https://www.bookbang.jp/review/article/709110 【『証言・昭和の俳句 増補新装版』黒田杏子聞き手・編者(コールサック社)[レビュアー] 宮部みゆき(作家)】yori
20年経て 新たな価値
雑誌「俳句」に十八ヵ月かけて連載された十三名の俳人のロングインタビューをまとめ、約二十年前に角川選書から上下二巻で刊行された『証言・昭和の俳句』の増補新装版である。証言者は桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、佐藤鬼房――ゴージャスな顔ぶれだ。旧版ではインタビューの聞き手であった黒田杏子さんが、この増補新装版では編者として全体の監修もされている。
黒田さんもあとがきで記しておられるが、俳句をめぐる状況は、旧版から本書までの二十年間で大きく変化した。HAIKUは今や多様な文化圏の人びとが多言語で創作を楽しむことのできる世界文芸である。国内でも、季語にこだわらないカジュアル俳句の浸透、高校生たちが十七音に青春を賭ける俳句甲子園の盛り上がり、誰でも気軽に投句して感想を述べ合うことができるネット句会の発展、テレビのバラエティ番組で句作が取り上げられ人気を博したこと等々の追い風によって、俳句は幅広い世代の人びとの身近な楽しみになっている。もはや国民的文芸だと言ってもいいだろう。
この状況のなかで、旧版には「二十年前時点での俳句界のオーラルヒストリー」という以上の新たな価値と意味が生じた。よみうり堂では、基本的には新装版は新刊として評しない方針をとっているのだが、本書は単なる新装版ではなく、新たに設けられた第二部の読み応えも素晴らしく(この執筆者二十名の顔ぶれがまた凄(すご)い)、旧版をリブートした新著だと思われるので、躊躇(ちゅうちょ)なくご紹介する次第である。
『オレ達の足跡を消さずに残してくれて 本当にありがとう』
これは、「俳句」連載終了時に黒田さんのもとに届いた官製はがきに記された一文だそうだ。差出人は金子兜太さん。旧版から本書刊行までのあいだに泉下の人となられたことを思うと、「ありがとう」がいっそう深く心に染みる。
https://ameblo.jp/ohimikazako/entry-12692494873.html 【「証言・昭和の俳句」】より
いま、「証言・昭和の俳句」を再々読しています。
我が師・黒田杏子先生が聞き手となり、戦後の俳壇をリードしてきた俳人13名が昭和の俳句を語った一書。約20年前に角川選書から出され絶版となっていた上・下巻が、今年の八月十五日に、新たに20名の書き下ろし原稿を加え、増補新装版となって発刊されました
黒田杏子先生は、今年の八月十五日に、この本を改めて発刊することを決意されました。
76年目の終戦の日。東京新聞では平和の俳句が特集され、金子兜太先生より選者を引き継がれた杏子先生の選んだ俳句は今年も掲載されていました。
平和の俳句 2021夏:東京新聞 TOKYO Web
本紙は今年も、読者の皆さまの「平和の俳句」を募集します。今年の一句をお寄せください。「平和の俳句」は、戦後70年の2015年から3年...
私は、この「証言・昭和の俳句」を、最初に発行されたおよそ20年前と、それから昨年、黒田杏子先生が第20回現代俳句大賞を受賞された際に読んでいます(現代俳句大賞の授賞理由には「証言・昭和の俳句」をまとめられたことが大変評価されたとのことです)。
そして、今、増補新装版となった本書を手にして、感動を新たにしています。
詳しくは本書をぜひお読みいただきたいと思いますが、今、この八月に、金子兜太先生の証言を、心にしかと刻んでおきたく、ここに書きとめておきたいと思います。
「おまえのいままで七十九年間の生涯の代表句は何だ」と問われたら、〈水脈の果炎天の墓碑を置きて去る〉という、トラック島から引き揚げるときの、あの句と答えます。
さっきも申し上げたように、私にとってはあのときの非業の死者、戦争に対する志も何ももたないで引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、食い物がなくなって飢え死にする。しかもアメリカというのは神経質で、毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。それによって死ぬ。そういう人たちを見ていて、この人たちのために、つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、と考えるようになったんですね。「非業の死者に報いる」という言い方をする。反戦という考え方に繋がりますね。そういう考え方でずっと戦後をやってきたつもりです。
ところが、当初やろうとしたことが挫折したり十分にいかなかったりして、現在、俳句に来ているわけですが、私はこの俳句というものに結び付けたことは、自分のそのときの考え方と矛盾してない。むしろ考え方に沿っていると思っています。そのこと、よかった、と思っているのです。
それはひとつには、俳句は大勢の人が作っている世界であるということ。しかも、そのことと合わせて、いまの時代になるとよけいそれが痛感されるんですが、俳句を作るということは十分に平和な行為です。俳句を宣伝の武器として戦争をするということはまずないわけだ。大勢の人が俳句を作っていられるこの平和な社会を好んでいるということに私も参加している。これは私が、戦争のない平和な社会をつくりたいと考えてきたことの、もちろん全面的じゃないけれど、かなりの充足になっていると思ってますよ。
口はばったく言えば、私は平和な世の中ということは草の根を大事にすることだと考えています。上っ面の人だけの平和なんてのはだめだ。その草の根を大事にするということは俳句をやることと密接にかかわっているわけです。これは私が俳句専念を決めたときに考えていたことでもあります。
俳句というのは日本語の根っこの部分でしょう。五七五がそうですね。日本語表現の根っこの部分に身を置いているということが、自分も草の根の一人だということに通じる。協力したり、励ましたりもできる。ときにはいい句を作って、刺激にもなれるわけだ。そういうことができて、いっしょに平和を大事にしているということは、〈水脈の果〉の句を作ったときに決意した自分の考え方と現在とそんなにずれてはいない。そう思ってます。
http://www.coal-sack.com/syosekis/view/2777/%E9%BB%92%E7%94%B0%E6%9D%8F%E5%AD%90%E3%80%80%E8%81%9E%E3%81%8D%E6%89%8B%E3%83%BB%E7%B7%A8%E8%80%85%E3%80%8E%E8%A8%BC%E8%A8%80%E3%83%BB%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%81%AE%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E3%80%80%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%96%B0%E8%A3%85%E7%89%88%E3%80%8F 【黒田杏子 聞き手・編者『証言・昭和の俳句 増補新装版』】
13人が語り20人が語り継ぐ国民文芸〈俳句〉の力
(語り手)
桂信子・鈴木六林男・草間時彦・金子兜太・成田千空・古舘曹人・津田清子
古沢太穂・沢木欣一・佐藤鬼房・中村苑子・深見けん二・三橋敏雄
(増補新装版書き下ろし執筆者)
宇多喜代子・下重暁子・寺井谷子・坂本宮尾・山下知津子・中野利子・夏井いつき
対馬康子・恩田侑布子・神野紗希・宮坂静生・齋藤愼爾・井口時男・高野ムツオ
横澤放川・仁平勝・筑紫磐井・五十嵐秀彦・関悦史・星野高士
若くてハンサム、知的な草城先生との出会い/感覚を詠んだ句の魅力/初めての原稿料、五句五円/戦火でクリスマスツリーのように燃え上がる庭木/検閲の厳しかった戦時中/ふたたび日野草城を囲んで/第一句集『月光抄』出版のころ/誓子の『激浪』を筆写、研究する/草城、誓子に学ぶ/菖蒲に偲ぶ多佳子の立ち姿/よく働いたキャリアウーマンの二十三年/「草苑」主宰を機に五十五歳で退社/「女性俳句」の始まりから終わりまで/いまの俳壇、ちょっとおかしいですわ/時間がもったいなくて……足には不安ありません
桂信子自選五十句…/桂信子略年譜…
第2章 鈴木六林男
戦前戦後、いまに続く検閲/報道管制で検閲事件がどこで起こったのかもわからない/「串柿」で永田耕衣の選を受ける/「一将功なりて万骨枯る」―戦後雑誌の消長/誓子の「天狼」となる/百年に一人の俳人、誓子/東西の人脈/「吹田操車場」で現代俳句協会賞受賞/三鬼とはウマが合った/三鬼の名誉回復裁判/証言を断った山本健吉/新興俳句の存続をかけた闘い/「諸君、有名になろう」を書いたころ/季語はどんどん増やせばいい/俳句はもっと短くなる/俳句はデジタルや/大阪俳人クラブ四代目会長に就任
鈴木六林男自選五十句…/鈴木六林男略年譜…
第3章 草間時彦
波郷の魅力/「鶴」の連衆は閉鎖的、と批判を受けた/俳壇活動のスタート―波郷の呪縛?/とにかく金がなかった俳人協会/角川源義さんと俳句文学館の建設/俳句文学館の完成と源義さんの亡霊/「鶴」を去り、以後主宰誌を持たず/俳人協会理事長の十八年、ちょつと長過ぎたな/手の上にあるのは俳句だけ
草間時彦自選五十句…/草間時彦略年譜…
第4章 金子兜太
私を俳句に誘い込んだ自由人たち/〈女人高邁〉のしづの女と、楸邨、草田男の魅力/「土上」の嶋田青峰との最初で最後の出会い/創刊間もなくの「寒雷」で楸邨の選を受ける/大物楸邨/戦前、戦中の草田男と草田男を囲む人々/「寒雷」での交わり/オバQみたいな先生が好き/「オレたちに選句をさせろ」とは無礼千万/「感性の化物」みたいにブラブラしていた時期/「非業の死者たち」に報いるために/私の反逆にはちゃんと理がある/一貫していた草田男の姿勢に感心する/わが「造型論」の始まり/「創る自分」を設定してゆく/「前衛」と称される俳句作品群の形成/現代俳句協会、俳人協会の分裂劇/草田男説批判の文章を書く/「抽象や造型は悪しき主知主義だ」と草田男が批判/「何たるディレッタント」―草田男の指摘/始原の姿をとらえよ/わが師楸邨と草田男の違い/虚子を踏まえて虚子を出た草田男の中期の句集/一茶発見/終生、草田男の句が好きだね
金子兜太自選五十句…/金子兜太略年譜…
第5章 成田千空
縦横、二つの選択―師を選び、同人誌を選ぶ/雪、雪、雪、雪の津軽の風土/寺山修司に大ショックを与えた第一回萬緑賞受賞/青森の俳句ルネッサンス/草田男、青森に来る―一週間随行記/「伝統をどう超克するか」で草田男と兜太が対立/兜太は草田男についていくべき人ではなかったかな/兜太との大論争のあと、「萬緑」は六か月休刊/中央の争いで地方の花園を荒らすな/草田男先生の魂はふるさと松山の墓にあり/地方の〝カルチャー〟発見の毎日
成田千空自選五十句…/成田千空略年譜…
第6章 古舘曹人
父のこと、佐賀の〝唐津〟のこと/学徒出陣の日、のちに女房になる人には何も言わずに別れた/戦後、復学した東大で得たたいへんな宝物/「夢をつくれ」と言って亡くなった角川源義さん/青邨逝去後「夏草」終結、あとはなんにも残らなかった/昭和を生きてきて、いまいちばん心配なのは日本全体のあり方です/小説「波多三河守」を書きながらスーッといなくなりたい
古舘曹人自選五十句…/古舘曹人略年譜…
第7章 津田清子
掘り出したジャガイモのようだった私/自分でいいと思ったものをつかまえればいい/誓子先生は正直詩派、津田清子は不正直詩派?/有名になろうと思ったら俳句が卑しくなる/この世に役に立たないものなんて何一つない/アフリカ、ナミブ砂漠への旅/『無方』の次はどこへ行く?/「圭」は土となり十となり、やがて一となる/今度は魂で宇宙に行ってきます
津田清子自選五十句…/津田清子略年譜…
第8章 古沢太穂
酒を飲み始めて八十年、十三歳から働く/「寒雷」創刊号ではボツ、しかし第一期の同人ですよ/大野林火さんから受けた恩/秋元不死男の紹介で新俳句人連盟へ参加/つぶれそうなところを立て直すのが古沢の仕事/松川事件や内灘闘争を積極的に支援/賞はもらえるときにもらっておけ/俳句欄の選もやり将棋観戦記も書く/やさしい言葉を生かして深いものを出したい
古沢太穂自選五十句…/古沢太穂略年譜…
第9章 沢木欣一
外地の小・中学校を出て、憧れの日本へ/青春の梁山泊、千家荘時代/細見綾子との出会い、結婚/戦地で受け取った第一句集『雪白』/「風」創刊、千五百部たちまち売り切れ/「風」の初期にかかわった俳人たち/社会性俳句の中心的存在となる/楸邨先生の魅力/文部省へ転任、東京時代の幕開け/俳句文学館建設への協力/東京芸大で二十年、その間、明大にも勤める/いまも印象に残る文学者たち/能登、沖縄、大和というトライアングル/遍路に出て、小我を捨てる/引いていって残るもの、それが俳句/まだ貯金があるから、あと一冊は句集を出したい
沢木欣一自選五十句…/沢木欣一略年譜…
第10章 佐藤鬼房
多喜二の『蟹工船』を読む多感な少年時代/十八歳で上京するも失意のうちに帰郷/戦場で鈴木六林男と知り合う/第三回現代俳句協会賞受賞の余波/孝橋謙二や永田耕衣との論争/阿部みどり女の「駒草」と「東北俳壇」のこと/三鬼と弟子たち/鬼房は「鬼の貫之」の鬼貫につながる/「小熊座」創刊は年貢の納め時のつもりだったが……
佐藤鬼房自選五十句…/佐藤鬼房略年譜…
第11章 中村苑子
小説家を志し、家出をする/戦死した夫の遺品から出てきた句帳/「文学をやるなら短いものを」と林芙美子の言葉/〝異色のりんご〟とよばれた「春燈」時代/万太郎の掌と、敦の教え/「鎌倉文庫」でのこと/「俳句評論」発行のいきさつ/「俳句評論」の発行所はまるで梁山泊/俳句界の隠れた貢献者たち/「俳句評論」の終刊/人間の原始は「水」と思った/「花隠れ」とその後の日々
中村苑子自選五十句…/中村苑子略年譜…
第12章 深見けん二
幸運なスタート/虚子編『新歳時記』などを読破/虚子から直接の教えを受けた研究座談会/繰り返し巻き返し「花鳥諷詠、客観写生」/信仰しなければ本物にならない/虚子を聞き、虚子を見る/虚子からの自立/「虚子は大きな人」と言われた青邨先生/虚子の根っこ
深見けん二自選五十句…/深見けん二略年譜…
第13章 三橋敏雄
新撰組にゆかりの八王子に生まれる/東京堂書店入社、社内俳句会に参加する/白泉、三鬼の句に魅せられる/三鬼の部下として働く/青春彷徨時代、神田から新宿、銀座へ/「京大俳句」が一斉検挙で壊滅/三鬼逮捕される/白泉らとの勉強句会/戦後のスタートは運輸省所属の練習船事務長/三鬼と神戸で再会、以来、「同行二人」/三鬼主宰の新誌創刊を断念/「戦後は女流」の現代俳句協会設立/三鬼の死後に第一句集『まぼろしの鱶』を出版/高柳重信との交友/白泉の抗議の手紙/戦争と俳句/次の句集に「乞う、ご期待」
三橋敏雄自選五十句…/三橋敏雄略年譜…
第Ⅱ部
五十嵐秀彦 西東三鬼の影 ―作家主義への展望
井口時男 無私と自由と
宇多喜代子 『証言・昭和の俳句』上・下巻 再読 ―過去は未来
恩田侑布子 戦争とエロスの地鳴り ―三橋敏雄
神野紗希 女性俳人ではなく、俳人として ―連帯の絆
坂本宮尾 戦時下の青春と俳句
下重暁子 「証言・昭和の俳句」
関 悦史 グランドホテルのまぼろし
高野ムツオ 鬼房余滴
筑紫磐井 『証言・昭和の俳句』の証言
―『証言・昭和の俳句』は『史記』たり得るか
対馬康子 プロフェッショナル
寺井谷子 俳句・えにし
中野利子 『証言・昭和の俳句』を読んで
夏井いつき 未来への選択
仁平 勝 少年と老人の文学 ――三橋敏雄について
星野高士 肉声
宮坂静生 人間万華鏡 ―戦後俳人を貫くもの
山下知津子 花菖蒲と冬椿 ―時代と対峙した十三人のモノローグ
横澤放川 千空と兜太と
齋藤愼爾 『証言・昭和の俳句』散策
増補新装版 あとがき 黒田杏子
http://ooikomon.blogspot.com/2020/12/blog-post_4.html 【山口青邨「木の椅子に君金の沓爽かに」(増補新装版『木の椅子』より)・・・】より
黒田杏子第一句集・増補新装版『木の椅子』(コールサック社)、ブログタイトルにした句、山口青邨「木の椅子に君金の沓爽かに」は『木の椅子』への序句。本集は、黒田杏子第一句集『木の椅子』(牧羊社・昭和56年刊)に加えて、当時の現代俳句女流賞・選評、合わせて、数々の黒田杏子論(古舘曹人・瀬戸内寂聴・永六輔・長谷川櫂・筑紫磐井)を再録掲載し、かつ、今回の初出稿は,齋藤愼爾「『能面のくだけて月の港かな』-黒田杏子第一句集『木の椅子』増補新装版に寄せて」、また、黒田杏子の第25回角川俳句賞(昭和54年)応募作50句「瑞鳥図」(予選通過作品。うち29句を『木の椅子』に収録)。さらに著者の「増補新装版へのあとがき」が収められている。
それにしても、愚生は、今は無き勤務だった弘栄堂書店の店頭で処女句集シリーズの一冊『木の椅子』を手にしてから、約40年が経過しているのだ。そして。黒田杏子と初めて会ったのは、高柳重信七回忌で富士霊園に向かう貸し切りバス中であった。当時、存命だった攝津幸彦と愚生の隣りが仁平勝、、その前列あたりに黒田杏子、宗田安正がいた。この記憶については、愚生よりも黒田杏子の記憶力のほうがはるかによく記憶されている。まだ、高屋窓秋、三橋敏雄、寺田澄史、もちろん、中村苑子、松崎豊、高橋龍、大高弘達、大岡頌司、太田紫苑、松岡貞子、糸大八、吉村毬子なども健在だった。さながら黒田杏子自筆年譜のような 「増補新装版へのあとがき」の中には、
一九六〇年四年生。六月十五日樺美智子さんが国会構内で命を落とされました。その日国会をとり巻くデモ隊の中に居りました私は衝撃を受けました。夏休みの八月、大学セツルメントのメンバー達と、九州の三井三池炭鉱第一組合の子供達支援のため、炭鉱住宅で一ヶ月暮らします。貴重な体験でした。(中略)
そして、瀬戸内寂聴先生に「あなたの人生にとって悪くない旅」とお誘い頂き参加させて頂いたはじめての南印度行の日々。ここで私の自然観と人生観は根底から一新され、全く別人に生れ変ってしまったのでした。
〈自分の生きたいように生きてよい〉〈忖度(そんたく)せず〉〈太陽を仰いで森羅万象と交信〉〈大地を踏みしめ、与えられた生命を完全燃焼〉などと表紙に書き付けた数冊の句帳にはおびただしい俳句が残りました。その中から自選した有季定型の50句をはじめて角川俳句賞に応募。「瑞鳥図」は第25回角川俳句賞の第一次予選通過。私はこの50句の内から29句を自選、『木の椅子』に収めることに決めました。
とある。そして、齋藤愼爾は、
(前略)しかし、この一、二年両協会は有名無実の存在となったのではないか。いや二協会の境が消滅したのだ。かかるとき、第二十回現代俳句大賞に俳人協会所属の黒田杏子氏の受賞が伝えられた。これぞ象徴的というか、画期的事件といってもいい。(俳人協会は会員以外は不可だ)
黒田氏は全選考委員の全員一致の推薦で決定したといわれる。この趨勢は時代の必然であり、もう誰も止めることは出来ない。新しい俳句史創成のため、私も微力を尽くしたい。
と述べている。ともあれ、本集より、いくつかの句を以下に挙げておこう。
十二支みな闇に逃げこむ走馬燈 杏子
夕桜藍甕くらく藍激す
丹頂が来る日輪の彼方より
白葱のひかりの棒をいま刻む
湖北渡岸寺へ
野にひかるものみな墓群冬の虹
暗室の男のために秋刀魚焼く
肉炙るなどかなしけれ昼の虫
きのふよりあしたが恋し青螢
夾竹桃天へ咲き継ぐ爆心地
母の幸何もて糧る藍ゆかた
摩崖佛おほむらさきを放ちけり
蟬しぐれ木椅子のどこか朽ちはじむ
炎天や行者の杖は地をたたく
夕焼けて牛車(ぎっしゃ)は天に浮くごとし
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