一指李承憲@ILCHIjp
瞑想に適した山には周囲によい樹木が多いものです。自分が木を見ているのではなく樹木が自分をみていると思って樹木に集中してみましょう。人と対話をするとき、自分の考えで頭がいっぱいになっていると相手の話はまったく耳に入りません。樹木と交流するときも自分を空っぽにして木を感じてみましょう
一指李承憲@ILCHIjp
物質文明の中で堕落した人間性を回復するには自然の愛を学ぶ必要があります。酸素を放出している樹木は寿命を終えると、そばにある木の肥やしになります。その愛で森が維持されます。人間も肥やしになればこそ世の中の光になることができます。
Facebook能村 聡さん投稿記事
【樹木がもつ知られざる驚くべき機能と役割ーエコロジーからスピリチュアルなレベルまで】
[1]樹がもたらしている様々な現実的(常識的)な役割
植物の世界の生命エネルギーの中でも、樹木は最も巨大なものであり、無数の恩恵を私たちに提供してくれています。
しかし、樹木の健康に与える効果は、酸素を供給する以上に、シェルターや食料源の役割を果たし、水を貯え、土壌を肥沃にするなど様々です。
大気や地中から水を吸収して水分の取り込みを循環させて大気に戻すこと、日光を吸収し、光合成という複雑な反応を通して生化学的な栄養を生産すること、その木材と繊維質は、再生可能な資源として生活必需品として人間の社会に提供されます。
植物の世界(森林)は、地球とその表層のすべてのあらゆる種類の生命を支援しています。森は地球ガイアのいのちの維持にとってかけがえのない存在です。
酸素と果物、野菜、種子、そして木の実を含めた栄養素を提供してくれます。
さらに樹木は、薬草、根、そして植物に由来する数々の精油といった薬効の適用を通じて癒しを提供します。
そうした利用は、当然のことですが賢明に持続可能に管理される必要がありますが、今そのしくみが森林破壊などで地球規模で危機に瀕しています。
このように樹々は、動物や人間、物質レベルでかけがえのない恵みをもたらしてくれています。
既に、「科学的」にも証明され、常識的に認められ広く理解されていることを超えて、新しい驚くべき知見が明らかになりつつあります。
そのことをこれから述べていきます。
[2]樹木はお互いにコミュニケーションしてる社会的存在?!
森林学の専門家で長年、森林管理官を務めたペーター・ヴォールレーベンさんのベストセラーである「樹木たちの知られざる生活ー森林管理官が聴いた森の声」によれば、樹木たちはお互いにコミュニケーションを取り、子どもを教育し、助け合いながら人間の世界に近い、またはそれ以上の社会生活を送っていると言うのです。
木が根を介して、隣の木に砂糖液を送り、仲間を生かそうとしているのも発見したそうです。
彼らは、もっとも弱いメンバーをいかに守るかを大切にしているんだと。自分が一番偉いと考えて、他の生命や弱者を差別虐待する人間は、樹の生き方から学ばねばなりません。
森には、菌類を介したネットワークがあるという科学者もいます
生態学者のスザンヌ・シマード氏です。「木々は言語を持つ」と提唱する彼女によると、「木々の根に共生する菌類を介したネットワークが森全体にはりめぐらされていて、樹木同士がメッセージを送受信している」と言うのです。
シマード氏も、木が話す秘密の言葉を通じて、樹々の間のこのネットワークは木にとって、通信して情報を得るだけでなく、栄養不足になった時、仲間から栄養を分けてもらえる生命線でもあると言っています。
だから、むやみに木を切るということは、その木から栄養をもらっていた菌類もいなくなるのです。
ネットワークがない、イコール、孤立です。
孤立すると情報が入らなくなります。天候不順などの外的環境の悪化、病気や害虫の情報なども入らない、弱っても助けてくれるものがいない。
植物が枯れる原因は、水や栄養が足りない以上に、ネットワークのつながりの遮断が関係あるらしいのです。
●樹々がどのようにお互いに話をするのか?:How trees talk to each other | by Suzanne Simard TED Talkから
https://www.youtube.com/watch?v=Un2yBgIAxYs
[3]樹木の高次元の存在価値や能力
しかし、実は、樹木や森から得られる恩恵は、上述の森林生態学などの既存のサイエンスで明らかになりつつある新たな知見だけではないのです。
現代の地球の科学はまだ樹木の存在価値や能力をちゃんと理解できていません。それをいかにお話ししましょう。
樹木は「霊的な導管(五次元波動エネルギー=氣 の通り道)」としてのスピリチュアルな意識生命体です。高次元波動エネルギーの共鳴装置であり、五次元世界(第4密度) を形作るエーテル体レベルの「蓄電器」でもあります。
樹木は空間から光子の「プラーナ」という栄養素を取込み循環させる能力も備えているのです。
すべての樹木は、太陽、地球、水、そして鉱物の世界からのエネルギーの受信装置であり、伝送し拡散させる装置です。
この過程で、大地から大気への循環する螺旋状で縦の運動を形成します。これは樹のなかの「生体電気回路」を通してひとつの渦状の領域(ヴォルテックス)を形成します。
こうした叡智は、レムリア文明に遡り、より自覚的な古代から先住民族による数々の社会によって、聖なる存在として正当に継承されてきました。
こうした残っている自然の森の重要性は、未来の数々の世代のために不可欠なものです。樹に内在するエネルギーは、私たちに強い「癒し」を与えるものであるのです。
[4]樹木が生み出す波動エネルギー θ波
巨木である樹木は真下や周辺に、θ波領域を形成します。θ波とは、脳波の一種であり、θ波には、覚醒θ波と呼ばれる、瞑想やヨガなどのかなり集中したときに発生する波長が存在し、この波長は、人間のインスピレーションやヒラメキ(直観)を促進する効果があるといわれています。
樹木たちが生み出すエネルギーは、その周囲をさらに高い周波数に同調させ、人間のオーラフィールドにも健全な影響を与え、人間を大地に根付かせてグラウンディングさせてくれます
人が森の領域の中を歩くか、その中で瞑想をする時、時間を超えて次元上昇(波動を飛躍的に上げること)できる可能性があります。
また森の中では、ポータル、次元の出入り口になっている場所もあります。
樹には精霊(スピリチュアルな存在)が宿っていて意識を持っています。妖精たち、小人たち、そしてドルイド教徒が'グリーンマン'と伝えてきた存在がいます。
音楽や調和的な意図を通した水による結晶作用を解明した故江本博士の研究にあるように、樹木によって受け取られた水も、美しい結晶質を形作るのです。
その意味で樹木が茂る森林は、この地球を安定させる巨大な”波動調和構造発生装置”です。
なんと樹は歌も歌います!植物をシンセサイザーに接続すると、メロディーを奏で始めます↓ぜひ下記のyoutube視聴ください
●Singing Plants at Damanhur | Des plantes qui jouent de la musique
[5]樹木の神聖な癒しのエネルギーとオーラ
人間にオーラがあるように、植物にもオーラがあります。
自閉症サヴァンの人は、植物の周波数の場を視覚的に見てとることができます。日の出、日の入りの時間帯や月明かりの夜などには、もっと簡単に木々のオーラを見ることができるそうです。
一般的には、木々のエネルギー場は、一番太い所の2倍から3倍の直径があります。ある条件では、もっと広がっています。
感知能力の高い人は、直観的に木々に高次の意識があることを知ります。そのような高い波動(周波数)を持つ木の下に立つと、大量の酸素を発生して人間の活力や気分に素晴らしく役に立るだけでなく、波動の乱れを整えて癒されることができます。
近年、その効果が実証され、広がってきた森林セラピーは、樹々が発するフィトンチッドなどによる物質的なレベルだけでは理解不能です。
木の根元に立って幹に背中を押しつけてくつろいでいると、エネルギーを感じ、体が生き生きしてチャクラのバランスが整います。
[6]聖なる意識をもつ植物(木々)は人間をよく知る守護者
樹をエゴのために平気で伐る人間は自分たちが一番エラいと思っているようですが、自然のこと、木のことを、知らなすぎなんです。
反対に、いろいろな点で樹々や自然は今の人間よりも人類や宇宙をよく知っているとも言えます
樹木やある植物は、高度に進化しており、人間には分からないほどの非常に大きな意識のフィールドを持っています。
円熟した木々は、人間たちのことをよく知っており、個々人のエネルギーの特徴を見分けられるだけでなく、出会う人間のイメージを作り上げることも出来ます。
例えば、隣近所の庭や公園にある木々は、それを愛でる人間に対して、きわめて優しくかわいらしい反応をします。
樹々は、知っている人たちに親しみを感じるようになります。彼らはあなたに反応するのです。
人の住むところに生育する木々は、完全にそこの住人たちを知っています。
樹木は、光合成によってフォトンを変換して太陽光の波動エネルギーを蓄積する”バッテリー”です。
そして、太陽光は、そうやって樹々によって、コヒーレント(きれいに整った波動の形(位相)のことを表す)な共鳴波に変換されて、松果体を開き、チャクラを整えます。
木に背中をつけると、木そのものがもつ生命エネルギーを吸収することができます。それは本物のヒーリングエネルギーで、その場で効果が表れます。
植物は2つの世界、2つの次元にはっきりとまたがっています。一つは地上、もう一つは、地下です。その2つの世界でいろいろな問題に対して賢明で驚くような働きをしています。
樹々は、地球の磁気的共鳴バランスを整え、それによって人間に気づかれない役にたつエネルギーフィールドを作り上げてくれています。
たとえば、アートやヒーリングワークに関わる人たちは、心を落ち着ける際には、樹木のエネルギーは、特に創造や癒しに役に立つことが分かります。だから、巨木が群生している一帯は生き生きとした活気を呈しています。
木々や植物は間違いなく意識のある生命なのです。また、他の意識のある生命に対して極めてよく反応します。
植物界は、樹木のもつ「聖なる知性」によって支えられています。殆どの人間は植物や花々、木々が、知能の座であるとされる脳を持つとは考えていませんが、植物は絶えず知的なことをしています。
植物全体、森林は、人間を支えるということを聖なる知性の中で了解しているということを覚えておいてほしいです。
その意味で、樹々はガーディアン(守護者・見守り役)でもあります。だからこそ、私たちは樹々や森への感謝と畏敬を決して忘れてはなりません。
(文責:能村 聡)
●参考資料:
*「木々は会話し複雑な社会生活を送っている」と専門家、私たちは木々の言葉を理解できるのか?2018年01月01日
https://gigazine.net/news/20180101-trees-language/
*植物には知性や感情があると考える科学者たちが増えている
via:Do trees have brains and talk to each other?
http://karapaia.com/archives/52225543.html
Facebook清水 友邦さん投稿記事
樹木は神が宿る神聖な存在でした。
日本書紀に「木を伐った所、神が怒って宮殿を壊し関わった人々が次々と病気になって死んだ」と言う記述があります。
古代は神が宿る森を伐採すると祟ると信じられていました。
人々は神聖な森に祈りを捧げ大切に保護してきました。
自然を人間のための道具とみなし征服しようとするのが近代合理主義の考えです。
自然に神はいないので祟られる恐れはなく、森林を伐採しても良いと考えるようになりました。
樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられました。森林は欲望の対象になり土地は売り渡されたのです。
江戸幕府を倒した明治政府は天皇家の祖霊を祭神とする神社を頂点にした神道の中央集権を進めました。
1906年(明治39)第一次西園寺(さいおんじ)内閣は神社合祀を全国に励行し、次の桂内閣もこれを引き継ぎました。
左脳優位の施政者により有用で価値があるものと価値がないものに分けられ明治政府の国家神道にそぐわない民俗信仰は否定されたのです。
一町村一神社として一社につき5千円の基金を用意できない場合には廃止すべきという通達をだし、廃止した神社の財産は、神林を含めて処分し、その利益を以て神職の給与の原資とするとしました。
「神社を潰して自分の俸給を上げんことのみ」努める神職、「鎮守の森」を木材業者に公売にかけ、其の売上金をネコババする役人、合祀された神社の財産の権利を主張するならず者が続出しました。
名もなき氏神を祀(まつ)る小さな神社や祠や道祖神などは真っ先に廃止の対象となりました。最初の3年間だけで4万社もの神社が全国各地で取り壊されました。
世界遺産である熊野古道が残るきっかけとなったのが神社合祀反対運動に立ち上がった南方熊楠です。博物学や民俗学、植物学の巨人熊楠はエコロジー思想と運動の先駆者でした。
熊楠は1907(明治40)年に糸田の猿神社を訪れ従来日本にないと思われた粘菌三十種を発見しました。
その中でタブノキの朽木に附いた粘菌は新種という大発見でした。
しかし猿神社は合祀のため廃止となり境内の樹木は完全に伐採され野原となってしまいました。
熊野古道沿いにある由緒ある神社群の9割が廃社となり田辺から本宮まで二十数社あった王子社で残ったのは、八上王子と滝尻王子のみになり、熊野の森は丸裸にされてしまいました。
熊楠は「回々教の婦女の前陰を見る如く全く無毛」と嘆いています。
熊野信仰は仏教や修験道や自然信仰の神仏混合だったので壊滅的なまでのダメージをうけました。
ひんぱんに神社を訪れて粘菌を採集していた熊楠にとって許しがたい悲劇的事件でした。
「こうした野蛮な行為は、この国では近年日常的におこなわれており、やがて日本人の美的感覚だけでなく、愛国的な感覚をも壊し、あともどりできないところに追い込むことになるでしょう。わたしはラスキンやカーライルと共に、近代の進化が本当の意味で人間に恩恵をもたらすものかどうか疑っています」リスター(粘菌学の権威)書簡 熊楠
熊楠は研究のための貴重な時間を中断し「世界的学者として知られる南方熊楠君は、如何に公園売却事件をみたるか」を牟婁新報(むろしんぽう)に発表して神社合祀反対運動ののろしをあげました。
翌年には合祀を推進する官吏に乱暴を働いたかどで18日間にわたった警察に拘留されています。
熊楠は森林伐採によって、生態系のバランスがくずれることを見抜いていました。
「御承知ごとく、殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候」川村竹治書簡 熊楠
熊楠のエコロジーは植物生態系だけのことだけではありませんでした。動植物・菌類も含めた生物全体、人間の生活や社会や文化も荒廃していくと警告しました。
熊楠は「神社合併反対意見」のなかで神社は社交の場、儀礼の場であり、神社合祀が人々の村民の信仰心と融和を妨げ、慰安を奪い、人情を薄くし、風俗を乱し、地方を衰退させ、景勝史跡と古伝を消滅させてしまうと具体的に述べています。
1 神社合祀は敬神の念を減殺する
2 神社合祀は民の和融を妨ぐ
3 神社合祀は地方を衰微せしむ
4 神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害する
5 神社合祀は愛国心を損ずる
6 神社合祀は土地の治安と利益に大害あり
7 神社合祀は史蹟と古伝を滅却す
8 神社合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す
多大な犠牲をはらった熊楠の情熱のおかげで神社合祀は終息に向かって行きました。1920年(大正9年)、貴族院で「神社合祀無益」と決議され終息しました。
しかし、それまでに7万社もの神社が廃止になりました。
神社が姿を消し、祭りが中止となり憩いの場がなくなることは若者が故郷から離れてしまうことを意味していました。それは現在も続いています。終戦後2万社以上の神社が姿を消しています。
高度成長時代に若者は都会に出てしまいました。
過疎化に伴う人口減少がおきて村の神社は祭祀が維持できなくなりました。
宮司が亡くなり後継者もいなくなると御祭神も分からなくなり神社の財産は失われてしまいました。
神社の「鎮守の森」は伐採されて売り払われ、森に住んでいた鳥や動物達も一緒に姿を消しました。
100年以上前に熊楠は生態系を破壊することの恐ろしさを危惧していました。
しかし、現在も自然の智慧を体験する聖なる場所は破壊されています。
自然生態系が失われ、それが原因で資源の奪い合いや争いが生じています。
イニシエーションが途絶えた現代人は魂を失ったように見えます。
故郷を見失えば不安の中でいたずらにさまようばかりです。
Facebook原 靖之さん投稿記事
植物さんはいつも自分を無条件で愛でる愛のエネルギー
せっかくここまで成長したのに、切られてしまった😅
誰からも枯れていると思われても、植物さんはニュートラル
落ち込んで、鬱にはなってない!新たに芽を出してやれる事だけに集中している✨✨
そんな植物さんのエネルギーに触れて朝から幸せな気持ちになりました!
Facebook背古 誠徳 せいとくさん投稿記事 【森林浴】
山の中で木々たちの音を聞いたり 鳥の声や獣の音に耳を澄ませる
自然の中に身をおき 自然の時間の流れに身を任せる 贅沢な時間がそこにあります
自然は自由だなぁ なにものにも束縛されていない そこには 富や名声も立場も
誇りも尊厳も成功もなんにも ない
ただ植物が生えていて 動植物たちの食物連鎖で 当たり前のように循環し
ただ厳然と時が流れ季節が移ろうだけです
わたしは その中にいて「私はこの世でなにをなすべきでしょうか?」と
山に問わば「そんなのしらん」と言われた気がしました。
FacebookHiroshi Kaneiさん投稿記事
🌳樹木からのアドバイス🌳
🌿堂々と誇りを持ち、姿勢を高くして立ちなさい。
🌿自分のルーツ(原点)を忘れないこと。
🌿生まれながらの美しさに満足しなさい。
🌿自分を大地に根付かせなさい。
🌿水をたっぷり飲みなさい。
🌿祖先のことを思いなさい。
🌿眺め(目の前の人生)を楽しみなさい。
***
🌳Nurse Log--- 開高 健 「河は眠らない」より🌳
森を歩いているとよくわかるんですけれども、斧が入ったことがない、人が入ったことがない森、というのがそこらじゅうにいっぱいある。
それで土が露出していないで、シダやらなんかに覆われていますが、草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われている。
それから風倒木が倒れてたおれっぱなしになっている。
これが実は無駄なように見えて実に貴重な資源なのであって、風倒木がたおれっぱなしになっていると、そこに苔が生える、微生物が繁殖する、バクテリアが繁殖する、土を豊かにする、
小虫がやってくる。その小虫を捕まえるためにネズミやなんかがやってくる、
そのネズミを食べるためにまたワシやなんかの鳥もやってくる、森にお湿りを与える、乾かない。そのことが河を豊かにする。ともう全てがつながりあっている。
だからあの風倒木のことを、森を看護しているんだ、看護婦の役割をしているんだ。
というのでナースログ(nurse-log)というんですけれども、自然に無駄なものは何もない、というひとつの例なんです。
そうすると人間にとってナースログとは何でしょうか?
無駄なように見えるけれども実は大変に貴重なもの、というものも人間にはたくさんあるんじゃないか?それぞれの人にとってのナースログとは何か?
無駄をおそれてはいけないし、無駄を軽蔑してはいけない。何が無駄で何が無駄でないかはわからないんだ。
ここがひとつの目の付け所ですね、これは大事なことですよ。
無駄なことしてると思うことはないんであって、
いつかどこかでまた別のかたちで甦っているのかもしれないんだ。
Nurse log:
A nurse log is a fallen tree which, as it decays, provides ecological facilitation to seedlings. Broader definitions include providing shade or support to other plants. Some of the advantages a nurse log offers to a seedling (as enumerated by Daniel Mathews) are: water, moss thickness, leaf litter,mycorrhizae, disease protection, nutrients, and sunlight. Recent research into soil pathogens suggests that in some forest communities, pathogens hostile to a particular tree species appear to gather in the vicinity of that species, and to a degree inhibit seedling growth. Nurse logs may therefore provide some measure of protection from these pathogens, thus promoting greater seedling survivorship.
開高健・河は眠らない(動画:50分)
http://video.fc2.com/ja/content/20130718cR7n9x1w/
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