https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2023ryouyu2023.html 【牛頭ごず天王】より
都・八坂神社で素戔嗚すさのおの尊みことと同体として祀られている牛頭ごず天王てんのう。もともとインドの疫病神であり、武塔むとう神しんとも呼ばれた。『備後国風土記』逸文によると、武塔神が旅の途中に訪れた南海で一夜の宿を請うたところ、裕福な弟の巨こ旦たん将来しょうらいは拒絶し、貧しい兄の蘇民将来そみんしょうらいは快く迎え入れた。武塔神はその礼として「われはハヤスサノヲの神なり。後の世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫と言い、茅の輪を腰につけておれば免れさせる。」と蘇民将来に告げ、疫病から救ったという。こうした由緒による祇園信仰は、無病息災を願うものとして庶民の間に広まり、現在も八坂神社の神事である祇園祭の際には「蘇民將來子孫家門」の護符や粽が授けられる。また、弘前市の金剛山最勝院護摩堂でも牛頭天王が本尊と同等の秘仏として祀られ、疫病除けの御利益があると津軽の人々に信仰されている。
ねぶたは、新型コロナウイルスや戦争といった脅威を封じ込めるが如く、邪鬼と対峙し「蘇民將來子孫家門」の護符を人々に与える牛頭天王の姿を表現したものである。
https://www.nebuta.jp/archive/nebuta/2021hitachi.html 【疫病祓やくびょうばらい『スサノオ神話しんわ』】より 作: 北村 蓮明『
古事記こじき』『日本にほん書記しょき』の神代かみよの巻まきで神様かみさまとして登場とうじょうする『須佐之男命すさのおのみこと』は、伊耶那岐命いざなきのみことと伊耶那美命いざなみのみことから生まれた、天照大神あまてらすおおみかみの弟神おとうとがみである。
(以後記載 スサノオ)
神々かみがみの時代じだい、スサノオは出雲いずもの國くにで八俣大蛇やまたのおろちへの生贄いけにえにされそうになっていた櫛名田比売くしなだひめを救すくい出だし、大蛇だいじゃを退たい治じした後のちに夫婦めおととなった。
時ときが経たち平安へいあん、インドから伝来でんらいする『牛頭天王ごずてんのう』と神仏習合思想しんぶつしゅうごうしそうにて、スサノオは牛頭天王ごずてんのうの化身けしんとなり、いつしか日本にほんでの疫病やくびょうや災わざわいを祓はらう力ちからがある守護神しゅごしんとされた。今いまでもスサノオは日本にほん全国ぜんこくの神社じんじゃに分布ぶんぷし、大切たいせつに祀まつられている。
ねぶたは、目めに見みえない毒息どくいきを吐はく疫鬼えききに、神剣しんけんを持もち対たいするスサノオの勇敢ゆうかんな姿すがたと、それを見守みまもる櫛名田比売くしなだひめである。見送みおくりには、斧おのと羂索けんさくを手てに、憤怒ふんどの形相ぎょうそうで疫病退散やくびょうたいさんを祈願きがんし睨にらむ牛頭天王ごずてんのうである。
昨さく年ねんから世界中せかいじゅうに感染拡大かんせんかくだいする「新型しんがたコロナウイルス」この疫病やくびょうを一日いちにちも早はやく終息しゅうそくさせ、安寧あんねいな世よが再ふたたび訪おとずれることを祈いのる。
https://blog.goo.ne.jp/valentinems1969/e/7d8a52c305387635ae7182f7d60d814b 【「青森ねぶた祭 2023」ねぶた大賞は「青森菱友会」の「牛頭天王(ごずてんのう)」、最優秀制作者賞には竹浪比呂央氏!23】より
「青森ねぶた祭 2023」4日目、8月5日土曜日の審査日の見物客の歓声が凄かった。熱気が迸り、結局、運行側も張り切り過ぎたのか、最後まで周り切れずに9時の時点で迂回してショートカットした「ねぶた」が続出した。
「ねぶた小屋」に戻った時点で完全にグロッキー状態。
缶ビールと酎ハイを一缶ずつ飲んだら急激に酔いがまわってその場にへたり込んでしまった。
少し落ち着いた時点で、今年がデビューとなるねぶた師T女史が登場。みんなの前で挨拶をしていたら感極まったのか泣いてしまった。
10時過ぎ、ねぶた本部から審査委員会による「ねぶた大賞」を含めた各賞がこっちのメールに入って来た。
総合的に優れた団体に与えられる最高賞「ねぶた大賞」には、青森菱友会の「牛頭天王(ごずてんのう)」、最優秀制作者賞には竹浪比呂央氏が選ばれた。
続く「知事賞」JRねぶた実行プロジェクト(竹浪比呂央)、「市長賞」、「優秀制作者賞」NTTグループねぶた(北村春一)、「商工会議所会頭賞」青森県板金工業組合(北村春一)、「観光コンベンション協会会長賞」日立連合ねぶた委員会(北村蓮明)、「優秀制作者賞」プロクレアねぶた実行プロジェクト(野村昂史)、そして「運行・跳人賞」青森県板金工業組合(北村春一)、「囃子賞」日立連合ねぶた委員会(北村蓮明)。
ああ・・・残念。
我らが団体の「ねぶた」は選外だった。
囃子方を含めたメンバーたちで「ねぶた小屋」の前にシートを敷き、そこに座って残念会。
ねぶた師T女史も「悔しいです」と、既に来年に向けた構想を描いていた。
フラフラ状態で、「ねぶた小屋」から歩いて家へと向かった。
夜の11時を過ぎたというのに、まだ街なかは熱気がムンムンと漂っている。
さあ。明日は合同運行だ。
https://kyotocf.com/column/gosho_column/awata-ohyoto/【粟田大燈呂 ねぶた祭の原点か】より
小京都はあるが小京都祭はないなぁ
あれから10年。その夜、粟田神社大祭の夜渡り神事(宵宮)に、百八十年ぶりに復活した粟田大燈呂の巡行を、目の当たりに見た。
その時、粟田口から出発した粟田大燈呂に、東北ねぶた祭のルーツを感じ取った。
平成20年10月12日。新聞報道で、東北の夏の風物詩「青森ねぶた祭」にも似て、との表現があったが、とんでもないと思っている。それは巨大化した市民祭で、全国的にメジャーになっても、京の祭が発祥で、似せて作られたものである。
そもそもねぶた祭とは、津軽為信が京都において、豊臣秀吉に「津軽の大灯籠」を披露したことに端を発する。その後、当地津軽で行事化したのは、文禄二年(1593)以後のことである。
ねぶた祭の起こりに定説はないようだが、駒方提灯の灯りや祇園囃子、曳き方、車方などに、類似点が見られるところから、大方祇園祭宵山が源流であるとされている。
勿論、穢れを禊ぎ払いする信仰が基本になっていることは共通で、言を待たない。
京の都の祭文化が、変遷をしながらも全国各地へ広がっていることは誰もが認めるところである。祇園祭山鉾や葵祭風流傘などはその最たる例である。
ねぶた祭なども、日本海側づたいに巡り、津軽、東北へと,その文化が運ばれたのである。
思い起こせば建都千二百年祭の折に、全国の祇園祭に縁のある祭が集まったことがあった。その時、あとの祭(花傘巡行)に、ねぶたも参加していた。
さて、粟田大燈呂について、粟田神社が文献に残るものを紹介している。
一つは、戦国の公卿山科言継の日記である「言継卿記」の永禄十年(1567)七月二十四日に記されている内容である。
「粟田口の風流が吉田へ向かうということを聞きましたので、夕方に吉田へ向かいました。大きな灯呂が二十あり、その大きさはおよそ二間(3.6m)四方もあり、前代未聞のことで大変驚いた。」(粟田神社口語訳) 。
も一つは、青蓮院文書「華頂要略」に記されている「夜渡り神事」の下りに、
「年毎の祭礼に・・・供奉(ぐぶ)に氏人 灯篭をともして、神輿に先行すること数百。さまざまの造り物ありて衆人の目を驚かすにより、貴賎群集することおびただし。誠に一大壮観なり。」と。
これらに従い、絵図に残らない大燈呂を、京都造形芸術大学の手で復活させたのである。
この時作られたのは、牛頭天王・八岐大蛇・神一重・出世えびす・牛頭天王と剣鉾の五基である。
復活した粟田大燈呂を伴った夜渡り神事の行列は闇夜を進み、松明、十二燈(じゅうにん)の灯りに加った大燈呂は、楠の大木に覆われた神宮道通を浮かびだし、知恩院前に向かった。
知恩院黒門前の瓜生石での祭事「れいけん」は、神仏習合した祓い、法要が、松明と十二燈、粟田大燈呂五基の灯りのもと行われた。
続いて、先導、神職、僧侶、剣鉾、神輿担ぎ、太鼓、十二燈など一列をなし、石柱で囲われた瓜生石を三周回るのである。
回りながらの囃す様は、貴賎一体となっての願いの姿である。各々が発する祝詞や囃子声は、まるで音霊のように交じり合い、トランス状態を思わせる。
そして、「オォオゥーー」、「じゅうにんでホィッ、 ホィッ ホィッ ホィ」、「ホイット ホイット」などの声音が耳に残った。正に御霊会の姿を見たようである。
その瓜生石とは、牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し、一夜のうちに瓜が実り、その瓜の表面には「牛頭天王」の文字が記されていたと語り継がれている石である。そして、この祇園の地に牛頭天王を祭る祇園感神院(876年祇園寺建立)が創建され、牛頭天王の神霊を移すその瓜を納めた(860年)場所には祇園感神院新宮を設けた(876年)という。
その後明治時代になり、神仏分離令によりその祇園感神院が八坂神社と、祇園感神院新宮が粟田神社と改称され、今日を迎えている。
その粟田神社と八坂神社の祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと/牛頭天王)で、神紋も共に木瓜紋と三つ巴紋である。つまり、表裏一体と言って過言でない。
更に、祇園祭の山鉾の原型は神泉苑に立てられた66の鉾(869年)であり、粟田神社の剣鉾などに残るものと同様なのである。
ねぶたのルーツが、その剣鉾に伴って行列していた大燈呂か、剣鉾の山車が巨大化した祇園祭の山鉾かは、誰一人として証明していない。しかし、瓜生石でのれいけん祭と粟田大燈呂の夜渡り神事に立ち会えば、ねぶたの原点が粟田大燈呂にあると、誰もが信じざるを得ないと小生は確信する。
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