祈りとは自然との会話のこと

ネイティブアメリカンの名言@Indianteachings·

■「祈りとは自然との会話のこと。」【作者不詳】

https://www.mitsui-mall.com/article/755.html 【神様がいた頃の日本人の暮らし方 | 自然の中に神様を見つけていた頃の暮らし】より

■木が神様ってどういうこと?

日本人は昔から、木や岩を神様だと思って信仰してきたことを知っていますか?昔の人たちは目には見えないけれど尊い何かが宿るとして、自然を祈りの対象としてきました。

現代でも注連縄(しめなわ)が張ってある木を見ると、それが特別なものだとわかりますよね。たとえ注連縄がなくても、近所の人が通り過ぎるときに手を合わせていく木や、樹齢数百年規模の巨木を目にすると、圧倒されたり包み込まれるような不思議な感覚ってありませんか?

▲京都の貴船神社の御神木「相生の大杉」

そのようにして、日本人は身近にある木の中に神様を見出して暮らしてきました。また、木だけではなく山を神様とすることもあります。日本最古の神社の1つ、奈良の大神(おおみわ)神社は本殿を持たず、拝殿からご神体の三輪山を拝むような形になっています。山自体を神様として祀っている神社があるなんて驚きですよね。

日本では古くからの信仰で、あらゆるものに魂が宿るとして自然が慈しまれています。木、山、岩、河など自然界に当たり前に存在するものの中に、私たちの祖先は尊いものを見出してきました。日本の神様は自然の中にいるのです。

■勤労感謝の日のルーツは新嘗祭(にいなめさい)?

今では季節に関係なく、あらゆる食べ物を手に入れられる時代になりましたが、昔の暮らしは違いました。自分たちで畑仕事をする農耕社会では天候不良は死活問題だったのです。生きていくためには主食のお米が育ってくれないと困りますし、せっかく育った作物も天候に左右されてダメになってしまうことも多かったわけです。そこで日本の各地では、人智を超える存在に豊作を祈るようになっていきました。

11月23日は勤労感謝の日ですが、実はこの日は戦後に名前を改められたものだと知っていましたか?もともとは新嘗祭(にいなめさい)という収穫を祝うまつりごとをしている日なのです。

これは宮中祭祀の中でも最も重要な神事で、具体的には天皇陛下が新穀で神様をもてなすと共に、ご自身も新穀をいただくことによってその年の収穫に感謝します。言い方を変えると、天皇陛下の行われる最も重要な仕事の1つがこの新嘗祭なのです。

今年は天皇陛下が代わる貴重な年。天皇即位の礼の後にはじめて行う新嘗祭は大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれ、大規模に行われます。2019年はめったに経験できない歴史的瞬間の訪れる1年になりますよ。

■お祭りの起源は豊作のお願い?

農業の神様は冬は山に住んでいて、春になると里に降りてきて豊作をもたらしてくれると考えられてきました。だから捧げものをしたり、お祭りをして神様を喜ばせる努力をしてきました。最近のお祭りは、宗教的な意味は建前となって娯楽性が追求されがちです。それも悪いことではありませんが、本来の姿を伝え続けているお祭りもあります。

大阪の住吉大社の御田植神事(おたうえしんじ)は豊作を祈るもので、巫女さん達の華やかな八乙女舞(やおとめまい)や子どもたちの踊りなどで賑やかですし、埼玉の白鬚神社(しらひげじんじゃ)の脚折雨乞(すねおりあまごい)では大勢の男性に担がれた巨大な龍神が練り歩く姿は相当な見応えがあります。

またご存知かもしれませんが、相撲だってスポーツや娯楽である以前に、もとは豊作を祈る目的で奉納された神事でした。四股を踏む動作は本来、大地の厄を祓うとともに大地を目覚めさせる意味があるのです。このように普段私たちが暮らしの中で何気なく享受してる文化も、自然を崇拝しているものが多いのです。

■日本人には自然崇拝をする感覚が今もある

たまに街を歩いていると、建築前の更地で地鎮祭(じちんさい)を目にすることがありませんか?これは建物を建てるときに、神様に土地を利用させていただく許しを請い、無事に工事が終わることと、建物が末永く続くことを祈るものです。

また、同様に木を切るときにお祓いをすることもあります。人間の都合で命を頂くわけなので、そのことに対する謝罪とこれまでの感謝を伝えるのです。幼い頃に、地元で愛されていた巨木が切り倒される場面に出くわしたことがあります。木がギィーっと悲鳴をあげているような気がして心苦しい想いをしたことを、幼いながらに記憶していいます。それほど自然の命を頂くことは強烈なことなのだと思いますし、粗末に扱うとバチが当たりそうな気がしてしまう感覚は、自然と共存してきた日本人には特に強いのかもしれませんね。

▲地鎮祭の一例

私たちは初詣に行ったり、車を買いかえればお祓いをしますし、雑誌の占いコーナーを読んだりもします。朝の情報番組でラッキーカラーを知れば、なんとなく1日その色を意識してしまうこともあるかもしれません。そういう見えない世界に対する考えというのは、誰に教えられるでもなく、生まれたときから自然と備わっている感覚なのです。大地震や台風、津波など、人智の及ばぬ自然現象を畏れて崇める。それはとても自然なことなのだと思います。

一方で近年は目に見えない存在に都合良くご利益を期待する考えがもてはやされているように感じています。私たちはあまりに豊かになりすぎて、自然の恵みにいかされているということを忘れがちになっていますが、かつてのように自然を正しく畏れ、敬うことが大切なのかもしれないですね。


https://www.paperzz.com/doc/6236552/%E8%A8%80%E8%91%89%E3%82%92%E9%80%9A%E3%81%97%E3%81%A6%E5%87%BA%E4%BC%9A%E3%81%86%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%A8%E4%BA%BA%E9%96%93 【言葉を通して出会う自然と人間】より

生物学は,科学を通して自然を捉えますが,俳句は,言葉を通して自然に出会い,言葉を通して表現し,伝えます。俳人の黒田さんと,中村副館長が,身近な暮らしから自然について語りあい,話は言葉の大切さに及びます。言葉が乗せている世界は,人それぞれ。俳句の季語を集めた歳時記は,共通と多様の共存した,生きもののゲノムにも似ている......。

黒田杏子俳人,『藍生』俳句会主宰

中村桂子JT生命誌研究館副館長季語の記憶――

無花果言葉を通して出会う自然と人間イチジクを巡って

仲村―――これまではオサムシのように一つの生物に注目して歴史を見てきたのですが,次は生きものの関わり合い方の歴史を調べてみようと思って。見ていただいたのは,イチジクとイチジクコバチ,チョウと食草の共進化(6~11ページ参照)の関係です。

黒田―――生命誌研究館は俳人にとって目の鱗うろこが落ちる場所ですね。身の回りにある動植物も,その歴史や存在理由を知ると,自分の中の固定した季語の記憶が更新され,刺激を受けて次々とイメージが湧いてきます。

中村―――新しいタイプの俳句が生まれるかしら?

黒田―――さっき研究室で南の国の小さなイチジクに出会い,ショックを受けました。私の大好きな季語は,学生時代,料理上手な母が庭の若い実を採って丸のまま煮て,瓶詰めにして送ってくれた「無花果」と書くイチジクなのです。今はもうきちんとした会話が成立しなくなってしまった94歳の母に「お母さん,イチジクよ」と言えばほほえんでくれます。いちじくを割るむらさきの母を割る 黒田杏子去年の秋の句です。イチジクは私と母をつなぐ記憶の回路のカギ,絆なのです。実験室のイチジクは,中に花粉を運ぶハチ,寄生バチ,もっと小さな線虫が入った小箱でした。この時,イチジクというものがまったく別の存在として私の中に立ち上がってきました。人は誰でも身体に季語の記憶を内蔵しています。懐かしい風景,情景とともにね。その内容ががらりと更新される生命誌研究館は句材の宝庫ですよ。

俳句と科学

黒田―――私,今,日本全国をくまなく歩いているのですが,俳句を作るためというより,出かけた各地で,自然やその風土と出会えることが何よりありがたく感動するのです。サクラでも土地それぞれでまったく違う。さまざまな生命体が存在し,草木虫魚もさらに石やお地蔵のように生きていない存在をも含めて,私に生きてゆく勇気を与えてくれます。

中村―――生きることは出会いですね。その時,人間だけでなく自然のすべてを対象にするところが俳句の魅力だし,生命誌もその目をもっているつもりです。

黒田―――たとえば,サクラを見て一人帰ってくる時に,後ろからじっとサクラが私を見ているんじゃないかという感じが強いんです。絵本で,雲や木に目があったでしょ。自然を見に行く時,必ず自然もこちらを見ている,見てくれていると,この頃強く感じます。

中村―――科学はこちらから見て,時には相手をバラバラにしてでも中まで知ってやろうというやり方をしてきたのね。私が生命誌を“誌”としたのは,まさに相手の語ることを聞こうというつもりなのです。ゲノムの研究も,プロジェクトではゲノムを解析しますが,生命誌では,ゲノムが生きものの中で自分を読み解いていく様子を語ってもらおうと思っています。

黒田―――私が俳句で体験,学習,発見していることと重なってきますね。俳句作者として生きる私にとって,自分を含めた森羅万象への好奇心と森羅万象からの語りかけ,その声を聴くことが支えなのです。私にとって句作の源動力です。

爽さわやかに草木虫魚ひともまた 黒田杏子

黒田―――生命誌への挨拶句を作りました。「爽やか」が秋の季語で,気候と気持ちが爽やかであること。草木虫魚がそれぞれの生命を生きている,もちろん人も。

中村―――すばらしい。黒田さんがいらっしゃるというので研究員が作ったのが,オサムシもアゲハも私も生命誌 小野肇出来はともかく表現したいことは同じ。何につけ五七五で表現するのは日本人の感性ですね。でも季語の効果ってすごいですね。

黒田―――挨拶句を作る時,必ずその一句を差し上げる相手の方を思って,その人にもっともふさわしい季語を選ぶのです。それがセンスで,文化なのです。ギフトの包み紙をほどくと季語がある。私が中村さんに贈る「爽やかに」は私が作った言葉じゃないけど,「爽やかに」がもつイメージは皆わかる。そしてまさに中村さんそのもの。季語には著作権がない,誰でも自由に使える日本

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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