ユリシーズ

https://book.asahi.com/article/11610482 【ユリシーズ 1−12 [著]ジェイムズ・ジョイス】より

 まだまだ小さかった頃、同じ本に複数の翻訳版があることに戸惑いを覚えた記憶がある。言葉を正確に翻訳すれば、訳文は同じになるはずではないかと素朴に信じていたらしい。

 世の中には、複数の翻訳版がありうることに気づかずに暮らしている人がいる。その一方で、誰々さんが翻訳した本は読むようにしているという人もあれば、各種の翻訳版を読みくらべるという楽しみを持つ人もいて、本の選び方はさまざまである。

 これが定型的な事務書類なら没個性に徹することもできるはずだが、文学作品となると話はまたかわってくる。

 誰が手がけるかによって翻訳が幅を持つのなら、翻訳者によって全然違うものになるような小説というものを想像できる。

 二十世紀の文学史に名を残すジェイムズ・ジョイスの作品は、翻訳の幅の広い作品として分類できるかもしれない。

 ここで翻訳に幅がでる理由は、内容が難解だとか高尚すぎるといったことではなくて、言葉と内容が複雑にからみあってしまっているせいである。言葉とは透明な存在で素直に意味を伝えるのか、翻訳は一通りでありうるのかを問う種類の文章だと考えてよい。

 言葉について考えながら書かれた物語は、翻訳者自身の言葉に対する態度を強く問いかけてくる。

 言葉遊びや、パズル的な要素を含む作品を多く巧みな日本語にうつしかえてきた柳瀬尚紀がその生涯をかけて取り組んだのが、この「ユリシーズ1—12」である。「ユリシーズ」の原著は、十八章よりなり、分量的には十二章でまだ半分といったところだ。

 翻訳不可能といわれていた「フィネガンズ・ウェイク」を訳し通した柳瀬尚紀が、半ばまで道を開いてくれたということになる。

 その膨大な知識で日本語そのものを切り開いてきた柳瀬尚紀は、昨年、七月に亡くなった。

    ◇

 James Joyce 1882~1941年。アイルランド生まれ。柳瀬さんの著作に『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』


http://blog.livedoor.jp/bsi2211/archives/52282063.html 【再び。ジェイムス・ジョイス『ユリシーズ』へ。】

https://ameblo.jp/tta33cc/entry-11985566663.html 【「ユリシーズ」とシェイクスピア。1】より

ジェームズ・ジョイス。

  先年、「アメリカの詩人たち」の記事のなかで、1920年代のパリにおけるT・S・エリオットたちの活躍の場面とともに、ぼくはちょっとだけジョイスに触れています。――といっても、ヘミングウェイやミラーたちと、ジョイスがパリでいつもにぎやかに酒を酌み交わして文学論をやっていたというような確かな証拠資料は見つからないのですが、何しろジョイスには、あのエズラ・パウンドという、アメリカから亡命してきた先輩詩人がそばにいて、何くれとなく面倒を見てくれていた折りでもあって、エリオットがイギリスに渡ってからの生活面にいたるまで、このパウンドは根気よく付き合っており、ごたぶんに漏れず、このアイルランドから文無し状態で出奔してきた若いジョイスにまで、彼はいろいろと援助の手を差し伸べています。

ジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」(全4巻、集英社文庫)

  しかしパウンドはその後、19世紀初頭のジェファーソン時代のアメリカを現代に再現しようと焦り、その性急さがムッソリーニ政権への加担としてあらわれ、国家反逆罪に問われてしまった。

いっぽうエリオットは、高度に知的な、キリスト者たちによる寡頭政治的なヨーロッパ社会の理念を求めつづけたために、王のもとにある形而上詩人の冠をかぶりつづけることになりました。

さらにもうひとりヴァージニア・ウルフという女流作家ですが、この人は、イギリスの歴史の流れの再確認に身の拠りどころを求めながらも、けっきょくは自殺に追い込まれてしまいました。

いっぽう、詩人イェーツは、中世の牧歌的な社会を讃美し、オカルティズムのなかから歴史を律する規範をさぐり出そうと活躍の目標を限定したりして、彼らの方向性が耽美主義を突き破っていくいっぽうで、身の破滅にもつながっていきます。

しかし、彼らは自立した目標にだんだん自信を持ちはじめていく。――いずれも彼らは芸術の自律性を信じたわけで、そうした時代の空気に触れていたはずのジョイスは、その誘惑をちっとも受けていないわけですね。ジョイスはロンドンにいても、パリにいても、あるいはチューリッヒにいてさえも、つねに彼がいつづけた場所は、ダブリンだったとおもいます。

「ユリシーズ」の最後に書かれた文章は、チューリッヒにおいてでした。

文学と都市とは密接にかかわりを持つといわれています。ドストエフスキーはペテルブルグ、ボードレールはパリ、ダブリン生まれのバーナード・ショーはロンドンといったふうに。――

しかし「ユリシーズ」とダブリンは、それ以上に特異な関係を持っているように見えます。「ユリシーズ」の本を開くと、ダブリンの地図がかなり詳しく載っており、テキストの虚構上のダブリンと歴史上のダブリンがほとんど重なってしまうわけです。

歴史上のダブリンもまた1904年6月16日現在のダブリンを指します。

ある人はいいます。

現実のダブリンが消滅しても、「ユリシーズ」に描かれた証拠から容易に復元することが可能だと。この作品は、文学テキストとして3人の架空の人物を中心にした虚構世界を描いており、そこには1904年という時代だけでなく、歴史上の事象もちゃんと刻印されていて、たとえばエドワード7世のアイルランド訪問、教皇ピウス十世の戴冠式、エメット蜂起百年祭など、あるいは総督の騎馬行列といった歴史的改竄や、1912年と17年にそれぞれ処刑されたはずのセドンとヴォワザンへの言及の齟齬(そご)などを手はじめとする、意図的なアナクロニズムをやっています。

こうしてみると、「ユリシーズ」は、当時のダブリンという事実性を基礎にしながらも、同時に新しいダブリンを創造しようとする双方向的な試みだったといえるかも知れません。

で、このもっともむずかしいとされる「ユリシーズ」について、すこし話をしてみたいとおもいます。「ユリシーズ」という作品は、「オデュッセイア」の英語名で、ホメーロスの「オデュッセイア」をその物語の枠組みに使用しているものです。「オデュッセイア」の構造を借り、その主要人物には「オデュッセイア」の作中人物の性格や境遇をそっくり用いています。

――ジョイスがベルヴェディア・コレッジ在学中の12歳のころ、チャールズ・ラムの「ユリシーズの冒険」を読み、「わが敬愛する英雄」という表題の作文を書いてオデュッセウスを讃えたというエピソードが伝わっています。ジョイスと「オデュッセイア」とのつき合いは、子どものころからあったというわけです。

ちょっとめんどうですが、ここで「オデュッセイア」の構成をちょっとご紹介します。

――物語は事件が起こっている途中からいきなりはじまり、イタケでの危機的状況と、カリュプソ島でのオデュッセウスの暮らしが中心になって描かれます。

イタケでは、オデュッセウスの妻ペネロペイアにいい寄る求婚者たちが家財を略奪したり、息子のテレマコスをなき者にしようと画策する話など、悪魔の巣窟に身をおく戦慄の日々を過ごします。

いっぽうオデュッセウスは、カリュプソに添い寝しながらも、望郷の念にかられる日々を送っています。この現実ばなれした膠着状態を打ち破るのは、オリュンポスの神々、――わけてもアテナイの力にすがるよりないと判断し、彼は旅に出ます。

若くして父のもとを去った息子のテレマコスは、父の情報を求めてギリシャ本島のネストルへ、そしてメネラオスの居城をたずねます。いっぽう、オデュッセウスもカリュプソの許しを得て帰国の途につき、スケリエ島に漂着して、女王ナウシカアの仲介などでアルキノオス王に謁見します。

こうしてオデュッセウスは、アルキノオス王の援助を得て帰国することができ、おなじころ帰国した息子と、忠僕の豚飼いエウマイオスの小屋で再会を果たし、それからふたりは力を合わせて、求婚者たちを殺害し、イタケに秩序を回復させるという話です。

――これは、オデュッセウスの10年におよぶ放浪が、アルキノオス王に語る回想談というかたちで綴られたもので、トロイアを出発してからのオデュッセウスは、キコネス族、食蓮人たち、ひとつ目巨人のキュクロプス、風の神アイオロス、ライストリュゴネス族といったさまざまな奇怪な種族との遭遇シーンを、一連の冒険談として詳しく話して聞かせるストーリー構成になっています。

さて、ジョイスの「ユリシーズ」は、英語で書かれた、ひじょうに厄介な文章で成り立っています。たとえば、こんな文章です。

(第18挿話・ペネロペイア)

あたしはちゃんとコツを心えていてすこしうきうきと行ったり来たりしよううかれすぎないようにしてときどきちょっと唄を歌ってそしてそれからミファピエタマゼットそれからよそ行きの着がえをしてプレストノンソンピウフォルテいちばん上とうのシュミーズとズロースをつけよう彼にそれをたっぷりながめさせて彼の坊やを立たせてもしそれが彼の知りたがっていたことならおしえてやろう彼の妻はやられたのだということをYesすごくやられたのよものすごくふかく彼でない男に5かいか6かいぶっつづけに彼のおつゆのあとがきれいなシーツについているあたしそれをアイロンかけてのばそうなんて気さえないのこれだれ言って聞かせれば彼もたんのうするでしょうもし信ようしないのならあたしのおなかにさわってごらんそれでも彼が立ちあがらなくて彼を入れさせることができなければこまかなてんまでのこらず言うつもりそして彼にあたしの前で出させてやるいい気びいい気びみんな彼がわるいのよあたしがあの天じょうさじきの男の言う不ぎの女なのはさぞやいけないことなんでしょうねこれがこのなみだの谷であたしたち女のするわるいことの全ぶ

あたしのあしはあまりすきじゃないわでもグッドウィンのへたくそなコンサートがあったばんコンサートがおわってからあたしはあしでかれのあそこをいじってかれをいかせたことがあったわ……なにをぐずぐずしてますのOあたしのこいびとよひたいにキスして別れましょうそこはあたしのお尻のあなよ/あたしがかれのボタンをはずしてあげかれのかわをひきもどしたときあのさきはおめめみたいなかんじ

※ミ・ファ・ピエタ・マゼット……プレスト・ノン・ソン・ピウ・フォルテ=mi fa pieta Massetto……presto non son piu forte.イタリア語。モーツァルト作曲の2幕オペラ「ドン・ジョヴァンニ」のなかの1幕3場のツェルリーナとドン・ジョヴァンニの二重唱でのツェルリーナのことば。「ごめんなさいマゼット!……いそいで力がでない!」という意味。スペインの伝説上の人物ドン・ファン(Don Juan)を主人公としたもの。

※グッドウィン=かつてのモリーの伴奏を担当したピアニスト。第4挿話にも登場し、ここでは「老教授」と訳されています。

第18挿話のコンテクストはこんな調子です。原文を引きますと、女がひとりおしゃべりする、かなり甘えた文章になっています。

I don’t like my foot so much still I made him spend once with my foot the night after Goodwins botchup of a concert

あたしのあしはあまりすきじゃないわでもグッドウィンのへたくそなコンサートがあったばんコンサートがおわってからあたしはあしでかれのあそこをいじってかれをいかせたことがあったわ

この訳文は素晴らしい。

「spend」は自動詞として考えると「消耗する、尽きる、果てる」という意味になるかとおもいます。

この場合は明らかに「ejaculate(射精)」を意味しているでしょうね。モリーは自分の足で(with my foot)ブルームのあそこをいじってejaculateさせたということです。ブルームは酔っ払っていたのでピアノをじょうずに弾けなかったという意味。アルファベットの「O」は、感嘆のOと口やヴァギナのアナ、肛門のアナ、そして前文にある「Oやさしいメイ」と題する(「大きくなったら結婚してね」と約束する内容の)唄に引っ掛けたものでしょう。

 

when I unbuttoned him and took his out and drew back the skin it had a kind of eye in it

あたしがかれのボタンをはずしてあげかれのかわをひきもどしたときあのさきはおめめみたいなかんじ

これは、ちょっとおかしい。――お尻のアナだとか口だとか、おめめだとか、ジョイスは体のさまざまな器官を引っ張り出してきて、想像に想像を重ねる大胆なコンテクストの実験を試みています。

気になったので、その部分を検討してみると、この訳文ではまず「took his out」がどこかに飛ばされてしまっています。訳されていません。モリーはボタンをはずし、「his」を外に取り出してから「drew back the skin」したといっているわけです。「drew back the skin」とは、「亀頭の包皮を根元に向かってこすった(しごいた)」という意味になりそうです。

この場合の「his」は「彼自身、ペニス」を指します。

「ボタンをはずしてかれのあれをとりだしあれのかわをねもとにむけてこすったときあれのさきっぽにはおめめみたいなのがあるのよね」というような訳文になるのではないでしょうか。

また、もっと前のところでは、犬の肛門をボタンのようだと表現していますから、ジョイスは、ボタンは、はずして物を取り出すだけでなく、物を入れるところというイメージも与えており、ボタンにはどこか、その蓋か扉のような禁戒的なイメージの役割がありそうにおもえます。

ですから、「ボタン」に対応する「おめめ=アナ」があるようにおもえるのです。

ジョイスの原文は、一見して簡単なように見えますが、なかなかどうして語彙の引っ掛け方がうまく、それにぼくが感心するのは、「O=口」、「アナ」、「あし」、「おめめ」といった身体器官の持ち出し方がとても新鮮で、衝撃的です。

また、ジョイスは「ユリシーズ」のなかに音楽素材をふんだんに取り入れています。スコア(譜面)そのものも取り込んでいるほどです。

彼自身、ダブリンではテノール歌手として舞台に立ったこともあるほどで、コーク出身の父親ゆずりの標準的なソフトな英語を話し、ジョイスの詩行を吟ずる声は、たいへん見事であったと伝えられています。


https://ameblo.jp/tta33cc/entry-11985570392.html 【「ユリシーズ」とシェイクスピア。2】より

ジェームズ・ジョイス。

 音楽の才はむしろ母親から受け継いだものらしいのです。ジョイスは最年少の6歳で、イエズス会の名門校クロンゴーズ・ウッド・カレッジに入学したといいますから、学校ではコーラスなどもやっていたのかも知れません。

その後、父親の放恣な生活がたたって、一家は急速に没落します。父親はコークの資産と収税吏としてのじゅうぶんな年収があったのですが、収税組織の改革によって失職してからは、ジョイスは、学業を中断せざるを得なくなります。父親はわずかの年金を受給しながら職を転々と変え、一家は郊外のラスガーからダブリン市内に移り住み……。――この話をすれば、脱線しそうなので、あとにします。

現在、アイルランドではダブリン音楽祭やコーク合唱祭があるということですが、ぼくは行ったことがありません。先日まで、ダブリンの大学に留学された畏友桑原信夫氏に、ぜひたずねてみたいとおもっています。

イギリスと違い、その音楽的確立はまだまだ未来の問題として残されたままになっているのではないでしょうか。アイルランドにキリスト教が入ってきたのは、イギリスよりも200年も前のことだったといわれています。そのために後年、イギリス人プロテスタントがアイルランドにやってくると、容易に馴染んだものとおもわれます。

アイルランドのアングロ・アイリッシュの基盤ができると、コーク湾に面した港街は、洗練されたクィーンズ・イングリッシュを話すようになり、ダブリンでは、英語文学が確立されていきます。

イギリスのアイルランドの植民地化にたいする憤懣は、独得の文学的風土をつくっていったのだとおもいます。イギリスにたいする痛烈な諷刺小説を書いたスウィフトを皮きりに、18世紀のダブリンでは、アングロ・アイリッシュのなかでもアイルランド人以上に「アイリッシュ」な人間がどんどん増えていく。「アイリッシュ」という言葉そのものが、イギリス側から見た蔑称ともなり、「アイリッシュ・ブル(Irish bull=とんちんかんな誤謬)」といわれて、揶揄(やゆ)されたりします。

ここでちょっとブルの実例をいいますと、――たとえば、

ちょっとお姉さん、お姉さん! あの人見て。

あなたとよく似てるわ。どちらかというと、あの人がお姉さんに似てるわね。(こういうおかしな矛盾表現は、もっともアイルランド的です)

本大学の伝統は、今に聞こえるバット国民党党首の描いた政策理念を根づかせることである。本大学は、来たる0000年9月1日より開校となる。

 (1日として伝統がないにもかかわらず、伝統なる理念だけが先走ってでき上がっているという話です)

ここでジョイスの作品のなかから、――たとえば「フィネガンス・ウェイク」に書かれている実例をお目にかけたいのですが、この作品は、とんでもなく大変! 1991年に出た柳瀬尚紀氏訳の「フィネガンス・ウェイク」(河出書房新社)はまだ上巻のみでした。これを少しずつ読んではいるけれど、「ユリシーズ」にくらべていかに大変かが分かり、ぼくには、どうにも手に負えそうにない代物です。翻訳にしても、並みたいていなことではないと思われ、写すだけでもしんどいほどです。バラッドがたくさん書かれていますが、何かのもじりの、もじりを盛んにやっているらしいことが感じられる程度で、ほとんどちんぷんかんぷんです。それでは「フィネガンス・ウェイク」(柳瀬尚紀訳)をちょっとお目にかけます。

洞孔(どうこう)あんぐりギルは、間違いやらかすのは穂太(スイフト)っぱやく、ぐいと堪えるにはスっターン狂きょう(エウスタキオ管から診断するに、ハイデルベルク男洞窟(だんどうくつ)倫理症(りんりしょう)の明らか後期思春期性下垂ホルモン過多タイプであったにちがいない)、彼の前坂(まえさか)あがりを空(そら)っともたげ、貪欲にありがたがりながら、いい朝ぼらけですな、おまけにダブついたいい夜で、と汗糊(あせのり)巨人に挨拶し、分別あるハムみたいに、微妙な状況に対処する無限の才をもってこの危ういテーマのきわどい性格を見て取るや、受け取った金と時刻の礼を述べ(神の時計の梟(きょう)なることに少なからず驚きはした)、棟梁閣下と彼はあんぐり男を金ふさぎし汝き彼の黴(かび)っぽい虚声(きょせい)とならんを迎える慎ましき義務に則って本務に取りかかり、誰かれかまわず屍に鹿跳(しかばね)しいしい敬礼してまわり(ひらひら落ちる頭皮と頭垢(とうこう)の小山(おやま)が道しるべになっているから、……)

 あの手この手てててて父親(てておや)

 民(たみ)にはのろ馬車、聖(せい)ぜい避妊

 病める者には馬乳に禁酒

愛は戸外の宗教改革

   (コーラス)宗教改革

         醜狂(しゅうきょう)収穫 

 あら、まあ、そうかい、やりそこねたかい?

 保釈はまかせて、あたしのいとしの牛飼いさん

 キャシディ家の突き牛みたいに

 バターを角にためこんで

    (コーラス)バターを角にためこんで

 (繰り返し)そらいけ、ホスティ、霜降りホスティ、シャツを着替えろ

 詩篇に韻律つけるやつ、そーら奏(そう)ら、詩篇の王者

こんな調子です。

そもそもダブリンという都市の多言語的な、――国語はアイルランド語、文化的には英語、教会ではラテン語、オペラ言語はイタリア語――というような状況がずっとつづいていました。さっきのつづきではありませんが、「額にキスして別れましょう(kiss me straight on the brow and part)」と歌ったり、「そこはあたしのお尻の穴(which is my brown part)」といい添えたりして、この「part」という単語が実に歌うように小気味よくひびいて、洒落た気分をぐーんと出している、いかにもジョイスらしい表現ですね。

もうひとつのアナが「brown part」だなんて、ただただ息を呑むしかありません。これは、たぶんバラッド風に詠むといいのじゃないかとぼくはおもいます。

ついでに話しますと、この「part」は、辞典を引けば、名詞では「(pl..)からだの部分、局部、器官、内臓」という訳語が載っているだけで、「お尻の穴」なんていう訳語はもともとありません。

べつの単語でいえば「piece」みたいなものです。

「piece」は「(pl..)性交、性交対象としての女=coitus」という意味で、それと同類です。こちらは対象としての「かたわれ」的なピースで、「part」のような「局部」ではなく「からだ全体」を指します。ここでは「肛門」じゃなくてもいいわけだけれど、そっちじゃなくて、「そこはあたしのお尻の穴よ」と指摘するところに、女の媚態が素直に伝わってくる文章になっています。

何かを奏でているような媚態。――彼の文章のなかには、しばしばそれこそ「交響曲」とか「ソナタ」とか、「クァルテット」などということばはまったく出てこないかわりに、精細をきわめた擬音――Pprrpffrrppfff(ブルームのおならの音)や、Frseeeeeee Fronnnnnnng train(汽笛を鳴らして走る汽車の音)というような擬音が、まるで吹きだしたくなるような、思えばとてもおかしな発音が飛び出してきます。

ジョイスは、きっとこれを音楽的・音響的な音の響きの再現をペーパーの上でしきりにやっているのだとおもいます。

学齢期に達したジョイスの、貧しいころの体験は、「ユリシーズ」のなかには随所に生かされています。彼は経済的欠乏から、図書館利用に大きくかたむき、当時、民族主義運動やアイルランド文芸復興運動の気運がちょうど盛り上がりつつありましたが、ジョイスはそれらには見向きもせず、ひとりイプセンへの傾倒を強めていきます。

そして1900年、イギリスの著名な雑誌「フォートナイトリー・レヴュー」に彼のイプセン論が掲載され、イプセン本人から感謝のことばが寄せられるなど、周囲の人びとを驚かせます。

30歳のときに、市民大学公開講座でウイリアム・ブレイクとダニェル・ディフォーについての講演を行ない、その年は、「ハムレット」についての講演もやっています。31歳のときにレヴォルテッラ高校、のちのトリエステ大学にポストを得、午前はそこで教え、午後は個人教授、夜は執筆という日々を過ごします。「若き芸術家の肖像」が出版されたのはその翌年です。同年、「ダブリン市民」も出版されています。

そのときは、「ユリシーズ」は第3挿話のなかばごろあたりまで書いていますが、ちょうどこのとき、一家はチューリッヒに移住。イェーツやパウンドの尽力によってイギリス王室文学基金より75ポンドが支給されたからです。35歳のときにダブリンで復活祭武装蜂起が起き、友人のひとりが銃殺され、ショックを受けます。またパウンドの力でイギリス王室助成金100ポンドが支給され、アメリカのヒューブシュ社から「ダブリン市民」と「若き芸術家の肖像」が上梓されます。

これでジョイスはひと息つくことができました。

「ユリシーズ」は、39歳になって「リトル・レビュー」にやっと掲載されますが、その編集者が猥褻文書出版により有罪の判決を受け、掲載号は没収されます。ところがヘミングウェイがよく世話になったというパリの「シェイクスピア書店」と出版契約を結び、翌年やっと出版されるんですが、ふしぎなことに、じっさいに出版したのはエゴイスト社でした。そのあたりはよく分かりません。つづいてフランス版も出て、あの「フィネガンス・ウェイク」の草稿に着手されます。1923年、41歳のときです。



https://ameblo.jp/tta33cc/entry-11985738424.html 【「ユリシーズ」とシェイクスピア。6 ――「smellow(匂いたつ)」の謎。】より

「ユリシーズ」とシェイクスピア。6 「smellow(匂いたつ)」の謎。

Graham Swiftの「Waterland」

――ぼくはあることをおもい出しました。ジェームズ・ジョイスの「ユリシーズ」に出てくる話ですが、登場人物のバンタム・ライアンズのつぶやいたことばです。ブルームのいう「もう要らないんだ」ということばが、「モイラナイン」という馬の名前に聞こえたという話が出てきます。

アスコット競馬の金杯で、ダークホース、モイラナインは20倍の大穴をあける。日本でいえば、20倍なんてざらにあるだろうけれど、1904年のダブリンでは、万馬券に相当したらしいのです。「ユリシーズ」の原文では、「なげ捨てる」という意味で「throw away」といういいまわし方をします。これはひょっとすると、もともとはアイルランド英語なのかもしれません。アイルランド英語におくわしい友人の桑原信夫氏にうかがってみたい。バンタム・ライアンズは、それを「Throwaway」という競走馬の名前とおもったのです。よくある話。

ジョイスの文章には、こうしたおもしろい話がふんだんと出てきます。

「大事なんだ」というのが、「だああいじなんだ」と、あくびのせいで、ことばが伸びている話もあります。原文では、「dearer thaaan」となっていて、つまり「than」というべき語が伸びきってしまっています。

おならならは、Pieeeeeeee……。――ジョイスの文章は、そんなにふざけているのか、というと、そうではない。ジョイスは、だれもが認める20世紀最大の小説家のひとりです。柳瀬尚紀氏にいわせると、ジョイスの「ジョイ」が、――喜悦に満ちていると書かれています。この小説のおもしろさの鍵は、ぼくは、そんなところにあるとおもっているわけです。

――もう15年ほどまえになるでしょうか、「ユリシーズ」の翻訳本を読んでいたら、ぼくは「はあ?」と疑問におもわれる、妙な訳文に出会いました。訳文では、「あらゆる抱擁は、……」と書かれています。

翻訳家の名前は伏せますが、ところどころ、おかしな日本語訳になっているのです。原文をみてみると、ちょっと変だと気づいたことがあります。これはたぶん、英文解釈というレベルの話じゃなく、ジョイス文学の懐に触れる訳文が要求される部分だけに、ちょっと妙な気分になりました。

おそれ多くも、自分ならこう訳すぞ! と、試訳をこころみたことがあります。その一部はすでに書いているので、きょうは、べつのものをちょっと書いてみたい。

日本人同士だって、こうしたすれ違いのような、とんちんかんな会話になるのですから、まして、英語で書かれた文章を、外国人である日本人が訳すとすれば、呻吟するのはあたりまえの話だ、とおもえてきます。

母国語でない者が、翻訳するというのは、かなりしんどい作業をすることになるだろうとおもって。

ことに、ジョイスの文章は一筋縄ではいかない。時事英文記事をすらすら読める人でも、ジョイスの文章は、すらすら読めないだろうとおもいます。なぜなら、彼の文章には、辞典にも載っていないような語彙がふんだんに登場し、――つまり、造語のことだけれど、これまた、格別におもしろいのです。そこで、ぼくはどうおもしろいとおもったのか、せっかくの機会なので、きょうは、その話を少ししてみたいとおもいます。

スティーブンは、勤務先の学校へ歩いていく。

さて、その原文の冒頭の文章は、Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed. A yellow drssinggown, ungirdled, was sustained gently behind him on the mild morning air.となっています。

ここを、むかしの訳文では、

「押しだしのいい、ふとっちょのバック・マリガンが、シャボンの泡のはいっている椀を持って、階段のいちばん上から現われた。椀の上には手鏡と剃刀が交叉して置かれ、十字架の形になっていた。紐のほどけた黄色いガウンは、おだやかな朝の風に吹かれてふんわりと、うしろのほうへ持ちあがっていた」となっています。

これでも内容はだいたいそうなのだけれど、ピーンとこない。おもしろさが出ていないのです。冒頭の「Stately, plump」というフレーズ。――まず、「Stately, 」としてコンマが打たれています。

「Stately and plump」と、なぜやらなかったのだろうとおもう。

訳文では「押しだしのいい、ふとっちょの……」と訳されています。「Stately」は一見して副詞に見えないこともありませんけれど、紛れもなくこれは形容詞。コンマでふたつの単語を分けているのはなぜでしょう? 訳文は、間違いではないけれど、ぼくには、どこかの優等生が訳した直訳にしか見えません。

「plump」はマリガンの静的な姿かたちを表現しているのにたいして、「Stately」はマリガンの移りゆく動的な個性を表現しているとおもわれるからです。ですから、このふたつの単語を「and」でつなぐわけにはいかなかった、そう考えると、少しはおもしろくなります。

ついでに、「plump」を辞書で引くと、なるほど「肥満した」、「丸々と肥った」という意味の形容詞であることが分かります。ならば「fat」とどう違うのか、「fat」こそ「肥満した」なのです。

すると「plump」は、「肉付きのよい」、「小太りな」という意味になりそうです。「肉付きのいい」とくれば、だんぜん白鵬みたいな「ふとっちょ」であるはずがありません。ぼくでは痩せすぎだけれども、女性なら、痩せていないころのマリア・カラスくらいの肉付きなら、かえって魅力があるかも。

ここでマリガンという主人公の姿かたちが「ふとっちょの」であってはならないのです。なぜなら、「plump melon」という表現をよく見かけますが、「ふとっちょのメロン」、あるいは「肥満したメロン」などとやってしまっては、まるでとんちんかんな訳になってしまうでしょう。この場合は、もちろん「食べごろの」と訳すべきでしょうね。「They are plump but not fat.」という文章さえあります。

ありがたいことにさらに、少し先にすすむと、「He kissed the plump mellow yellow smellow melons of her rump,ふくよかな、黄色く熟したメロンが匂いたつようなお尻にキスをした」と出てきます。「plump」と「rump」、「mellow」と「melons」の取り合わせが絶妙です。

ここではモリーのお尻を熟したメロンにたとえているわけですが、単語の音の響きをそろえて、踏韻しているのが分かります。ことば遊びの天才ジョイスの本領発揮。この場合も「rump腰部」と訳されているのには、ぼくは不満でした。どうしても「お尻」か、でなかったら、食べごろを感じさせる「臀(しり)」、「けつ」にしてほしかった。

そういう単語を使うべきでしょう。「腰部」などという曖昧で、表現力に乏しい単語にしてしまっては、せっかくのジョイス文も台なしになります。この「smellow匂いたつ」ということばも、英和辞書にはむろん載っていない単語で、ジョイスの造語による。そのためにわざわざ用意されているとしかおもえません。

ならば、なぜジョイスは「smellow匂いたつ」としたのかって? 

おそらく「mellow熟した」と対をなす単語にしたかったのでしょう。ジョイスにかかったら、この種の造語はいたるところに出てきます。専門家の本をいちいち読んでいるわけじゃないので、不確かではありますが――。

「一九四〇年の七月、フレディ・パーによってメアリのズロースのなかに入れられたその一匹は、ヨーロッパにおける――うじゃうじゃいてはいても、――唯一の淡水種、すなわち学名Anguilla anguilla、通称ヨーロッパウナギの元気のいい見本だった」とつづる小説「ウォーターランド」のなかにも、さまざまな比喩が潜んでいます。

――さて、ウナギは好奇心について多くのことを教えてくれます――じつのところ、そちらのほうが、好奇心によって得られるウナギについての知識より多いくらいです。驚くなかれ、ウナギの赤ん坊がどのようにして生まれるのかがわかったのは、つい最近、1920年代に入ってからのことだったし、またこの蛇のようで魚のようで、食用には好適の、ついでにいえば男根を想起させる生き物の、いまだにはっきりしないことの多いウナギの生活史をめぐって、むかしから今にいたるまで、激しい論争が展開されてきました。

これは「ウォーターランド」の作者グレアム・スウィフトの、真野泰訳の訳文の1節です。この文章だけでぐっと惹きつけられるでしょう。

ズロースのなかに入った1匹のヨーロッパウナギ。その後、そのウナギと彼女はどうなったのか、新鮮で新奇で、大いなる刺激を覚えさせてくれるコンテクストです。おもしろさは、読者の勝手なこれまた想像力で喚起され得るものとして、ぼくはこれを「ウナギの衝撃」と呼びたくなりました。

これと同様に、ジョイスの「ユリシーズ」は、無類におもしろい。訳本で読むと、それがちょっとおかしな具合になっていて、おもしろさが消されてしまっているところが目につきます。――翻訳ではムリだよ、という話はしばらく措くとして、これを母国語で読むことのできる読者は幸せなことよ、で終わってしまっては身も蓋もありません。――ここで述べる話は、小説のおもしろさについてです。このような切り口で書かれた本が、もっとあるといいのですが、――。

1902年6月16日木曜日午前8時、「ユリシーズ」は幕を開けます。

舞台は「マーテロ塔」――ダブリン市の南東約10キロメートル、ダブリン湾に面した入江に建っています。物語は1804年6月16日となっているので、ちょうど主人公のマリガンが朝目を覚ました日付の100年前の話からはじまります。

当時の英国首相ウィリアム・ピットは、フランス軍の侵攻に備えるためアイルランドの海岸に円筒形の要塞をいくつか築造します。その要塞築造が英国政府によって決定が下されたのが1804年6月16日。この「マーテロ塔」は、そのひとつです。

マーテロ塔の屋上で、ヒゲを剃っているマリガンとスティーブンが、何やら話し合っているシーンからはじまります。

マリガンは朝食の準備のために下へ降りていくところ。

スティーブンは屋上にひとり残り、ダブリン湾を見ながら死んだ母のことを思い出します。臨終の苦痛にゆがんだ母の顔を思い出してスティーブンは恐れますが、食事ができたという階下のマリガンの声に、ふとわれにかえり、マリガンはスティーブンに向かって、

「おい、チンキ(スティーブンのあだ名)、おやじの亡霊! 父を探しまわるヤペテ」と呼びます。――マリガンは塔の横の岩場で、朝はひと泳ぎするのが日課になっていた。スティーブンは、水泳が苦手。風呂にも滅多に入らない。むしろ水を憎んでいる。

この傾向は、スティーブンが洗礼を拒絶していることを象徴するかのようです。マリガンはスティーブンから塔の鍵を取り上げようとします。スティーブンは彼に鍵を渡しながら、マリガンとの友情も冷めてきたなと感じ、ふたたび塔には戻るまいと決心します。

スティーブンは、勤務先の学校へ歩いていく。

――さて、この原文の冒頭の文章は、Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed. A yellow drssinggown, ungirdled, was sustained gently behind him on the mild morning air.となっています。

ここをある人の訳文では「押しだしのいい、ふとっちょのバック・マリガンが、シャボンの泡のはいっている椀を持って、階段のいちばん上から現われた。椀の上には手鏡と剃刀が交叉して置かれ、十字架の形になっていた。紐のほどけた黄色いガウンは、おだやかな朝の風に吹かれてふんわりと、うしろのほうへ持ちあがっていた」となっています。

訳文はちゃんとした日本語になっていて、それは見事な文章といえます。現在出ている翻訳文としては最高のできといえるのではないでしょうか。それでもぼくは、満足しません。

おもしろさが訳出されていないからです。

冒頭の「Stately, plump」というフレーズ。――まず、「Stately, 」としてコンマが打たれていますが、「Stately and plump」と、なぜやらなかったのでしょう。訳文では「押しだしのいい、ふとっちょの……」と訳されています。「Stately,」は一見して副詞に見えないこともありませんが、紛れもなくこれは形容詞。コンマでふたつの単語を分けているのはなぜでしょうか。訳文は、間違いではないけれど、どこかの優等生が訳した直訳にしか見えないのです。

「plump」はマリガンの静的な姿かたちを表現しているのにたいして、「Stately」はマリガンの移りゆく動的な個性を表現しているとおもわれます。ですから、このふたつの単語を「and」でつなぐわけにはいかなかった、そう考えると、少しはおもしろくなります。

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