蕨手文 ( わらびてもん )

神谷美保子 @kamiyamihoko

蝦夷の蕨手刀。そして、日本刀の元になる舞草刀。一関に、舞草刀の立派な博物館があり、すごく勉強になります!

蕨手刀は、舞草へと流れてゆくとのこと。蕨手グルグル渦ですね!


https://trakl.exblog.jp/17888308/ 【蕨手文 ( わらびてもん )】

蕨手文 (わらびてもん)は蕨の形に似た渦巻状の文様で、呪術的な図文と考えられています。

九州にはたくさんの装飾古墳があり、さまざまな種類の文様が描かれていますが、記録のみのものを含めても蕨手文が描かれているのは、以下9つの古墳しかありません。

またその全てが6世紀に作られた円墳または前方後円墳であり、横穴式石室を持つものです。

1-3世紀に作られた金銀錯嵌珠龍文鉄鏡にも、そのふちどりとして、美しい黄金の蕨手文が廻らされており、また同時代で同じ地域から出土した金錯鉄帯鉤 ( きんさくてったいこう) にも多数の蕨手文が描かれています。

京都大学元教授梅原末治氏の論文には、金銀錯嵌珠龍文鉄鏡が出土したダンワラ古墳は竪穴式の古式古墳であるが、その副葬品の1つの辻金物の作りから5世紀以降、おそらく5世紀から6世紀に作られた古墳であると書かれています。

金銀錯嵌珠龍文鉄鏡がダンワラ古墳に納められ地上から消えた直後の6世紀に、これら9つの古墳は作られています。鏡の存在とその文様を知っていた人々(ダンワラ古墳の葬儀に来た親戚?)が、埋めた鏡の魔力を惜しみ求めて自分の古墳に蕨手文を描かせたのでしょうか。

ちょうど、3週間前、7月31日のブログ(嘉麻(かま),鴨(かも)ー伽耶王族末裔の地)になります!!//思い出してみましょう…

今日は月曜日なので、閉館していると思いましたが、通り道なので、王塚古墳へ

福岡県嘉穂郡桂川町寿命

 http://g.co/maps/cahhx   古墳内部の写真は、郷めぐりへ より//

わらびての王族の人々の祖とは…その1_f0071303_9191175.jpg

 

この古墳はとても華やかな壁画が描かれていることで有名。

いつか是非、この目で見てみたいと思います。

仲間と車をとめて、古墳の丘の方にて磁場調整。

どのような人たちが葬られていたのでしょう…

おそらく伽耶に関係ある氏族ではないのでしょうか…近くにかや…という響きの名前がありました。

蕨手族…伽耶の古い王族

弓削氏ー靫負(ゆげい)氏とも、穂波の君といわれた人とも…

近くに弓削とう地名がありました…

磐井の君とも密接なつながりがあったことが地縁より感じられます。

言い伝えでは…蕨手の王族がここの靫負氏の娘と結婚して、五人の子供を残して亡くなったそうです。

伽耶は韓国にもあったでしょうし、倭の中にもあったのではないかな…と推測。飛び地としていくつかの場所に色濃く、そのエネルギーが残っている…

またこの地に訪れて、周囲の聖域を歩くことで重要なことがわかってくるだろう。

ここは大きな中継地だと感じました。

詳しい資料としてたくさんネットにあがっています。

ポイントは…赤のつく地をつないだ先…香春、田川、夏吉を通過して、小郡、山門、久留米、みやま、八女へと繫がるルート上にあります。

田川の夏吉とは…光の磁場ワークのときに訪れた地、詳しくは…5月21日のブログへ…若八幡神社の地。地神である神夏磯姫を祀っている神社として知られ、夏羽と田油津姫の兄妹の悲しい伝説が色濃く残るお宮です。

この王塚古墳の装飾画をみたとき、私は浮羽の珍敷塚古墳を思い出しました…

うずひこ…山下影媛の父か兄は…宇豆彦であり、珍彦(うずひこ)であり…

倭の五王の珍ではなかったか。

そして前回、6月5日に太宰府と久留米を訪れ、大善寺玉垂宮、月読神社、高樹神社、高良大社を訪れたとき、最終的にたどり着いた浮羽の古墳のひとつが珍敷塚古墳でした…(ここが倭王珍の古墳であったといわれているわけではありません。)

遠いところから船に乗ってやってきた、私たちの祖先は…きっとシュメールやヒッタイトなどの遠いところから、叡智を携え、旅を続け、東の希望の地

日本へとわたってきて、豊かな国づくりを目指した…

以下は…

資料引用蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?http://lunabura.exblog.jp/15020756/より引用させて頂きました。

伽耶と倭の装飾古墳をつなぐもの

わらびての王族の人々の祖とは…その1_f0071303_1027937.jpg

左から3世紀~6世紀(長さ13.5~25.5)

蕨手(わらびて)紋様

それが下のように鳥の姿に変化していきます。

わらびての王族の人々の祖とは…その1_f0071303_10273045.jpg

有棘鉄器とは、鉄板の側面をえぐって棘(とげ)の形に作った

鉄器のことをさし、鉄鋌を利用して一番簡単に作られる鉄器である。

伽耶地域の有棘利器はおよそ4世紀に出現し、

初期には主に権威の象徴として大型の古墳に副葬された。

その後、伽耶の滅亡を前後する頃には小型の古墳にも埋納されるが、

次第に消滅してゆく。

最近の調査例を見ると、種類も多様で地域ごとに独特の特徴を持っている。

特に陝川地域(伽耶の一部)から多く出土した有棘利器には、

鉄板をえぐって鳥が表現されており、ある種の象徴性が加味されている。(略)

日本では、奈良県藤の木古墳出土の冠装飾に

有棘利器にみられる鳥の装飾文様があり、注目を集めている。

562年 伽耶は新羅に併合されて滅亡。

663年 白村江の戦い 倭は唐・新羅連合軍に大敗。

この利器の使い方は書いてありませんでしたが、

主に権威の象徴だという事が分かりました。

そして伽耶の中でも一部の地方で鳥に変化したようです。

それが日本の出土品ともつながっていました。

そのつながりを指摘された藤の木古墳の冠がこれです。

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たしかに、内側は木の枝のように装飾的になって、

外側に鳥のモチーフが見えます。これは6世紀末だそうです。

「蕨手は鳥のモチーフへ」と変化して、倭の王族の冠となりました。

ところが、この蕨手は福岡県の装飾古墳の中では

「蕨手そのもの」として発展しています。

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珍敷塚古墳復元図 (日下八光氏製作)

中央の上の方にその蕨手があります。それは靫(ゆぎー楯)の上にあります。

また左の船の舳先に鳥がとまっていて、その上には同心円があります。

「蕨手と鳥」が揃っています。

蕨手ってなんだろう。

蕨手についての説をざっと調べてみましたが、

これといった説が見当たりませんでした。未解明のようです。

それに対して、靫や同心円については、

「氏族のシンボル」と捉える説に出会いました。

「同心円」は「的」の事でイクハと言い、それがウキハ、浮羽となった。

「靫」は「靫負(ゆげい)の大伴(おおとも)氏」の象徴。

これはかなり魅力的な説です。(和田萃氏―下注)

この装飾古墳が浮羽あたりで発達するのを見ると、可能性は高いと思いました。

この説の延長線で考えると、「蕨手」も氏族を指している事になります。

この氏族を仮に「蕨手族」と呼びます。

珍敷塚古墳の絵は

「同心円のイクハ氏」と「靫負の大伴氏」が「蕨手族」を支えている

というストーリーになります。

被葬者は蕨手族の人です。

この蕨手文は他の装飾古墳にも10例ほど見られます。

その中でも、有名な王塚古墳には

蕨手がこれでもかというほど描かれています。

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これは入口のすぐ右側にあります。

これを見ると、赤と黒の馬が描かれていて、馬に乗った人物はとても小さく、

それに対して蕨手文はかなり大きいです。

短甲にも蕨手があった

蕨手が図録にもっとないかなと再び探してみると、

短甲に蕨手が堂々と付いていました。

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伝金海 退来里

高さ66センチ 三国時代 5世紀 国立中央博物館

この短甲には前にも後ろにも蕨手がついています。

戦いの時に自分のクニや氏族を明らかにするためです。

器の取っ手まで蕨手。

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高霊 池山洞45号墳 三国時代 5-6世紀 国立慶州博物館

取っ手は指が入るようなデザインが普通の中に、こだわりの一点が…。

やはり、蕨手は紋章的なトーテムの可能性があります。

この蕨手族が倭にやって来たと想像してみました。

どんな事情だろうか。

1・新羅などと戦って負けて逃れて来た。

2・クニが拡大するなかで、平和裏に王族の皇子あたりが派遣された。

3・筑後や穂波あたりの豪族が軍事的援助を頼んで招いた。

いくつかのケースを考えました。

いずれにしろ、結果的には蕨手族はここで

豊かなクニづくりをしたのではないかと思いました。

それというのも、この王塚古墳の場所が最高のイヤシロ地にあったからです。

(王塚古墳は別項にて)

これらから仮説を立てました。

伽耶あたりで発生した王族がいて、蕨手文をシンボルとした。

蕨手文は鳥の形にも変化して行き、藤の木古墳の被葬者の冠に影響を与えた。

一方で、蕨手族が直接、福岡県にやってきた。

かれらはイクハ氏や大伴氏と共に豊かな装飾古墳文化を作った。

参考図書

「古代史からみた装飾古墳」 和田萃 『装飾古墳が語るもの』国立歴史民俗博物館編 吉川弘文館 平成7年

『伽耶文化展』 編集―東京国立博物館 発行―朝日新聞社 1992年


https://trakl.exblog.jp/17888376/ 【わらびての王族の人々の祖とは…その2】

https://lunabura.exblog.jp/15020756/ 【蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?

伽耶と倭の装飾古墳をつなぐもの】

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