https://tb.sanseido-publ.co.jp/column/ltl/kotomana06/ 【俳句における「間」】より
長谷川 櫂 俳人
俳句誕生の背景
「家は夏向きに作るのがよい」―兼好法師は『徒然草』の中でこう言っています。じめじめして蒸し暑い夏は,ユーラシア大陸のいちばん東に位置し,海に囲まれた日本がもつ特徴的な気候です。夏をいかに過ごすかを日本人は昔から真剣に考えてきました。兼好法師のこの言葉は,家の作りのみならず,日本の文化全体にかかわるものでした。
日本は大陸から伝わる文化的なものを取捨選択して取り込んできましたが,そのなかで「暑苦しい」ものはことごとく捨て去られていきます。日本人にとって「涼しげなもの」でなければ文化としては根づかなかった。
例えば,仮名文字。中国から伝えられた文字,すなわち漢字を日本人も書き言葉に用います。『万葉集』ももともとは全部漢字で書かれていました。漢字ばかりがずらりと並びます。それはものすごく暑苦しいわけです。もっと涼しげな文字がほしくなる。漢字を簡略化したものでないと,日本人としてはとても耐えられない。そう考えたかどうかではなくて,文化の志向がそうなっているんです。そうして仮名が生まれた。
日本の初期の書,例えば空海の書も,中国の文献のように漢字がきちっと並んでいました。時代が経ってくると,小野道風のように横のラインが崩れていきます。字と字の間にたくさんの空白をつくって,一つの歌を書いていくことが主流になってくるんですね。書における「間」が生まれてくる。今も,俳句や和歌の書は,そのように書かれます。
絵画も同様。中国は基本的にリアリズムの国ですから,木一本からラクダの脚まで克明に描きます。西洋の絵も,空白があると未完成な絵として扱われてしまいます。セザンヌの絵は塗り残した部分が多いので,長い間,未完の絵とみられてきました。
ところが,日本人の絵は,描きたいものを描き,周りは空白のまま残しておく。長谷川等伯の松林図屏風がそうですね。
町を描くときにも,ヨーロッパの画家ブリューゲルは家並みを克明に描きます。日本人はすべて描くことはない。例えば,京都の町の中に「金の霞」という雲を描きます。実景にはない空白――「間」を描いて,日本人はやっと落ち着く。落ち着くとは,涼しい感じがするということです。
音楽や建築も同じ。こうやって「涼しげな」方向へ文化が創られていきました。
詩歌も例外ではありません。長々と言葉を使うのではなくて,短く言えればそれに越したことはない。言葉は人と人をつなぐもの。心が常に繋がる,相手のことが常にわかるというのは「暑苦しい」ことなんですね。遠ざけておけば,暑苦しくはない。これが日本人の言葉に関する感じ方です。
日本人の言葉への向き合い方,コミュニケーションのあり方は,大陸の国々とはずいぶん異なります。大陸では言葉の違う民族が接しあう。文化様式が異なる人々が行ったり来たり,通商や戦争,常にいろいろな民族が接しあいます。相手の考えをきちっとくみ取ったり,自分の考えを伝えたりするには,互いに言葉を尽くして,自分の考えを説明し,相手の言うことも聞く。これが大陸的なコミュニケーションのあり方です。
これに対して,日本は同じ日本語なので,方言があってもだいたい通じてしまいます。文化様式も互いに似通っているので,詳しいところまで説明しなくてもいいのではないか,わかりあえるのではないかと考える。実際にわかりあえているかはわからないけれども,そういう考え方が日本の詩歌の背景としてあった。このような気候風土,文化や考え方のなかで,俳句も誕生してくるわけです。
「切れ」と「間」
俳句は,五七五の17拍(音)が全部言葉で埋まっているように見えますが,句の前後とその句の中には,膨大な空白,言い換えれば「間」があります。
その「間」を生み出すのが「切れ」。「切れ」によって言葉を切断して,涼しげにつくっていく。そして「これだけ言えば,あとはわかりますよね」と。これが俳句の基本的な考え方です。
「古池や」とここで刻むことで,「蛙飛び込む水の音」との間に「間」が生まれる。その深い「間」によって,単に「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」というのではなく,蛙が飛び込む音によって芭蕉の心に浮かんだ「想像上の古池」と「現実の水音」という次元の違う二つのものが響きあって,詩の世界が立ち上がってくる。
この「古池や」の「や」を「切れ字」といいますが,切れ字は,俳句に「切れ」を生む一つの言葉の手法で,「や・かな・けり」などがあります。しかし,「切れ」は必ずしも切れ字を必要としません。これはあまり教えられていないことですが,「切れ字」を使わなくても俳句は切れます。
山口素堂の「目には青葉山ほととぎす初鰹」には切れ字が一つも使われていません。名詞をぽんぽんぽんと並べているだけですが,「目には青葉/山ほととぎす/初鰹」と,句の中が三つに切れています。名詞に限らず,俳句ではすべての言葉は「切れ」を生み出すことができる。そのなかで「切れ」を生むために特別の使命を負った言葉が切れ字です。
先に,俳句は句の前後とその句の中に「間」があるとお話ししましたが,俳句の「切れ」といえば,「古池や/」「目には青葉/」などの「切れ」,すなわち句の中の「切れ」にのみ目が向けられてきました。句の前後の「切れ」については,『一億人の「切れ」入門』(角川学芸出版 2012)を出す前までは,俳人の間でもほとんど注目されてこなかったものです。句の「前後で切れる」はどういうことか。
例えば,『おくのほそ道』では,文章があって,俳句があって,また文章がある。文章と俳句がひと続きに書かれたように見えます。しかし,文章は論理,俳句は直観によって生まれるものですから,文章と俳句の間には見えない断絶があるわけです。直観による俳句の刃が,文章の論理の糸を断ち切っている。これが句の前後の「切れ」です。
「月日は百代の過客にして……住めるかたは人に譲りて,杉風が別墅に移るに」と論理の頭で書いてきて筆をおき,ここで詩の頭に切り換えて,「草の戸も住み替はる代ぞひなの家」と詠む。そして俳句を書き終えると再び論理の頭に戻って「面八句を庵の柱に懸け置く」と書く。芭蕉のなかでは,俳句の前後で心のスイッチが切り替わっている,日常の心から俳句の心へ,俳句の心から日常の心へという,心の調子の切り替わりが,俳句の前後の「切れ」を生み出します。
散文は説明や理屈の世界。理屈は言葉のなかでも最も暑苦しいもの。この「切れ」によって「間」が生まれ,その「間」によってこそ,俳句は俳句として,理屈から切り離された詩の世界をつくりあげることができる。
日常から切れているのは和歌も同じです。『伊勢物語』は歌物語といわれますが,地の文があって歌があり,地の文は歌が詠まれた状況を説明しています。『源氏物語』も同様で,地の文として登場人物の現実の生活を描いていきながら,そのなかで歌が詠まれます。どちらの作品においても,歌の前後には「切れ」が隠れています。『おくのほそ道』は,ずっと以前からある,こうした歌物語の伝統を引いているわけです。
「考える」ということ
切れ字の学習といえば,切れ字の代表的な種類を覚え,「この句のこの字が切れ字,この句には切れ字がない」というように切れ字の有る無しを確認するというイメージをもつ人も多いのではないかと思います。そうではなく,「なぜ俳句には切れ字というものがあるのか」という問いが大切です。
このことは,季語についても,字余りや字足らずについても当てはまることです。「これが季語,ここが字余り,ここは字足らず」と指摘して終わるのではなく,「季語が俳句に必要とされるのはなぜか」「どうしてここを五音で詠まないのか」を問うてみる。今,学校では「主体的に考える」「深い学び」ということが言われているようですが,「考える」ことの本質は,ものごとの根底に立ち返える「問い」をもつことだと思います。
https://note.com/itakurarosen/n/nd7aa9b785b2f 【俳句における「切れ」の効用 「一億人の『切れ』入門」長谷川櫂著を読んで】より
俳句入門者が教わる俳句の約束が3つあります。
1, 五・七・五の定型になっていること
2, 季語を一つ入れること
3, 切れがあること
私には、「何故俳句に『切れ』が大事なのか」よくわかっていませんでした。
著者はこう言います。
では、切れはどんな働きをしているか。
切れの働きについて、しばしば「言葉を強調する」とか「言葉を省略する」とかいわれますが、どちらも十分な説明ではありません。
切れの働きは何かといえば、文字どおり「言葉を切る」こと。では言葉を切ると何がどう変わるか。
1,切れは間を生み出す
切れが豊かな余白を生み出し、余白が言葉を生かします。
この余白を「間」といってもいい。このように俳句の切れは「間」を生み、その「間」の力によって言葉を生かす。わずか十七音の俳句が大きな世界を描けるのは切れが生み出す「間」の働きによるのです。
2,切れは季語を生かす
切れは季語を切るとき、もっともよく働き、季語の持つ豊かなイメージが一気に立ち上がる。俳句の大事な2つの要素、切れと季語は互いに相手を高め合う関係にあります。
そして著者は、切れもそれが生み出す「間」も俳句だけのものではなく、日本人の生活や文化のあらゆる分野で重要な働きをしているといいます。
ちょっと注意して観察すると、切るという行為は衣食住のあらゆる局面で見られます。
布を裁って衣服に仕立てる。魚の身を切って刺身にする。空間を障子で切って部屋を作る。切らなければ、布も魚も空間も人間の役に立たない。切ることによって「間」が生まれ、この「間」が布や魚や空間を生かしている。
文化や芸術の分野でも同じ現象が起きます。
芝居や音楽の中に広がる果てしない沈黙の時間、絵画の白いまま残され、あるいは、黄金で塗りつぶされる広大な余白。「間」というと、無意味な沈黙、無駄な余白と思われがちでが、そんなことはない。むしろ言葉や画像以上に活発に働いている。
では、なぜ日本人はそんなに「間」を重んじ、「間」の文化を築き上げたのか。
著者は日本の夏が大きな役割を果たしているといいます。
日本列島は夏になると、大量の湿気を含んだ熱風に包まれます。その結果、恐るべき蒸し暑さが何か月も続きます。この耐え難い夏をどう乗りきるか。これが昔からの大問題でした。
この国の生活や文化は夏をどうすごすかを土台にしてできあがっている。
ただでさえ蒸し暑いのに、ものともの、人と人がべったりくっついていたら、それこそたまらない。そこで、ものや人の間の距離を大きく広げる。これが「間」です。
衣服にはいたるところに切れ目を入れて風通しをよくする。料理は包丁の技を駆使する。住居は障子や襖によって空間を切ったりつないだりする。
人間関係においても、人と人との間に十分な「間」をとる。こうしておけば、相容れない人同士でもどうにかいっしょにやっていける。
芝居や音楽はひっきりなしにせりふや音を聞かされたのでは、やりきれないから沈黙の時間をたっぷりしのびこませる。絵の具をべたべた塗りつけた絵など、そばにあるだけで暑苦しいので広々と余白を残す。
俳句も事情は同じ、耐え難い夏をどうしたら快適にすごせるか。そこで俳句も「間」をとりこむようになり、「間」を生むために切れが生まれた。
日本語を学習するために日本に来た外国人が、身に沁みて実感することの一つは、「日本の夏の蒸し暑さ」でしょうし、それが「日本の文化」に直結していると説明すれば、納得性はとても高いのかもしれません。
0コメント