俳句随想

http://haiku-ashita.sakura.ne.jp/zuisou22.html 【第22回 未来を詠む句】より

玫瑰(はまなす)や今も沖には未来あり    草田男

 冒頭の句は昭和八年、中村草田男・三十三歳の句です。初めてこの句に出会った時、玫瑰を「はまなす」と読めなかったことと、「なぜ?」と思ったことを思い出します。句の論評によれば、これは難解な句でありながら、「玫瑰」と「今も沖には未来あり」という感慨の取合せが絶妙と書かれています。玫瑰は、浜辺に自生する野生のばらで、茄子のような実をつけるところから浜茄子と呼ばれているようですが、それが故郷の浜辺に咲いており、それを口にした子供の頃の思い出を呼び覚ますとするならば、玫瑰は故郷の少年時代に寄り添います。胸一杯の夢と希望を抱き、見渡す海と空に自らの将来を思い描いていた少年時代に見た玫瑰を今、見つめている作者が現れてきます。「玫瑰や」で切れているので、異なった時間や空間が入り込むことができます。かつて玫瑰を見て、その実を食していた少年時代に思い描いた未来は、その後の実生活の中で変容を余儀なくされたに違いありませんが、それでもなお、あの思い描いていた未来が今もあると詠んでいます。措辞を「未来はありや」のような疑問形にしなかったのがこの句の最大の成功要因であると思います。「今も沖には未来あり」と断定したことで、この句は一級の句になり、足元に咲く玫瑰と沖との遠近も景の広がりや奥行を生み出しています。

 冒頭の句の解説が長くなりました。かくして今回は「未来を詠む句」を取り上げようと思います。但し未来を詠む句を取り上げようと思ってから気がついたことですが、そもそもの話として、俳句で未来を詠むべきか、という点をまず考えるべきであったということがあります。俳句は森羅万象を詠むことができるツールではありますが、景の句も心象の句もスナップショットが得意分野であり、映画やビデオの対象となるような時間の経過を辿る長編物は得意ではありません。長い時間の経過を要する未来も、どうやら得意ではなかったのではないかと思い始めています。それは句集や歳時記から未来を詠む句を探す段階になってようやく分かったことでもありました。

 ともあれテーマとしての「未来」そのものについて少し述べさせていただきます。未来は字句の通り「未だ来てはいない将来のこと」です。過去、現在、未来について次のような表現もあります。「変えられないものは過去と他人。変えられるものは未来と自分」だから変えられるものである自分と未来を変えて行き、過去や他人を変えることなど考えないようにしよう、という箴言の枕詞にもなっているフレーズです。未来は確かにこれから始まるものであり、変えられるものではありますが、一方で、見えないもの、予測できないものでもあります。また見えない故に不安を醸しもします。芥川龍之介が遺書となる手紙の中に書いた「何か僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」にも繋がります。未来がある程度分かれば、心の準備、それなりの備えも出来て、うまく対処ができ、折角巡ると思われる幸運を逃がさずにすむかも知れません。そのため、人は自分の未来や社会の未来を知ろうとします。年も押し詰まると、来年は未曾有の、かつて経験したことのない年になるぞ、との触れ込みで、大胆で奇想天外な経済予測をする経済評論家や先生方が現れ、またそれらが掲載された雑誌には一定の需要があります。人は、社会は、その未来を知りたがるのです。また一方では予想したり、期待することとは逆のことが起きるものであると、アイロニカルな主張をする「マーフィーの法則」というのもあります。探し物は探すのを止めると出てくる、とか、災難は忘れた頃にやってくる、というのも基本的にはこの法則の範疇に入るのではないかと思います。そして自らの経験から言っても、むしろこちらの方が、余ほど正鵠を得ていると思っています。自らの未来を知りたいという欲求は、何も現代の人に限りません。三千年以上も昔の中国でも同じでした。四書五経と言われる中国の古典の中に「易経」があります。この易経には陰と陽の六つの組み合わせからなる六十四の卦が含まれています。この六十四卦の中には当然にして最良の卦と最悪の卦があります。最良の卦と呼ばれるのは「火天大有(かてんたいゆう)」でいかなる事象を占う場合にもこの卦がでれば大丈夫という有難い卦ですが、注釈には有頂天にならず、自らの環境や支援してくれる人々への感謝を忘れないこととあります。一方最悪の卦は「水山蹇(すいさんけん)」で、本来聳え立つ山が水没しているという大変な異常現象を表す卦です。そしてこのような卦が出たときには、陰の道(平坦な道)を南に選ぶこと、有力者の力を借りること、そして困難な時期が過ぎるのを忍耐強く待つこととあります。避禍招福は特別なことをするのではなく、自然の理に叶った対応をすることのようです。

 さて俳句です。冒頭で課題として掲げた「未来は俳句で詠むべきか」というテーマについては、なかなか容易ではないと言うのが本音です。今回冬男先生の句集から未来を詠む句を探しましたが、今回ほど例句を抽くのに苦労したテーマはありませんでした。皆無に近かった中から敢えて選んだ冬男先生の未来を詠む句をご紹介します。

 妻を愛しなおはるかなる虹追いぬ

 いつかほとけ彫らんと思う望の月

 漱石忌生涯髭はたくわえず

 言い換えれば、冬男先生の句がいかに現時点に立ち、その時々の思いや景をしっかりと捕らえた句ばかりであり、曖昧にまた安易に未来に飛んでいる句がないかということであると思います。

 今回のテーマは、俳句に関して「できる」ことと「すべき」ことの違いを考え直す良いきっかけになったと思っています。最後に平成十八年六月号のあした誌梨芯集の拙句を抽きます。未来はこの程度に留めるのがほどほどで良いようです。

我が未来見つむ色なき風の中   秀四郎


http://haiku-ashita.sakura.ne.jp/zuisou25.html 【第25回 俳句とエッセイについて】より

行く春や鳥啼き魚の目は涙   芭蕉

 冒頭の句は「奥の細道」の中で、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」で始まる序に続いて詠まれた句です。長い旅に出ようとする芭蕉の繊細な感情を表した句です。芭蕉の紀行文は、年表によりますと、この「奥の細道」が最後であり、スタートは一六八四年(貞享元年)八月からの「野ざらし紀行」、次が鹿島詣(一六八七年、貞享四年八月)、「笈の小文」(一六八七年、貞享四年十月)、更科紀行(一六八八年、貞享五年八月)と続きます。従って「奥の細道」の旅は芭蕉の紀行文の集大成とも言えますし、この旅で芭蕉の句には「軽み」への志向が芽生え、蕉風の俳句が大きく変化するきっかけになったとも言われています。紀行文とは即ち旅日記ですが、芭蕉の紀行文は単に旅の日記にとどまらず、そこには句が詠み込まれている点でその他の紀行文とは一線を画すると思います。この旅日記と句の関係を、私は「俳句とエッセイ」であると思っています。今回は芭蕉の紀行文を例にとりましたが、我が国の紀行文や日記となると、紀貫之の「土佐日記」、「紫式部日記」「更科日記」などに遡ります。歴史を繙けば、このように自分のこと、自分の行動を一人称の散文(エッセイ)として綴るようになった背景には、平安時代の後期、当時の先進国であった中国と日本の文化を結んでいた遣唐使が停滞し、日本文化の主体性を確立する機運が生まれ、「かな」文字が生まれたことと無関係ではなかったようです。「かな」によって日本語の持つ感覚を自由に表現できるようになり、「かな」が和歌、物語、日記、随筆等の国文学を勃興させるトリガーになりました。思えば、俳句は日本人による「かな」の発明によって生まれた文芸と言えそうです。今回はこのような背景を持つ日本語の俳句とエッセイについて述べたいと思います。

 ビジネス文書の要諦と言われている言葉に「Summary to detail」があります。まず最初に何が言いたいかを言いなさい、結論が先で、その後に、「何故ならば…」とその理由、経緯などを述べなさい、という教えを象徴する言葉です。人が物事を理解するには、結論やまとめとセットで、理由、根拠、詳細な説明が必要であり、その両方がなければ理解は得られないと言うことのようです。そして私は常々、このSummary が俳句で、その説明や背景を述べる散文がエッセイであろうと思っています。

 トヨタ自動車の生産現場での効率化、改善活動の中から生まれた言葉「見える化」は生産活動の現場の流れを可能な限り文書や見える形で表現し、改善を促進する「可視化」の造語ですが、実際に「見える化」をすると経済活動が可視化でき、問題点が容易に検出され、改善が進むということを体験してきました。つまり「見える化」は多くの賛同者を得て衆知が集められる仕掛けと言えます。これと同様に、クラシック音楽のファンとオペラ、演劇のファンとはファン層が異なるとは言え、その数は比較にならない程、後者の方が多いようです。メディアで言えば、ラジオよりもテレビの方が「見える化」された媒体であるため、視聴者の数は飛躍的に多いということに重なります。俳句とエッセイは、ある意味で、エッセイと組み合わせることによって俳句が「見える化」されることになるのではないかと思います。また俳句はエッセイによってエッセイの言わんとすることを端的に表現することで、相互に補完し合う関係にあると思います。夫婦のことを表現する言葉にBetter halfがあります。切っても切れない最良のパートナーとでも訳せば良いのでしょうか。これと同じく、Best match という言葉もあって、こちらは最良の組み合わせとでも訳すのでしょう。俳句とエッセイについて、この二つは共に当てはまる言葉ではないかと思います。

 しかし、ここで反論もまた生まれるのではないでしょうか。「俳句に説明は要らないし、またすべきでもない」と。この意見もまた一理あると思います。名作と呼ばれる小説の映画化は過去、枚挙に遑がありませんが、名作を超える映画はいくつあったでしょうか。小説を読んで、私的には是非映画でも見たいと思って見に行って、期待通りであったことは未だにありません。つまり名作と言われる小説は映画にすべきではないのです。同じことが俳句に言えるかも知れません。その意味で、上記の反論を否定しません。但し、名作の映画化も、映画化した監督の解釈と考えれば、なかなか興味深く、また新たな視点での鑑賞にはなるでしょう。このように「見える化」は確かに理解しやすくする、曖昧なところを明確にする、多くの人が考えるステージを与えるという点で優れた手法ではありますが、算盤から電卓に変わって暗算力が落ちたとか、手書き文字からワープロに変わって漢字が書けなくなったこと、テレビを見ることで自らが考えること、想像することが極端に減ったことと同じことが言えそうです。

 長々と俳句とエッセイについて述べてきましたが、まとめれば、俳句とエッセイはお互いに補うことで新たな価値を生み出すような良好な組み合わせであると思うこと、それゆえ、今後もこの組み合わせで本俳句随想を綴って行きたいと思っていること、更に、今後は俳句の詠み方や、詠む対象毎の特徴、コツ等句作につながることにこだわらず、まず思うことを書き、書いたことのまとめや感慨としての句を載せるというパターンも少しずつ増やしてゆきたいということです。ま、要するにこんなところでしょうか。

遥かなる句作の道や春の虹  秀四郎

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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