https://ameblo.jp/nukunukumichi/entry-12511465177.html 【舟を岸につなぎなさい 太母さん】より
ここに紹介する文は今から60年ほど前に霊鷲太母が書いたもので、完成数年後の1956年(昭和36年)3月3日、早稲田大学の大隈講堂で発表されました。
その当時は高度成長期のほんの初期、まだ環境汚染という言葉も無かったような時代です。
それから6年後の1967年(昭和42年)この文を小冊子にして、世界百数十カ国の要人三百数十人に向けてメッセージとして送られました。
このメッセージに対し各国から寄せられた賛辞や期待の書状は二百数十通に上りました。
その中にはローマ法王庁、キプロス大司教、国連事務総長、ナトウ事務局長、フランスその他の大統領、英国その他の首相、蒋介石、各国の外相、文相、各主要教会の大司教などがあります。
今日の地球環境を鑑み、縁あってこのホームページを読んでくださっている方々に、どうしたらこの苦しむ地球を楽にできるかをぜひご一緒に考えていただきたいと思い、発表することにしました。
中略
第一章 舟を岸につなぎなさい
数十億の蟻が笹舟に乗って、近づく滝壷も知らずに流れて行く光景を想像してみて下さい。
蟻たちは自分たちが笹舟に乗っていることさえ知らないようです。
知らないから、協力し合うべきお互いが、憎み合い、おとし入れ合い、欲張り合って、策略と闘争に夢中です。
舟が滝に達して転落すれば、敵も味方も全滅なのに。
これが人類の現代の様子を端的に絵にしたものです。
今、あなた方は戦争を恐れたり、核兵器の使用を憂慮したりしています。
実際これらは恐ろしい問題です。
しかしこれよりもっと恐ろしい問題を我々が持っていることにお気づきですか?
この問題に気づいたら「戦争問題などで大騒ぎしていられるような悠長な時代はもうとっくに人類の上から過ぎ去っている」ことに、あなた方は驚き、目ざめるでしょう。
それ程恐ろしく、それ程重大な問題に全人類は今、直面しています。
この問題を見落としている限り、仮に今、戦争をやめ、核の問題が解決したとしても、人類の運命は好転したことにはなりません。
なぜなら、それらの問題は「蟻たちの間だけの、つまり船の上だけの問題であって、蟻たち全部を乗せている笹舟そのものは船の上が戦争であれ、平和であれ、おかまいなしに滝壺に向かって流れ続けているという大問題」とは無関係だからです。
実際にはあり得ないことだけれど、もし世界中から戦争がなくなったとしても、人類全体としては日々確実に滅亡に向かっているのです。
今日の医学の進歩で個人の寿命は延びたと思っている人がいます。しかし、個人の寿命と、全人類を一括にした寿命は別個のものであります。
ともあれ、全人類の転落という大問題に気づいて、この対策に着手しないかぎり、世界が何を協定し、何を実行しようと「転落の運命はそのままたゆみなく進んでいる」というわけであります。
大切なことは、舟を岸につなぎ止め、蟻たちが上陸できるようにして、悲劇的運命からまず絶縁することです。
ここでいうところの 笹舟とは何か 流れとは何か 滝とは何か 岸とは何か
お聞きなさい、これこそ人生の出発において、しっかりと心魂に銘記しておくべき肝要の問題でした。さてお聞きなさい。
山河草木 禽獣蟲魚(きんじゅうちゅうぎょ:鳥、動物、虫、魚のこと)大地大海空気大空 日月星辰(にちげつせいしん:太陽、月、星のこと)など、当然人間も含んで一切万物は、もともと総合的なひとつながりの大生命体です。
これは三千年も前からわかっていました。
それなのに一般には今日まで、このことを明確に意識することなく来ました。
総合的ひとつながりのものであるから、一切万物は、どんなものであれもれなく他から他へと密接な相関関係があって、どれが尊く、どれが卑しく、どれが必要、どれが不必要であるというものではありません。
それなのに人類は、いつの間にか「人類は独り尊く万物から超脱しているか、あるいは万物と対立しているか」のごとく錯覚しています。
それで「自然を征服する」など突拍子もないことを平気で言ったりしています。
この錯覚こそ、人類の罪悪のそもそもの根源です。
つまり、むさぼり、怒り、愚痴を生む母体の根本無明(こんぽんむみょう:真理に対する無知)であります。
この錯覚の上にでーんと乗っているのが、国を問わず、人種を問わず、人類全体であります。
その錯覚の笹舟に乗って行動してきた人類は、何をしていても一切錯覚の連続帯であって、その連続帯が何千年をかけて巨大な流れとなって、今日では逆に人類をその流れの上に翻弄するようになりました。
滝というのは、錯覚の連続帯であるところの「流れ」は当然のことながら行きづまりの断層に至ることを言ったのです。
岸、一連の生命体であるところの万物の間には、自然な相関関係と、その関係を調整するための自然の大秩序があるわけです。
永遠不変の大秩序が。この永遠不変の大秩序のことを岸と言ったのです。
この大秩序を的確に識別して、これに従って生活をすることをもって、舟を岸につなぐというのです。
この永遠不変の大秩序から逸脱することなく人生を運営していくという最も大きくて、最も重要な第一義を、少数の例外は別として、世界中の政治は今日まで取り上げて来なかったのです。
この第一義に基づいて人生の進行方向を大回転しない限り、今後も引き続き、どんな努力が払われても、いたずらに転落の滝壺に急ぐばかりです。
ともあれ、一切の問題は、笹舟を岸につなぐという一事に傾注されるべきであります。
引用以上
https://ameblo.jp/nukunukumichi/entry-12511469742.html 【舟を岸につなぎなさい ② 太母さん】より
第二章 潜在意識が容認しているもの
人類が滅亡の滝壷に近づいているのを、あなたもご覧になっているでしょう。
戦争が無くても、原爆が無くても、もう終幕に近いと。
愛情も信頼も急速にうすれ、嘘も偽りも平気になり、疑い合い、そむき合い、おとし入れ合って、他の不幸を待ちもうける。
たちまち死にたくなり、たちまち殺したくなり、訳なしに傷つき、傷つけ合う内部からの崩壊なのです。
薬を飲み、養生訓を尊重し、医術の進歩に驚嘆し、一日中健康法にかかずらっていても、内部に死にたい心が起これば、ひとたまりもない命。
死にたくなくても、殺したい奴にぶつかれば、あっけなく最期です。
その上、天災と災害は善人も悪人も見分けることなく襲う。これはあなた方個人だけの話ではありません。国々をごらんなさい。
互いに他国の滅亡を乞い願うどころか、同報でも、せめぎあって、殺人と破壊の道具を造っても造っても、足りないと思いつつ、ついに敵も味方も一緒くたに滅ぼすものを造ってしまいました。
善いことといえば決して一致団結できないどの国も、こと殺人と破壊の戦争ともあれば、見事に国家をあげて一致団結する。
総じて、自己を破壊に導くものなら、何によらず熱中するが、少しでも人類の立ち直りを志す者があったら、全力を尽くして咬み(かみ)つく。
国家といわず、個人といわず、実質的には人類すべてが破壊と殺人の怪物になっているかのようです。つまり人類は、人類の一番の大敵と化してしまっているかのようなのです。
このことをしっかりと認識なさい。なぜ自分で自分の大敵になっているのかを。
いや、あなたの潜在意識は、もうとっくに自分が善人ではないということを知っており、文明も文化も真の生命の維持法という立場から見ればそう大切なものとはいえないということも知っているのです。
文明文化に酔っぱらって、罪もない万物をあまりにも傷つけ、汚し、迷惑をかけすぎたことも知っているのです。
それで今日では自業自得の滅亡を、喜んで容認しているのに違いありません。
そこで、自分で自分を処罰しようと決心して、かたうらみの無いように、残らず平等の全滅を目指して、その用意万端、手落ちなく終ったというところでしょう。
ことのついでに、人類を住まわせたバカな家主の地球をも道連れに、百ぺんでも爆発させる段取りも忘れはしなかったと。
さあ、用意ドーンです。爆発させなさい。幾十億、総自殺なさい。
そのための莫大な金と努力と、そのようなものを造った者、造らせた者への感謝と賞賛と激励が無駄にならないように、思いっきり、ズズーンとやりなさい。
あなた方は、そのようなものを造るにことには、露ほども疑惑を持たず、そのようなものを造りながら一瞬もためらわず、何が何でもびくともせず国民を酷使し、絞り上げて、殺りくと破壊のさまざまな準備をやってのけられると見込んだ者を、国家の代表に、あるいは、あらゆる部門の選手にするのです。しかし彼らには罪はありません。
あなた方の潜在意識の総決算として選びだされたのが彼らであり、さしずめあなた方が彼らを生んだ母胎ですから。
今、誰かがあなた方に、人類の立ち直りと、地球をもう一度清新ならせるために、少量の金と少数の人間を動員しなさい、といったら、あなた方はその言葉に対してどんな反応を示すでしょう?
「とんでもない、我々の努力と金は、破壊と総自殺のためにならば捧げますが、人類の立ち直りだの、地球清新などという手合いとは無関係です。ああ、それどころじゃない。こんな地球などに全然魅力ありませんね。地球から逃げ出すための用意で、今夢中なのですよ」
なるほど、私も目を持っている以上、そうと察していたんですが、しかしこの地球にはまだ希望をもっている人もあると思ったんです。
少なくとも私と私の知人は、この地球から亡命しようなどとは思っていません。
どんなものでしょう?あなた方、たとえ他の天体に移住できるとしても、人類全員が移住できるのではないでしょう?
少数の者が行けるかもしれない、ということだけのために、大多数を犠牲にすることはないでしょう。
いやいや、お聞きしますがねえ、あなた方、本当に地球から亡命したいんですか?
本当はあまり亡命したくないんでしょう?
だったら、天外に向けている目を一分位は残してもいいから、九分は地上に戻しなさい。
上の空、ということは、とかく不吉をはらみがちです。先ずは、足元用心と行きましょう。
さて、ご覧のとおりです。大切な自分と、家主さんを打ち壊しておいて、今さら
何の発見? 何の発明? 何の成功? 何の進歩?
なおまだこのまま進んだら、発明も発見も空しく残して、人生劇場はやがて一巻の終わりです。たった今全人類が当面しているこの大悲劇の前には、もう単なる平和論など役に立ちません。
従来の世界の道義を守ることや功績をたたえることも(原文は「世界道義顕揚も」)、国際親善も無力に等しく、また、共産主義でも民主主義でも間に合いません。
これまでも今日も、大政治家あり、大思想家あり、大発明家あり、大科学者あって、続々と驚異的な発見をし、発明をし、教育の網もまた、世界中に張り巡らされ、大小さまざまの主義、思想、組織等々、寝る間も惜しんで活動してきたものです。
なのにこうした努力が全然報われずに、人心は荒廃への足並みを決して変えず、社会の混乱は日を追って加速し、天災や災害はしきりに起こるのです。
何故?たった一つ、人生観そのものに、大きな錯覚を持っているからです。
この最初の致命的な誤りが、長い年月の間に、大きな齟齬(くい違い)の流れとなって現れているためです。
してみれば、この錯覚の上に立脚して出発している今日の世界の経済機構や政治基盤や教育方針などが、今後も現在のままで進んでいくのなら、いかなる配慮も努力も、今日までがそうであるように、すべて水泡に帰するでしょう。
ここに根元の誤りを究明し、是正する運動の必要性があります。
この運動にあたって、まず無くしてはならぬものがたった一つあります。
それは何か。
1、世界の過去、現在、未来を一貫する歴史の底流を能見(全体性の中で本質的に理解)し
2、万物の相関関係とその実質を極め(究極的に理解)、
3、風嵐雨雪、地震、雷電、津波など万象の由来と、その果たしている役割を認め(広い視野を持って全体的に理解した上で認め)、
4、万物が有している感覚や感情というものの存在意義を達観(広い視点から根本的に理解)し、
5、これら一切をひっくるめて、生成展開活動している自然界の、古今を貫いて存在する永遠不変の大秩序を明確に識別する。
こうした眼を持つ人から出てくる理念であります。
万物はそれぞれ、その属性についた特性を有し、個々においても特異性を有して、それぞれに自治の生活をしていますが、それらは同時にひとつとして孤立しているものはなく、一連の大生命体なので、それぞれの生命の維持法は、必ず他の万物の生命との合流法に適していなければならないのであります。
この一番大切なことを長い間無視してきた人類が、当然として至った今日の自己崩壊と、それゆえに人類が万物に及ぼした悪影響の次第を、はっきりと見て、その処理法を具体的に指導できる人の眼であります。
今あなたがたの潜在意識は、自業自得の滅亡を容認して、その準備を終えました。
しかし準備完了して見たら、心の奥底で何かが突然目を覚まし、何かを希い(こいねがい)、何かをひた向きに待ち始めたのではありませんか。
何を希い
何を待つのか
それは、このような眼による指導理念の出現を希い、待っているのに相違ありません。
ここにそうした見地より出た理念の一片を贈る次第です。そして、人類幾千年の混沌を切り開き、荒んだ(すさんだ)自然界を常態に復させる局所はどこであるかを明示して、あらゆる組織に活を入れ、あらゆる分野における行動の方向を正す用意が今日の世に必ずしも無いわけではないという希望の一端を表明するものであります。
引用以上
https://ameblo.jp/nukunukumichi/entry-12511519684.html 【第三章 岸につなぐ綱】より
舟を岸につなぐ。
この問題を相談するために、各国の指導者による会議を開く事が、必要でありましょう。
ここに舟を岸につなぐ綱があります。
綱と言うのは、次の問題の納得と究明です。
問題
1、文明が大車輪で発展すれば、災害も大車輪で大発展することに目を留めなさい。
1、なぜか?
2、災害の7割までは人間が引き起すものであります。ということは、災害の7割までは人間が防止できます。どのようにして?
3、今、他の天体への究明と試みが大掛かりになされていますが、距離における「より遠く」とか、面積における「より広く」とか、速度における「より速く」とかいうものと、我々の幸福の要素、安全とか愛情とか信頼とかいうものとは、あまり関係のあるものではありません。天体究明も大切に違いないが、足元にもっと大切な問題があることを忘れてはいませんか?
4、医学の進歩と歩調を合わせて患者が増加し、病院と医薬が氾濫するのはなぜか?また、人命が伸びたという一方、内部よりの崩壊が加速しているのはなぜか?
5、和合調和を招くのが宗教であるのに、宗教と名乗りつつ、世界に排他反目の巨大な壁を造らせた矛盾と罪に留意し、反省して、教義の欠陥を正し、信仰の誤りを直しなさい。直すには?
6、文明生活と人口問題についてと、衣食住についての心構え
7、精神的美しさが急速にうすれつつある今日において、それらの美しさが再び人類の上によみがえってくる処方箋について
8、常に善い悪いと言い続けてきながら、未だに善悪邪正の判断をする明確なより所を持たないのはなぜか?ということとそのより所
9、人類の苦しみの第一因は、要不要の算定を無視した物品乱造であり、悩みの最大因は、乱造せざるを得ない経済機構にある。ということについてと、その重苦から脱する方法について
10、物品乱造の結果、乱費となり、これが人類と他の万物との関係をどのようにしているかについて
11、空気の生態と、その果たしている三大役割について
12、科学界に対する要望と、その研究目的についての示唆
13、原子力はその使用目的が何であれ、取り扱うこと自体が災害のもとであるという理由について
14、既に貯蔵されている原子力開放にあたっての諸条件について
15、教育は学校に始まってはもう手遅れで、出生と同時に始まらねばならないということと、その始まりにおける諸注意について
16、以上15項目の解答がすべて帰着する終点において発生してくる諸問題について
以上16項目中、最も重要なのは、最終の16項です。
前記15項目は、あなた方がよく検討なされば、容易に解明するものであり、もうとっくに解明もしています。
しかし その解明を基調にしたさまざまな具体策を「どのようにもっともスムーズに、かつ急速に、現在の社会機構上に適合させていくか」が問題の重点であり、この重点を取り扱うのが16項だからであります。
前記15項目はすべて帰着する一点があります。
今日まであなた方が何を求め、何を得ても満足できないで、幸福とは永続性のないものだとあきらめかかっていたのは、この一点を見落としていたからであります。
15項目の帰着する一点こそ、ついにそれが何であったかを明示するものです。
さて、
おしなべて人類が直面している現代の大厄難下にあっては、もう単なる我々一個の安全や、一国のみ中心の安全などと言うものはあり得ません。
この大厄難下から脱出するには、全人類をもって一人格的態勢になり、これにあたるよりほかに方法はありません。
一国のみで、一組織のみで、一主義のみで、一宗教のみで、などというような、なまやさしいものではありません。
実に、人類総立ちになって、あたるべきものであります。
第16項は、そうした行動を起こすに先立って、いろいろな具体策を生み出すところの、偉大な産院であります。
つまり全人類共通の新しき政治経綸(けいりん:国家を治めととのえること)を生み出すところであります。
これまでの政治経綸は、おのおのその一国の利害を中心とするものでした。
しかし真の政治経綸は、一国のみを中心とするのではなく、全人類の利害を考慮するものでなければなりません。
いやいや、人類のみと思うところに根本の誤りがあります。
必ず必ず、万物共栄共存であり、古今に変わらず、東西に偏らないものでなければなりません。
して見れば、人類の歴史上、今日まで真の政治経綸は行われていなかったというベきであります。
そうです。
人類の歴史において、真の政治経綸があなた方の目覚めによって、今打ち出されるか、出されないかであります。
この新しき政治経綸こそ、舟を岸につなぐものであり、あなた方が不安動揺のはかなき笹舟から、確固たる大地に上陸なさることを保証するものであります。
引用以上
Facebook清水 友邦
11月21日は太母さんの命日です。
霊鷲太母さんは「人類は互いに争い、憎み合いしながら、自分が乗っている笹舟を自ら壊しながら、滝壷に向かって流れつづけている。舟が滝に達して転落すれば、敵も味方も全滅なのに」と地球と人類の存亡について警鐘を鳴らしつづけてこられた方です。
合気道の植芝盛平は姫と呼び、Oshoラジニーシは「あなたの光明を認め祝福する」と敬意を表しました。
88年の「いのちの祭り」で太母さんはこのように話しました。
「みなさん、人は苦しむために生まれてきたのではないのです。楽々と楽しく暮らすために生まれてきたのです。 だのに苦しんでばかりいる。益々苦しみを増すことばかりやってる。
そして苦しい苦しいと言ってる。 こうして人はここでないそこ(彼岸)に天国や進歩を夢見つづけて、今ここを破壊しつづけてきたんです。
この世界はこのままで美しく、極楽なんです。今ここの他に極楽はありません。
一人ひとり皆さんは、そのままで仏なんです。仏だと、極楽の住人だと気づけばいいんです。もともと、はじめっからそうなんですから。そうでなかったことなんか一度も無かったんです。 悟りなんて簡単です、差を取る。これで"さとり"なんです。差を取ればいいんです。
世界を分断してきたその差を取ればいいんです。差なんか無かったんだと気づけばいいんです。もともと無かったんですから。
無かった はい、そう。それでここにいるみんな悟ったんです」
太母さんは次の詩をよく歌いました。
「自然なる万物(ものみな)は そのままで それぞれに 美しき宝なり 我もまた
傷めるも病む者も それなりに宝をば 秘めるなり あな尊 すべてみな 美しい
美しい 美しい 美しい 美しい 美しい 美しい」
太母さんが涙を流しながら語ったことがあります。「一つのいのちを生きている地蔵菩薩である地球。それをばらばらにしてしまうものだから、地球は自らの自浄作用を発揮して、ゆらぎを起こしておられる。天地の災害、温暖化、それらは地球の自浄作用なんです」
太母さんは簡素な生活を実践していました。
食生活は、その季節季節で豊かにあるものをあまり濃い味をつけずに、加熱もあまりせずに、皮も尻尾も骨も根っこも芯も捨てずに全部食べていました。
ゴミもあまり出ないし食費もわずかでした。
着物は夏冬ほとんど同じの着物の裏無しで、冬は枚数が一枚多いだけでした。
裏無しだと自分で丸洗いできるからで、実際に他人の手を煩わせずになんでも自分でしていました。住居も金目の物など何も無いガランとしたもので、掃除が楽です。
泥棒の心配もありません。洗濯機も掃除機も冷蔵庫も暖冷房器具もありませんでした。
太母さんは熱を加えて煮る時は、沸騰してきたら数分で止めて蒸らし、二十分ほどそのまま置いてからもう一度数分煮るように教えていました。
「地球蘇生なんて簡単じゃよ。ひとりひとりが温暖化や地球汚染を進めるような生活をしなければいいんじゃ」霊鷲太母
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