一指 李承憲(イルチ イ・スンホン)
信じるほどに反応し、期待するほどに応えようとし、励ますほどに奮い立つのが脳の自然な作用です。
じぶんの周りにいつも自分を信じ励ましてくれる人がいたらいいのですがそうでなくともがっかりする必要はありません。
自分に期待する人や、励ましてくれる人が誰もいないなら自分で自分を全面的に期待し、
励ましてあげましょう。
脳は仮想と現実をはっきり区別していないので誰かが励ましてくれても自分で励ましても
脳の立場では何ら違いはありません。
https://ameblo.jp/tara-m0039/entry-11938711947.html【今、ねぎらいの拍手を!】より
ただ もう何の意味もつけずに 自分に ねぎらいの拍手を送ろう~!
今日は そんな日だからもう 孤独の闇の中を 手さぐりしながら 歩く時は終わった!
孤独の闇は 荘厳な光の裏打ちに変わる 現実を どうにかしようとしなくていい
それは あなたの光の後から 追いついてくる
深い 深い あなたの深みから 射しはじめた光線を ただ 讃えよう
その光が 照らし出す世界を まっすぐに見つめてここまで 歩いてきた 自分の長い旅の終わりに ねぎらいの拍手を 自分に送ってあげよう~
その時 本当に 聴こえてくるあなたの 後ろの空から 響き渡る 賞賛の拍手の響きが。。。
いつまでも 鳴り止まない拍手喝采が。。。
おめでとう!
今、自分である全てを 初めて 受け取れるひとつのステージが完結した\(~o~)/
一瞬 一瞬を 喜びに完結していこういのちの 火花を散らして今ここの 楽園を 生き始める時
全身の細胞が YES!と 叫んでる
https://asa.to/shinsako/wp-content/uploads/sites/67/ea09f4ff7d417cd4c4529691639c7427.pdf 【元気の出る「俳句」】より
昨年 11 月から俳句を始めた。定年後の暇つぶし、と言うわけ。インターネット句会で、登録さえすれば誰でも参加できる(多少、経費はかかるのだが)。登録者は約 100 人、常連は 15 人ほどであろうか。
で、投句したらいきなり「特選」に選ばれた。
「達郎を聴いているイブ独り酒」
これが昨年 12 月の、特選句となった。クリスマスイブといえばおなじみ山下達郎のこの一曲。若い頃なら楽しみであった季節も老いては独り、酒をふくんで回想にふける。そんな意味を込めた。
望外の光栄に思わず「ビギナーズラック」と謙遜してはみせたが、心の中では「ヒヒヒ」とほくそ笑んでいる。相変わらずの、いやな性格である。
以来、毎月投稿している。成績はまずまずで、俳句仲間からは「久々の、期待の星」とおだてられた。
それはともかく、投稿の多くに老後の悲哀を詠う句が混じるのは、参加者が高齢ということに関連するのであろう。一人の部屋で、コンビニで買ってきたレトルト食品を温める、といった風景。「独り言」「我が行く末」「忘れられ」「老いの春」「独り居」などのフレーズが毎回、登場する。いまさら嘆いてどうする、現実を直視せよと鼓舞してみるが、どうもこの自虐傾向?は自分にも及んでいる。
「家を出で行くあてもなし日向ぼこ」、「おぼつかぬ足に合わせる冬の犬」などは2月の拙句。
もっとも、句とは裏腹に私の日常は、従前からの仕事である独身寮管理人、ボランティア、行政からのアルバイト、加えて今回の句会参加とそれなりに忙しい。老いをネタに、大向こう受けを狙っているわけではないが、それでもサラリーマン時代にあった、あの追い立てられるような日々からはほど遠い。
むりやり予定を組み込んで、余計な思いにとらわれないようにする。それが定年後の処世であろうか。
これからはもっと明るい句を作ろう。ながき世を持てあましても何も出てはこない。
「明日葉にしぶとく生きよの教えあり」「南南西あしたの予報は雨のち春」
「春うらら日差しを遮るものはなし」
こんな句を「春」3月以降、投稿している。気分だけは、明るくしたいのである。
というわけで拙句ばかりを書き連ねた。とんだお目汚しでした。最期は元気の出る秀句を披露しておきたい。昨年もこのコラムで紹介した。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」(高浜虚子)
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