ストーンヘンジ

https://www.tiw.jp/investment/cafe/15395/ 【ストーンヘンジは何ですか?】より

鯨 統一郎(くじら とういちろう)という変わった名前のSF、ミステリー作家がいる。誰かと間違われると嫌なので誰もつけないという名前を考えたとのことである。その術中に嵌まったのか、奇抜な名前と本のタイトルに惹かれて、古本屋で偶然手にしたのが彼のデビュー作である「邪馬台国はどこですか?」であった。カウンター席だけの地下のバーで才色兼備で新進気鋭の歴史学者である早乙女静香と在野の研究家らしき、うだつのあがらない宮田六郎なる人物が口喧嘩をしながら歴史検証バトルを繰り返し、邪馬台国の場所、聖徳太子は誰か、明智光秀の謀反の動機、キリストの復活の事実、などを解き明かしていくというユーモア・歴史ミステリー短編集である。

これに嵌まってしまい、続編である「新・世界の七不思議」を直ぐに購入して読んだ。そのなかにある「ストーンヘンジの不思議」が特に面白かった。結論をいうと、ストーンヘンジが作られた目的は太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、諸説紛々あるが、これを作ったとされる古代ケルト人が最も怖れた、空が頭の上に落ちくてるのを支える装置であると推定する。

そしてなんと驚くなかれ、われわれの身近にもストーンヘンジはあるというのだ。それは神社にある鳥居である。もともと神社の起源である磐境(いわさか、サカは神の鎮座する区域)、磐座(いわくら、クラは神の座る場所)というのは大きな岩、つまり巨石のことで、神社建設が始まる前は、この磐座祭祀が中心だった。その入り口にある鳥居はストーンヘンジの巨大なトリリトン(2本の立石の上部に水平に天井石を乗せた石組=三石塔)が日本に伝わり変化したのだと推理する。鳥居の語源はトリリトンが鳥居に姿を変える過程で、言葉もトリイに変化したというものである。今は木の鳥居が圧倒的に多いが、それは日本の気候に合うように変化したのだという。確かに、永仁2年(1294年)に造られた日本最古の石造りの大鳥居が大阪四天王寺にあることを考えれば、あながち荒唐無稽な説とは言い切れない。

さて、支えるという意味では、100年に一度の災いが天から降ってきた今、オバマ米大統領だけに頼るのは問題であろう。成長回復のためにあらゆる必要な行動をとるとG20首脳会合でも確認されたが、日本の政治家も政争に明け暮れているのではなく、日本、いや世界を支える鳥居となる気概で政治に臨んで欲しいものである。


http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-746.html?sp 【ストーンヘンジと王位石・巨石太陽信仰の「共時性」という謎に迫る!】より

25日(土)のNHKBSプレミアムは、19時30分から

体感!グレートネイチャー

「最果ての幻想絶景! ケルト神話の舞台を行く ~イギリス ヘブリディーズ諸島~」

同じく、21時から 奇跡の巨石文明!ストーンヘンジ七不思議という番組プログラムでした。

偶然にも、イギリスの巨石文化にかかわる番組が連続していたのです。

それぞれイギリスと日本の専門家を交えて番組が構成されていましたから、諸説ある中でも、現在におけるもっとも最先端の見解だと思います。

印象に残ったのは、「体感!グレートネイチャー」のこのシーン。

円形のストーンサークルを基本とはしているものの、かなり複雑な巨石の配置でした。

そして、専門家は「天文とのかかわり」を説明していました。

「奇跡の巨石文明!ストーンヘンジ七不思議」では、墓であるとともに、冬至の太陽と関係が深いという映像が流れていました。

さらに、日本にある同種の遺跡として、秋田県の大湯ストーンサークルが紹介され、なぜ似た性質化なのかという謎に、こんな解答が用意されていました。

国立歴史民俗博物館教授の松木武彦さんは、古今東西人類の思考は繋がっていたという観点から、古代ブリトン人も縄文人も同じホモサピエンスであり、「パソコンに例えたら同じ機種で、同じ入力で同じ反応がおこる」とされたのです。

この見解を、博物学者の荒俣宏さんも同意されていました。

以前このブログでも述べた、ユングの言う「共時性」のようなシンクロニシティ(synchronicity)は、石器時代や縄文時代の巨石文化にも、確実に存在したと私も考えています。

いずれにしろ、ストーンヘンジと同じ、大規模な巨石太陽文化が、日本の縄文時代にあったとして、不思議はありません。

ただし、もしストーンヘンジがそのまま日本にあったとすれば、恐らく江戸時代までに、築城その他の建設のために破壊されたはずです。それは各地の神社の磐座に関する伝承からもうかがえます。

また広々としたヨーロッパ的牧畜文化では残されても、集約農業的な稲作地帯では、巨石は邪魔なだけでした。岩を除去して、少しでも田んぼを広げて収穫を増やすのが当然だったのです。

それでもなお残された巨石というのは、偶然の事故や疾病をタタリと信じたか、よほどの山中僻地で破壊運搬するメリットがないか、そもそも人口希薄や寒冷地で集約的な稲作に適さない場所などに限られたと思います。

  ☆

夏至や冬至に関わる太陽信仰は、姫路の高岳神社や吉備の吉備津彦神社などに、磐座も伴って残っています。

下は、高岳神社の本殿背後にそびえる磐座の中央、へこんだ部分から登る冬至の朝日です。

「夏至の宮」たる吉備津彦神社には、逆に冬至のころの夕日(写真は、新年の準備も整った12月末)が本殿に沈みます。

天の岩戸神話や、天皇の即位儀礼である大嘗祭が冬至と深く関わることも、かつて記事にしています。

伊勢神宮も有名です。

おそらく日本各地に、ストーンヘンジと同じ思想の遺跡はいくつもあったでしょう。しかし、令和まで残るのはごくわずか。

ふと思いついた程度なのですが、ストーンヘンジのごく一部分だけ比較すれば、ひょっとすると五島列島の王位石も、そんな失われた巨石文化の断片なのかもしれません。

王位石とは、沖ノ神嶋神社のご神体ともいうべき不思議な巨石です。

下はストーンヘンジの一部です。

これは、小値賀島の歴史民俗資料館です。沖ノ神嶋神社と王位石に関する展示が参考になります。

そして、王位石の隙間からは、夏至の頃の太陽が納島の彼方、はるか済州島方面に沈むのが見えます。

ここもまた、ユーラシア起源の太陽巨石文化の断片ではないのか?

ここ野崎島の野首遺跡は、平成2年から同5年にかけて多目的ダム建設に伴なう緊急発掘調査が実施されました。

その結果、縄文前期から中世にいたる約40万点にのぼる資料が出土しています。

特に縄文土器は轟式・野口式・阿多式・曽畑式・並木式・阿高式系・船元式・西平式・黒川式・山ノ寺式など縄文時代の各時期の土器類や、大形磨製石斧、小形定角磨製石斧、垂飾品、十字形石器などが出土するなど、単なる辺鄙な小島とは思えません。

現在の国境をまたぐ、広範囲な地域の聖地として、特別の巨石信仰があったのではないのでしょうか?

そしてそれは、「共時性」の観点から考えれば、必ずしもユーラシア大陸経由で伝わった文化ではなく、この地域に独自で花開いた謎の巨石文化だったのかもしれませんね。

例によって、確たる証拠のない妄想的ロマンですが、可能性はあると思います。


https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/gogocafe/wEU3UngRHJ.html 【日本巨石伝説】より

日本にはたくさんの巨石があります。古くからの伝説がある巨石、神社に祀(まつ)られている巨石、荒海にそびえたつ巨石や奇岩など、あなたの地域にも、巨石はきっとあるはずです。今回は、巨石写真家の須田郡司さんに日本各地の魅力ある巨石についてうかがいました。(聴き手:武内陶子アンカー)

【出演者】

須田郡司さん(巨石写真家)

<プロフィール>

1962年、群馬県出身。国内や世界50か国以上を訪ね、古くから信仰される磐座(いわくら)や石神、伝承や伝説を持つ巨石、奇岩などの景勝地、アニミズムを感じさせる原初的な巨石を撮影。島根県出雲市で「石の語り部」としても活動中。

――巨石に興味を持ったきっかけは。

須田: 大学時代、沖縄の祭祀(さいし)などを行う聖なる場所「御嶽(うたき)」に行きました。特に沖縄本島南部の斎場御嶽(せいふぁうたき)の光景は衝撃的でした。大きな隆起石灰岩の巨石に魂が震える感覚をおぼえ、目に見えない何かを感じました。

――人はなぜ巨石に魅了されるでしょうか。

須田: 日本各地の神社を見ると、巨石信仰が大昔からあったことに気づきます。石や岩が持つ不動性、普遍性から信仰心が育まれてきたのではないかと考えています。

巨石のある景勝地

伊勢二見の夫婦岩(三重県)

須田: 興玉神石(おきたましんせき)を拝む男岩と女岩からなる岩門です。両岩がしめ縄で結ばれていて、夏至の日は、しめ縄の真ん中から日の出が拝めるので、観光客やカメラマンが多く集まります。

唐人駄場・唐人石巨石群(高知県)

須田: 土佐清水市の足摺半島山中にある唐人駄場(とうじんだば)遺跡からは、縄文時代初期から弥生時代にかけての石器や土器片が多く出土しました。

野崎島の王位岩(長崎県)

須田: 五島列島北東部に位置する「沖ノ神島神社」の社殿奥には王位石(おえいし)と呼ばれる巨石があります。自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、多くの伝説が残っています。

神威岩(北海道)

須田: 神威(かむい)岩は、積丹半島の日本海側に突き出している神威岬にある41mの巨石です。岬から身を投げた乙女が石になったという伝説があります。

名草の巨石群(栃木県)

須田: 高さ10mの石の上には弁財天が建立されています。弁財天が鎮座しているこの巨石や、巨石群は国の天然記念物となっています。

各地の巨石信仰

須我神社奧宮の夫婦岩(島根県)

須田: スサノオノミコトがヤマタノオロチの退治後に建てた宮殿が神社になったと伝えられ「日本初之宮」とも呼ばれています。島根は巨石信仰で祀られている巨石が多く見られます。

三輪山の磐座(奈良県)

須田: 山そのものが、大神神社の御神体で、日本を代表する磐座(いわくら)が鎮座しています。地域にある神社にも磐座があり、磐座めぐりも人気です。

神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)

須田: 神倉神社は、天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあります。毎年2月に行われる「御灯祭」は、約2000人の男性が松明を持って石段を一気に駆け降りる奇祭としても有名です。

巨石めぐりブーム

須田: アニメ「鬼滅の刃」の影響で、巨石の前で写真を撮るのがブームになっています。主人公が巨石を一刀両断にするシーンがあるのですが、日本各地には割石(われいし)と呼ばれる、刀で切ったような巨石がたくさんあります。

太刀割石(茨城県)

須田: 伝説によれば、源義家が戦勝祈願をした折、白雲に乗った神から宝剣を授けられる夢を見ました。目覚めると一振りの太刀があり、その切れ味を試そうと、巨石を目掛けて振り下ろすと、巨石が二つに割れたそうです。

一刀石(奈良県)

須田: 石舟斎(柳生宗厳)が天狗と試合を行い、一刀のもとに天狗を切り捨てたところ、2つに割れた巨石が残ったという逸話が残っています。

天馬山の割石(島根県)

須田: 「鬼滅の刃」の主人公が斬った岩とそっくりな「割石」が天馬山の山中にあり、全国からファンが訪れています。

ユニークな巨石

釣石(宮城県)

須田: 山のところに石が釣られているよう見えて、落ちそうで落ちないことから受験生の神様として愛されてきました。東日本大震災でもこの釣石は落ちなかったことから、震災復興のシンボルにもなっています。

神石(福岡県)

須田: 休耕地の中で忘れられていた石が、パワースポットとして多くの人が訪れたために「神在神社」のご神体として復活しました。

立石(東京都)

須田: 江戸時代には高さ60cm以上あったそうですが、この石を打ち欠いて持つと病気に効くという信仰や、戦争時に弾よけのお守りにした風習、地盤沈下などの結果、現在では地表から数cm露出している姿になってしまいました。

甑岩(兵庫県)

須田: 酒米を蒸す時に使う甑(こしき)という道具に似ていることから名づけられたと考えられています。大阪城築城のために切り出そうと、豊臣秀吉が石工たちに命じて割らせていたところ、岩の間より鶏鳴(けいめい)し、真白な煙が立ち昇り、その霊気に石工たちは転げ落ち、運び出せなかったそうです。

須田: みなさんも身近な巨石を巡ってみてくださいね。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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