芭蕉の俳句における「ほととぎす」のモードとスタ イル : 『万葉集』・『古今集』・『新古今集』に おける「ほととぎす」との対比において

file:///C:/Users/minam_000/Downloads/2009200685.pdf 【芭蕉の俳句における「ほととぎす」のモードとスタイル : 『万葉集』・『古今集』・『新古今集』における「ほととぎす」との対比において】より

はじめに

 夏の鳥であり、五月の景物としての「ほととぎす」は、五月の中心的素材である。その「ほととぎす」は、季節の推移によって起こる人々の感情、ひいては喜怒哀楽の表象として用いられてきた。人は、自然と対立し、また順応しながら、絶対的な存在である自然と自分の世界との調和を求めてきた。

その自然と人との調和は、深奥な芸術世界を形成する過程である。

 自然の一部分である「ほととぎす」が人の心を表すのに、いかに対象化されてきたか。時節の経つにつれて変化するモードの様相から作者の個性を考えてみる。異なるジャンルから俳句の形式が持つ特性を探り出すために、季語という同質の要素、すなわち対象のパラダイムを適用することにした。

 文芸として本格的に新しい文芸様式になる時期までの俳譜は、時代によって様々な変遷が見られる。

十七世紀、松永貞徳は、連歌に対して、俳譜を面白き事・楽しむ道として、「俳言」を提示した。その「俳言」は、連歌に入る方便としてしか考えられなかったものである。貞徳の弟子であった野々口二二と松江重頼によって丁丁と連歌を区別しようとする意識が強まっていった。特に、重頼は、俳門の素材としておかしさ、ものの見方として心門、発句として四季の詞、切れ字、おもしろさで俳譜を見分けして新しい趣を表そうとしたが、表現形式は連歌の形に従属する限界があった。

 二二が本格的に新しい文芸様式になる時期まで、松尾芭蕉は、劃期的な展開期を形成し、独特な芸術世界を構築した。優雅なる俳句から心の遊戯としての俳句に、広い世界を形成する芸術としての俳句を創出した。自然を直観する精神によって真実な感動を表出し、言語芸術の可能性を開いたのである。芭蕉は、遊戯性の多い二丁を和歌・連歌の優雅な世界と俗の世界との素材の結合を通して、対象への感動を多様な言語感覚で表現し、芸術世界の創造的精神の可能性を提示した。

 芭蕉の俳句には、「ほととぎす」の歌語が28首ある。『万葉集』・『古今集』・『新古宵祭』の「ほととぎす」の伝統を受けながら、多様な結合語となり、独特な発想をしている。夏の季語の代表的な「ほととぎす」は、どのような姿で表れているか。その「ほととぎす」の詠歌の様相について、時代の連続性による類似性や異質性を探って、和歌と芭蕉の詩の世界を比較してみよう。その比較は用語と表現方法、発想の特性を中心にする。具体的には、「ほととぎす」を通して日本の美意識や芭蕉の詩精神を考えてみることとする。

 「ほととぎす」と結び付く花の種類が作り出す和歌に共通した世界と、芭蕉の俳句に新しく見出すことができる「ほととぎす」と結び付く花の種類が作り出す世界とを比較し、芭蕉の俳句の独創性を考察していく。『万葉集』・『古今集』・『新古今集』の「ほととぎす」に関して、それぞれの時代的な特徴をその素材の使用率から考察した論考(注1)はある。この本論は、「ほととぎす」と花との結合関係を取り出して和歌と芭蕉との世界を比較したものである。紙数の関係で「ほととぎす」と結び付く花の種類をすべて取り出して、『万葉集』・『古今集』・『新古今集』それぞれどのように使われ、どのような表現の変化を経て、芭蕉の変化に至ってきたかを述べることができない。ここでは、それら三代集から和歌としての素材の共通点を想定し、芭蕉の俳句を中心にして対比させてみる。

1.歌集の構成上における「ほととぎす」の位置

1.1. 『万葉集』・『古今集』・『新古今山』にはそれぞれ、編纂上の構造の特性を持っている。その特性は、和歌の世界の定型性を持ち、時代の変化と文芸形成の発達過程を示している。その和歌と個人の作品との比較について、あらかじめ和歌の世界を理解しておく必要がある。

 「ほととぎす」がどれほど歌の素材として愛好されて来たか、いかに表現されて来たか、どのような伝統を持って来たかを理解して、その伝統が一人の作者に与えた影響やその伝統を超える自己の表現言語の特殊性を判断しなければならない。

 『万葉集』をはじめ、八代集に「ほととぎす」が素材として詠まれている歌は、夏歌中に、『万葉集』には105首中に67首(64%)、『古今集』には34首中に28首(82%)、『後撰和歌集』には70首中に26首(37%)、『拾遺和歌集』には58首中に25首(43%)、「後拾遺和歌集』には70首中に28首(40%)、『金葉和歌集』には66首中に23首(35%)、『詞花和歌集』には31首中に8首(26%)、『千載和歌集』には89首中に27首(30%)、『新古今集』には110首中に32首(29%)(勘のような比率を見せている。

 夏の歌において、「ほととぎす」の存在は、極めて重要な相関関係を持つことが数量的に明らかである。このように、「ほととぎす」が和歌の中で、どれほど夏の景物として檜灸されていたかが分かる。

 夏の景物である「ほととぎす」と結ばれている素材は、『万葉集』・『古今集』・『新古今集』各々相異点を持つ。まず、「花」は、時間の流れの繊細な感覚を表すのに「ほととぎす」と結ばれやすい。本論では「ほととぎす」と「花」との組み合わせがどのような関係を持ちながら、どのような意味をもたらすか、そのモードから新しさがいかに生じるかについて論じてみる。特に、『万葉集』には、歳時風俗の花が主に用いられたことから、「ほととぎす」と花との連関性が考えられる。次の表は、「ほととぎす」と結合された「花」の種類と歌数である。(表は略)

 『万葉集』に「ほととぎす」は、巻八・巻十に「夏雑歌」「夏相歌」として各々33首と34首が詠まれている。その中、花と結ばれて歌われた「ほととぎす」は26首ある。

盤いたくな鳴きそ汝が声を五二璽玉にあへ貫くまでに (巻八・1465)

盟ぎすいとふ時なし やめ“さかづらにせむ日こゆ鳴き渡れ(二十・1955)

 「橘」、「あやめ」に対する「ほととぎす」の存在は、歳時記の風習をよく見せている。「ほととぎす」の初声の価値と同じく、「橘」と「あやめ」は、邪気を払う薬玉として歳時記の行事に使われたものであった。しかし、「橘」の花は表面に現れていない。「ほととぎす」の声は「五月の玉」を貫くものとして、その鳴き声を聴覚的感覚から視覚的感覚に変化させている。この変化によって、人の聴覚映像はより深く、鮮明なイメージを得る。この表現には、「ほととぎす」の鳴き声の美しさが「五月の玉」という形に実現され、同時に歳時風俗を表すという二重的な効果がある。

 さらに、「ほととぎす」が鳴く場所は、山の峰と杜から里へ、里から山へと移動する。里に来た「ほととぎす」は、木の枝とか茂みのある所に決められている。高い所で鳴く「ほととぎす」は神の近くにいる。その「ほととぎす」に我が宿に来て鳴いてほしいという願望は神の祝福への祈りである。

願いの適わない心情は、花のように有限性あるものとの同質感を形成し、表出対象となる。このような表出法は『古今集』から、いっそう目立っていく。

1.2. 『万葉集』では、「うのはな」は、「ほととぎす」が鳴くきっかけとしても用いられる。「うのはな」が咲く時期と「ほととぎす」が来て鳴く時期が一致する歌もあり、「うのはな」が散るので、山から来て鳴くという歌もある。

魎もいまだ咲かねば』世ぎす佐保の山辺に来鳴きとよもす  (巻八・1477)

魑の過ぎば惜しみか幽雨間も置かずこゆ鳴き渡る   (巻八・1491)

魎の散らまく惜しみ蟹野に出で山に入り来鳴きとよもす(二十・1957)

 「ほととぎす」が来て鳴く頃、「あやめ」も、「橘」も咲く。あやめ・橘が咲き、そこに鳴いた「ほととぎす」は、あやめ・橘が散ると、山へ帰ってしまう。その声の懐かしさに恋の心をも出している。

歌の編纂構成にも原因があるが、花との結合関係による時期の変化がまだ不安定である。

1.3.これに対して、『古今集』・『新古今集』の「ほととぎす」は、花と結びつけることにより、人の代わりにして詠まれていることに注目するべきである。すなわち、自分の立場を「ほととぎす」と「花」とどちらかにたくして、自分の感情を表す。

 『古今集』に、夏歌34首の中、「ほととぎす」の歌は28首があり、全体に約総82%を上回る。その中、花と結ばれた歌は、4首しかない。「ほととぎす」が季節の景物である花以外、他の素材と結合関係を成していることは、「ほととぎす」が単なる季節の景物として詠まれた素材ではないことを示している。「ほととぎす」は、夏の中心的な素材として人の心を表すものの代理手段となっている。

時鳥はつ声聞けばあぢきなくぬしさだまらぬ恋せらるはた (二三・143)

時鳥鳴く声聞けば別れにしふるさとさへそ恋しがりける (巻三・146)

時鳥我とはなしに卯の花の憂き世の中に鳴きわたるらむ (巻三・164)

 このように、『古今集』の「ほととぎす」は、人の恋のうつろうさまに対象化させている。山から里へ、再び里から山へ帰ってしまう「ほととぎす」の存在を、時間の変化に応じて変わる人の心を見せている。その表出は、「待つ」「会う」「離れる」「憂える」へと展開しながら、表現内容として典型的なパターンとして定着していく。

1,4. 『新古呼集』に「ほととぎす」の歌は、夏歌110首の中、32首がある。花と結ばれた「ほととぎす」は8首がある。8首の「ほととぎす」は、季節の景物である花と一つの結合構造を成す。それは、『万葉集』以来に表現様式として、一つの定型性を持つ。また、『新古今集』に夏の歌の数が増え、夏の歌の中に「ほととぎす」の一つの素材に偏らない点は、素材の多様性や表現内容の変化と和歌の表現の発達、定着過程をよく示している。新古今集では古今集より、季節の推移が厳格に選定され、時間の流れとともに感情の変化が緻密に表れている。

鳴く声をえやは忍ばぬほととぎすはつ卯の花の陰にかくれて (巻斗・190)

さっき山卯の花月夜ほととぎす聞けどもあかずまた鳴かむかも (巻三・193)

ほととぎすひと声鳴きていぬる夜はいかでか人のいを安く寝る (二三・195)

たが里もとひもやくるとほととぎす心のかぎり待ちぞわびにし (巻三・204)

を笹ふくしつのまろやのかりの戸を明け方に鴨くほととぎすかな (巻三・219)

うちしめりあやめぞかをるほととぎす鳴くやさっきの雨の夕暮 (巻三・220)

 夏が始まりから夏が終わりまでの「ほととぎす」の鳴き声を繊細に選定して構成している。表現内容には、自然の摂理に対する人間の無力感に基づく意識がよく見られる。

1ふ いままで叙述したように、うのはな、あやめ、橘、藤は季節の変化の指示言語として用いられている。その指示言語が『万葉集』・『古今集』・『新古今集』と時代を経度して、芭蕉の俳句には、いかに捉えられているかを述べてみたい。

 『万葉集』・『古今集』・『新古今集』ともに、時間の経過を表すには、季節の変化の自然性を持つ鳥と花が結合されやすいことが判る。動的な「ほととぎす」と静的な「花」との関係は、人間の世界にとって男と女との関係を表し、その関係は発展して人と神との関係をも象徴するに至る。

 夏になって、「ほととぎす」の声を聞くまでの時間の経過における人の心の変化がほとんど花と結ばれて詠まれていることは、花が持つ時間の有限性との同質感のゆえである。まず、芭蕉の句について和歌と比べてみよう。

(1)ほととぎす宿かる此の藤の花

 「藤の花」と「ほととぎす」との結びで季節の移り変わりを表している。四月から五月への時間的推移を花と鳥で捉えることは伝統的な表出法である。この句の「宿かる」は、「藤の花」との時間交替を示している。「けさ来鳴きいまだ旅なる時鳥花たちばなにやどは借るらむ(古今集 巻三・141)」の「宿は借るらむ」とは、「橘」に「ほととぎす」が泊まるという意味である。「花」は静的であり、「鳥」は動的である属性から、「花」は女、「鳥」は男の象徴になる。四月目「藤の花」を五月の「橘」に入れ替わって季節の移りを見通している。両方とも、「借りる」のことばが臨時性を帯びる。人生も、恋も有限なものであることが句の奥にある。

(2)橘やいつの野中の郭公

 この句も、五月の景物として「ほととぎす」と「橘」を扱っている。この句のポイントは「いつ」にある。「いつ」の語によって自然の摂理が示唆されている。「橘」の香を求めて飛んでくる「ほととぎす」の本性を生かしている定型性を持つ。「いつ」のことばは、二つの意味作用を持つ。句の時制が現在であるか、過去であるかによって「いつ」のことばの働きが違う。名詞の使用率が高い俳句の特徴によって、連想の空間は広くなる。その一つは、橘が咲いている野中にいつ来て鳴いているか、という意味である。五月目なると、橘が咲き、ほととぎすが鳴くのは当然である。その当然である季節の推移感を「いつ」ということばを通して、自然に対する新しい驚異感へ転換させる。いつのまにか来て鳴く「ほととぎす」への感動が「橘」の季節感によって捉えられている。「いつのまにさっき来ぬらむあしひきの山時鳥此ぞ鳴くなる(古今集 巻三・140)」の句は、「さつき」をそのまま使って、

「ほととぎす」が来て今鳴いているという表現である。芭蕉の句は、「五月」の代わりに五月の花「橘」を用いている。そのように、「ほととぎす」と「橘」との相関関係を強調させる。

 また、一つは、「橘」を見て、いっか来て鳴いた「ほととぎす」が思い出される「いつ」である。

いっか来て鳴いた「ほととぎす」への連想は、「橘」の存在によって可能である。「橘」の存在は、いっかの経験を思い出させる媒介である。

 このように、「構」の香がすると、「ほととぎす」が来て鳴くという定型的な表現は、『万葉集』から『古今集』・『新古今集』に至るまで、受け継がれてきた。しかし、両義的な意味を持ちうる俳句の表現は、多様な意味作用によって、現在も過去も含める意味の広さや飛躍を可能にする。

3)時鳥喘や五尺のあやめ草

 ほととぎすが鳴く五月にあやめは丈高い。「ほととぎす」も、「あやめ」も、真夏の季節を表す。

「あやめ」の五尺は、「ほととぎす」の声がよく聞こえることで、連想されたものである。切れ字「や」は「ほととぎす」の声が現実であることを前提にしている。聴覚的なイメージを通して「あやめ」の視覚的にイメージを表している。端午の時期になると、「あやめ」は成長し、「ほととぎす」も鳴く。

両方ともバランスよく、夏の景物として詠まれている。哀れと寂びの世界を含めて、より明るい世界を作り出している。待ち続ける順応的な思考観やぼやけた世界から鮮やかなイメージを捉えている。

その世界は「清く聞ン耳に香焼て郭公」の句から明確に見られる。「ほととぎす」の声を聞こうとする心構えが表れている。「清く」のことばは、耳と香にかかわる。香を炊いたら、清い香がする。その時、ともに清々しくなった心で「ほととぎす」の声を清く聞こうとするのである。「ほととぎす」の声の清らかさと、その声を聞く前の心構えの清らかさが「香」の匂いによって形塵される表現法を使っている。こうして、清らかさという共通点によって、「ほととぎす」の声と「人」の心は一致するのである。

 受動的にほととぎすの声を待ち続ける和歌の世界に対して、この句は積極的に、「ほととぎす」の声を「聞ン」とする強い意志と、自然に対して「清く」する敬慶な心が前面に押し出され、「ほととぎす」の立場ではなく、人の立場で詠まれている。

 次は、和歌には見られない花との結合関係を持つ句に基づいて、新しい結合語とその表現内容を考察してみよう。

2.芭蕉における「ほととぎす」との新しい結合語

2.1.ほととぎす正月は梅の花咲り

 上平の「ほととぎす」と中句・下句の「正月は梅の花咲り」との関係は、対比的である。割句・下句の「正月は梅の花咲り」の前提によって、句の省略されている部分の連想が可能となる。「正月」は「五月」を、「梅」は「あやめ」、「橘」を思い出させる。ひいては、「ほととぎす」は梅の花と結ばれている「鴬」まで思わせる。これは、「ほととぎす」が五月の景物としてだけではなく、正月の景物である「鴬」や「梅」の情趣まで作り出している。このように、季節の異質的な素材の結合は、季感の自由な往来と句の世界の拡張を可能にしている。

2.2.岩郷蹟閉る泪やほととぎす

 咲いている下肥が岩に落ちていく。「ほととぎす」は山から里へ飛んでいく。行ってしまう「ほととぎす」のために「三田」は鳴く。その涙が岩に落ちて滲みていくというプロセスがある。その段階によって、「ほととぎす」の鳴き声は、聴覚的存在から視覚的存在に変化する。しかし、この句は「門下」について叙述している。それゆえ、句の視点はく山〉という場にある。山地に早春から初夏に咲く「郷燭」が落ちていく時期、「ほととぎす」は山から里へ飛んでいく。人の立場から見ると、山から来て鳴く「ほととぎす」は人々に喜びを与える存在であるが、〈山〉に残っている「画幅」は悲しんでいるのである。その悲しみの涙で岩は郷濁の色に染められていく。悲しみの色が卯の花や月夜、雨の色であるく白〉の世界から変わって、鮮明なイメージを持つ悲しみの色が作り出されている。

その色のイメージは、「思ひいつるときはの山の郭公唐紅のふりいでてぞなく(古今集 巻三・148)」の歌からも見られる。「唐紅」の色や「二二」の色から血の色の類推は可能である。しかし、直接に色の語を取り出さず、「郷燭」という花を用いることによって、句の時間と空間を設定することばの省略が可能であり、語のイメージによる多様な連想が可能である。山は「郷濁」の色がまだ残っている晩春であり、里は「ほととぎす」が鳴く初夏である。この句は、両面的なものへの認識が内在している。山と里との季感の差を五七五の表現形式に捉えている言語感覚や発想は注目される。

2.3.冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす

  夏牡丹より小さい冬牡丹と千鳥との組み合わせ、雪とほととぎすとの組み合わせば、芭蕉の特性をよく見せている。夏の季感としての「ほととぎす」が冬の情緒を表す存在に変化する。素材の対比によって、早撃の領域を超え、四季に関する自然の摂理を見通しているのである。句の時間的背景は冬牡丹が咲いている冬である。その時期、千鳥は飛んで帰る。その帰る千鳥を見ていると、山へ帰る「ほととぎす」を思い出すのである。瞬間的に詠まれる俳句の中で、その場を離れていく想像力。その場に現れる存在を通して物事の摂理を悟る。その世界には視覚的に現れる存在だけではなく、隠された存在、まだ見えてこない物事がともにある。その世界に入ろうとするのが誠を勤めることではないだろうか。そのような想像力は、ものの細密な観察や自然への親しみから発する。素材の対比によって、季感の領域を超え、四季に関する自然の摂理を見通しているのである。自然の循環の見通しを

俳句の五七五の世界に彫り込む言語の表現力に注目される。

2.4.郭公まねくか麦のむら尾花

 夏の麦畑に群集している尾花の穂が出ている。風に揺れている尾花がまるで「ほととぎす」を誘うように見える。未だしも、「ほととぎす」の声は聞こえない。時期は夏、尾花は「ほととぎす」を待つ人の代わりとして用いられている。待つ心から「招く」という積極的な行動への変化は、待ち続ける憂い心ではなく、その声を楽しみにする感覚から生じる。「ほととぎす」への誘いを「尾花」が風にそよぐ様子から「まねく」という表出を作り出している。その表現法は、調和された自然の情趣を感じさせる。

2.5.ほととぎす山居も鳴かぬか我がやどの橘の地に落ちむ見む (万葉集 巻十・1954)

  わがやどの池の藤波さきにけり山郭公いっかきなかむ   (古今集 巻心・135)

  夏草は茂りにけれどほととぎすなどわが宿に一声もせぬ  (新古画集 巻三・194)

 和歌に表れる「ほととぎす」には、個人的願望が働いている。「ほととぎす」の鳴き声を自分の庭の場に限定して待つ。それで、「我が宿」に来ない「ほととぎす」に対するく恨〉がはじまる。「ほととぎす」がやっと来て鳴いても、鳴き声は、一声あるいは、二面である。その惜別への心は『新古今立』に至って、最高調になる。「ほととぎす」を待ち続ける受動的な態度から離れて、積極的な姿勢として自然を読み取るところに芭蕉の新しい世界が生じるのである。その面について俳論でも考察することができる。

 『三冊子』〈赤魚紙〉に、高く心を語りて俗に帰るべしとの教也。つねに風雅の誠を責め語りて、今なす〔処の〕俳譜にかへるべしと云える也。……(中略)……誠を勉むるといふは、風雅に古人の心を探り、近くは師の心よく知るべし。是心を知らざれば、たどるに誠のみちなし。……(中略)……松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと師の詞のありしも、私意をはなれといふ事也。とあるように、芭蕉は伝統的な詩歌と古人の道を受け継いできた。しかし、風雅なる世界に入って俗に帰る世界が俳譜である。風雅なる世界は誠の世界であり、ものの本性を把握することである。誠の心で見たもの、聞いたものの対象の有り様がすべて俳句になる。典型的観念、形式に拘らない。対象を直観し、対象から受けた感動を覚めない内に言語で形象化している。対象を直観によって美的体験として作り出す。それが芭蕉にとって純粋な感動、風雅の誠である。

 時節による花は咲き、散る。鳥は来て鳴き、帰る。鴬は梅と、ほととぎすは橘や卯の花、あやめなどと結ぶ。蛙は水に住み、鳴くという定型的な枠から出て、鴬は餅に温し、蛙は飛び込む音を出す存在として表現されることも可能になる。

 『三冊子』〈赤隻紙〉に、新しみは三三の花也。古きは花なくて木立ものふりたる心地せらる。亡師つねに願ふに痩せ玉ふも此新しみの匂ひなり。……(中略)……せめて流行せざれば新しみなし。新しみはつねにせむるがゆへに一歩自然にすすむ地より顕はるる也。

と俳句の新しみについて述べている。ものの本性を自然に見る心に新しみがある。それは、流行するものは変わるものであるゆえ、真理として成り立たない。真理とは、変わらないものである。流行するものは一時的な現象にすぎない。真理は、ものの本質を持ち、つねに感動を呼び起こす。つまり、天地万物の変化こそ俳論芸術の素材である。天地万物は、常に変化流動するものである。その変化の様相から、新しく見つけられるものの本質が新しみの俳譜の基本になる。ものは、それ自体の本性を保持しながら、動的な変化をする。それゆえ、その瞬間ごとに本性を認識しなければ、ものは常に変化する。春になって花が咲き、秋になって紅葉することは、自然の摂理である。自然の摂理は、宇宙の秩序である。その秩序に従う現象を直観することこそ、新しみを形成することになる。

 自然の繊細な観察と想像力の豊かな素材との組み合わせば、和歌の優雅なる世界に基づきながら、より広いものの見方や積極的な思考を形成し、芸術としての俳句を作り出したのである。

3.おわりに

 夏の代表的な「ほととぎす」がどのように受容され、変遷されてきたか、考察してきた。

「ほととぎす」がどのように歌の素材として愛好されて来たか、いかに表現されて来たか、どのような伝統を持って来たか、その伝統が一人の作者に与えた影響やその伝統を超える自己の表現言語の特殊性を、用語の使い方を概観し、表現上に表れる発想や意識を考察してみた。

 芭蕉は、五七五の表現形式を通して、和歌が持つ雅なる世界を受け継ぎ、連歌の表現法の制約から脱し、表現の定型性を超えて新しい世界を形成したのである。

 文学史上、一つの詩歌が成立するには先行形態との相互関係、歌論、時代的な背景などの研究を必要とする。その文学的体験や文学活動の場、いわゆるく文学場〉の中から.綿々と受け継がれていく。

その場に伝統というものは生きているし、習得されていく。

 その歴史の中で、歌論と歌風との悠久な劃一性と表現の停滞は、必然的に新しい歌風と表現方法を要求する。その気運が形成され、新しい歌風が盛んになると、その歌風が新しい詩歌の形態として定着する。

注1

佐々木民夫『万葉集のホトトギス(2)』,万葉研究,1989年12月.

佐々木民夫『万葉集から古今集へ ーホトトギスの「声」をめぐって一』,盛岡短期大学研究報告,1988年12月.

大洋和俊『喩としての歌ことば表現 一古今集夏の部〈ほととぎす〉及びその配列の意味一』,国学院雑誌,1987年12月.

川野良『新古幽遠俊成の歌「わが謡いかにせよとて郭公雲間の月の影に鳴くらむ」の解釈』, 解釈,1987年12月。

工藤重矩『ほととぎす鳴くや五月のあやめ草 一古典和歌解釈の一例一』,万葉研究,1986年12月.

注2

日本古典文学大系『芭蕉句集』,岩波書店,昭和37.

日本古典文学大系『芭蕉句集』,岩波書店,昭和37.

新潮日本古典集成『万葉集 一』,新潮社,昭和51.

新潮日本古典集成『万葉集 二』,新潮社,昭和53.

新潮日本古典集成『万葉集 三』,新潮社,昭和55.

新潮日本古典集成『万葉集 四』,新潮社,昭和57.

新潮日本古,典集成『万葉集 五』,新潮社,昭和59.

新潮日本古典集成『古今和歌集』,新潮社,昭和53.

新潮日本古典集成『新古今和歌集 上・下』,新潮社,昭和54。

新編国歌大観『勅撰集編歌集 第一巻』,角川書店,昭和58.

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