私のマントラとの出会いには 3つのスタイルがあります。
1・ サダナ瞑想会で 自分のマントラを作ったこと。これはいわゆる意味を重視するスートラ作りだったと思います。
マントラとは短い祈りの言葉を繰り返し唱えることと言われ音を重視する呪文をマントラ(音霊)、意味を重視する呪文をスートラ(言霊)というとも聞きます。
自分の祈りの言葉を短い祈祷文にし 丁度、意守丹田のように意識を常にそこに戻す形の瞑想でした。
2・ 善光寺のカイロプラクティクのワークショップでの体験です。
薄暗い会場には一本のローソクの炎の明かりがあるだけでした。いやでも意識が集中します。一斉に唱え始めたマントラが「オン サンマヤ サトバン」でした。 いつの間にか深い意識に入っていました。
私には今も意味不明なマントラなのに、20年近く前に 一度唱えたきりのマントラが甦ります。高野山で沢山の僧たちが マントラを斉唱しながら 参拝していたさまとも重なります。 倍音声明にあやかっていたのかもしれません。
3・三番目の体験は 密教儀式に参加し、弥勒菩薩 のマントラを口にした途端 魂が震えるような嘆きがおこり、指導員に「大丈夫ですか?」と心配されました。
それから色々なマントラに触れましが いきなり涙が溢れることが度々ありました。
一番魂を包むような懐かしく辛いマントラが 大日如来のマントラでした。
ここで体験したマントラは神仏の名を呼び、賛美をする感じのものでした。
どの体験も マントラ瞑想で深い意識に誘われた紹介となります。
祝詞、呪文、言霊、スートラ、マントラの違いはどこにあるのでしょう?
創世記は全ては言葉によって産まれたと記しています。
ヨハネ福音書の最初にも「はじめに言葉があった」と記されています。
大和言葉は音が大事、漢字は意味が大事ともいわれます。
「名」・「言葉」の瞑想は 集合無意識に出会う扉を叩くことかもしれません。
「名」・「言葉」連想ゲームで楽しむことも 集団マインドマップ作りになり 放射思考力を回復しながら グループで自分たちの集合無意識に触れ始める きっかけになることでしょう。
それをコラージュメーキングで表現する、あるいはスートラ作りをするなどの活動に展開すると瞑想からワークショップに連動するプログラムとなります。
私の言葉のイメージ遊びを記します。読んでいただけると幸いです。
<ミキシィー日記より>
命と言う字に関してマイミクさんから興味深い応答をいただきました。以下です。
命という字は「令と口に分けられます。この口は祭器を表し、礼服をつけて跪いて神の啓示を待つもの。ゆえに神の啓示を意味します。 明朝体からの解釈はやめた方がいいですよ。
ちなみに食も人を良くするのではなく、穀物を盛る器の意味です。」
<私の返信>
興味深い お話、ありがとうございます。漢字は文化の反映、 文化は人の思いの反映。
色々な解釈は面白いですね。
神の啓示を待つとは 「天命を待つ」のようにも受け取れ 食は人をよくも悪くもする故、ニュートラルな「器」が落ち着く感じもします。
優は人が憂うと書き 優れている、優しいと読む。劣は少ない力と書き 力まず 自然体の強さを感じる。偽は人の為と書き、偽りと読む。人の為は自分の為という意味でしょうか?
つい言葉遊びをしてしまいます。
言葉は左脳エネルギーであり、魂感覚を失わすとも言われますが 言霊ともいわれます。
聖書の創像物語は 言葉から始まります。
言の「葉」は「波」と置き換えれば 見事に神話と現代科学が一致します。
マイミクさんの了解を頂いてアップしました。
呼びかけ&名を呼ぶということ
「名は体を表す。」と言われます。 姓名判断も「自分がどう名乗るかで運命が大きく
左右される」と主張します。名は実体を生んでいくということでしょうか?
観測者がいなければ 現象は不明とされることと類似しています。
あなたの世界では あなたが意識したものだけが この世に存在するものとなります。
地動説を主張したガリレオは宗教裁判にかけられました!!地動説は多くのものが意識で承認して初めて真実だと言われるようになりました。 顕在意識で認めることができたものだけが 存在を許される。実態を与えられるとも考えられます。
また「名を知るとは相手に勝つこと」のようにも考えられてきました。
名の知れない化物が 化けの皮をはがされることを「名を呼ぶ」と表現するのでしょうか?
名を呼ぶことにまつわる 二つの物語の概略をご覧ください。
「大工とおにろく」 あらすじ
大雨が降るとすぐに橋が流されてしまう川があった。 困った村人たちは相談して橋造りの名人の大工に頼むことにした。
大工が流れの速い川を眺めていると、川から鬼が現れて、目ん玉をよこせば立派な橋を架けてやるという。翌日大工が川にいくと、既に橋は半分できあがっていた。
略
鬼は自分の名前を当てれば目ん玉を諦めるという。鬼の名前がわかった大工は翌日鬼に
お前の名前は鬼六だ!と言うと鬼は姿を消してしまった。鬼六の架けた橋はどんな大雨でも流されることはなかった。
「スフィンクスの謎」 あらすじ
スフィンクスの謎かけとは「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩く者とは誰のことか?」です。答えられないものは殺されてしまいます。
そこに、勇敢な若者オイディプスが通りかかります。スフィンクスはその前に立ちはだかり、同じ謎かけを問いかけました。
聡明なオイディプスは直ちに「それは、人間だ」と答えました。
スフィンクスは恥ずかしさのあまり、 丘の上から身を投げ出して死んでしまったという話です。
タロットカードの13には名前がありません。その理由を「秘伝カモワンタロット」では
「13という数字と同様、言葉に出して呼び出してはならないほど恐ろしい存在だから」だと述べています。
13日の金曜日はイエスが処刑されたとする「不吉な日」のいわれがあるからでしょうか?
旧約聖書でも神の名をみだりに呼んではならないと説きます。
いずれも名を呼ぶことの力を 連想してしまいます。
フォーカシングにおいても 「漠然とした体の感じ・フェルトセンス」にハンドリングしながら ぴったりした名前がつくとす~っとします。これをシフトが起きるといいます。
名を知ることで潜在意識と顕在意識の統合が起きるということでしょうか。
神の名を呼ぶとは 祈りの対象を定めることであり、内の神を知ることとなり神と一つになることへの希求と取れるのでしょうか。
https://ameblo.jp/yujyaku/entry-12496071304.html 【君の名を何と呼ぶべし 連作もどき】
■ 君の名を何と呼ぶべし 連作もどき
○ 君の名を何と呼ぶべし夏の花 ( きみのなを なんとよぶべし なつのはな )
○ 寺町の路地に咲くなら釣鐘草 ( てらまちの ろじにさくなら つりがねそう )
○ 風通る軒の下なら風鈴草 ( かぜとおる のきのしたなら ふうりんそう )
○ 黄昏に蛍袋と言うもよし ( たそがれに ほとるぶくろと いうもよし )
イメージ 1蛍袋(ほたるぶくろ)は、近所でも最近よく目にする。とは言っても盛りの時期を少し過ぎた感じではあるが。
本日の掲句は、その蛍袋にいくつもの別名があることを知り詠んだ句である。名前をいくつも持っている草花は他にもたくさんあるが、これらの別名は、いずれも花の姿をよく言い表しており甲乙つけがたい。
第一句は、複数の名を持つこの草花に、何と呼べばよいか尋ねた句だが、実のところ、俳句を作るにあたって、どの名前を使えば良いか自問している句である。
第二句以降は、それぞれの名前にあった状況を想像して詠んだ句。この他にも、提灯花(ちょうちんばな)などもあるが、いくつもの名前を持つ草花の場合、どの名前を使って句を詠めば良いか迷うことがある。尚、これらの名前(言葉)は、いずれも夏の季語になっている。
ところで、この植物の正式な名前は「蛍袋」のようだが、別名については、少し厄介なことがある。それは、他の植物のことを指す場合があるということ。具体的には以下の通り。
【別名が他の植物に使われている例】
釣鐘草:カンパニュラ(キキョウ科ホタルブクロ属)
風鈴草:カンパニュラ(キキョウ科ホタルブクロ属)、カノコユリ(ユリ科ユリ属)
提灯花:ヒガンバナ(ヒガンバナ科ヒガンバナ属)
したがって、俳句にこの名前が出てきた場合は、実際にどの花を詠んだのかを確認する必要がある。
イメージ 2因みに、蛍袋に関しては、過去に以下の句を詠んでいる。
まだ来ぬか蛍袋も待ち焦がれ
蛍が出る川沿いに咲いている蛍袋を見て詠んだもの。いつもの時期になっても、蛍はなかなか現われなかった。
イメージ 3蛍袋は、キキョウ科ホタルブクロ属の多年草で、原産地は、日本、朝鮮、中国、シベリア。5月から6月頃に大きな釣鐘状の花を下向きに咲かせる。花色には、赤紫と白などがある。
参考句だが、別名で詠まれているものは、他の植物を詠んだものかも知れないので、以下には「蛍袋」で詠んだもののみを掲載した。
【蛍袋の参考句】
曇り日も蛍袋の白さあり (阿部みどり女)
宵月を蛍袋の花で指す (中村草田男)
山の雨蛍袋も少し濡れ (高田風人子)
そばかすの蛍袋は野辺育ち (朝倉和江)
峡暮るる蛍袋に灯が欲しや (泉礼子)
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