Facebook矢加部 幸彦さん投稿記事
我を知り尽くした時、宇宙を知り尽くしたことになる故、この身体が、この心が、うれし楽しのミコトの現れだと判った時、はじめて、宇宙が、神が、うれし楽しの心そのものであることが判るのです。。だから、この身体を、この心を、愛おしく、抱きしめるのです・・・
http://www.okunijinja.or.jp/ooharae/ 【「大祓おおはらえ」その歴史と伝統】より
~古代から続く祓い・清めの伝統~
大祓は、古代から毎年6月の晦日と12月の大晦日に、半年の罪や穢けがれを祓い除く儀式として行われてきたもので、現在も宮中を始め全国の神社などでおこなわれています。
小國神社「大祓」その歴史と伝統
古代においては、都の朱雀門という大内裏正門の前に、親王・諸王以下百官の男女、またその周辺の里人などが集まり、中臣氏によって「大祓詞おおはらえのことば」が読まれ、卜部氏によって罪・穢れが祓われました。この時に読まれた「大祓詞」は平安時代に編纂された「延喜式えんぎしき」巻第八に記載されていて、現在も見ることができます。
今日神社で用いられている「大祓詞」は、その「延喜式」祝詞の一部省略し、読み方も少し改めているものが奏上されています。
「祓はらい」
~罪つみや穢けがれを取り去り清浄へと導く~
漠然と「お祓い」という言葉を聞くと、厄祓いなど、多くの皆さんは「何かわるいものを取り除く」ようなイメージをもたれる方が多いと思います。
本来、「祓」とは罪や穢れを取り去って清浄になることです。
小國神社「祓」罪や穢れを取り去り清浄へと導く
その究極は生まれ出たときの様な清らかな本性が現れること、つまり、神さまから授けられた本来の自己に帰ることを指します。そのため、清浄を尊ぶ神道では、様々な祭りや神事あるいはご祈祷などの前には必ず「修祓しゅばつ」と言われるお祓いをおこないます。
これは神職や神具そして参列者などを清浄に導くために必要不可欠な神事です。もちろん、大祓式の前にもおこない、清浄に清浄を重ねて儀式に臨みます。
「罪」とはなんでしょうか
罪の観念は時代とともに変遷しますが、恐怖を抱かせる反社会的行為・疾病・災禍などのことを指します。
「穢れ」とはなんでようか
「穢れ」の解釈は時代と共にその捉え方が拡大したり細分化されますが、自然発生的な現象により、物事の清浄、心の静謐を乱すものを指します。
「祝詞のりと」
~お祭りの中で神職が神前(神さまの前)で唱となえる言葉~
日本人は古くから、言葉には魂があると信じてきました。
これを「言霊ことだま」と言います。
小國神社「祝詞」お祭りの中で神職が神前(神さまの前)で唱える言葉
古来より、言葉には神秘的・霊的な力が宿っていてその言葉を口に出す事で言葉に宿っている霊力が発動される、という「言霊」に対する信仰があります。万葉集では日本のことを「言霊の幸はふ国」や「言霊の佑くる国」などと表現していることからも「言霊」の重要性が伺えます。
神さまに感謝の気持ちを表わす時や、お願いごとをするときに「言霊」を込めて読み上げる文章が、「祝詞」の意味です。「言霊」は言葉に出すことが大切とされています。
「祝詞」を声に出して読むことを「奏上そうじょう」といいます。奏上することで、一層のご加護があるとされています。祝詞の代表的なものに、大祓詞おおはらえのことば、神棚拝詞かみだなはいし、神社拝詞じんじゃはいし、略拝詞りゃくはいしなどがあります。
「大祓詞」は仏教の「般若心経」にあたるものです。
「大祓詞おおはらえのことば」
~「言霊ことだま」に込めた「祓い」と「清め」の祈り~
小國神社「祝詞」と「大祓詞」
祝詞の中の祝詞
古くは「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」ともいわれ、奈良時代以前から存在したともいわれ、1200年以上の歴史をもつとても古い祝詞です。
平安時代に編纂された延喜式の中にも、長文の祝詞は沢山ありますが、大祓詞が一番長く、現在奏上されている大祓詞も最も長い祝詞の一つです。
祝詞の中の祝詞とも言われるほど完成度の高い文体で、文学的にも高く評価されています。また、恒例の大祓式以外にも様々なお祓いで用いられることから「万能祈願祝詞」とも言われることがあります。
作者不明の不思議な祝詞
大祓詞は、約900の文字から構成されています。(仏教における「般若心経」は276文字の3倍)この祝詞の文章については諸説ありますが、誰が作ったものかは未だ明らかになっていません。
神道には教祖や教義や教典がないように、大祓詞も特定の個人が創り出したものではなく、私たちの祖先が神々と営みを共にすることで自然に出来上がってきたものです。また、大祓は、個人を対象にしたお祓いに留まらず、全体、公に対するお祓いでもあります。いわば「国民全員」、「社会全体」の罪穢れ、災厄を取り除くためのお祓いといえます。
恒例としては、6月、12月の晦日、大晦日に行われていますが、悪疫が流行したり天災などの異変があったとき、あるいは天皇崩御の際や大嘗祭のときなどの重要な国の儀式が伴うときなどに行なわれてきました。
小國神社「大祓」
スペシャルムービーおおはらえのことばhttp://www.okunijinja.or.jp/ooharae/video/ooharae_1280lq.mp4http://www.okunijinja.or.jp/ooharae/video/ooharae_1280lq.mp4
(14分50秒)
アニメーション「おおはらえのことば」によせて
今日、私たちは、神社やお祭りを通して1,000年以上前のことを目の当たりすることができます。1,200年以上前から伝わる「祝詞」(のりと)、「大祓詞」(おおはらえのことば)を紐解くと、古代の人々が神々をとても身近な存在として感じていたことがとてもよくわかります。と同時に、私たちの祖先が「大切にしてきた生き方」にも気がつきます。それは、「神々を敬い、万物に霊性を認め、祖先の心を己の心とし、自然と調和しながら平和に暮らす生き方」といえます。
このような古人(いにしえびと)の姿に、現代を生きる私たちが学ぶことは沢山あるのではないでしょうか。神話や神事は私たちに不易(ふえき/時代を通して変わらないこと)を教えてくれます。今日まで奏上され続けている「大祓詞」にはそのような大切なこころが潜んでいるように思います。
本作品は、大人から子どもまで幅広い世代の方々が楽しんでいただけるように「大祓詞」が持つ深遠な世界観をアニメーションで表現いたしました。原作は「小國神社ものがたり」でお馴染みの静岡市在住の絵本造形作家たたらなおきさんによるものです。
作品をご覧になった皆さまの心に、「清らかな心を尊ぶ日本人の姿」が宿ることを願います。
小國神社「大祓」
「大祓おおはらえ」に現れる豊かな祖先のこころ
~日本人の自然観が生んだ壮大なストーリー~
大祓詞は大きく四つの場面にわけることができます。
- その1 -
大祓詞の冒頭は、高天原(天上界)に鎮まる神漏岐命(カムロキノミコト)、神漏美命(カムロミノミコト)と八百万の神々が会議を重ねられた後、皇御孫命(スメミマノミコト)へ豊葦原水穗国(日本の美称)を高天原のような安らかな国として平和に治めるようにと使命を与えました。その後、地上の荒ぶる神々を鎮め、天上の高天原から地上へ降臨しました。
- その2 -
地上へ降りた皇御孫命(スメミマノミコト)は国の中心を大倭日高見国(オオヤマトヒダカミノクニ)と定めて、そこに立派な宮殿を建てて平和で安定した国として治めていました。ところが国内では、どうしても様々な罪や穢れが発生してしまいます。
- その3 -
そこで、皇御孫命(スメミマノミコト)は様々な罪や穢れが発生した際に、それらを消し去る方法を教えました。
その方法とは、高天原(天上界)で行われている神事(お祀り)に従ってお祓いを行い、「天つ祝詞の太祝詞事」を奏上して、神々にお祈りを申し上げます。そうすれば、神々はその願い事を聞き入れて下さるであろうと述べます。
- その4 -
「天つ祝詞の太祝詞事」をお聞き届け下さった神々のお働きにより、人間たちの全ての罪や穢れがなくなっていく様子が表現され、改めて人間たちの罪や穢れを祓い清めていただくよう祈りを捧げています。
「大祓詞おおはらえのことば」仮名交じり
高天原たかまのはらに神留かむづまり坐ます 皇親神漏岐神漏美すめらがむつかむろぎかむろみの命以みこともちて 八百萬神等やおよろづのかみたちを神集かむつどへに集つどへ給ひたまい 神議かむはかりに議はかり給ひたまいて 我あが皇御孫命すめみまのみことは 豊葦原瑞穂国とよあしはらのみづほのくにを 安国やすくにと平たいらけく知しろし食めせと 事依ことよさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし国中くぬちに 荒振あらぶる神等かみたちをば 神問かむとはしに問はとわし賜ひたまい 神掃ひかむはらいに掃ひはらい賜ひたまいて 言問ひことといし 磐根いわね木根立きねたち 草くさの片葉かきはをも事止ことやめて 天あめの磐座放いわくらはなち 天あめの八重雲やえぐもを 伊頭いづの千別ちわきに千別ちわきて 天降あまくだし依よさし奉まつりき 此かく依よさし奉まつりし四方よもの国中くになかと 大倭日高見国おおやまとひだかみのくにを安国やすくにと定さだめ奉まつりて 下津磐根したついわねに宮柱太敷みやばしらふとしき立たて 高天原たかまのはらに千木高知ちぎたかしりて 皇御孫命すめみまのみことの瑞みづの御殿仕みあらかつかへ奉まつりて 天あめの御蔭みかげ 日ひの御蔭みかげと隠かくり坐まして 安国やすくにと平たいらけく知しろし食めさむ
国中くぬちに成なり出いでむ天あめの益人等ますひとらが 過あやまち犯をかしけむ種種くさぐさの罪事つみごとは 天あまつ罪つみ 国くにつ罪つみ 許許太久ここだくの罪出つみいでむ 此かく出いでば天あまつ宮事以みやごともちて 天あまつ金木かなぎを本打もとうち切きり末打すえうち断たちて 千座ちくらの置座おきくらに置おき足たらはして 天あまつ菅麻すがそを本刈もとかり断たち 末刈すえかり切きりて 八針やはりに取とり裂さきて 天あまつ祝詞のりとの太祝詞事ふとのりとごとを宣のれ
此かく宣のらば 天あめつ神かみは天あめの磐戸いわとを押おし披ひらきて 天あまの八重雲やえぐもを伊頭いつの千別ちわきに千別ちわきて 聞きこし食めさむ 国くにつ神かみは高山たかやまの末すえ 短山ひきやまの末すえに登のぼり坐まして 高山たかやまの伊褒理いぼり 短山ひきやまの伊褒理いぼりを掻かき別わけて聞きこし食めさむ 此かく聞きこし食めしてば 罪つみと言ふいう罪つみは有あらじと 科戸しなどの風かぜの天あめの八重雲やえぐもを吹ふき放はなつ事ことの如ごとく 朝あしたの御霧みぎり 夕ゆうべの御霧みぎりを 朝風あさかぜ夕風ゆうかぜの吹ふき拂ふ事はろうことの如ごとく 大津辺おおつべに居おる大船おおふねを 舳解へとき放はなち 艪解ともとき放はなちて大海原おおうなばらに押おし放はなつ事ことの如ごとく 彼方おちかたの繁木しげきが本もとを焼鎌やきがまの敏鎌以とがまもちて打うち掃ふ事はろうことの如ごとく 遺のこる罪つみは在あらじと
祓へはらえ給ひたまい清きよめ給ふ事たもうことを 高山たかやまの末すえ 短山ひきやまの末すえより 佐久那太理さくなだりに落おち多岐たぎつ 速川はやかわの瀬せに坐ます瀬織津比売せおりつひめと云ふいう神かみ 大海原おおうなばらに持出もちいでなむ 此かく持もち出いで往いなば 荒潮あらしおの潮しおの八百道やほぢの八潮道やしほぢの潮しおの八百曾やおあいに坐ます速開都比売はやあきつひめと云ふいう神かみ 持もち加加呑かかのみてむ 此かく加加呑かかのみてば 気吹戸いぶきどに坐ます気吹戸主いぶきどぬしと言ふいう神かみ 根国ねのくに 底国そこのくにに気吹放いぶきはなちてむ 此かく気吹放いぶきはなちてば 根国ねのくに 底国そこのくにに坐ます速佐須良比売はやさすらひめと云ふいう神かみ 持もち佐須良比さすらい失ひうしないてむ 此かく佐須良比さすらい失ひうしないてば 罪つみと言ふいう罪つみは在あらじと 祓へはらえ給ひたまい清きよめ給ふ事たもうことを 天あまつ神かみ 国くにつ神かみ 八百萬やほよろづの神等共かみたちともに聞きこし食めせと白もうす
「大祓詞おおはらえのことば」ひらがな
(「へ」→「え」、「ひ」→「い」、「ほ」→「お」等と表記しています)
たかまのはらにかむづまります すめらがむつ かむろぎ かむろみのみこともちて やおよろづのかみたちを かむつどえにつどえたまい かむはかりにはかりたまいて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたいらけく しろしめせと ことよさしまつりき かくよさしまつりし くぬちに あらぶるかみたちをば かむとわしに とわしたまい かむはらい(に)はらいたまいて ことといしいわね・きねたち くさのかきはをもことやめて あめのいわくらはなち あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひだかみのくにを やすくにと さだめまつりて したついわねに みやばしらふとしきたて たかまのはらに ちぎたかしりて すめみまのみことの みづのみあらかつかえまつりて あめのみかげ ひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけくしろしめさむ
くぬちになりいでむ あめのますひとらが あやまちをおかしけむ くさぐさのつみごとは あまつつみ・くにつつみ ここだくのつみいでむ かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらわして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
かくのらば あまつかみは あめのいわとをおしひらきて あめのやえぐもを いつのちわきにちわきて きこしめさむ くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいぼり・ひきやまのいぼりを かきわけて きこしめさむ かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなど(と)のかぜの あめのやえぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜのふきはろうことのごとく おおつべにおるおおふねを へときはなち ともときはなちて おおうなばらに おしはなつことのごとく おちかたのしげきが もとをやきがまのとがまもちて うちはろうことのごとく のこるつみはあらじと
はらえたまいきよめたもうことを たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにます せおりつひめというかみ おおうなばらに もちいでなむ かくもちいでいなば あらしおのしおのやほぢの やしほぢの しおのやおあいにます はやあきつひめというかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにます いぶきどぬしというかみ ねのくに そこのくにに いぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににます はやさすらひめというかみ もちさすらい うしないてむ かくさすらい うしないてば つみというつみはあらじと はらえたまい きよめたもうことを あまつかみ くにつかみ やほ(お)よろづのかみたちともに きこしめせともうす
「大祓詞おおはらえのことば」現代語訳
高天原(天上)にお鎮まりになられる民族の祖神、カムロギ(男神)カムロミ(女神)のご命令によって、八百万の神々が集まられて、会議に会議を重ね、論議に論議をつくされた結果、天照大御神は、「わが子孫である皇御孫命(すめみまのみこと)(天皇)よ、豊葦原の瑞穂の国(日本)を、安らかな国として平和に治めなさい」と仰せになり委託されました。
しかし、託された国内には、不平を言っては反対する神々がいましたので、この神たちの考えや不満を何度も聞き直し、また見直ししながら、国造リに協力して貰えないか繰リ返し相談しましたら、荒れていた神々は、やがてその真意を理解し協力するようになりました。すると岩や木や、草の一葉までもがこれに同調し、騒乱の国土はすっかり平穏に治まりました。そこで皇御孫命は、高天原の御座所を立たれ、幾重にも重なる雲を掻き分けながら、地上に降臨されました。
このようにして天照大御神から、委託を受けた皇御孫命は、国の中心の大和の地を都と定められ、盤石な礎石の上に太い柱を建て、屋根は天まで届くかのような高い千木を取り付け、荘厳な御殿をお造りになリました。
その御殿で皇御孫命は、皇祖の神々のお陰を戴きながら、この国を平安な国として治め、さらに努力しますが、国内に生れ育つ人間というのは悲しいもので、故意の罪や無意識の過ちを犯したリして、数多の罪や穢れを溜めてしまうのです。
皇御孫命は、そのような罪穢れが生じた際に、それを消し去る方法を教えました。それは、高天原の神々の儀式に倣って、細い木の本と末を切り揃え、これを罪の贖い物として、多くの台の上に沢山積み、また菅や麻の本と末も切り、真中の良いところを細かく裂き、それを祓いの道具に用いて神事を行い、この神聖な祓いの祝詞を唱えなさい。
このように唱えるならば、天上の神は高天原の門を開かれて、幾重にも重なった雲を押分けてお聞きくださるでしょう。また地上の神も、人間の様子がよく見える高い山や低い山に登られて、霞や雲や霧を払いのけ、人間の願いをお聞きになるでしょう。
このように、天上の神や地上の神々が、お聞き届け下さいましたならば、四方世界の罪穢れは一切なくなってしまうでしょう。それはあたかも、風が八重の雲を吹き払うように、また朝夕に立ちこめる霧を風が吹き払うように、あるいは港に繋ぎ止めて不自由な様子の、船の綱をほどき、自由に広い海を航海させるよつに、また鬱蒼と繁っている木々を、鋭い鎌で切り払えば、回りが明るくなリ、爽やかな気持ちになるように、漏れ残る罪穢れは一つもないように祓われて清らかになるでしょう。
このように祓い清められた罪穢れは、高い山低い山の上から、谷間を勢いよく流れ落ちる早川の瀬にいる瀬織津姫という神様が大海原に流し去ってくれるでしょう。
大海原に流されたならば、押し寄せる荒潮がぶつかり合って、渦を巻いている所にいる速開都比売という神様が、大きな口を開けて罪穢れをがぶがぶ飲み込み、海底深く沈めてくれるでしょう。
海底深く飲み込まれた罪穢れは、次の、息を吹き出す所にいる気吹戸主という神様によって、「根の国、底の国」という地下の国に遠く吹き放ってしまわれるでしょう。
吹き放ってくださると、根の国底の国にいる速佐須良比売という神様が、何処とも知れず運び去って、跡形もなく消し去ってくれるでしょう。
このように、あらゆる罪槻れを消し去って戴きますことを、天上の神様、地上の神様、そして八百万の神様ともどもに、どうかお聞き届け下さり、私たち人間の罪穢れを祓い清めて戴きますよう、謹んでお祈りし申し上げます。
「大祓詞おおはらえのことば」を覚えて奏上してみましょう
大祓を覚えようとして直面するのが、その長さだけでなくどこで区切ればいいかわからないことです。
最初から最後までずっと連続しているようにしか思えず、覚えようとするそばから挫折してしまいます。しかし、大祓はその内容から4つのブロックに分けることが出来ます。
まずはそれぞれのブロック(1~4)ごとに覚えていって、最後に全部通して奏上できるように練習しましょう。
高天原たかまのはらに神かむ留づまり坐ます ~ 安国やすくにと平たいらけく知しろし食めさむ
国中くぬちに成なり出いでむ ~ 天あまつ祝詞のりとの太祝詞事ふとのりとごとを宣のれ
此かく宣のらば ~ 遺のこる罪つみは在あらじと
祓へはらえ給ひたまい清きよめ給ふ事たもうことを ~ 八百萬やほよろづの神等共かみたちともに聞きこし食めせと白もうす
息継ぎの位置
決まった息継ぎの位置はありません。
意味が途切れないところで息継ぎをすることが望ましいですが、あまり固く考えずに奏上しましょう。また、大勢でで奏上するときは、他の人が息継ぎしている間は自分が声を出すようにして、全体として途切れないようにすることを意識しましょう。
音程
音程にも決まったものはありません。
あまり抑揚をつけず、清らかな川の流れを意識しながら、言葉が流れているように奏上しましょう。また、皆で奏上するような時に一人だけ外れているような人がいることがありますが、できるだけ周りの音程と差が出ないように調和をとることが望ましいです。
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