画家の松本零士さんが、今月13日に亡くなったことを伝えています。
このうち、中国のネットメディア「澎湃」は「日本の国宝級漫画家、松本零士さんが病気で亡くなった」とする見出しで、「漫画の創作と同時に、天文学、考古学、武器、戦争史などの方面で、大きな成果をあげた」などと伝えています。
また、ほかの中国メディアも「日本のSF漫画の先駆者だった」などと伝えています。
中国版ツイッター「ウェイボー」でも「ご冥福をお祈りします」とか「銀河鉄道999」のキャラクター、メーテルのセリフをもじって中国語で「私はあなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」などと松本さんの死を悼むコメントが書き込まれています。
韓国でも大きく報じられる
漫画家の松本零士さんが亡くなったことは韓国でも大きく報じられています。
韓国では松本さんの作品のうち、1980年代にテレビアニメとして放送された「銀河鉄道999」が最も知られています。
当時は日本の大衆文化が開放される前でしたが、テレビアニメは多くの人気を集めました。
作品の発表から40年がたった2017年には、原画などを紹介する展示会がソウルで開かれ、松本さんも会場を訪れてファンと交流しました。
通信社の連合ニュースは松本さんについて「1970年代から80年代にかけての韓国と日本のアニメブームを牽引した」と、功績を伝えています。
「人は生きるために生れて来るのだ」
松本零士さんは2019年に、旧陸軍の大刀洗飛行場の跡地の近くにある福岡県筑前町の大刀洗平和記念館で講演を行いました。
松本零士さんの父親は、福岡県にあった旧陸軍の大刀洗飛行場でパイロットとして勤務していました。
父親は、のちにフィリピンの戦線に派遣。
教育隊長として若者を特攻に送り出しました。
そして、終戦の2年後、生きて帰国しました。
松本さんは、2019年に大刀洗平和記念館で行った講演で「終戦後、父は、『あんたはなぜ生きて帰れて、部下だったせがれを連れて帰ってこなかったんだ』といろいろな人に言われ、父は深々と頭を下げて『すまん』と言っていた。くどいくらい言われたのは、もうこのような戦いを二度とやってはダメなのだということ。なぜこんなに多くの人が死んだのかと、さんざん聞かされました」と話していました。
そして、父親が語ったという「人は死ぬために生れて来るのではない。生きるために生れて来るのだ」という直筆のメッセージを寄贈しました。
松本さんが講演した当時のことについて、大刀洗平和記念館の岩下定徳事務長は「人柄は非常に穏やかな方でした。講演会では自分の生い立ちや特に平和や戦争に対する気持ちをとうとうと語られていて、非常に強い思いがあると感じました」と振り返りました。
そのうえで、「寄贈されたメッセージにあるような思いを発信し続けたかったのだろうと思います。今後は私たちがその思いを語り継いでいかないといけない」と話していました。
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