ルーツ

Facebook木村 正治 さん投稿記事

灯台下暗しと言います。常日頃、当たり前のように目の前にあるが故にそれに気付かないことが多々あります。例えば神社です。

一言で神社と言いますが御祭神や経緯などを踏まえれば多種多様で、実は神社に日本の秘密が眠っています。神社は日本にしかありませんね。

よく似た形としては古代イスラエルの幕屋が近似していますが、いわゆる私達が神社と認識している存在や空間は日本にしかありません。

日本にしか神社が存在しないという事は、日本人は日本人独自であり祖先が他とは違うという事の証しです。

天皇家は神武天皇から始まったと公的にはされ、戦前や戦時中は神武天皇以前に存在した歴史を語ったり神武天皇以前の王朝の存在に触れた学者などは不敬罪で投獄されていたという信じられない時代がありました。

真実に触れてはならないとする風潮が強い時は停滞します。

神武天皇以前には鵜草葺不合王朝が長らく存在していた事は明白で、宮崎県日向や能登半島に行けばその痕跡を見出す事ができます。

また多くの日本人が常日頃、当たり前のように参拝している八坂神社や熊野神社、氷川神社、三輪神社、賀茂神社、日吉神社、稲荷神社、琴平宮、などは神武天皇以前の人物を御祭神として祀ったものです。

実は私達の身近な神社に答えがあります。

その多くは出雲系の須佐之男一族を祀ったものが8割で、九州の高天原族や天照大神の系統は2割しかありません。

出雲系にも高天原族系にも属さない神社は全体の1パーセント程しかありません。

太古よりいた縄文人などの系統も見れば日本は深いですね。

また四国の忌部氏も天皇家よりも日本における歴史が古く、やがては三木家になります。

三木武夫総理大臣はこの三木家の一族でした。

また織田信長の祖先は福井県越前町の劔神社の神官で、ここから織田家が発祥したとされていますが、更に遡れば織田家の祖先は忌部氏になります。

忌部氏とはレビ族ですから祭祀、祈りの血筋です。

天皇も第26代継体天皇からはレビ族になり、それ以前の武烈天皇までのガド族とは異なり祭祀、祈りの中心的存在となりました。

大きな視野で見れば古代イスラエル12支族と加えてレビ族という系統ですから太古から脈々と続いています。

天皇の事を帝(みかど)とも呼称するのはガド族の天皇の名残りです。

ミカドとは古代ヘブライ語でガド族の、という意味ですから。

更には天皇の事をスメラミコトとも呼称します。

これはシュメールの、という意味ですから語源を踏まえれば更に深さを感じます。

これから日本の様々な姿が表に出てくるでしょう。日本は想像以上に深いです。

遠い時空に思いを馳せながら、歴史の扉が開く事を楽しみながら、日常を過ごしていきたいですね。

日本の各地にて祭りが行われ、必ず神輿が地域の人々により担がれます。

神輿を担いで皆が「ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ。」と街を練り歩きます。

しかしこのワッショイという言葉の意味を多くの日本人はよく分かっていません。

よく分からないままに唱えている言葉が実は日本人の生活の中には少なくありません。

ワッショイという言葉は日本語としては意味不明ですが、これを古代ヘブライ語の発音として捉えると「神を讃えよ。」という意味になります。

古代の日本では神代文字が使われ、古代ヘブライ語が話されていました。

つまり日本各地で日本人が神輿を担いでワッショイ、ワッショイ、ワッショイと唱えて練り歩けば言霊としては「神を讃えよ、神を讃えよ。」と言いながら練り歩いている事になりますから天上界には言霊は届いているでしょう。

これが日本人の知恵だと思います。

また神輿は聖櫃、アークを模したものです。

世界史では聖櫃、アークは行方知れずとされてきましたが日本にあります。

聖櫃、アークがある場所が世界の中心ですから、それが実は太古より日本にあるという事は何を意味するでしょうか?

日本が日の本と言われる由緒はここにあります。

世界の権力者が血眼になって探してきた聖櫃、アークですが日本のある場所に厳重に管理されて保管されており、その場所は国家最高機密です。

日本人の大多数は古代イスラエル12支族の末裔ということになります。

或いは縄文人の末裔もいらっしゃいます。総じて今の日本を形成しています。

諏訪大社の御柱祭の柱は古代イスラエルの風習ですし、御頭祭はアブラハム伝承がそのまま残されています。

諏訪大社は守屋山が御神体です。

守屋山という神の名前はミサクチ神で、イサクに由来するという意味です。

イサクはアブラハムが100歳の時に生まれた子で神がそのイサクを捧げよとアブラハムに命じた時にアブラハムは直ちにモリヤ山で生贄にしようとした事は聖書に書いている通りです。

諏訪大社は名前が全て聖書と同じですし、明治時代になるまでは動物犠牲の生贄の儀式が行われていました。

日本人の日常の中に日本の由来の鍵が随所に散りばめられています。

日本の国家機密の聖櫃、アークには3種の神器が納められていて、それは石板、アロンの杖、マナの壺ですが、同時に日本の皇室に納められている3種の神器は八咫の鏡、草薙の剣、八尺瓊勾玉です。

これら本物は天皇ですら見る事ができないと言われています。

ところが明治時代に当時の文部大臣の森有礼が八咫の鏡を見てしまいました。

八咫の鏡の裏面に古代ヘブライ語で何かが刻まれていたと森有礼は述べています。

当時の文部大臣であった森有礼が述べた内容では「我は有りて有る神という内容が古代ヘブライ語で刻まれていたとされています。

もうお亡くなりになられましたが三笠宮崇仁親王は古代ヘブライ語を流暢に話されるお方でした。

日本の神社には必ず狛犬があります。私達は神社を訪れた際に何気なく見ていますが、

狛犬の意味は日本に古代イスラエル10支族が来たことを表すものです。

更には京都御所の清涼殿にある天皇の座には獅子と一角獣の像があります。

神社の2対の狛犬は獅子と一角獣を表していて、獅子は古代南朝ユダ王国の2支族を表し、一角獣は古代イスラエル王国の10支族を表しています。

このように随所に日本のルーツを解き明かす鍵が当たり前のように存在しています。

太古の時代に何段階にも分かれて日本に亡命してきた10支族と2支族との古代イスラエル

12支族の1団の中にはダビデ王朝の王もいた可能性が極めて高いですね。

当然ながら日本にはダビデ直系の末裔がいます。日本には秘密が多いです。また日本は深いです。それ故に本当の日本の姿を知っている世界権力から日本は狙われ続けたのでしょう。

実は日本こそが聖書の国です。

聖書に書かれている場所はシナイ半島やエジプト辺りですが、そこにいた人々は大和民族の祖先ですから、つまり日本列島に亡命してくる前の大和民族の祖先のことが記されているのが聖書です。

大和民族は古代ヘブライ語でヤゥマトと言います。それはヤハウェの民という意味で、直訳すれば神の民という意味になります。ですから日本は聖書の民ということになります。

聖書もいつしか西洋権力により改竄されてきたのです。

日本人として少しずつ日本の紐解きをしていきたいですね。

事実は小説より奇なり、です。


壮大な古墳の仁徳天皇陵。前方後円墳の周辺には常に水が絶えることなく満ちています。

この水利技術は12支族のものですね。

また、私達が教科書などで認識してきた仁徳天皇陵は上から見るとまるで鍵穴の

ような形をしています。しかしこれは故意に逆さの姿を植え付けているように思えます。

仁徳天皇陵の本来の姿は私達が認識してきた鍵穴の姿を逆に逆さにしたものでしょう。

鍵穴のようは形の前方後円墳を逆さにすれば全く違った形に見えます。

その形こそマナの壺です。

仁徳天皇陵は日本の最高国家機密である聖櫃、アークに納められている3種の神器の1つであるマナの壺を形作ったものだと言えます。

瀬戸内海を東に進んできて大阪湾に突き当たり、そこから南下した一帯にあの古代の当時に壮大な陵墓を築いた、しかもそれは上空から見た形がマナの壺を形作ったものであるという、とてつもない実力者の陵墓だと推察できます。

きっと天から見てマナの壺だと認識できるように設計したのでしょう。

人を対象にしているのではなく見せる対象はきっと天だったのでしょう。

従って人々が仁徳天皇陵を見に行っても横からしか見れないために鬱蒼と茂る木々の杜にしか見えず上空からの全体像は決して人の目線からは見えないように設計されたのでしょう。

近年、あれを仁徳天皇陵と言わせないような力が働き大仙古墳群と言わせようとしていますが何やら日本を封じ込めたい勢力の邪悪な企みのように思えてきます。

大和朝廷を形成していったのは間違いなく12支族でしょう。

私の認識では蘇我氏の祖先はダン族です。蘇我氏を遡ると竹内宿禰に至りますがその竹内宿禰の母方は紀氏に至ります。

紀氏は極めて古い一族で、和歌山市北部に壮大な紀氏の古墳群があり、とてつもない勢力だったことを感じます。

和歌山がかつて紀のくにと言われた名称の由来はこの紀氏から来ていると感じます。

12支族で形成された大和朝廷に従わなかった勢力がありましたね。

それは筑紫、或いは南九州、或いは東北地方。

勝者が記す歴史ではこれらを「征伐した」と記しこれらの勢力地を「まつろわぬ人々」とか東北については「蝦夷」と蔑称で呼称していますね。

大和朝廷に従わなかったという事は12支族ではない別の一族だったという事でしょう。

日本は深いですね。日本を紐解くには壮大な時間を要します。

青森県のかつての戸来村にはイエス・キリストの墓が整備されています。

潮の流れに乗って日本海経由で青森県辺りにも様々な一族が辿り着いていたでしょう。

四国の山地もそうですが青森県のかつての戸来村の人々も昔の方々の顔写真を見ると普通の日本人の人相とは明らかに違います。どこかメソポタミアの人々の顔の相のようです。

そういう視野から四国も東北も紐解いていきたいですね。

東北地方は美人が多く顔の彫りも深い人々が多く扁平な顔の相が多い関西とは明らかに顔の相が違います。私は東北地方は好きで朴訥寡黙な東北人は好きですね。

さて、岩手県北部に古くから伝わる面白い盆踊りの歌詞があります。

ナニャトラという意味がよく分からない歌詞ですが例に漏れることなく日本語では意味不明でも古代ヘブライ語の発音で見れば意味がある歌詞でしょう。

岩手県北部に伝わる盆踊りナニャトラは、

ナギアド    前方へ          ヤーラヨー   エホバ進み給え

ナギアド    前方へダビデ       ナサレダーテ  仇を払わんとす

サーイエ    ユダ族の先頭へ      ナーギャッツ  エホバ進み

ヤーラヨー   給わんことを

という大意になるとのことです。これは大和朝廷が蝦夷征伐に際して朝廷軍に

歌わせた軍歌だそうで、これが蝦夷征伐の最後の地だった岩手県北部に死者を供養する盆踊りの歌として今に伝わっているとのことです。

東北から歴史を紐解くことも日本が見えてくることになりますね。

様々な歴史が刻まれて今になっているという事を改めて感じます。

日本人として日本を紐解いていきたいですね。知る喜びは生きる指針と力になります。


Facebook清水 友邦さん投稿記事「東北夏祭り」

先住民の社会では危機に陥ったとき祭りをおこないます。火を焚きそのまわりで歌い踊って、エネルギーを発散させます。

祭という儀礼をおこなうことで不安や怒りを解消して、心身の危機を克服します。

祭にはストレスから身を守り、元気を回復する変容と統合とよばれる機能が、そなわっています。

ニーチェは近代合理主義をアポロン的と呼び、人間本来の生命力の豊かさや力強さを回復させるにはディオニュソス的な熱狂・興奮が必要なことを語っています。

人間は地(ガイア)へと帰すべき物質の身体と神の子ディオニュソスの神性を持っています。

ディオニュソスの狂乱は理性的な自我の壁を取り払うことで恍惚となり肉体から魂が解放され生命の根源である神と出会うことにありました。

ディオニュソスの密儀では酒と音楽と踊りによって恍惚となる死と再生の儀式を行っていました。

ディオニュソスの象徴は生を無条件に肯定して楽しむことでした。

そして、その歓びは苦しみと分ちがたく結びついていました。

死の恐怖と痛みに向き合わなければ再生は起きません。

この上ない至福や喜び、崇高な魂の世界は死の運命を受け入れ恐怖や苦悩を超えるところにありました。

現代人はピラミッド社会の底辺で機械人間にされ、神聖なものと繋がりが断たれて生命力を消耗しています。

自分が誰であるかすっかり忘れてしまっています。

祭りが本来の野生の姿を取り戻したとき、大地から上昇するエネルギーが魂を甦らせるでしょう。

残念ですが今年の夏祭りは中止になりました。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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