金子兜太と「オオカミ」

https://ameblo.jp/sakadachikaba/entry-12737769141.html 【金子兜太の5句―『兜太再見 』から】より

湾曲し火傷し爆心地のマラソン

よく眠る夢の枯野が青むまで

曼殊沙華どれも腹出し秩父の子

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

どれも口美し晩夏のジャズ一団

 つい先日、柳生正名さんから自著『兜太再見』(ウェップエ)をもらった。11章からなる評論集だが、今日、第3章までを読んだ。彼が引いている句で私が愛唱してやまない5句を挙げた。

 「そもそも俳句が言葉の芸術である以上、作者の姿勢や内容で分別し、枠から漏れるものは俳句と認めないという狭量自体、反芸術的ある。あくまで言葉の問題として語と語の連続と分断、それが織りなす用語と文体の姿をそのまま捉えることこそが正しい姿勢ではないだろうか」。この柳生さんの意見に賛成だ。ただし、それを「正しい姿勢」とは言いたくない。句を魅力的に読む一つの姿勢というべきだろう。正しいという言い方をすると、それ以外の可能性を排除し、自分の姿勢を権威化してしまう。私見ではこの種の正しさの主張を嫌ったのが兜太であった。


https://kanekotohta3.livedoor.blog/archives/14199823.html 【エッセー「秩父のオオカミ」】より

金子兜太と言えば一連の「オオカミ」の句がある。

皆野町の生家の庭に甥の桃刀氏が建てました。

 おおかみを龍神と呼ぶ山の民

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 故郷の秩父三峯神社は狼が守護神、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになったそうです。小倉美惠子著「オオカミの護符」にも書かれています。金子先生は「生きもの同士の共感、」相手の生きものに「原郷」というものを感じていた。その原郷はアニミズムの世界であると述べています。

 狼をりゅう神と呼びしわが祖

 

 暁闇を猪(しし)やおおかみが通る

 おおかみが蚕飼(こがい)の村を歩いていた

 おおかみに目合(まぐわい)の家の人声

 おおかみに蛍が一つ付いていた

 

 狼生く無時間を生きて咆哮

 山鳴りに唸りを合わせ狼生く

 山鳴りときに狼そのものであった

 狼や緑泥片岩に亡骸(なきがら)

 山陰に狼の群れ明くある   (やまかげに おおかみのむれ あかくある)

 狼の往き来檀の木のあたり

 狼墜つ落下速度は測り知れず

 狼に転がり墜ちた岩の音

 狼を龍神と呼ぶ山河かな

 「おおかみに螢が一つ付いていた」は、まさに自分の今言った考え方が熟してきた、自分の体のものになった、そのころにできた句です。秩父には、オオカミがたくさんいたという伝承が残っています。

 そして、秩父谷――われわれは、秩父の山じゃなくて、秩父谷とよく言ってるんですが、秩父谷はオオカミがたくさんいたところだ、今でもいるに違いないと、退職した後、オオカミを探して歩いている読売新聞の記者の人がいたんですよ。その写真をときどき読売が出してくれた。それがわれわれの目に入ったということもあって、秩父の土というと、すぐにオオカミというのが私なんかには反射的に出てくるわけね。そのときに、オオカミは孤独なこともあったんだろうな、と、こう思うわけです。

 秩父に両神山(りょうがみさん)という、台状のいい山があるんですよ。秩父出身の詩人の金子直一という人がいたんですが、その人が、両神山は「オオカミ山」から来ているんじゃないかと詩に書いていて、俺はそれに感動を受けて、もとはオオカミがたくさんいたのでオオカミ山と言ったんだけど、オオカミが全滅させられて名前だけ残ったと、そういうふうに取っていたわけです。そこから、今の句ができた。

 一匹の「おおかみ」が残っていて、孤独を託(かこ)って、夜ノコノコ歩いていると。ふと見たら、その背中に蛍がパッパツと瞬いていたという。孤独な「おおかみ」。孤独な秩父。

 そんなふうな言葉が盛んに出てきた。それでできた句なんです。秩父の土壌から離れて熊谷のようなところに住んで、秩父を思っているということの中には、ある意味、俺にも、オオカミ的孤独というようなものがあるのかなと思うことが、ずいぶんあります。

今でもときどき、そう思いますね。そんなことで、あの句は非常に懐かしい。私の郷里の皆野町に椋(むく)神社というのがありまして、町の人がそこに私の句碑を作ってくれまして、その句が刻んで境内にあります。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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