今を生きる

aribaba@1819aribaba

わたしは今を生きる姿を花に見る 花の命は短くてなど嘆かず 今を生きる

花の姿を賛美する ああ 咲くもよし 散るもよし 花は嘆かず 今を生きる

坂村真民

Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

胃袋への反乱

 ある男が夢を見ました。自分の手や足や口も脳もそろって胃袋に反乱を起こす夢です。

 「やい、怠け者の不精者!」と両手が胃袋に向かって言いました。「ぼくたちは一日中、縫い物をしたり、金槌で打ったり、運んだり吊り上げたりと働いている。関節は痛むし、掌は泥だらけだ。その間おまえはじっとそこにいて、食べ物をむさぼり食っているだけじゃないか」。

 「その通り!」と両足が叫びました。「一日中、行ったり来たりしていると、どんなに疲れるか考えてみろ。おまえときたら、ただ腹いっぱい詰め込むだけだ。詰め込んだだけ、歩くのが重たくなるんだからな」。

 「その通り!」口がぐちをこぼし始めました。「あんたが好きな食べ物はどこから来ると思っているの?しっかり噛み砕かなきゃいけないのは私なのよ。こっちがようやく仕事を終えた途端、あんたが全部吸い込んでしまうんだから・・・」。

 「ぼくにも言いたいことがある」と脳が声をかけました。「こんな高い場所で、おまえの次の食べ物をどこから手に入れるか考えなきゃならないんだ。なにを作るか、どう支度するか。それを考えるのも全部、ぼくの仕事さ。これって楽な仕事だと思うかい?おまけに苦労したってなにひとつもらえないときた」。

 こうしてからだの部分がひとつずつ、胃袋への不満に賛同していきました。最後に脳がみんなに呼びかけました。「いいことを考えた。全員で怠け者の胃袋へ反乱を起こそうじゃないか。あいつのために働くのはやめだ!」

 「すばらしい思いつきだ」とほかの仲間も賛成しました。

 こうして手はモノを持ち上げたり運んだりすることをやめました。足は歩くことを拒否しました。口は一口も噛んだり飲み込んだりしないと約束しました。脳は、これ以上よい考えはないとうけあいました。

 そのうち夢を見ていた男は動けなくなりました。一日過ぎるごとに、具合が悪くなっていきます。その間、手と足と口と脳はただそこに横たわり、だんだん弱っていきました。

 しばらくはまだ胃袋をあざける程度には自分を奮い立たせていましたが、しばらくするとそんな元気もなくなりました。

 とうとう、足のほうからかすかな声がしました。「ぼくたちが間違っていたのかな。胃袋は、自分なりのやりかたでずっと働いていたんじゃないかな」。

 「実は同じことを考えていたところだ」と脳はつぶやきました。

 「ねえ、私たち、間違いを認めたほうがいいんじゃないかしら」と口が言いました。

 「そうだ。みんなで仕事にもどろう」からだのあちこちが一斉に叫びました。

 「ああ、不思議な夢を見たものだ」。朝食で胃袋を満たしながら男は思いました。「全員が力を合わせてひとつになるか、すべてをだめにするかしかないというわけだ」。

●不平、不満のもとがこうして生まれるのはよくあることですね。あの人は私より劣っている。だから与えられるモノは少なくて当然だ。あの人より頑張っている私にはそれなりの報酬があってしかるべきだ。私は、あの人よりも美しい。だから愛されるのは私こそがふさわしい・・・。人間の価値を相対的に見たり、「役に立つから」といったところに視点において見るとこうなってしまいますね。個々の人間はすべて平たく「いのち」を分担しています。

FacebookPrem Sheelさん投稿記事

だが、まず理解しなければならないのは、あなたは催眠術にかけられているから、その催眠を解くプロセスを通り抜けなければならないということだ。

いいかね、あなたは条件付けられているから、その条件付けを解かなければならない。

死がやって来つつあるのだということを覚えておきなさい。死は今日は起らないと考えてはいけない。死はいついかなる時でも起こりうる。実際、すべてのものごとはつねに今起こる。種子は今死に、つぼみは今花になり、鳥は今鳴きはじめる。

すべてのものごとは今この瞬間がもたらす空間でのみ起こる。

過去では何も起こらず、未来では何も起こらない。すべてのものごとはつねに現在において起こる---ものごとはそのようにしか起こらない。現在が存在する唯一の時間だからだ。

過去とはあなたの記憶にすぎない。そして未来とはあなたの空想にすぎない。

ところがあなたは過去に生きるよう催眠術をかけられている。

未来に生きるよう催眠術をかけられている。

過去か未来のどちらかを選ばせはしても、社会はあなたが現在に生きることは許さない。

キリスト教徒やヒンドゥ教徒やイスラム教徒たち---彼らは過去に生きるよう人々を条件付ける。彼らの黄金時代は過去にあった。

共産主義者、社会主義者、ファシストたち---彼らは未来に生きるよう人々を条件付ける。

彼らの黄金時代は未来にある。ユートピアがやって来つつある。

「革命が起れば、本当にいきいきと生きることができる。そうなったら黄金時代が訪れる。」と。

人は実在しない過去に連れてゆかれるか、あるいは、やはり実在しない未来に連れてゆかれる。どの社会も現在に生きなさい、

今ここを生きなさいとは教えない。

サニヤシンであるとは、真の探求者であるとは、今ここを生きるということだ。

そして今ここを生きる以外に生はない。

だが、そうするためには、かけられた催眠を解かなければならない。

あなたは機械ではなく、人間にならなければならない。あなたはもう少し意識的にならなければならない。あなたは意識的ではない。私は死んでゆく男のそばに座っていたことがある---彼とは同じ大学の教授仲間だった。彼は輝かしい経歴の絶頂にあった。

ところが、そのとき彼は心臓発作に襲われた。心臓発作はいつも人が頂点を極めたときにやってくる。

成功の後にはつねに心臓発作がつき物だ。成功をおさめたあと、他に何が得られるだろう?

そこで彼は心臓発作を起して死の床についていた。私は彼に会いに行った。

彼は深い悲しみに沈んでいた---誰が死を望むだろう?

彼は絶望に打ちひしがれ、悲しみに悶えていた。

私は彼に言った。「心配することはない。君は死んだりしないよ」

彼は言った。「何を言ってるんだ? 医者たちはだよ、 医者たちは口をそろえて

回復する見込みはまったくないと言ってるんだ。君は何を根拠に僕が死なないというのかね?」

私は言った。「君はそもそも死ぬことなどできないよ。というのも、君は一度も生きたことがないからだ。君は死ぬための第一条件を満たしていない。この50年間、君は夢遊病者のように生きてきた。君は夢を見ていたんだ。君は一度も生きたことがない。 私は君を何年も見守ってきたんだ」彼はショックを受け、腹を立てた---

あまりに腹を立てたので、しばらくのあいだ死のことなどすっかり忘れてしまった。

怒りに燃えた目でにらみながら彼は言った。

「死んでゆく人間に向かってそれはないだろう。少しは思いやりがあってもいいじゃないか。どうしてそんなに ひどい態度をとるんだ? 死んでゆく相手に向かって大した哲学を並べるじゃないか--- 『君は一度も生きたことがない』だって。こんな時によくそんなことを口にできるね?」

私は静かに聴いていた。私はひと言もしゃべらず黙っていた。

すると激しい怒りが消えて、彼は泣き出した。彼の目には涙があふれた。彼は愛を込めて私の手を握ると、こう言った。「君が正しいのかもしれない。私は一度も生きたことがなかったんだ。たぶん君は不作法じゃなくて、真実を言っただけなんだ。それに私にこんなことが言えるのは 君だけだ。」

そのあと深い感謝が湧き起こり、しばらくのあいだ、その顔にぱっと光がさすのが見えるほど彼は意識的になった---

光がそこにあった。彼の存在はオーラに包まれていた。

そして彼は「ありがとう」と言った。その夜、彼は死んだ。私は最後の瞬間まで彼のそばにいた。

彼は言った。「もし君がここにいなかったら、 私は生を取り逃がしてきたように、 死もまた取り逃がすところだった。だが、私は意識して死んでゆく。 少なくとも一つだけ嬉しいことがある--- 私は無意識のまま死んでゆくのではない。」そして彼の死は美しかった。

彼は何も思い残さずに息を引き取った。彼は安らかに死んでいった。彼は「ようこそ死よ」と言わんばかりの心境で死んでいった。彼は感謝に満ちて死んでいった。

彼は祈りのうちに死を迎えた。

彼の次の生はきっと必ず異なる質をおびるにちがいない。

死がそうまで美しければ、その死はあなたに新しい生をもたらす。

だが人は一瞬一瞬を---それが生の瞬間であろうが、愛の瞬間であろうが、怒りの瞬間であろうが、死の瞬間であろうが---生きなければならない。

それが何であろうと、人は一瞬一瞬を可能な限り意識して生きなければならない。

空想にふけりながら畑で胡瓜を盗んでいる百姓がいた。

「この胡瓜の袋を持って逃げよう」と彼は考えた。「そしてこれを売って金に換え、

 雌鶏を一羽手に入れよう。雌鶏は卵を産んで、それを抱いて温め、何匹かの雛をかえす。

 その雛を大きくなるまで育てたら、そいつを売って雌の子豚を買おう。そいつを立派な豚に育てて、子種を仕込む。そうすりゃ数匹の子豚を生むから、そいつらを売り飛ばす。

 豚を売った金で畑付きの家を買うんだ。畑に胡瓜を植えたら、誰にも盗ませるものか---

 しっかり見張り続けるんだ。腕っぷしの強い見張り番を雇って、ときどき出かけてゆき、

 『おい、こら!しっかり見張るんだぞ!』と怒鳴ってやるんだ。」

その百姓は空想にふけるあまり、我を忘れて声のかぎりに叫んだ。

見張り番がその声を聞いて、駆けつけてきた。彼は百姓をつかまえて、さんざん叩きのめした。だが人間はそのようにして---夢を見、空想にふけり、欲望を未来に投影しながら暮らしている。”あなた”はそのようにして生きている。

だがそれは、この美しく、途方もない価値のある生を生きる道ではない!

これはまったくの浪費だ!

あなたは瞬間に、現在にもっと注意深くならなければいけない。

あなたは自分の意識をふり絞らなければならない。意識はあなたの宝だ。

何世紀にもわたって考案され、編み出されてきた技法はすべて、人の内部にもっと意識をつくりだすための、人の内部にもっと火をつくりだすための、あなたの生をもっと熱烈なものに、炎にするための手段に他ならない。

人々は鈍感な生を生きている。人々はうわの空で生きている。人々はぼんやりと生きている。どうしてまわりへの留意をそこまで欠いたまま生きることができるのだろう?

留意が欠けた状態は闇だ。留意は光だ。そしてこの論書は、どのようにしてあなたの内部に

もっと多くの光をつくりだすかを教える。

そうすればいつの日にか黄金の華が---

二人の精神科の医者が路上で出会った。

「やあ元気そうだね。ところで僕の調子はどうだい?」とひとりが言った。

人々は互いに尋ねあっている。誰も自分の調子がわからない。

彼らは互いに目をのぞき込み、自分自身に関する情報を他人から集めている。

他人の意見がこれほど重要になっているのはそのためだ。

誰かに馬鹿だと言われたら、あなたは怒り出す。なぜだろう?

あるいはあなたは悲しくなる。なぜだろう?

あなたは打ち砕かれる。自分を賢い人間だと思っていたのは、他人から

「あなたは賢い人だ」と言われたからだ。あなたが拠り所としていたのは他人の意見だ。

今度は他の誰かから「お前は馬鹿だ」と言われる。

他人はあなたの知恵を簡単に、いともたやすく打ち砕くことができる。

あなたがトランプで立てた宮殿に、彼は石を投げつけた。いまやすべてが打ち砕かれる。

人がひどく腹をたて、真っ赤になって怒り出し、ひどく暴力的になるのはそのためだ、

人がひどく悩んでくよくよするのはそのためだ。

他人がどう思うかを絶えず気にしているのは、あなたが他人が考える自分しか知らないからだ。あなたは自分自身のことは何も知らない。さあ、これはなんという状況だろう?

この私に私のことがわからないのに、他の誰に私のことがわかるというのだろう?

外側から私を観察することはできないし、そのような仕方で私を手に入れることはできない。外側から観察することができるのは私の肉体だけだ。

私は内側から自分の意識を知ることができる。

鏡の前に立つときでさえ、見えるのは自分の肉体だけだ。自分の意識を鏡で見ることはできない。あなたですら鏡でそれを、自分の意識を見ることはできない。

あなたは直接それを観なければならない。それは鏡には決して映らない。それは何にも決して映らない。

それは不可視のものだ。あなたは目を閉じて、それで在らねばならない。

それこそが自らの意識を知る唯一の方法だ。だが人々はじつに無意識に生きている。

彼らはただ他人の意見に従って生きている。

他人の言ったことが彼らの魂になってしまう。他人はいつでもそれを取り消すことができる。人々は乞食のままでいる。あなたは自分自身について何かを直接知ったことがあるだろうか?あなたは他人の意見を持ち込むことなく自己に直接遭遇したことがあるだろうか?

ないとしたら、あなたはまだ生きてはいない。

自己に遭遇することで、自分自身を直接、間髪を入れずに観ることで、はじめて生は息ずきはじめる。

他人が思うあなたではなく、あるがままのあなたを観ることができたとき、はじめて生は立ち現れてくる。

他人にどう思われようと、他人に何を言われようと、いいではないか。

彼らはあなたの行動を観察することはできるが、あなたそのものを観察することはできない。自分自身を観察したいと思うなら、それができるのはただあなただけであり、他の誰にもできない。召使にはそれはできない。他の誰かに任せるわけにはゆかない。専門家にもそれはできない。

ところが私たちは完全な放心状態に陥っており、目覚めているものが内側にひとりもいないために、他人の意見がひどく気になって仕方がない。

私たちは深く眠りこけ、内側でいびきをかいている。

ぼんやり屋の教授が床屋に出かけた。彼は椅子に腰をかけたが、帽子を取らなかった。

「すみませんが、帽子を取っていただけますか」と床屋が言った。

「ああ失礼」と教授が言った。「御婦人がいらっしゃるとは知らなかった」

自分自身のぼんやりとした状態を見守りなさい。

それを見守ることで、あなたの中に注意深さが生み出される。自分の中で何が起っているか見守りなさい。

思考が通り過ぎてゆき、記憶がよみがえってくる。

怒りの雲が湧き起こり、悲しみの暗夜が訪れ、あるいはすばらしい喜びの朝がやってくる。

自分の中を通り過ぎてゆくものすべてを見守りなさい。もっともっと注意深くなりなさい。

ゆっくりゆっくり、あなたは統合された注意深さになってゆく。

そして「黄金の華の秘密」は、みずからの内なる光のもとで統合を成し遂げる技法を説いている。

Osho - The Secrets of Secrets

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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