生きるために生きる

Facebook岡部明美さん投稿記事

先日(28日)のタイムラインに弟のお墓参りに行ってきたことを書いた。

その中で弟は突然死だったけれど、何かシグナルが出ていなかったのか、そのシグナルに気づいてあげれなかったのではないかと悔やんだということを書いた。

長くなりそうなので詳しくは書かなかったけれど、肉体の死に関してはこれは「神の領域」なのでどんなに悲しくても従容として受け入れていくしかない、時間という時の癒しに助けられながら。

私がショックだったのは、弟が亡くなった日、弟の部屋の本棚に「自殺島」というマンガが全巻並んでいるのを見つけた時だった。

どんな内容かはわからないけれどそのタイトルに心臓がバクバクした。

毎月実家に帰って弟といろんな話をしていたのに弟が自殺を考えていたことを私は全く気づけなかったのかと思いショックだった。

そして私はそのマンガを怖いけれど次々に読んだ。そのマンガは自殺未遂を繰り返してきた人や、この社会からやっかい者扱いされて排除されてきた人や、人生に絶望して生きる希望が全くなくなった人達が送りこまれる島だった。

主人公のセイは死にたかったけれど死に切れなかった青年だ。

セイは島での生活の中でいろんなことに気づいていく。島に生息する野生動物の美しい姿を目の当たりにして、動物たちは皆、生きるために生きてる。それでいいじゃないか。

それだけでもいいじゃないかって。

島に送りこまれてきた人達は生きるために自分たちで米や野菜を作り、漁をしたり狩をしたり、獲物を捕獲するための弓矢を作ったりする。

恋人同士になった仲間の元看護婦の女性が医者もいない島で自然出産する場面にも立ち合う。

セイは、生きることやいのちのことについてさらに気づいていく。

・女性が子どもを産み育てるということはどれほど素晴らしい命の仕事なのかということ。女性たちの出産は皆決死の覚悟なのだということ。

・戦争や飢饉の時にも母親達は皆子を守り育ててきた。

・自分の母親もそうしてきた。だから自分は今ここに存在しているのだということ。

・食べ物を食べるということは多くの命を犠牲にしているということ。

・人が生まれ、生きるということは、多くの奇跡の積み重ねだということ。

・自分たちは親や祖先から受け継がれた“命のバトン”を受け取った者。それを自ら手放してはいけないのだということ。

弟は、生きるということについて、もう一度生きることの希望を見出したくて、自分の人生の意味について深く考えていたからこそこのマンガを全巻大事に読んだのだと思う。

弟は勤めていた会社が倒産して、亡くなるまでの4年間、職がなかった。

私は弟が年老いて認知が進んでいた母の面倒を見てくれていたので弟に毎月仕送りをしていたが「姉ちゃん悪いな。仕事頑張って探しているから」と申し訳なさそうに言っていたが、仕事は最後まで見つからなかった。

亡くなった日の彼の部屋には大量の原稿用紙が束になって机の上に置かれていた。

小説をずっと書いていたことを私は初めて知った。おそらく前日に書いたものだろう、その一行は「この世に必要のない人間なんて一人もいないんだ!!」と主人公が叫ぶシーンだった。

家族であってさえ、親しい友人であってさえ、私たちは他者の心の中で起きていることはわからないのだ。お互いが「わかってもらえない寂しさ」を抱えながら生きている。

それぞれの価値観が違い、不完全な人間同士が関わっているのだから心のすれ違いが起きてくることは普通なことだ。

他者と関わるということは、「わからない」「知らない」ということが前提で、だからこそ相手を理解したいと思うことは愛そのもので、だからこそ「わかり合えた」と思えた時は心から嬉しいのだと思う。それは奇跡に近いくらいのことなのだ。

弟は素晴らしいものを残して旅立ったのだった。この間、ティムとよしこさんとのライブトークで弟のことでのバイロン・ケイティワークの体験を話した時に思わず涙がこみ上げてきたのはここに書いたことが思わず蘇ってきたからだった。

私は1月に岩手に2泊3日で行って、清水友邦さんといろなテーマで対談したわけだけど、

対談③④では、宮沢賢治は人生が何もかもうまくいかず、挫折だらけの人生だったのに、なぜあのような透明な心や至福感や静寂さが賢治の心の世界にはあったのか。賢治はいったい何を見ていたのか、ということを友邦さんに尋ねた。

清水友邦さんは「賢治は目に見えるこの現実の世界の他にもう一つの世界があることを知っており、その二つの世界を同時に生きていた人。本当はみんな誰もがそうなのだけれど、賢治はそれを自覚的に生きていた人」という話をしてくれた。

お時間ある時にでもぜひお立ち寄りください。


https://thework.com/sites/nihongo/ 【その考えがなければ、あなたはどうなりますか?】より

日本語でのワーク イントロダクション

バイロン・ケイティの「ワーク」(The Work)は、世界のあらゆる苦しみを引き起こしている考えを突き止め、問いを投げかける方法です。自分自身や世界との間に平和を見つける方法なのです。オープンマインドさえあれば、年齢や健康状態、教育歴を問わず、誰でもワークを行うことができます。

バイロン・キャスリーン・リードは、30代でひどいうつ状態になりました。その後、10年かけてうつはひどくなり、ケイティ (人は彼女のことをこう呼びます)は、ほぼ2年、ベッドから 離れることもままならず、自殺衝動に囚われていました。ところがある日の朝、絶望の淵に立っていた彼女は、人生を変えるような気づきを得ます。

ケイティは、何かについて、そうあるべきではないと思っている時、自分が苦しむことを発見しました。「夫は、私をもっと愛するべきだ」、「子供たちは私に感謝すべきだ」というように。逆にそうした考えを信じていない時は、安らぎを感じたのです。うつの原因となっていたのは、身の回りの世界ではなく、世界について自分が信じている考えだと気づきました。ケイティは、 幸福を見つけようとする試みは逆効果であることを悟ります。 世界は「こうあるべきだ」という自分の考えに合うように世界を変えようと無駄な努力をするよりも、こうした考えに問いかけをし、あるがままの現実と向き合うことで、想像できないほどの自由と喜びを体験することができるのです。

ケイティは、「ワーク」と呼ばれる、シンプルながらパワフルな探求方法を編み出しました。それにより、実際に心の変化を生み出すことができたのです。その結果、ベッドから動けず、自殺衝動に悩まされていた彼女は、人生がもたらすあらゆるものへの愛で満たされるようになりました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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