はたらくとは何か――ビルと爺イとサイコパス

http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3544&syosekino=15984 【その143 大場政夫に殴られた男】より

No.3544 ・ 2022年05月28日

■ボクシングファンの私にとって、ビル管理に入り、一つだけ得をしたことがある。

 日本のボクシング史上で、最も人気のあるボクサーは誰か。名高いとか、功績があるとか、名選手とかいった言葉は、野球やプロレス、その他のスポーツに比べて、怖ろしく似つかわしくないものであるのが、これはどうしようもなく大場政夫である。ボクシングに関しては、その他の名前を、“浪速のロッキー”赤井英和であろうが、日本ボクシング冬の時代のヒーロー高橋直人であろうが、人気選手は数多いるけれども、記憶に残るノックアウトもいくつもあるけれども、劇的な存在としても瞬間風速でも、それら全部の頂点に君臨するのが、大場政夫であり、これこそ異論のないところであろう。

 その大場と一緒に少年時代を過ごした男が同僚にいたのである。大場と一緒の学校で、同じ足立区で育った通称「ラッキョウ」だ。今は別会社のビル管だ。

 大場政夫は元木町、ラッキョウは関原で隣どうしだ。私はかつて西新井本町で「西新井最大」のビデオ屋をやっていた(住んでいたのは栗原)ので、そのあたりの町の状況や住んでいる人間、地域事情に詳しい。妻が足立区最大手の不動産本社勤務でもあった。有名な芸能人の実家も知っているのは当たり前で、どんな芸能人も元は無名の一般人として、普通にビデオ屋の会員である。問題が多い地域なので、西新井警察署の刑事も店にやってくる。

 ラッキョウは大場政夫(三男)の五つ下の伊三郎(四男)と同級生で、伊三郎は、少し能力の劣る子でオカマのような振る舞いもあって、いじめられていた。その逆襲にいつも兄の政夫が登場する。その戦い方は、たとえば五人を相手にするとき、まずは狭い路地を走って逃げる。大場を追いかける五人だが、足の速い大場に追い付くのはせいぜい一人で。その着いてきた一人をコテンパンにやっつけて、下水路などに顔を沈める。後ろから来た四人が追い付く。また逃げる。四人のうち、足の速い一人だけ大場に近づくことが出来る。これがまたターゲットとなり、コテンパンにやられる。残りの三人もまた、一人、また一人とやられる。これが大場のいつもの手だ。

 以上はラッキョウから聞いた話で、どこまで本当かは分からない。大場に関するノンフィクションを多分、私は全部読んでいるが、この話は出てこない。ただ、ラッキョウは、多少、ウソもつくのではないかと思われる話が、他の部分で、いくつか(確かめようもない話なのだが)あることはある。ラッキョウもまた、大場同様に、少年時代の暮らしはひどい。

 殺されるかというような、下手をすると、洞窟おじさん(加村一馬)になったかもしれないような指の二本ない父親による躾というか暴力のなかで育った。方便としてのウソもつく。

 ラッキョウが、或る暴力団系の付き合いのなかで、雑誌記者が、消されたという話がある。私はかなり調べたが、まったく掴めなかった。ラッキョウは印刷会社の社長で五人ほど使っていた。夏になると、「ラッキョウさん、あなたもボーナス欲しくないかい」と言って、取引先である大手自動車会社の幹部社員が、空の書類一枚で三〇〇万円を二人で等分した。同じように、大手の住宅会社の幹部社員とやはり、三〇〇万とか、二五〇万とかを、完全に違法であるが、懐に入れていたという話もどうにもウソ臭い。だが、大場に関しての話は、かなりリアルで、いくつかのノンフィクションとは一致する話が多い。

 ラッキョウは、本を読むような男ではないから、それらの本と突き合わせて、自らの話を補強したりするようなことはしない。

 石塚紀久雄『大場政夫の生涯』(東京書籍)のち織田淳太郎『狂気の右ストレート』(中公文庫)が、最も信頼できる本と思われるが、そこには、大場についてこう記述されている。

 〈長屋には全部で四世帯が入居していた。大場家は向かって右から三番目だったが、玄関を入ってすぐのところに六畳と三畳の二間が横に並び、その奥に二畳ほどの小さな台所があるだけだった。〉

 多分、信頼できるのだが、もしかしたらあとから取材したもので、のちにはそうであったのかもしれないのだ。ラッキョウの話では、家は確かに六畳の一間限りで、そこに家族七人が住んでいて、政夫も伊三郎も押し入れに寝ていた、という。大抵の本に大場政夫は、かなりの好人物に書かれているが、ヤンチャの度合いは、多くの不良そのものであったようだ。

 医者の家の子で、古川というラッキョウの同級生がいて、遠足などでは、ラッキョウはイモ、伊三郎は何も持ってこられないのに、一人だけ古川は弁当のほかにフルーツ、それも見たことのないヤシの実などを持ってきていた。ラッキョウは、古川の家に押し寄せては、当時としては高価なバナナなどを漁って、政夫らと共に、むしゃむしゃと食べていた。

 阿部牧郎は、『小説大場政夫』(双葉社)というノンフィクション小説を、織田のノンフィクションよりも先に書いている。かなりひどい小説だ。いきなりの出だしに、こういう件りがある。

 〈世界フライ級の王座にいどむ大場政夫とはどんな男か。西城正三、小林弘、沼田義明らがつぎつぎにチャンピオンの座を追われ、枯れかかった花壇のように魅力の失せた日本のリングに、どんな無鉄砲な若者が新しい花を咲かせようとしているのか。〉

 これは、七〇年一〇月二二日、日大講堂での、対チャルバンチャイ戦で、大場が初めて世界を奪取する試合についての記述である。西城正三、小林弘、沼田義明の三人はこのとき、いずれもなお現役チャンピオンであり、「チャンピオンの座を追われ」てもいなければ、日本のリングが「枯れかかった花壇」ともなっていなかったわけで、ボクシングに無知な読者にとっては単なる出鱈目記事かもしれないが、これが発売された七六年の四月一〇日発行で、まだ大場が世界を取った時期の、日本ボクシングの異常な盛り上がりの状況を知っている人間にとっては白ける。だが、以下の記述がある。

 〈一家は足立区のアパートに移り、六畳一間で七人が寝起きする生活になった。(中略)政夫の家は家族八人がアパートの六畳一間に暮らしていた状態なので、とくにたのんで寮生活を許されたのである。〉

 この部分は、むしろこちらの方が本当ではなかろうか。

 実は、久々にラッキョウと酒を飲む。相変わらずさすらいのビル管流れ者人生を渡り歩いている。離婚して若い女と付き合っている。まだ見ぬ、そしてまた新たな大場政夫に会う気分である。

(建築物管理)


http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3545&syosekino=16015 【評者◆凪一木その144 腰巾着フェラーリの体裁】より

No.3545 ・ 2022年06月04日

■コロナ禍二年目の二〇二一年は、三菱電機や東芝、みずほ銀行などの大企業で不祥事が相次ぎ、私のいる同じ部屋の警備会社は、看板に関わる大きな不正事件が起き、派遣先の大手ゼネコン子会社でも、不正によって総会が前年より中止となっている。朝日新聞デジタルには、こうある。

 〈三菱電機では品質や検査をめぐる不正が広がる。(中略)報告書は、社員が上にものが言いにくい組織を問題視した。社員への聞き取りでは、上司に萎縮する声が紹介されている。「『言われたとおりに試験をやっていればいい』などと怒鳴られることが度々あり、疑問を口にすることはしなくなった」。過去にも不正があったのに、取締役や監査役らが適切に調査してこなかったという。(中略)システム障害を繰り返したみずほ銀行では情報が経営陣まで伝わりにくく、責任の所在もあいまいになっていた。〉(2021年12月29日、村上晃一)

 Sビルサービスが、自身の社員のパワハラを隠し、かばい、野放しにし、それを指摘してきた派遣会社の社員の私に対して異動を命じるのは、気に入らないが、有りうる話だ。しかし問題は、その話に乗っかって保身を図った、我が社の狡猾なキツネ部長、そして上司に当たるマーシー責任者、さらにもっと頭にくるのは、味方の同僚である振りをして、気兼ねなく相談し合える(実際は相談するだけの)仲間の振りをしてきた、あのフェラーリである。私の異動話を皆知っていて、抵抗するどころか、加担すらしていた。

 こいつらは、自分のことしか考えていない。あわよくば、もしこちらの立場が好転したなら、こちらに着く構えさえ見せている。初めから敵対している方が、よほどに、はっきりしていて敵として分かりやすい。

 フェラーリに関して詰まらないのは、見かけはこちら側と似ていて、中身はまるで逆という点である。搾取される側にいるという点で理不尽を感じているのは同じであるが、搾取したりされたりする構造を変えていこうとする私に対して、フェラーリは、どうしたら搾取する立場の側に回ることができるでしょうか、と質問をしてくるような奴である。搾取という理不尽な構造をどうしたら変えられるかなどという発想は微塵もない。

 今のところ、嘘つきキツネのK部長について、「クソ」だの「人間のくず」だのと口汚く批評しているが、ひとたび同じ側に回ると、キツネと一緒になって、新たなタヌキとなって、私を嬉々として責めてくるだろう。それは、あの最古透の時でさえ、おべっかを使って、彼に取り入っていたわけで、油断も隙も無い。肝心要の困った時に、一つだけ私がお願いをしたら、拒否してきた。それは、流れを変える意味でも重要なことだったのだ。

 前職が「写真家」という、曲がりなりにも物を創作し、社会に対して物申す人間とすると、その風上にもおけない人物と私は言いたい。もっとも、こういった人物の存在を、意外にも、芸術家の中にあっても、芸能の民であっても、結構私は目にしてきている。職業が、その人間を規定するほどに大きな意味を持ってはいない。ブラック企業、パワハラ上司、不当労働行為問題に、まさに今目の前で直面していても、労働組合に参加するわけでもない。調子のいいことばかり言って、私から都合よく好条件を引き出し、頂くだけの奴ばかりだ。選挙を何回やっても、いつまで経っても、ロクでもない人間が当選し続けるのに似ている。誰が投票しているのかって、組合に入ることもなく、黙々と会社の言いなりになっている奴隷たちだ。フェラーリのように、会社批判をして、文句を言っている方が、一見会社と対立しているかのように見えるだけ質が悪い。彼こそが犬である。

 人間というものは、こうも組織に、体制に弱いのか。お金に、生活に屈するのか。会社の取り込み手法に屈し、自らも飼いならされるフェラーリの、無様過ぎる動きを見ていると、情けなくなる。

 もちろん、彼には、認知症が進んできている母がいて、仕事も、カメラマンという出版の世界で最も早くにリストラの進んだジャンルで、つい道の選び方を間違った人間の一人だ。制度や仕組みに組み込まれて埋没する。同調圧力の仲間に影響される。それは、元々そうであっても、そこがサラリーマン社会ではなかったゆえに、むしろ異色の存在で、今こそ水を得た魚の如くに、意気揚々とその眠っていた力を発揮しているのかもしれない。

 見て見ぬ振りをする者は、その犯罪や悪事の協力者である。被害者にとっては、主犯以上に、より質の悪い直接の行使者となる場合も多い。それに、少なくとも、主犯を後押しする応援者の側面を持つことだけは確かである。会社にパワハラ上司がいても、一人ではそれほどのことは出来ない。皆が反対し、拒否し、抵抗すれば、孤立無援、四面楚歌の状態となるからだ。そこに、協力者が現れるからこそ、上司はパワハラという行為が成立をしていくことになる。

 セクハラをする人の三大特徴は、「共感力の欠如」「伝統的役割分担への呪縛」「優越感・権威主義でマウントを取りたがる」点であるのだが、その三つ全部が揃っていても、それを許さない周囲の環境があれば、「やらない」という。パワハラも同じく、周囲の許す空気であり、勇気の無さが助長させてもいる。

 ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』(講談社学術文庫)に「群衆は、弱い権力には常に反抗しようとしているが、強い権力の前では卑屈に屈服する」と記されている。それは権力側に立ちたい人間の思考であり、権力を許さない人間ならば、より屈服しないはずなのである。フェラーリは果たしてどうか。ハワイに暮らし、年中サーフィンに興じる一人の自由職業人であったこの男をさえ、「社会は変えられない」と思い込ませることにまんまと成功したのか。

 恐怖というものは、人間に対するものである。一人の人間のサイズなど、どれほどのものでもない。寿命にしても、たかだか一〇〇年である。ではなぜ怖いのか。一人ではないことを散らつかせるからである。或いはサイズ以上のものを散らつかせるからである。散らつかせるものは暴力である。そしてそれは、多人数の存在とも言える。つまりは協力者、子分、手下の存在である。私が恐れるのは、敵の社長や上層部ではない。その手下となる、近くのチンピラ連中である。

 フェラーリが訊いてくる。

 「凪さんのいなくなった後、僕らは、この先どうすればいいんでしょうか」

 知るか。(建築物管理)

http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3546&syosekino=16034 【評者◆凪一木 その145 お前こそが事故の元】より

No.3546 ・ 2022年06月11日

■三幸製菓というと、私の大好きな菓子メーカーである。ホワミルという親しみやすいキャラクターも好きだ。その工場でバレンタインデー直前の二三時四五分、火災が起きた。死亡が確認されたのは、芳子さん七一歳、美代子さん六八歳、ハチヱさん七三歳、慶子さん七〇歳といずれも清掃員の女性高齢者で、私はいつも共に仕事をしている高齢の女性清掃員さんを想わずにはいられなかった。七〇歳前後という年齢からして、もう起きていられないような眠たい時間に、仕事をしていた。そして逃げ遅れた。他人ごとではない。

 実はその二カ月前に、皇居で、ビル管が死亡している。

 二〇二一年一二月のことだ。〈皇居・宮殿で8日、天井の点検作業をしていた宮内庁職員が転落し、五日後に死亡していたことが一六日、同庁関係者への取材で分かった。宮殿での事故で死者が出たのは初めてという。同庁関係者によると、亡くなったのは宮殿管理官付の五〇代男性職員。八日朝、宮殿「豊明殿」の廊下で、脚立を使って高さ約三メートルの天井と、屋根の間に置かれたバケツに水がたまっているかどうかを点検中に落下したとみられる。〉(時事ドットコム)

 この点検は通常、数日おきに複数人で行っていた。事故当日は同じグループの担当が休暇中であったため、一人で作業していたという。確かに三メートルの高さを一人作業はNGだ。だが、これはやりがちなのだ。宮中晩さん会などで用いられる豊明殿は、少々高い天井と言える。絶対に一人作業をしてはいけない。だが、人が偶然足りないときは、ついつい「やってしまう」。これが気のゆるみであり、また安全を怠る第一歩なのだ。

 実は私は、いよいよ、霞が関の某省庁に異動となった。もう不貞腐れて、諦めて、御茶ノ水現場にでも異動しようかと観念した時期もあった。だけど、私がそれでは、死んだ仲間も、辞めた仲間も浮かばれない。自分を実験台にしてでも抵抗しようと思った。勝ったのか負けたのか分からないような結果となった。それでも、あとは野となれ、山となれと思わない点が一つある。現場に残るグレイが気掛かりなのだ。

 頑固でそれゆえと思われるが頭の切れがない。タバコを吸い過ぎてもいる。健康に悪いと、忠告はしないが、辞める気も全くないようだ。無根拠に自信を持っていて、それが間違っていたり、全くの的外れだったりする。そして年齢的な身体と頭脳の能力が、明らかに落ちている。五分前に言付けた内容をもう忘れている。

 或る日は、汚水槽に、フックに詰めるゴムを落とした。そんなもの新しく買えばいい。敢えて汚い汚水槽から取り出すこともないし、また危険でもある。ところが、Gさんは汚水槽からゴムを取ろうとする。理由は所長が怖いからだ。あの追い出したはずの所長が、まだ理由もなくやってきている。そしてGさんに威圧を掛けてくる。これでもし落ちて死んでも事故は事故だが、元を正せば人為的な事故だと私は思う。やる必要など全くない作業だからだ。「怒られる」「怖い」という人為がそうさせている。だが、報道では、そうはならないだろう。勝手に「やって」勝手に「死んだ」ことにしかされないだろう。他の所長ならば、絶対にやっていない。

 乗客一〇六人と運転士が死亡したJR西日本の事故もそうだった。オーバーランしてバックし、ホームの定位置に戻した時間の遅れを取り戻そうと暴走した結果だ。校門圧死事件にも似ている。そうさせる仕組みがある。「お上」が怖い。悪人の弊害、悪影響。見えないルールに怯え、起きる事故。Gさんの恐れる所長自体は、自らミスのオンパレードだ。何度注意しても、常に作業書を出し忘れ、不注意極まりない上に、周りの意見を聞かず、取引先や下請けの者には態度が横柄で、コンプレックスの塊。しっかりと裁かれるなり、何らかの処分や指導を行わなければ、会社自体が、ビルもゼネコンも、不祥事や事故で吹っ飛ぶのではないか。

 人間など信用できない。ルールがあろうと、安全を無視してでも、馬鹿上司の機嫌を取ったり、忖度したりする。それでいて、自己を守るためのウソもつく。グレイの煙に巻く弁明は、自己防衛のための詭弁だが、気分の悪さも抱えもっている。それは、相手に「言い過ぎたかもしれない」とか、「自分の方が間違っていたかな」などと、反省や内省を突き付けてくるような響きを残す。グレイの行為がそれほどでもないのに、こちらが却って必要以上の行為をしているかのような印象を周囲にも、二人の間ですら与える。遠回しな第三者批判もまた、聞いていて辟易する。歯の奥に物の詰まったようなグレイ節。ボケと惚けの合わせ技が曲者だ。遠慮深い割には少々図々しいし、へりくだっている割には妙に頑固で引かない。長くいると、ボディブローのように効いてくる。こっちの方がわけのわからないミスを、つまりは貰い事故をしそうだ。

 G「Aは、明日の空調スケジュール入っていないんですけど、入れた方がいいんじゃないですか?」凪「どうして」G「受付の人、寒いんじゃないですか」凪「受付は、Bだよ」G「そうですよね。Bはこれで良いんですよね。ああ、ビックリした。間違ってるのかと思った」。

 お前、間違ってるじゃないか。また、このやり取りかよ。もう飽きた。

 汚水槽。今度は溢れるところだった。「大丈夫です」と言って満水警報を放っておいている。見にいったら、蓋まで、あと二〇センチの高さまで上がってきていた。

 会社というところは、自信のない奴が、さりげないようで見え見えの自己アピールをしたり、遠回しな他人の挙げ足取り、揶揄をして、つまらない誉め殺しで、乗り切ろうとする。グレイはこの術に長けている。だが、恐らく私が消えると、この男は事故を起こすのではないか。自業自得と言いたいところだが、グレイが、嫌らしくて、ダメな人間であればあるほど、愛おしくも思う。自分と同じ北海道出身だからか。いや、結局はこちら側の弱い人間だからだ。

 雑で、その割にサバサバしているわけではないが、中途半端に温かみがあり、ネチっこくはないが、辛抱強くもなく、気の弱さと忘れっぽさがあり、信用できないところがある。適当臭く、しかし付き合うには悪くない。そんな奴が多い。大泉洋。松山千春。錦鯉の長谷川雅紀。誤解されやすく、だからと言ってそれを覆すに余りある人物を演じるほど嫌らしくはない道産子。そんな奴でも、事故は「奴ら」によって仕組まれたシステムの被害としか言いようがない。

 老獪で不愉快なグレイ。だが、気掛かりなのである。

(建築物管理)

コズミックホリステック医療・現代靈氣

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000