Facebook竹元 久了さん投稿記事
🌷出光佐三氏に学ぶ 祭りと伝統 ...
出光佐三は生涯、「社長」でも「会長」でもなく「出光商会」の一介の「店主」を押し通されました。
出光興産のモットーは、「人間尊重」「大家族主義」「黄金の奴隷たるなかれ」「生産者から消費者へ」である。また、「生涯ただの一度も社員に『金を儲けろ』とは言われなかった。
出光佐三は常々語られています。
会社は、ひとつの家族。地域も家族。国家も家族。それが日本流の考え方です。
かって日本の企業はほとんどが終身雇用でした。かっての日本企業は今日と違い、逞しく、頼もしい限りでした。企業は、資本家(無産階級)と労働者(有産階級)の闘争の場である、と説いているのは、共産主義です。
経営者が(CEO)と称して巨利を得、景気が悪くなると生産調整と称して簡単にクビを切るのが、外国の企業であり、今日の日本企業の多くもこれを追従している有様です。
日本の流儀は違います。日本人にとって、会社は「家族」です。
欧米の資本主義でもない。共産主義でもない。古来より、日本の商家の考え方は、「社員は家族」という考え方です。暖簾分けなどはその最もたる証左です。
なにごとも欧米かぶれ、追従するのではなく、わが国の先人に学ぶべきです。
出光佐三は、皇室を崇敬することが極めて篤く、また出光興産の東京本社には佐三翁の郷里の氏神である宗像神社が祭られています。
佐三が逝去したおり、(昭和天皇陛下)は、佐三に次の歌を賜っています。
「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」
(出光佐三逝く 三月七日)
今は、スイッチ一つで湯を張ったり、ご飯を炊いたりできる生活は便利ですが、機械任せの生活では、考えることも工夫することも必要なくなります。生活が一つ便利になるたびに、私たちは大切なものを一つずつ失っているような気がしてなりません。
出光の生家はもちろん、戦前の日本では3世代同居が当たり前でした。夜は薄暗い電球の下、大家族がそろってラジオや普及間もないテレビの声に耳を傾けたものでした。分からないことがあれば、その場で大人に聞けました。テレビも一部屋1台の現代、パソコンや携帯メールの利用も増え、同じ部屋にいてさえ、顔を見て会話をすることは少ないという人が多いと聞きます。使われない言葉が廃れるのは当然ですが、カタカナ語やメールの絵文字の普及で言葉が崩れ、若者の思考まで単純化しつつあるのではないかと危惧しております。
高齢者は、先祖から受け継いだり長年の経験で身につけたりした知恵を持っています。核家族化が進み、お年寄りを施設にまとめてしまうような今の日本には、高齢者が若者と交流する場所がありません。せっかくの知恵、精神、魂が次の世代に引き継がれないのはもったいないなく残念でなりません。
農耕民族である日本人は、昔から季節の移り変わりに合わせて生活してきました。「海の日」が制定されるまで6、7月には祝日がありませんでした。田植えを終えても草取りで忙しいこの時期、農家は休む間もなく働きます。その代わり暑い8月は休んで盆の行事をし、コメの収穫を終えた秋に盛大な祭りをしたわけです。6月の結婚「ジューンブライド」は(ギリシャ神話の由来)、5月に麦の収穫を終えて一息つける欧米ならではの習慣です。近ごろは、日本のコメ文化が欧米のムギ文化に負けているのが残念でなりません。
人間だから忘れることもあります。忘れたものは思い出せばすみますが、捨ててしまったものは二度と取り戻せません。取り返しがつかなくなる前に、忘れかけているものをもう一度、引っ張り出してみることが必要ではないかと思います。
Facebook長堀 優さん投稿記事
東大名誉教授の矢作直樹先生は、日本人は、「神性」を直接感じることができる民族と語ります。矢作先生によれば、「神性」とは、「森羅万象のもとにある理そのもの」と「理を創造したもの」です。
そして、「宗教」とは、「神性」を感じるためのしかけ、つまり組織や教義・戒律などであり、その一方で、理屈で説明できないものを信じることが「信仰」です。
神典も戒律もなく、預言者もいないのに、神性を感じ、大いなる存在に感謝を捧げ、調和を大切にし、謙虚に暮らす、良くも悪くも、これが日本人が古来大切にしてきた「信仰」であり、生き方と言えるのでしょう。
では、この日本独特の神道は、世界から見ればどう映るのでしょうか。
この点について、たいへん興味深いお話に触れることができました。
高千穂神社、後藤俊彦宮司のご著書「神と神楽の森に生きる」からの抜粋です。
1989(平成元)年の秋、高千穂神社は2度目のヨーロッパ(ユーロパリア・ジャパン)での神楽公演を行いました。
ユーロパリアというのは"古代ヨーロッパの収穫祭"という意味の合成語です。
ECが、毎年加盟国の中から一国を選んで、その国の文化や歴史を紹介する欧州最大限の文化と芸術家の祭典です。
平成元年は、ヨーロッパ共同体に加盟している域内の国々が一巡したため、域外の国としてヨーロッパで関心の高いわが国が選ばれました。
平成元年とは、またなんというタイミングでしょうか。
ユーロパリアは権威ある催しであり、この年も、名誉総裁は主催国ベルギーのボードワン国王夫妻で、日本側の名誉総裁は皇太子殿下でした。
開会式は、ボードワン国王・王妃両殿下と皇太子殿下の御臨席のもとブリュッセルで開催されました。
ベルギーのマルテンス首相が、世界で二つの重要な文明、文化を所有するECと日本とが、文化の面でも深い交流を行なうことの喜びを語りました。
日本人として、なんとも誇らしい思いがします。
日本側からは竹下登元首相が特使として答礼の言葉を述べたそうです。
後藤宮司は、神楽の公演に先立ち、いつもと同じように、舞台と奉仕者と観客をおはらいしました。
そして、公演終了後には神前に向かって、その国の平安と人々の幸福を祈って神道式の拝礼を行いました。
この行為について、外国では一切の批判が出ることもなく、むしろはらいについては、
「あれは私たちをピュアファイ(お清め)したんでしょう」
と感動の言葉もかけられるほどでした。
帰国後、現地で通訳を務めた女性が後藤宮司に感想を寄せてくれました。
「神々の道は美しい言葉だと思います。
日本の国でもきっと大切な役割を果たしてきたに違いないと思います。
特に、神道は『自然』を意味するので、空気と同じく、自然を吸い込むような『自然の感覚』を与えてくれるものと思います。
天地のあらゆるものは、国民に幸せと希望をもたらしてくれる神となりうると思います。
人々は皆それぞれの神を信じていますが、神道では人々は自分の信仰をなくさないで、異なる宗教を信仰することができる寛容な心を持っているように思いました。」
日本人よりも、神道について深く理解されているようで、えもいわれぬ感動を覚えます。
宮司様は、このような体験を踏まえ、
「日本文化の根源にある神道を、外国人の軍事占領下で作った憲法の一文で日本人自らが忌避している現状こそ異常に思えてならない」
と語りますが、私もまったく同感です。
高千穂神楽の第一回欧州公演は、1985年にフランスで行われた国際伝統芸術祭で行われています。
フランス文化庁の招待により、世界14カ国から選ばれた団体が集まっていました。
他の国が30人から70人以上のグループで構成されていたのに比べ、神楽は一人舞でした。
しかし、主催者からは大歓迎を受けたばかりか、次のような言葉をかけられました。
「ヨーロッパには宗教と演劇の一致したものがなく、西洋の演劇界は行き詰まりの状態にある、
その意味で神楽のような神事芸能には強い関心を持っている」
そして、公演後には、神楽日本の神楽が最も伝統的様式を残し伝えている、との評価を受けることになったのです。
これを受け、後藤宮司は、
「一人舞の『手力男(タヂカラヲ)』や『入鬼神(イレキジン)』の舞が、他国のそれを圧倒するような迫力と重みを持っているのは、
高千穂神楽が守り伝えてきた数百年の伝統の重みと信仰の深さではないか、と思った。
そして信仰と伝統を失った演劇と同様に、
民俗国家もまた固有の伝統文化を失っては力強い発展を遂げることはできないのだと思われた。」
私自身、留学の際、日本の古典芸能である雅楽について何も語ることができず、恥ずかしい思いをしたことがあります。
自らの国の文化を大切にしない者は、他国の文化にも敬意を払うことができない、と外国では捉えられることがあるのです。
戦後、世界最古の皇室を抱くことさえ教えられることのなくなった我が国は、大袈裟ではなく、民族存亡の危機にあるといえます。
日本人としての矜持を思い起こさせてくれる大切な一冊でした。
また長くなりました。ここまでお読みいただきありがとうございました。
高千穂神社、必ず参拝させていただきます。
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