カグツチの磐座

https://ameblo.jp/navihico-8/entry-12692252362.html  【山背国の愛宕山めぐり③ ~カグツチの磐座~】より

愛宕(あたご)神社から表参道ではなく月輪寺(つきのわでら)ルートで下山してゆくと、すぐ磐座がありました。

とても見事な巨石群でおもわず息をのむほどの美しさです。

祀られているわけでもなく案内板もないのですが「カグツチさまの磐座だ」と思いました。

もしかすると、ここが『カグツチの墓所』かもしれません

カグツチとは、愛宕神社のご祭神です。古事記・日本書紀では「軻遇突智」「迦具土」

と書かれるようですね。

火を司る神として「火産霊(ほむすび)」ともいわれるようです。

火の象徴である自然神(しぜんしん)とされるようです

記紀によれば、イサナミはみずから産んだカグツチの火に焼かれてなくなったといいます。

母・イサナミがなくなるきっかけとなったことから、カグツチは「仇子(あだこ)」といわれそれがいつしか「愛宕(あたご)」になったともいうようですね。

ただし、記紀では怒った父・イサナギに斬られてカグツチもなくなったといいます。

イサナミの墓所とされる花窟(はなのいわや)神社にはカグツチの磐座があり、そこがカグツチの墓所でもあるそうです。

しかし、ホツマツタヱではカグツチは斬られることなく生きながらえたようです。

ホツマツタヱには『みくまのの みやまぎやくおのそかんと うむほのかみの かぐつちに

やかれてまさに おわるまに』とあり、

「母・イサナミは隈(くま・厄)がおりた熊野(くまの)の地で山を焼く(やく)ことで

厄(やく)を祓っていたところ火の神・カグツチに焼かれてなくなった」といいます。

ですから、イサナミがなくなったのもカグツチに焼かれたという[事件]ではなく

山焼きの火まかれたという[事故]だったようですね。

また、「うむ」は「産む」ではなく「任命する」ということで「火を司る役職」に「任命された」ということのようですね。

さらに、「火(ほ)の神」は「穂(ほ)の守」でもあり田畑に関わることばでもあるようです。

山焼きをおこなったのは農地をひろげるためで、ソサノヲが荒らした田畑の収穫高をおぎなうための開墾だったようです。

つづけて『うむつちのかみ はにやすと みづみつはめそ』とあり、これも

「カグツチにつかえる 土(つち)の守に任命された 『ハニヤス』は土(はに)を肥やした(やす)。水(みつ)の守に任命された『ミツハメ』は田畑に水を満たして(みつ)

種・苗を埋めた(はめ)」となるのでしょう。

これが、いまでいう土の神・埴安(はにやす)水の神・罔象女(みずはのめ)のようです。

『かくつちと はにやすがうむ わかむすひ』「カグツチとハニヤスによって作物の守に任命された『ワカムスヒ』は作物が芽をだし(沸・若・わか)収穫するまでの(結・掬・むすび)育成をになった」これが、いまでいう稚産霊(わくむすび)のようですね。

『くひはこくわに ほそはそろ これうけみたま』「収穫・貯蔵の守に任命された『ウケミタマ』は食物(うけ)を収穫して 倉に留めた(みたま)。これによって冬には養蚕をおこない

ひとびとはより豊かになった」これが、いまでいう宇迦之御魂(うかのみたま・倉稲魂)

なのでしょう。

つまり、カグツチが山を焼いて農地をひろげ

ハニヤスが土地を耕して肥やし

ミツハメが水をまいて種を植え

ワカムスヒが育成して

ウケノミタマが収穫・貯蔵したという

土地の開拓について描かれているようです。

専門職を任命して農法をひろめたのかもしれません。

ちなみに、「畑」という漢字は国字(日本固有の漢字)だそうです。

「火」と「田」で、「畑」となるのもカグツチによるのでしょうか爆  笑

ともあれ、イサナミがなくなったあともイサナミの思いは継がれてひとびとは豊かになったようです。イサナミがなくなったのは[事故]ですから、カグツチも討たれることなく山焼きによって農地をひろげる方法をハニヤスとともにひろめたようですね。

天照大神の孫・ニニキネの代には『かくつちかみと はにやすめ ちなみてよろの おころうむ』

とあり、「カグツチとハニヤスは ふたりで力をあわせておおくの『オコロ』を任命した」

とあるようです。

「オコロ」とは、龍(たつ)になりそこねて穴に暮らした「土竜(もぐら)」のこととされるようですがいまいちよくわかりません。

宮(社)の地(土のなか)を清めるイカスリ守として摂津国一之宮・坐摩(いかすり)神社で祀られています。

また、オコロの首長である兄弟はイクシマ・タルシマと称えられ難波大社(生國魂神社)などで祀られているようです。

さらに、「オコロ」は国生みの「オノコロ」にも通じていてそこから、土地を平定することを「コロす」ともいったようです。

もしかすると、農地を荒らす土竜など獣害対策をする一団だったのかもしれません。

ひとびとの暮らしのためとはいえ強引に農地を広げてゆけば問題もあったことでしょう。

そうした、開拓者の筆頭としてカグツチがいたのかもしれません。

天孫・ニニキネにつかえた竈神・オキツヒコがまとめたという「火水土(みひつ)の祓い」には『もしもひけがれ あらんとき かぐつちのかみ あらはれば たとへおたぎの かくやあれ

さらにひうちの あらためて きよきあたごと しきみより みかまときよく まもるべし』とあり、「もしも火の汚れがあったなら カツグチが司る火にあやかりなさい。たとえ火焚きによって 竈が汚れ臭いがきつくなっても ふたたび火をうち あらたに火をきりだすことで 清らかな二度目の火と しきみの木によって 竈はふたたびきれいになり 汚れや悪臭から守られます」

ということのようです。

ここには、「あたご」「しきみ」など愛宕神社に関することも残されているようです。

どうやら、「あたご」とは「二次燃焼」のことらしく煙を焼ききって無害化したり

竈の煤も焼ききって払うことのようですね。

竈を守るということはひとびとの食を守ることで調理の火や浄化の火とされたようですね。

山焼きの火が転じて食の火となったのでしょうか?

また、ニニキネが京都盆地の開拓をおこなったときには『なるかみお わけてしつむる

かくつちと みつはめおうむ あおいはと かつらにいせの みことのり』とあります。

鳴神(なるかみ)とは雷(いかづち)のことで、「ナルカミ」は「稲成る神」で

「イカヅチ」は「活か土」であり古代では、雷をあえて田畑に落とし大地を活性化させていたともいうようです。

また、雷は雨とともにあらわれて落ちると火をふくことから「雷」は「火」と「水」からなるとされたのかもしれません。

雷までも利用して盆地を開拓して(カグツチ・火)池をつくった(ミツハメ・水)ことから、「雷を別けた」といわれたらしくニニキネは、別雷神(わけいかつち)として称えられたといいます。

これが、いまの上賀茂(かみがも)神社であるようです。

賀茂神社では葵が神紋であり鴨川の源流ちかくにある貴船(きふね)神社では桂が神木になっています。

ホツマツタヱによると貴船神社はミツハメの社といわれたようですね。

であれば、対となるカグツチは京都盆地の最高峰である愛宕山に祀られたのではないでしょうか?

嵯峨野(さがの)の一帯は、秦(はた)氏ゆかりの地ですからウカノミタマとも縁があるようです。

面白いのは、愛宕神社と上賀茂神社はほぼ同じ緯度にあるようです。

さらに、面白いのは亀岡盆地には同じ緯度に出雲大神宮(いずもだいじんぐう)

があるようです。

出雲とカグツチにはなみなみならぬ関係があるのでは?とぼくは思っています。

出雲の大山がカグツチの出身地ではないでしょうか?

また、カグツチがヒの神やホの神とされるのはト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの8王子のうちヒの尊やホの尊の末裔だからでは?と思っています。

そして、そんな尊い身分のかたとイサナギは不義をおかしたのでは?と考えています。

ソサノヲというのはイサナギ・イサナミの子ではなくカグツチ・イサナミの子だったというのが、ぼくの持論です。

こちらの動画の、『15:17~ 持論・カグツチ』でも話していますのでご参考いただければと思います。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000