皆既月食と輪廻転生

Facebook長谷川 ひろ子さん投稿記事 【皆既月食と輪廻転生】

寒さも忘れ、外に立ち尽くしてました 消えていく月、膨らんでいく月を目撃し

「消滅と復活」「破壊と再生」 宇宙の循環リズムを確認した

例えば新月🌚の夜"あぁ月はいったい何処へ行ってしまったの?"と嘆き悲しむ人はいない

新月と満月を繰り返す事を知っているから。

沈む太陽を見て"あぁ太陽がいなくなってしまう"と夜の闇を恐れる者はいない

翌朝、陽が登る事を知っているから。

散る桜を見て落胆する者はいない翌年に又、花を咲かせる事を知っているから

大切な人との死別に涙する事はあっても 死人を蘇らせる事はしない

肉体が有限である事を知っているから。

宇宙と人間は連動している 月が満ち欠けを繰り返すように 人間も輪廻転生を繰り返しているとするなら 終わるのは肉体であって 別の肉体や人格をもって 魂は生まれ変わると捉えた方が自然じゃないかな

何か終わりを迎えたなら 終える必要があっての別れ

終わらない内は次が始まらないから 全ては宇宙の流れの中での出来事

宇宙を信じるとは、自分を信じるということ

今夜の皆既月食は内観のきっかけとなりました


http://www.asahi.com/area/yamagata/articles/MTW20210308060850001.html 【映画の死・再生・誕生・・・祝福を】より

 ◆ 『あの雲が晴れなくても』(2019年)

 皆既月食が予告されたある日、インドのとある村。職人たちの迷いのない手さばきで一コマずつ切り刻まれる古い映画のフィルム。その何枚かを竹棒に挟み、できあがる子どもたちのおもちゃ。竹棒を回すとフィルムもくるくると回転し、同じ場面を繰り返し映し出す。日没とともに村人たちはやぐらに集い、夜空を見上げる。雲の切れ間に輝く月の光。やがて地球の影が月面に落ち始める……。

 前回2019年山形映画祭の「アジア千波万波」部門で上映された『あの雲が晴れなくても』(ヤシャスウィニー・ラグナンダン監督)は、映画フィルムを使ったおもちゃ作りの工程を経(たて)糸に、皆既月食の到来を待つ村の風景を独特のタッチで描き出します。手のひらで踊るおもちゃの回転と、夜空に浮かぶ天体の運動という、ミクロとマクロの二つの「円運動」が交錯する幻想的な作品です。

 フィルムにハサミを入れる瞬間を映画の死とするならば、くるくると回るおもちゃはその生まれ変わりの姿と言えるでしょうか。直線的に流れる帯状のフィルムから切り離され、コマの一つ一つが循環する時間を生き始めます。輪廻(りん・ね)転生の概念を生んだインドから届いたこの作品は、生と死、夢と現実の境界をやすやすと越える映画的な魔法に満ちあふれています。

 コロナ禍で全国の映画館が苦境に立たされる昨今、過去の名画のリバイバル上映が目立つようになりました。公開延期の新作に代えての苦肉の策という面もあるのでしょうが、懐かしの名画にスクリーンで再会できる喜びを噛(か)み締める映画ファンも多いはず。あるものはおもちゃに生まれ変わり、あるものは何度でもスクリーンに甦(よみがえ)る、そんな映画のたくましさを感じずにはいられません。

 全11回の連載で紹介してきた名作たちもまた、宝箱の中でよみがえる時を待っています。いずれもフィルムライブラリーでの視聴が可能で、多くは上映会への貸し出しもできます。ぜひ皆さんの手で、眠りから覚ましてあげてください。そして今年10月には山形映画祭2021を開催します。この困難な時代に新しく生まれる映画たちを、ともに祝福していただけますと幸いです。

◎ 遠藤徹 1991年、山形県生まれ。2017年に認定NPO法人山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局に加わり、広報や若年層への映像教育普及を担当。連載コラムは今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました。


https://ameblo.jp/happyhappymamtan/entry-12676520064.html 【輪廻転生✡️死生観が変わる】より

今日はちょっとスピリチュアル系です。苦手な方は読まないで下さいね

若い時は、職業柄看とりの場面に立ち会うことが多かった。

辛かっただろうな、苦しかっただろうな、何もできなかったな、という、いろんな感情を抱えながら無力感に襲われ、ただただ、「お疲れ様でした。天国で安らかにお眠り下さい。」

と涙とともに何度も何度も心の中で唱えていた。それは実父の時も同じだった。

だけど父の看とりの時は初めて、口から白い長細い気体が出ていったのを見た。

酸素マスクをしていたにも関わらず、口から15センチくらいの白い気体がスーッと。亡くなる40分前の出来事だった。

その魂を目で追いかけ、天井や部屋を見渡したけど見つからなかった。

向かい側で看取っていた姉には見えていなかった。

当時は悲しみに暮れていたから深く考えなかったけれど、後からあれは魂だったんだ、と気付いた。

親交の深かった友人の死も、幼い子どもを残して旅立つ母親の気持ちを想像しただけでも胸が張り裂けそうになった。

死はとても悲しい出来事。だけど、輪廻転生を考えると死生観が180度変わった。

生きているうちに出会えて良かった。死んでしまっても魂は死なないから大丈夫。

死んでしまったら本当の意味で結ばれるような気がする。きっと、2人でこう言って懐かしむんだろうな。「地球は楽しかったね これからはずっと一緒だね」って。

父の魂を見て、13年の時を経てこんな結論に至った私。

それは「時」が、私の心を癒し、教えてくれた。傷が癒えたなら、残りの人生目一杯楽しもう

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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