https://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/bonen.htm 【半日は神を友にや年忘れ】より
(俳諧八重桜集)(はんじつは かみをともにや としわすれ)
元禄3年師走。この冬、芭蕉は上方で越年した。京都鞍馬の上御霊神社の神官小栗栖祐玄(俳号示右<じゆう>)に招かれて忘年歌仙を巻いた。その折の挨拶吟。
半日は神を友にや年忘れ
こうして楽しい年忘れの俳諧が興行できたというのも、元来この神社の祭神たちが詩歌に造詣の深い方々ばかりであるから。私は、半日楽しませてもらいましたが、残りの半日を、ここの主人示右は今度は神々と忘年俳筵を巻くことでありましょう。
http://blog.aspiral.jp/?eid=787011 【半日は神を友にや年忘れ】より
こんにちは、山崎です。
今日から12月。
時間がたつのは、早いですね…
12月となると、忘年会の季節ですね。
お酒があまり強くない私には、あまり嬉しくない催し物。
忘年会は、“年末にその一年の苦労を忘れるために行う宴会”のことだけど…
今日は、松尾芭蕉のちょっと粋な年忘れの俳句を紹介します。
半日は神を友にや年忘れ
(はんじつはかみをともにやとしわすれ)
この句は、元禄3(1690)年の12月に、芭蕉が京都の上御霊神社(現在の御霊神社)を訪ね、句会をした時の発句だそうです。
句意は、「神社で句会をして楽しみむ半日は、まるで神様を友にするかのような年忘れになります」。
人のみならず、神様までをも友にするって、すごい発想!
そして、なんとなく素敵な感じ…
芭蕉の句の中では有名な句ではないけど、
「神を友に」の大胆すぎるフレーズが気になり、
珍しく覚えていた句です。
しかし、私が参加する忘年会とかなり趣の差がありすぎですね…しょんぼり
https://kigosai.sub.jp/001/archives/2811 【年忘(としわすれ)暮】より
【子季語】忘年会、別歳、除夜の宴
【解説】
年末に一年の労苦をねぎらうために開く酒宴。忘年会。その年の労苦を忘れ、また息災に年末を迎えたことを祝う気持ちがある。年末に連歌の興行をしたことに始まるという。
【例句】
くむ酒やくれ行くとしを忘れ水 惟中「俳諧三部抄」
魚鳥の心は知らず年忘れ 芭蕉「流川集」
半日は神を友にや年忘レ 芭蕉「八重桜集」
せつかれて年忘するきげんかな 芭蕉「芭蕉庵小文集」
人に家をかははせて我は年忘 芭蕉「猿蓑」
人ごころ問はばや年の忘れ様 杉風「初蝉」
姥ふえてしかも美女なし年忘 其角「白馬」
霊運もこよひはゆるせとし忘れ 蕪村「蕪村句集」
酔ひ臥しの妹なつかしや年忘れ 召波「春泥発句集」
わかき人に交りてうれし年忘れ 几董「井華集」
いかめしや鯨五寸に年忘れ 樗良「年尾」
うき恋に似し暁やとしわすれ 青蘿「青蘿発句集」
独り身や上野歩行てとし忘れ 一茶「七番日記」
遅参なき忘年会の始まれり 前田普羅「普羅句集」
とんとんと上る階段年忘れ 星野立子「句日記Ⅰ」
年忘れして新しき年へ又 長谷川櫂「初雁」
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/oinokobumi/oino25.htm 【葛城山*】より
猶見たし花に明行神の顔(なおみたし はなにあけゆく かみのかお)
猶見たし花に明 行神の顔
恥ずかしがらずに顔を見せてください、一言主神さま。この山の桜は全山満開、その美しいこと。あなたもきっと美しいに違いありません。
葛城一言主神社境内の句碑(牛久市森田武さん撮影)
葛城山:葛城山の祭神は一言主神<ひとことぬしのかみ>。この神様は、大変醜い顔立ちの神。その昔、役の行者が葛城山から金峰山に橋を作っていた時、この神は容貌を恥ずかしがって夜間だけ手伝ってくれたという伝説がある。一句はこの伝説を踏まえる。
https://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/ef862df405ba7c56c1405d033a61e3cd 【猶見たし花に明行く神の顔 by 芭蕉】より
葛城一言主神社、5年目にして初めて気づいた芭蕉の句碑。
昨日クリスマスの日、ご近所シニア7名誘いあって参拝して来ました。
今年は冬至の日には行けなかったけど、一陽来復のお札賜ってきましたので、大みそかに吉方向けて貼る予定です。
もちろん、一言主さんへのたった一つのお願いは…です。
mari さんのブログでは同じ日に穴八幡宮へ行かれたけどすごい行列でギブアップと書かれてました。
葛城では、同じ一陽来復を求めてもこんなに空いてました(^人^)
奈良むかしばなしより
「一言主神は、お顔が醜かったともいう。昔、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城山(かつらぎさん)と吉野の金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとした。それを手伝った一言主神は容貌を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉は『笈(おい)の小文(こぶみ)』の旅で葛城山にふれ、「猶(なほ)みたし花に明行(あけゆく)神の顔」の句を残した。
花々に包まれた葛城の夜明け。そこにおわす神のお顔が、まさか、醜いなんて。いや、麗しいに違いない、といった気持ちか。一言主神社の境内にその句碑がたつ。春の花、秋の紅葉、いつの季節も葛城の山里は美しい。」
https://textview.jp/post/hobby/10053 【不易に立って流行を楽しむ】より
人は生まれて最初に父母と出会い、次々と出会いを繰りかえし、やがて老いて死んでいく。つまり、出会いの後にすべての人々との別れがある。
この悲しみをどう乗り越えて生きればいいのか。これを問い続けたのが『おくのほそ道』の芭蕉だという。俳人の長谷川櫂(はせがわ・かい)氏に話を聞いた。
* * *
人間の世界にはもちろん喜びや楽しみもたくさんありますが、それ以上の悲しみや苦しみが控えています。その最たるものが親しい人々との別れです。その別れを生みだすのがじつは出会いです。
昔からいうとおり会うは別れのはじめ。人は生まれて父母、兄弟姉妹、夫や妻や友人たちと出会い、子どもが生まれれば子どもと出会います。しかしやがて老い、病み、最後は死んで愛するすべての人々と別れなければなりません。昭和戦争(日中戦争と太平洋戦争)でも東日本大震災でも数かぎりない別れがありましたが、戦争や災害でなくても出会いと別れは日常的に繰り返されています。
こうした別れの悲しみや苦しみに満ちたこの世界を人はどのように生きていけばいいのか。これが『おくのほそ道』の旅をしながら芭蕉が問いつづけていたことです。その自問の果てに芭蕉がたどり着いた回答が「かるみ」でした。
では「かるみ」とは何なのか。
「かるみ」とは一言でいえば悲惨な世界を軽々と生きてゆくということです。芭蕉は不易流行という考え方にたどり着きました。不易流行とは宇宙はたえず変化(流行)しながら、じつは不変(不易)であるという宇宙観でした。それは同時に自然観でもあり人生観でもあります。時の流れとともに花や鳥も移ろい、人も生まれて死んでゆく。その花や鳥や人もまた不易なるものが時とともに流行する姿なのです。
「かるみ」とはこの不易流行という認識の上に立った人生の生き方、つまり行動論なのです。人の世が出会いと別れを繰り返しながら、そのじつ何ひとつ変わらないのであれば、出会いや別れに一喜一憂することなく、不易に立って流行を楽しみながら軽々と生きていきたいという芭蕉の願いなのです。
■『NHK 100分de名著』2013年10月号より
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