Facebook近藤裕子さん投稿記事 ☘️私の好きなことば☘️ 「放てば手に満てり」
道元禅師の言葉です。
「坐禅の修行をすることで、思いを手放し執着を捨て、心を空にすれば、真理と一体となったゆたかな境地が手に入る」と説かれています。(引用)
でもこれは、禅の世界だけの言葉ではありません。
人は、あれも欲しいこれも欲しい、ああしたいこうしたい、という思いに生きています。
自分が何か得体の知れないものの価値観や世間体を気にするあまり 自分の本当に生きる価値はなんであるかが、分からなくなってしまいます。
道元禅師は「人の生きる価値はまわりの評価などで判断してはいけない。」と説かれています。生きるということは、けっしてそのようなことではないのです。
無理をして人に合わせた価値観に縛られているのであれば、それを捨ててしまいなさい。
捨てる勇気を持ちなさい。そうすれば、自ずと真の生きる価値を見出すことが出来ると教えています 何かをつかんだままの手には他のものは掴めません。
手放すことで 自分が何をすべきか見えてきます。
齢を重ねてようやく捨て方がわかってきたように思います
Facebook長堀 優さん投稿記事
天外伺朗先生が、二冊の新刊を上梓されました。どちらもAmazonでベスセラーになっています。私にとっては、自己を顧みたり、部下の行動を深く理解する上で、大いに役立つ内容でした。どちらもテーマは「実存的変容」です。聞き慣れない言葉かもしれません。
私自身、先日の学会で、この言葉を初めて知りましたが、その内容を知るや、強い啓発を受けました。そして、ついには自分の人生を裏から操り、行動を進化させてきた「魂の約束」の存在に気がついてしまったのです。
その約束は、自分の浅はかな考えなど遥かに凌駕するほどの圧倒的なパワーがありました。
早速振り返ってみたいと思います。
大学卒業が近づいた頃のことです。私は、患者さんの生死に携わる診療科には行きたくないと考えていました。死の重さに自分はとても耐えきれないだろうと感じていたのです。
その思いのまま、研修医の最初のローテーションでは、患者さんの死を扱うことのない診療科を選択しました。私の仕事は、毎日ほぼ定時で終わり、夜中に呼び出されることもありませんでした。思惑通りの展開です。
なんの苦労もないはず、でした。しかし、思いもかけないことに、私は漠然とした不安に囚われるようになったのです。
これが自分が本当にやりたいことなのだろうか、自分の人生には大切なことが他にあるんじゃないだろうか、と焦りさえ感じるようになったのです。
一旦そう思い始めると、目の前の仕事に集中できなくなり、失敗が目立つようになりました。
人間関係もうまくいかなくなり、精神的にも落ち込んでいきました。
そんなとき、降って湧いたように飛び込んできたのが、近隣の病院の外科の話でした。
不思議なことに、何人かの知人が、相前後して、その病院の評判を私に伝えてくれたのです。まるで口裏を合わせたかのようでした。
外科の雰囲気が良いとか、外科部長が紳士的で良い先生だとか、そんなたわいの無い話で、別に私に転職を勧めたわけではありませんでした。
しかし、煮詰まっていた私は、この話を聞き捨てにすることはできませんでした。
本来、年度の途中で病院を変わることなど許されるはずはありません。でも、私に迷いはありませんでした。
そして、会ったこともないその病院の外科部長に、突然図々しく電話し、「外科の研修医として働くことは可能でしょうか」と聞いてしまったのです。
どこの馬の骨かもわからない若造からのお願いです。断られて当然です。
しかし、なんとも意外なことに、「君はなんと運の良いことか。今、外科研修医が一人足りなくてとても困っていたところでした。ぜひ来てください。」と言って、採用に向けて積極的に動いてくれたのです。
当然、勤務していた病院からは、引き止められました。途中で抜けるなど言語道断です。
しかし、研修責任者からの再三の説得にも関わらず、一歩も引かなかった私は、最終的に押し切ってしまったのです。
普段の自分からは考えられないような大胆な行動でした。後から思えば、「魂の約束」の成せる業であったのでしょう。
さて、移った先の病院では、外科の研修医として、とても忙しい日々が始まりました。でも、私は、外科の仕事ができるという喜びでいっぱいでした。
看取りも、夜中の呼び出しもしょっちゅうでしたが、なんとかこなしていきました。
ともかく私は、心底ワクワクできる仕事に出会えて、楽しくて仕方がなかったのです。
私は、目立ったりリーダーシップをとることが苦手でしたし、大学受験直前の秋には急性腎炎に罹るなど、精神的にも身体的にも決して強くはありませんでした。
そんな私が、緊張感に満ちた外科の現場での仕事を楽しんでいるなんて、自分でも驚くばかりでした。
でも、道はしっかりと用意されており、この時期に私は外科を徹底的に経験することになっていたのでしょう。
そして、私の潜在意識がその計画に応えたのです。
その結果、私は心身共に鍛えられていくことになります。「魂の約束」おそるべし、です。
さて、ここから、本題に入ります。
天外伺朗先生が語る「実存的変容」とは、言わば、自分の本質に近づく過程での混沌です。
私の場合、外科へ移る前後の葛藤が、まさにこれに当たるでしょう。
おそらく私は、今生において、「人の生死に深く関わる」という「魂の約束」をしっかり心の奥底に持って生まれてきたに違いありません。
だから、生死に関わらない診療科で仕事をしていた時の私は、自分のその本質とは真反対の選択をしていたのです。
天外先生は、この状態を「分離」とか「適合」と称しています。
「適合」とは、社会の評価や周囲からの期待など、自分の本質ではない尺度に合わせて生きることです。
その後、私はうつうつとした状態を越え、天職とも言える外科で生き生きと仕事をするようになりました。
この時の私が、「実存的変容」を越え、今生での「魂の約束」と「統合」した状態です。
「分離」から「実存的変容」を越えて「統合」へ、この時の私は、天外先生の語る流れそのままに生きたわけです。もちろん「実存的変容」は、人生で一度きりではありません。
外科医となってからも、大きく言えば二回、私は「実存的変容」を体験しています。
1回目は、大きな病院の外科部長から中規模病院の副院長になったとき、2回目は、その病院からさらに小さな今の病院に院長として移った時でした。
その二回とも、私は、より小さな病院に移ることに抵抗を感じました。世間体を気にして、強い「適合」意識に囚われたわけです。
しかし、その「適合」意識を追い払うかのような、大きな力が私に働き始めました。
一回目の転職前、あまりの忙しさに、私は心身共に疲弊しきっていました。
次の転職前は、私の院外活動が周りから批判を浴び、少々煩わしく感じるようになっていました。
それでも「分離」意識に留まろうとする私に対し、今生の「魂の約束」が働きかけてきます。
最初の転職前は、大分県英彦山で岩村誠さんのヒーリングを受け、重要なインスピレーションを授かりました。
二回目の時は、とあるチャネラーさんから「今のままではもうパフォーマンスが発揮できない、病院を替わりなさい」とかなり強く𠮟咤されたのです。
結局、この働きかけのままに私は病院を移る決心をしました。
そして、この二回の「実存的変容」を越え、私は、天職と考えていた外科本来の業務を卒業させられ、東洋哲学や生死一如の哲学と出会わされたのです。
「魂の約束」の用意した計画によれば、おそらくこの時期の私は、外科から学んだことを、さらに昇華させる時期を迎えていたのでしょう。
その計画のままに、私の仕事は、死との向き合い方にフォーカスが絞られ、院内も院外もその方向にピタリ統合されていったのです。
まさに時宜を得た一大転換でした。
その結果、院外活動も大きく広がり、仕事の環境も格段に落ち着くことになりました。
いかがでしょうか。「実存的変容」の実際を少しご理解頂けたでしょうか。
天外先生は、この新刊で、この概念をとてもわかりやすく解説されています。
世間的には、立派な仕事をしていても、心の奥底では、違和感を感じ、自分にはもっと別に光り輝く人生があるのではと思う、
これが、親、会社、社会など外側からの期待に応えて生きている人生で、「分離」「適合」の状態です。
人生においては、自分の本質と離れた心の奥底の歪みが、「不本意な現実」を引き寄せることがあります。
病気もこの「不本意な現実」の一つであり、人生を変えるチャンスと天外先生は述べています。
実際に、心療内科を開拓した池見酉次郎医師は、患者の「実存的変容」により癌の自然退縮が起きることを発見しているのです。
でも、ほとんどの人は、この「不本意な現実」は、外からやってくるものと錯覚しています。
しかし、この「不本意な現実」は、自らの心に歪み(「怖れや不安」など)をもたらす原因にアプローチしない限り、解決はしません。
私の場合は、「魂の約束」に沿っていない歪んだ行動が、自らのうつ状態や周囲からの批判を引き起こしました。
しかし、その「不本意な現実」は、悩んだ末に病院を移らされるという「実存的変容」を通じて軌道修正されたわけです。
「不本意な現実」とは、「分離」から「統合」へ移行せよ、との「魂の約束」からのメッセージであるのかもしれません。
心の歪みにドライブされる「分離」の人生から、次の「フェーズ」である「統合」の人生に飛躍するためのガイドブックが、本書なのです。
「分離」から「統合」、それは言葉を変えれば、「不安」で駆動された人生から、「愛」の人生への変容と天外先生は言います。
そして、「統合」とは、自らの魂の根源的な要求に沿った現実を自由に創造する人生です。
「適合」「分離」から「統合」に移る「実存的変容」の段階では、顕在意識ではなく、潜在意識へのアクセスがどうしても必要となります。
その過程が、この本では分かりやすく解説してされています。
分離のままに人生を終えるのか、それとも、統合に至り、生き生きと人生を送るのか、それを決めるのは自分自身です。
仕事がうまくいっていても、どこか違和感を感じる、そんなことがありましたら、ぜひこの本を手に取ってみてください。
混沌とした現代社会を考えるにつけ、どうやらこの変容は、個人のレベルを超え、この国全体の集合意識が体験しようとしているものなのかもしれません。
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