http://oomoto.net/sub3-c.html 【出雲と蘇我王国】より
-大社と向家文書-斎木 雲州 著
〔内容紹介〕
出雲の伝承が、蘇我王国の発展とその影響力を解き明かす。武内宿祢の子孫・蘇我家が旧出雲王家の古墳を造ったのには理由があった。
尼子大名と毛利大名の興亡は、秘密結社からの情報に左右されていた。
両大名と出雲大社上官の向家の間には血脈があった。その秘密の関係が、向家文書には表れている。
〔目次〕
第一章 出雲王国の名ごり 大名持と徐福の渡来 ヤマト開拓とキビ王国
第二章 物部東征と田道間守 ヤマタイ国と武内宿祢 向王家の野見宿祢
第三章 息長帯姫と応神大王 イズモ系の関東国造たち 息長家と竹葉瀬ノ君
第四章 武内氏と蘇我・道王国 三国国造家とオホド大王 向王家の山代二子塚
第五章 古事記と杵築大社 大社創建と火継ぎ神事 出雲国風土記と高層神殿
第六章 塩冶と尼子の佐々木氏 塩冶八幡と判官高貞 尼子大名と神仏習合
第七章 富家領地の富村 大江家と毛利大名 富家文書と大名家
第八章 大社神事と近代 杵築大社の神仏分離 大社上官の富村雄
〔資料〕
一、向家文書 二、その他の古文書 三、出雲王国主王の系図 四、向上官職の系図
https://open.mixi.jp/user/61280872/diary/1950084906 【大社と向家文書『出雲と蘇我王国』(1)】より
---大社と向家文書---
『出雲と蘇我王国』斎木雲州著 大元出版
著者の父は元新聞記者で同期に司馬遼太郎がいる。産経新聞重役ののち 京都の大学で国文学の講師をつとめた。そのころ出雲の古代史の本を出した。ところがその本は書店に並んだ途端に消えた。イズモには過去を知られたくない旧家があり、その関係者がすべての本と原稿を買い取りそのあとで焼却したものと思われる。とあります。
なんと 昨年読んだ『幸の神と竜・・・古代が分かる鍵・・・』の著者谷戸貞彦氏と同一人物の 斎木雲州というペンネームで書かれた本のようなのです。
借りてから 気づきました。偶然です。 ひょっとして お導き???
こっち先に読んでたら『幸の神と竜・・・古代が分かる鍵・・・』ももっと真剣に読んだかも^^;だって夫婦和合の話ばっかりで ゲンナリしとりましたw フロイトか!とつっこみいれたりしてwww
ところが『出雲と蘇我王国』は大変な本のようです。
記紀に伝わる創作話とまったく違った古代から向家や富家につたわる伝承をまとめた 爆弾みたいな本のようです。
そもそもうちの家紋が亀甲剣カタバミなので 調べてみたら出雲大社の神紋が亀甲剣花菱で似てるしスサノオに縁あるし 気になってた出雲なのです。古代史のとっかかりも 出雲からでしたし。
亀甲紋は 亀甲じゃなくて 龍のウロコかもしれないのです。ある時期 龍の絵ばかり描いてました。ウロコ得意w
先祖は宮大工だと聞いているし 16代前まで過去帳に載ってたし 出雲近いところに住んでたようだしきっとなにかあると 調べたくなったのでした。
私の縁ある人も 先日亀甲紋だと知りました。中の図案は特殊すぎるのでナイショ。
出雲大社は導かれるように 予定なくおまいりしました。ですが伊勢神宮は鳥居くぐったのに アクシデントで帰るはめになり参ってません。気になります。
まずは さわりから
サイノカミの主神 クナト大神は 出雲族の指導者だったと伝えられる。
かれの妻 幸姫命は サイノカミの母神となっている。
クナトは古代インドのドラビダ族の王で 大ぜいの部下を引き連れて日本へ民族大移動してきた。
ゴビ砂漠を北に進み、シベリアのアムール川を筏で下って、津軽半島に上陸したという。
その後 かれらは南に移住して広がった。
クナト王の子孫は イズモに住みついた。インド熱帯では常緑樹が濃緑色にしげっていた。
それに対し あたらしい土地では 春に芽が出た森の色が目にしみるように美しく感じられた。
そのかれらは色をめでて自分たちの地方を「出芽の国」と呼んだ。その発音が変化して 出雲の国になったと言われる。
出雲の国ではサイノカミの祭りが盛んになった。
クナト王の直径の向家が 出雲東部の神魂カモス神社(松江市大庭町)の丘にあった。
東方にサイノカミの主神クナト大神のこもる大神山(大山)が良く見える。
大庭に人々が集まって 向家が司祭となって大神山を遙拝した。
向家は王家と仰がれた。その氏子の広がりが出雲王国となった。そして サイノカミ信仰が出雲国の国教となった。
神魂神社の南方200m先に 歴代の東出雲王墓があり前に鳥居が立てられ出雲大神と書かれている。
横には淞南学園高校がある。王墓の南に家族墓がある。
秋田県のストーンサークルの内部にある石に似た形の石が並んでいる。
埋められた遺体の上に石が置かれたという。
家族墓から南方を見上げると 熊野山(松江市八雲)が見える。
向家のものは家族墓を拝んだときに熊野山を遙拝したという。
風葬:王が没すると立て膝で座る姿勢にされて 竹かごに納められる。
口に刺した ろうとから朱を注ぎ入れる。朱は身体の細胞に浸みわたり死臭をふせいだ。
遺体はカゴで熊野山に運ばれヒノキの大木の茂みに隠される。その木には 注連縄が巻かれ
紙幣がつけられた。それは霊モロギ(ひもろぎ)と呼ばれた。
3年後に洗骨して頂上付近の磐座の横に埋葬された。
遺体なき後も その木は注連縄が張られ ヒモロギと呼ばれつづけた。
後世に山の麓に神社が建てられる以前は 熊野山の中腹に斎場があり代だいの王の神霊を拝んでいた。
出雲地方には 両墓制の習慣があった。遺体は遠くの山にほうむられた。
そこが埋め墓であり 神名備山と呼ばれた。屋敷には石を置いて拝み墓とした。
出雲王国は二王制であり 主王と副王があった。主王は 「大名持」と呼ばれた。
大和国吉野郡に 大名持神社がある。
王家には 向家と神門臣家の2家があった。交替で主王となった。
副王には 主王家でない王家の若殿が就任した。記紀には 主王が 大巳貫オオナムチと書かれた。(意味をわからなくするために わざと違った発音と漢字がつかわれたらしい)
17人の主王の名前が古事記に書かれている。
副王の職名は「少名彦」であったが 記紀では王国の史実は 国造になった果安により神話に変えられたという。
そして 少名彦 の名は 記紀では漢字を逆にして 少彦名と変えている。
出雲国風土記や 伯耆国風土記では 地元の人が書いたので 「少名彦」と正しく書かれている。
事代主は 向家出身の 副王の個人名である。かれは職名でもって 記紀に スクナヒコと書かれた。
https://open.mixi.jp/user/61280872/diary/1950161367?org_id=1950084906 【出雲のサイノカミ信仰 竜神信仰について】より
出雲王国は二王制で 主王と副王があった。主王の職名は「大名持」と呼ばれた。
副王の職名は「少名彦」と呼ばれた。
クナト王の子孫である出雲王家には向家と神門臣家の2家があり交替で主王になり
副王は主王とは違う家の若殿が就任した。17人の主王の個人名は古事記に書かれている。
記紀では 王国の史実は 国造になった果安により神話に変えられた。
記紀では漢字を逆にして 少彦名と変えている。事代主は 向家出身の 副王の個人名である。記紀には職名でもって スクナヒコと書かれている。
初代オオナムチの八耳王は向家出身で出雲東部のオウ川の中流の神魂の丘に王宮を構えた。
神門臣家は出雲西部にいた。サイノカミの祭場では春秋の二回大祭が開かれオオナモチとスクナヒコが各地の豪族を誘った。
言葉での説得を「言向け」(ことむけ)といった。
事代主は 正しくは言治主であり 武力ではなく言葉で支配する王であった。
こと向ける家から 向(ムケ)王家と呼ばれ のちには向(ムカイ)王家と呼ばれた。
イズモ王国の王は各地の豪族の意見によく耳を傾けた。それで初代王は 八耳王と呼ばれた。イズモ民族の先祖霊を守護神と定め サイノカミと呼んだ。
山陰では サイノカミを 幸神と書く。民族神は家族神として構成された。
先祖のクナト王の名をつかい 父神を久那斗大神とし母神を幸姫(サイヒメ)ノミコトとし
息子神はインドの象神ガネーシャがあてはめられサルタ彦と呼ばれた。 サルタはドラビラ語で長鼻を意味しサルタ彦は「鼻高神」とも呼ばれる。
サルタ彦は盗賊や亡霊をふせぐ役目で道の守り神として「道の神」とも呼ばれた。
サルタ彦のワラ人形で 峠の道に飾られた。
また川岸で亡霊の侵入を防ぐ サイノカミであったのでそこの河原は「サイの河原」と呼ばれた。
この三柱の家族神は サイノカミ三神と呼ばれ三の数は出雲は聖数として尊重した。
三拍子そろって 芽出たい はここからきている。出雲は はじめは出芽であった。
芽が出づる国の意味で 日本ではじめて文化の芽が出た土地であるという。
サイノカミは 「出づ芽の神」とも呼ばれた。古事記には イザナギノ命が禊をしたときに生まれた神を「伊豆能売神(いづのめ)」と書くが 売(め)は芽を意味する。
大祭の最後には 永遠の弥栄(いやさか)を祝い万歳三唱した。
万歳の言葉は「イヅメ! イヅメ! イヅメ!」であった。
サイノカミは道の神であるので チマタ(分かれ道)の神でもある。
チマタには幸姫(佐比売)が宿ると言われる。
チマタから四方八方に道が伸びるので 各道の中心のように母神は子どもの中心であるので
幸姫ノミコトは 八地股姫とも呼ばれた。
八もサイノカミ信仰では聖数で 熊野のヤタガラス信仰の八はこれにちなんでいる。
インドのガンジス川には昔 ワニがいて恐がられ 河の神と言われた。
コブラも恐がられ 森の神になった。
両者は合体され ナーガ(竜神)となり ドラビラ族に崇拝されていた。
その竜神信仰をイズモ族が倭国に持ってきた。
その竜神がサイノカミの眷族神として 竜をワラで作り 木に巻きつけて拝んだ。
その木は神木とされ「斎の木」と呼ばれた。斎の木祭りは山陰で盛んである。
出雲族はインドから 太陽の女神スーリアを持ってきた。
その太陽信仰では 東の山から上る朝日を拝んだ。
出雲の北の端である「越の八口」には(新潟県北端)の東の山には朝日岳の名がついている。
出雲国風土記の国引き神話は 例え話でオオナモチ6代目のオミヌツが シラギの岬を引き寄せ 佐比売山を杭としてつなぎ杵築の御崎(出雲市)とした話になっている 略 合わせて四カ所の領地を引き寄せている。
これは越の国を出雲王国の領地として併合した話である。その地にも出雲族は住んでいた。
その後 徐福=スサノオ=ホアカリ=ニギハヤヒに 八代目オオナムチの大国主が
殺されるのであるが副王の事代主も殺される。
まだ読んでませんが ヤマタノオロチ退治って サイノカミ信仰を滅ぼしたのではないかと思ってますー 聖数ハチから 聖数が 星信仰の七に変わるのです。
出雲大社天井の八雲の絵が七雲に変更されてるそうです。
それについては のちほど
http://kunato.blog.jp/archives/9026284.html 【出雲大社の創建 斎木雲州著「出雲と蘇我王国」第5章 向家が出資し建てた ホヒの子孫の出雲臣果安の失業対策だった】より
出雲大国主直系の斎木雲州さんの本は歴史を覆す内容でとても興味深いです。
古代なら歴史隠蔽の為に権力者に殺され、戦前なら不敬罪で逮捕されている内容です。
ホヒの子孫の出雲臣果安が仕事を得る為に向家に神社(現出雲大社)を作ってもらい神職に収まったという内容が記述されています。
現在の出雲大社は旧王家とは関係の無い神社だそうです。
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斎木雲州著「出雲と蘇我王国」第5章
出雲臣果安(はたやす)は、失業に備えて神社の神職になりたいと考え、熊野神社の向家に来て言った。出雲平野方面が開ける情勢だから、出雲郡に出雲の神を祭る神社(出雲大社)を建てて、共同で運営したいと。向家はそれに条件付きで応じ、出資する約束をした。熊野大社では、古くから火切り神事を行なっていた。その熊野山のヒノキで作った火切り臼と卯の木で作る火切り杵を使う火切り神事を、杵築大社(出雲大社)の神主が行うことを条件とした。それは出雲王の神を祭ることを意味し、主祭神を変えないことが目的であった。
まず、熊野大社のサイノカミ三神(久那戸大神と佐毘売神、猿田彦大神)を(出雲大社に)必ず祭ることが決められた。古代にはサイノカミが最高神であり、記紀でも大神にランクされていた。サイノカミは「縁結びの神」であるので、家庭でも大切にされていた。
(出雲大社の)神主が死亡した場合は、火切り神事を先に受けた息子が、次の神主になる。その場合にオウ郡の神魂神社に速く出頭した息子が火継ぎ神事を受けることができた。
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ホヒ族の出雲大社の神主は代が代わると、出雲の熊野大社に赴き神火神水の儀式を受ける事になっていたが、出雲神宝騒動の後は神魂神社で儀式が行われる事になったとの事です。今は行っていないそうです。
富家伝承によると出雲神宝騒動の真相は熊野大社に安置していたクナト大神の神宝の勾玉を天孫族(物部氏)が奪った事件です。
神魂神社宮司物部氏直系秋上家伝承
物部勢のヒボコ族が出雲に攻め込んだ。弓が浜に拠点を置き、高志人がハガネを採らせていた。出雲人を討伐し、神宝を天孫(物部氏)に献上した。
第17代オオナモチ山崎帯(やまさきたらし)王の代に九州の物部氏によって出雲王朝の幕を閉じます。その際、穂日家の人たちは出雲の民のように振る舞い、裏で物部軍を出雲に道案内をし引き入れました。やがて物部氏の秋上家(あきあげけ)が新たな支配者として出雲に住み着きました。物部王朝は直ぐに衰退し秋上家は出雲で孤立します。その機会を逃さず穂日家は秋上家を圧迫するようになりました。秋上家は富家の王宮だった神魂神社をそのままのの神魂造りで守っていました。富家は神魂神社を守ってくれた秋上家に感謝し秋上家の再興を助けました。
出雲の王家のエピソードには困っている人達を助ける話が多いです。強い時には弱い者いじめをせずに親切にして、やられても思いやりを忘れずに親切な行動をするのは凄いと感じます。
クナド王朝と出雲王朝と続いた王朝は山崎帯の代で幕を閉じますが、富家から曽我本家の婿養子になっていたヲホド王が大王家(天皇家)に婿養子に入りし復活し今の天皇陛下に至ります。
日本人は他人の痛みが分かり思いやりがある人々が多いと思います。
昭和天皇の側近の逸話で陛下はとても思いやりがある方だと聞いています。
どんな困難に遭おうとも日本人は未来永劫繁栄できると信じています。
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