FacebookOSHO Japaneseさん投稿記事
私は孤独が怖いのです。いま、誰ともつき合っていません。それが実状なのですが、この状態は好きでもあり嫌いでもあります。
あなたが独りでいられるようになる時も訪れるだろう。だが、その時はまだ来ていない。だから、好きだろうと嫌いだろうと、あなたは誰かといっしょにいるしかないだろう。孤独でいられるのは、人がほんとうに成熟したときだけだ。そして、その成熟をすぐに何とかしようとしても、何もできない。成熟は、あなたが人びとといっしょに過ごして苦しみ、また楽しんでもいるときに、徐々に訪れる。
https://www.osho.com/.../relationship-amalgamated-misery 【OSHO TimesThe Other: Myself関係性――混じり合った惨めさ】より
私は孤独が怖いのです。いま、誰ともつき合っていません。それが実状なのですが、この状態は好きでもあり嫌いでもあります。
あなたが独りでいられるようになる時も訪れるだろう。だが、その時はまだ来ていない。だから、好きだろうと嫌いだろうと、あなたは誰かといっしょにいるしかないだろう。孤独でいられるのは、人がほんとうに成熟したときだけだ。そして、その成熟をすぐに何とかしようとしても、何もできない。成熟は、あなたが人びとといっしょに過ごして苦しみ、また楽しんでもいるときに、徐々に訪れる。
ひじょうに多くの関係性の経験を経て、ある日、人は独りで十分だということが、あなたの意識の中で明らかになってくる――他人に依存する必要はないことが、孤独はある種のネガティブな空間ではなく、深い成就だということが、孤独はその中に祝福のある、美しいものだということが。だが、それが訪れるのは、あなたが多くの地獄と煉獄を経験してこそだ……そのときになって初めてだ。あなたは天国に一足飛びには行けない。天国への道は地獄経由だ。あなたは地獄を通り抜けなければならない。それは学びの場――あなたを天国に向けて鍛えてくれる。だから、急いではいけない。さもなければ、あなたは惨めになる。
付き合って惨めでいるほうが、惨めに独りでいるよりいい。今現在、選ぶのはそれしかない――独りで惨めか、いっしょに惨めか。だが、いっしょに惨めなほうが、いい。少なくとも、あなたは相手に責任を転嫁できる!
まったく独りのとき、どこに責任を転嫁するかね? あなたがすべての重荷を負っているのだ……それを共に負ってくれる人すらいない! 誰かといっしょにいて惨めであれば、なぜ惨めさがあるのかという理由を、説明を見つけることができる。独りのときは、理由も原因もない。だから、マインドはまるでやることがなくて、惨めさはどこまでも果てしなく、永遠に続くように思われる。
今は、その惨めさを選ぶがいい、もう一方の、人びとが関わりと呼ぶものを。それは通過するしかない必要悪だ。そうすればある日、あなたはそれを越えることができるだろうが、今はまだその時ではない。その時が来たら、あなたは独りでいても、まったく惨めには感じないだろう、世界の頂点にいる感じがするだろう。それに匹敵する喜びはない、その喜びをもたらすことのできる関係性はない。関係性はつねに混じり合った現象のままだ――喜びの瞬間が少し、そしてそれ以上の惨めさ。それが、このわずかしかない歓びの瞬間のために、人が払わなければならない代償なのだ。
だが、もしあなたがいま現在独りだとしたら、このわずかしかない瞬間すらないだろう。惨めさに次ぐ惨めさだけで、単調な感じがする。誰かといっしょにいるときは、少なくとも惨めさが色、形、状態を変える。朝にはこうだったのに、夜には別物だ。それでもやはり、惨めさにちがいはない。だが、それは変化する! だから、誰かかわいそうな人を見つけるがいい。探しはじめなさい!
Facebook清水 友邦さん投稿記事
子供達はこの世に光をもたらすために光の世界から光の身体を持って下降してきます。
自我が未発達の子ども達は暗示にかかりやすく、7歳くらいまでの子どもは透視、テレパシー、予知能力がありESP能力も多数報告されています。
しかし、その能力は8歳から11歳で頂点に達し14歳ころから衰えていきます。
子どもの頭に社会の信念体系が刷り込まれ、マトリックスの転換が進んで自我に覆われると、その能力は失われてしまうからです。
愛を与える両親が子供を深く傷つけます。
親は世間体を気にして子どもの自由なエネルギーを制限します。
子供の体は緊張し愛を感じる通路を封鎖してしまいます。
子供はあるがままの自分を否定して、親に気にいられる良い子の仮面をかぶり自我を形成します。
そうして、いつのまにか自我を自分と思い込んでしまい本来の自分を忘れてしまいます。
親の口先より親のふるまい、親がどんな存在であるかの方がはるかに重要でしょう。
しつけ、教育という名の善意のもとに子どもの自然さは失われ、ハートを閉ざして愛を求める大人に成長していきます。
否定された愛は、分離して怒り、恐怖、悲しみとして記憶されます。
恋愛に傷つき、愛が冷めて終わりを告げたとき、愛は分離したエネルギーとなって憎しみ、不安、悲しみ、怒りが表出します。
深く傷ついた人、攻撃的な人ほど本当は愛に飢えています。
「子どもについて」
すると幼子を抱いた女が言った。どうぞ、子ども達についてお話しくださいませ。
アルムスタファは言った。
あなたの子どもはあなたの子どもではない 子どもたちは自らの命の希望に依って生まれでた娘、息子達だ。
子ども達はあなたを通ってやってくるだろう。だがあなたから来るのではない。
子どもはあなたと共にいても、あなたのものではない。あなたは子どもに愛をあたえるがいい。だが考えを子どもに押しつけてはいけない。なぜなら子どもには子どもの考えがあるから。あなたの家に子どもの身体を住まわせるがいい。だがそこは子どもの魂の住み家ではない。なぜなら子どもの魂は明日という家に住み たとえ夢の中でさえも あなたはそこに住めないのだから あなたは子どものようになろうと努めるがいい。だが子どもをあなたのようにしようとしてはいけない。なぜなら生命は後戻りせず。昨日にはとまらないから
あなたは弓
子どもはその弓から生命の矢となって遥か彼方まで飛ぶ 射手は、無限のかなたの的を見て
力強く弓を引き絞る。
矢を遠く、遠く飛ばすために その射手にあなたを引いてもらうのは大きな喜び
なぜなら射手がその矢を愛しているのなら それを放つしっかりとした弓もまた、愛しているのだから。
レバノンの詩人 カリール・ジブラン「預言者」より
写真は生まれて一ヶ月目の二人目の孫
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