ドニバトロのヒーリング体験
説法会の前に聖音波動ヒーリングを受けました。
ある日 ドニパトロ(シンギングボール)が部屋中に置いてありました。そのドニパトロの間で横になります。一斉にドニパトロが叩かれ始めました。
耳元のドニパトロが叩かれると胸が振え、叩けば振え、 叩けば振え 、叩けば振るえ!!!!聖音で震顫現象が起き 胸の詰まりが見事に取れました。
聖音法輪エンパワメントはもっと圧巻でした。ジャン!という始まりの音とともに 眉間で大きな渦が巻き 深いトランスに入り 激しい嘆きが起こりました。体を二つ折りにして嘆いて嘆いて嘆き続けました。その時、聞いたメッセージは「神が帰ってこれなくなった」でした。
私はよく嘆きましたが 感情のコントロールはできるほうです。然しこの時は放心状態になるほどでした。音楽が癒しになることは知りぬいていました。 倍音、リズム、重低音 そんなヒーリング効果は幾度も体験してきました。
クリスタルボールの深い安らぎに満ちた響も好きですが こんな効果を体験するのは初めてです。
「音はなぜ癒すのか―響きあうからだ、いのち、たましい」ミッチェル・ゲイナー(著)を桁見間違いの価格 17,800円で購入しました。
コーネル大学・統合医療プログラム所長である 彼は この著書でドニパトロのヒーリング効果を絶賛しています。
ドニバトロの波動ヒーリング効果
ドニパトロを叩くと「振動音」と同時に 「1/f 揺らぎ」が奏でられます。「1/f 揺らぎ」は 深い瞑想状態(覚醒シーター波状態)に導いてくれます。 打ち寄せる波の音、小川のせせらぎ、そよ風、木漏れ日、太陽光、蛍の光など自然界のゆらぎは例外なくこの1/f ゆらぎの特性を持ちます。モーツアルトの曲にもゆらぎの特性があるということです。
「振動音」は肉体に響きながら固有の振動数を自然な状態へ調整していきます。自然治癒力が活性化するのです。
ネパールのド二パトロは インド占星術に従い *金(太陽)*銀(月)*水銀(水星)*銅(金星)*鉄(火星)*錫(木星)*鉛(土星)の7種の金属で作られているということです。
ドニパトロの響きは、宇宙の原初音「オーム」と言われています。インド占星術に基づいた合金の、七つのチャクラに対応する響きは人体の各チャクラと、内臓の各細胞を活性化させます。
ドニパトロ・ヒーリング効果の医学的解釈
ドニバトロの波動は、細胞の機能を変化させ同調化作用によって生命のホメオスタシス機能を高め、リラクゼーションに導きます。
また感情に訴えて神経伝達物質やニューロペプチドを変化させ、それが「内なるヒーラー」である免疫系を活性化するなどヒーリング効果は多岐にわたっています。
またエネルギー医学の研究者は 環境を支配するエネルギーがレセプターを変化させることにより細胞の機能に影響を及ぼすと言っています。
いつも 怒りの中にいる子は 怒りのレセプターが増え、怒りやすい性格になることはよく知られている事実です。
人体は壮大なオーケストラと言われ 臓器は固有の周波数を持ち、痛みや疾患も 電気信号として 同様に周波数を持つと言われます。
スイスの科学者ハンス・イェーニー博士は人体の細胞には独自の周波数特性があり、すべての臓器がその細胞の周波数と倍音の関係にあると言っています。この考えを元に波動療法が色々開発されています。
【五気造化神功 】
人体は壮大なオーケストラと言われ 臓器は固有の周波数を持ち、痛みや疾患も電気信号として 同様に周波数を持つと言われます.
スイスの科学者ハンス・イェーニー博士は人体の細胞には独自の周波数特性があり、すべての臓器がその細胞の周波数と倍音の関係にあると言っています。
五気造化神功は臓器に五気(木・火・土・金・水)の エネルギーを送る瞑想です。
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木 火 土 金 水 丹
臓 肝臓 心臓 脾臓 肺臓 腎臓
腑 胆 小腸 胃腸 大腸 膀胱
色 青 赤 黄色 白 黒
味 酸っぱい 苦い 甘い 辛い 塩辛い
身体 筋肉 血管 肉 皮膚 骨
感情 怒り 喜び 思考 悲しみ 恐れ
・
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木→火→土→金→水→丹の順に 各臓器(肝→心→胃→肺→腎→丹)に手を当て、五気の名(木→火→土→金→水→丹)を呼びながら
1・各臓器の色、味などをイメージして一周。
2.各臓器が振動しながら光で輝くイメージで一周。
3.生命エネルギーで元気になるイメージで一周。
4・濁ったエネルギーが抜けて 清いエネルギーが入ってくるイメージで一周。
5.自然にたとえて(木:森、火:太陽、土:大地、金:麦の穂、水:海)一周。
6・各臓器に 愛と感謝を送る。
https://fragie.exblog.jp/31386253/ 【俳句に微かなゆらぎをおもいみる。。】より
国立・谷保に咲いていた鶏頭。毎年ここに立ってこの鶏頭に向き合う。
この日、わたしは鶏頭に指をふかく差し入れてみた。その感触を確かめたかったからである。
「鷹」10月号を送っていただいた。
編集後記に編集長の髙柳克弘さんが、今年度の「田中裕明賞」について書かれている。
その部分のみ抜粋して紹介したい。
(小川軽舟)主宰が十回まで選者を務めてきた田中裕明賞。選者がかわってはじめての第十一回の選考に、佐藤郁良、関悦史、髙田正子の各氏とともに臨んだ。オンラインによる選考会であったが、じゅうぶんに意見を述べ合って、素晴らしい句集を推せたと思う。受賞句集は、生駒大祐『水界園丁』(港の人)。この句集もまた、未来の誰かにとっての「自分にとって大事な作品」に成り得る作品だろう。
今年度の「田中裕明賞」について、授賞式、記念吟行会、お祝いの会について、正直頭を悩ましている。
受賞された生駒大祐さんの顔を日々思い浮かべながら、どうしたものかと思案している。
対コロナについて規制がゆるみつつあることは事実であるが、ふらんす堂はあくまで慎重に行きたい。人間の命にかかわることであるとおもっている。
冊子「田中裕明賞」の制作はすすめております。新刊紹介をしたい。
國清辰也句集『1/fゆらぎ』(えふぶんのいちゆらぎ)
四六判ハードカバー装帯あり 160頁 2句組
著者の國清辰也(くにきよ・たつや)さんは、1964年佐賀県生まれ、現在は茨城県水戸市在住。1994年「梟」に入会し、矢島渚男に師事。「梟」同人。集名の「1/fゆらぎ」は「エフぶんのいちゆらぎ」と読む。この変わったタイトル、そして収められた俳句を読む前に、読んだあとでもいいが、巻末の著者略歴に記された学歴に目を通すと、極めて優れた理数系の頭脳の持ち主であるがわかる。本句集は第1句集であり、矢島渚男主宰が跋文を寄せている。逆編年体で編まれ、2020年から1996年までの作品が収録されている。このことを跋文を書かれた矢島渚男氏は「逆年順の配列にも決意を感じさせる。」と。
この句集名はいったい何を意味しているか、まずは知りたいところである。
「あとがき」を紹介しよう。
題名の1/fゆらぎは、エフぶんのいちゆらぎと読む。fはfrequencyの略で周波数を意味する。万物は固有の周波数を持っており、それらには微かなゆらぎがある。1/fゆらぎは、微かな変化のうち、人間に安らぎを与えるリズムに相当する。例えば、人の歩行、心拍、脳波、波、ビッグバンの残照として届く電波等の自然現象に広く観測されている。
俳句に微かなゆらぎをおもいみることがあり、また字面が面白いので、本句集所収作品中の一句、
万物に1 / f ゆらぎ秋
から採って題名とした。
そういうものなのか。。とわたしなど目を瞠るばかりである。計り知れない領域だが、万物に「微かなゆらぎ」があると思うと、世界がまた別の様相を呈してくるようで悪くない。
矢島渚男主宰の跋文を紹介したい。簡潔なものであるが、充分に意を得たものだ。
秋のいろぬかみそつぼもなかりけり
という句が芭蕉にある。元禄四年晩年の作とされる句である。糠味噌壺もない晩年の暮らしに配された「秋のいろ」。この「いろ」は秋の色彩と解してもよいが、「物事の表面に現れて人に何かを感じさせるもの」という意味として、けはい・兆しの意味としてよいだろう。この秋のけはいを現代物理学を学んだ國清辰也は周波数の揺らぎとして、
万物に1 / f ゆらぎ秋
と表現した(1/fはエフぶんの1と読む)。果敢な試みと言って良い。
芭蕉の俳句と、國清さんの俳句を響きあわせるとはさすがの矢島渚男氏である。
万物に1 / f ゆらぎ秋 鶯や空気ますます新しく
戦火遠く電気毛布を調節す 馬の尻てらりてらりと栗の花
夏痩せて舌いちまいの重さかな
担当のPさんが好きな句である。 夏痩せて舌いちまいの重さかな
この句はわたしも面白いとおもった一句だ。本句集を読んでいくと、重さや距離(時間的、空間的)などを意識させる句がある。作者はそういうことに極めて敏感なのかもしれない。舌に重さがあるとは日常的にはほとんど意識したことがない。いまだってわたしの舌は口の中できわめて軽快に位置している。重さがあるのだろうかっていま舌先を動かしてみたが、闊達によくうごきまず重さは感じない。しかし、夏痩せとなってしまった。こうなると頬もこけ、口を開くのも億劫になってくる。地球の重力に舌が引っ張られていくような辛さである。「舌いちまいの重さ」が極めてリアルになって説得力をもった句となった。ほかに「たましひはふぐりのあたり雪催」という句があって、「たましひ」に重さがあって「ふぐり」のあたりで留まっているというのがおもしろくきわめて俳諧的。
馬の尻てらりてらりと栗の花
「夏痩せて」の句も初期の句であるが、こちらも作者初期の句である。この句は、「栗の花」の季語がよく合っていると思った。厩舎の近くに栗の木が植えてあって、栗の花が咲いている。夏の暑い時期のことだ。むんとむせ返るような厩舎に馬たちがいる。その馬の尻が強い光線に照らしだされて光っている。「り」音の繰り返しがリズミカルで調子よく、読み手の心に気持ちよい波動をおこす。
人体は味はひ深し黴にほふ
これは前半にある句で2018年のもの。「黴にほふ」で面白い一句とみたが、考えてみると「人体は味はひ深し」という措辞は、観念ではわかるような気がするが、いったいどういうことだろうかとはたと思ってしまった。たとえば人体というものを研究していけばその創造物としての素晴らしさに感銘をうける、などということは聞くが、そんな通り一遍のことか。あるいは夏の夕暮れに、わが腕をこう持ち上げてみてぐるんぐるんと回して、なんとよく出来ていることか、と思ったり、鏡のなかの顔をながめて目鼻立ちの造作とその働きに感銘したり、蚊にさされたところから微かに滲む血の色になにゆえ血は赤いのだろうかと疑問におもったり、しかし、これはまだまだ初心者の域を出ないような気がする。國清さんという作者は、万物にかすかな揺らぎを見出すことのできる方なので、きっと人体への味わいの仕方はさらに複雑にして繊細なのかもしれない。この句、「黴にほふ」で俄然、人体への夢想は現実に引き戻されてしまう。「黴」もまた生き物であり、「黴にほふ」としたことでこの一句に複雑な味わいを与えた。
何もせぬ手を洗ひをり春の暮
この一句も不思議な一句だ。重力を感じる一句である。手の重たさをとおして、心の重たい春の夕暮れをおもった。「何もせぬ」と言ったって何かはしただろうとは思うが、多分「役立つことのない無為の手」と作者には思われたのだろうか。だらりと無駄に垂れ下がった手。それを洗っている。水も重たく、暮れてゆく気配も肩に重たい。春愁であるが、それを肉体の一部をとおして実感しているのだ。「春の暮」であるからこその一句だ。
一九九六年から二〇二〇年早春までの作品から二百七十句ほど集めた。初めての句集である。所載の句のほとんどは、俳誌「梟」に掲載された句である。
矢島渚男先生には御選と跋文を戴くことができた。頭を垂れるのみである。
ふたたび「あとがき」を紹介した。
本句集の装幀は、君嶋真理子さん。素敵であるがなかなかむずかしい集名を君嶋さんらしくデザインした。題字はツヤ消し金箔。
岩盤に楔一列日の永き
永い試行錯誤が漸く結実をはじめたかに思われ、これからに大いに期待をいだかせる。型にはまらず新しい視点を持った楽しみな作者である。(序・矢島渚男)
秋の声別の自分にすれ違ふ
今日仕事場にくるとき、ふっとこんな感覚をもった。「秋の空」でもなく、「秋の暮」でもなく、「秋の声」で自分のなかにある「違和」のようなものが呼びおこされる一句である。
マノマノ稲穂@manomano_farm
疲れたら「炎」を見つめるといいです。科学的にも証明されていて炎がもつ「1/fゆらぎ」が人の生体リズムと共鳴するそうです。「1/fゆらぎ」とは、そよ風、せせらぎなど自然界によくある周波数のことで、脳波を心地よいアルファ波の状態に整えてくれます。なにも考えずにぼんやり炎を見つめてみよう
https://club.informatix.co.jp/?p=1994 【1/fゆらぎとは|心地よさとの関係】より
こんにちは、インフォマティクスの空間情報クラブ編集部です。
「黄金比」のコラムでは、空間を居心地よくする要素「黄金比」を旅しました。人が黄金比を心地よく感じるのは、それがDNAに仕込まれているから。
今回は、自然界に仕込まれた心地よさを感じさせる要素「1/f(えふぶんのいち)ゆらぎ」を旅したいと思います。
「ザー」という音にも違いがある
パソコンのスピーカーから出る「ザー」という音、雨が降るときの「ザー」、打ち寄せる波の「ザー」。文字で書くと同じですが、空間や人に与える印象はそれぞれ異なります。
喫茶店で人を待つときも、白い壁を見るしかない場合と、熱帯魚の水槽がそばにある場合とでは、時間が流れるスピードも違うように感じます。
なぜパソコンから出る「ザー」はうるさく感じ、雨や波の「ザー」はうるさく感じないのでしょうか?
なぜ熱帯魚のいる水槽は見る人の心を穏やかにするのでしょうか?
癒しやリラックスと1/fゆらぎ
自然界に存在するものには、必ず「ゆらぎ」があります。一定に見えても厳密には一定でありません。
ゆらぎのない自然物はないということです。
ゆらぎが大きいと意外性・突発性が高く、次に何が起こるか分からないので人は不安になります。逆にゆらぎが小さすぎると、安心ですが単調で変化がないので飽きてきます。
1/f(えふぶんのいち)ゆらぎは、規則性と突発性、予測性と逸脱性が適度に組み合わさったゆらぎで、居心地のよい空間と情報を与え、人の心を落ち着かせるといわれています。
1/fゆらぎ(エフぶんのいちゆらぎ)とは、パワー(スペクトル密度)が周波数fに反比例するゆらぎのこと。ただしfは 0より大きい、有限な範囲をとるものとする。
(出典:Wikipedia)
ゆらぎの歴史
ゆらぎについて物理的、数学的観点からざっとおさらいしましょう。
自然界に存在する「ゆらぎ」が発見されたのは、ほんの80年ほど前。電気的導体に電流を流した時の抵抗値が一定にならず、不安定に揺らいでいることによるものでした。
光、音楽、電気信号など波長を持つものや、蝶、魚、風、炎など動くものは、波形や軌跡をフーリエ変換によって正弦波の和に分解できます。
複雑な波形も、周波数(f:振動の多さ)やパワー(P:振動の幅)の異なる大小さまざまな正弦波が合わさったものであることがわかります。
これを周波数の小さい順に並べた時、パワーが傾き45度のきれいな反比例になるものを「1/fゆらぎを持つ」といいます。
つまり、高音や動きのすばやいものはパワーが小さく、低音や動きの遅いものはパワーが大きく、しかもまんべんなく配分されている波形や動きが1/fゆらぎを持つものの正体なのです。
モーツアルトと1/fゆらぎ
1/fゆらぎがあるといわれるモーツアルトをあらためて聴いてみました。
不要なものを捨ててきれいに片付いた室内にモーツアルトの楽曲『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』が響いたとたん、空間が安心感に包まれリラックスした気分になりました。
1/fゆらぎは別名「ピンクノイズ」とも呼ばれていますが、そのあたりにも秘密がありそうです。
焚火やろうそくの炎、小川のせせらぎ、木々のそよぐ音。それら1/fゆらぎを持つものを眺めたり聴いたり感じたりしていると、時(とき)を忘れます。
1/fゆらぎに、対極ともいえる「規則正しく刻んでいる時間」を忘れる効果があるとは何とも不思議です。
ゆらぐと困るもの
文明が進化すればするほど、人はゆらぎを排除しようとしているように見えます。
手作りから工場生産での規格品へ。野菜も大きさをそろえて出荷。森を伐採して公園にし、等間隔で街路樹を植える。
大量生産や工業規格などによって作られる人工物は、いかにゆらぎ(規格外)を排除するかに努めています。
日常生活でゆらぎがあると困るものの代表は、階段。たまに最下段だけ微妙に段差が違う階段に出会うと、つまずきますよね。
定規や秤などの計測器もゆらぎがあっては困ります。
時間の刻みにはゆらぎがありません。しかし天体の軌道運動をはじめ、宇宙を形成するあらゆる分子の動きにはゆらぎがあります。
時計は、これら天体が本来持つ小さなゆらぎを修正して人工的に刻ませているのです。
ゆらぎのメカニズムがわかれば、人工的にゆらぎを作ることもできます。街路樹を1/fゆらぎの間隔で植えたり、シンセサイザーで完璧な1/fゆらぎ音楽の作曲もできます。
しかし、1/fゆらぎを持つものが必ずしも心地よいとは限りません。時と場所、心理状態によっては鳥の声や風鈴をうるさく感じたり、風や波の音が気になって眠れないこともあるでしょう。
人が空間から受け取っている情報は一方通行ではないことを、ここでも感じます。
黄金比と同様「なんだか心地いい」と感じるものが、結果的に1/fゆらぎを持っているのかもしれませんが、逆は必ずしも真ではない。
モーツアルトやバッハも1/fゆらぎを計算して作曲したわけではありません。心地よいと感じる内的衝動に駆られて曲を創り、その結果1/fゆらぎになったのです。
1/fゆらぎが心地よいのはなぜか
人間の心拍リズムにも1/fゆらぎがあります。
正常に動いている心臓は単に規則正しく鼓動を打っているのではなく、1/fゆらぎを持って人間の生命を営んでいるのです。
脳波のα波の周波数ゆらぎに代表される生体リズムもそうですし、そもそも人の神経細胞が発する生体信号の電気パルス間隔は1/fゆらぎだといわれています。
黄金比と同じく、人が心地よいと感じる原因には生体に埋め込まれた情報が関係しています。
1/fゆらぎは宇宙万物の動き方の根本法則に似たものとされていますが、その根源はいまだに謎です。
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