時間は実在するか?

https://www.nikkei-science.com/page/magazine/1009/201009_040.html 【時間は実在するか?】より

C. カレンダー(カリフォルニア大学サンディエゴ校)

 時間は過去から現在,未来へととめどなく流れていく。過去は変えられず,未来は決まっていない。そして私たちは現在を生きている──それが私たちの「時間」についての日常感覚だ。

 だがそうした日常的な「時間」は,現代物理学には存在しない。物理の数式は「現在地」のない地図のようなもので,あなたが今いるのがどこかは教えてくれない。アインシュタインの相対性理論によれば,そもそも唯一かつ絶対的な「現在」というものはない。過去から未来にいたるあらゆる瞬間は,等しく実在している。

 かつてニュートンは,唯一絶対の時計があると考えていた。世界はこの時計を共有しており,誰にとっても1分は1分。何が先に起き,何が後に起きたかも同じという前提に立っていた。

 だが物理学が発展するにつれ,こうした前提はことごとく覆された。相対性理論によれば,物事の後先はしばしば確定せず,経過時間は重力によって変化する。時間というのは観測者によって変わりもので,唯一絶対の時計というものはなくなってしまった。

 ところが,現代物理学のもう1つの雄である量子力学では,「時間」のとらえ方が相対性理論とはまったく異なる。量子力学における時間というのは,議論はあるものの,基本的にはニュートンの時間に先祖返りしている。相対性理論と量子力学の統合は物理学の悲願だが,時間のとらえ方にこうも大きな差があっては難しい。解決の道筋を探るため,ループ量子重力理論など様々な理論が模索されているが,決定打はまだない。

 相対性理論に軸足を置く限り,時間というのは単に,異なる物理系に起きる出来事の相関を記述するための発明品にすぎない。それはちょうど,お金のようなものだ。お金があるおかげで,私たちはコーヒー1杯を購うたびに何と物々交換するかを話し合わなくてすむ。だが別にお金自体に価値があるわけではない。同様に,時間があるおかげで,私の白髪の数と惑星の運行の相関を直接調べなくても,白髪が増えるという現象を記述できる。だからといって,時間というものが自然に本質的に備わっているわけではない。

 では,なぜこの世界に,時間というものが存在しているように見えるのだろう? そのヒントは,80年前に英国で行われた1つの実験にある。この実験によると,時間が存在しない静的な世界においても,その一部分で起きている出来事の関係性を記述すると,それはあたかも時間が存在するかのような振る舞いを示す。私たちが日常的に時間を感じるのは,私たちが自分自身を世界から切り離して,物事を見ているせいなのだ。

著者

Craig Callender

カリフォルニア大学サンディエゴ校の哲学の教授。博士論文は「時間の矢に関する説明」で,以来,哲学と物理学における時間の記述を研究してきた。時間に関する論文を多数執筆,書籍も編纂している。イラストブック"Introducing Time"を上梓し,2010年7月現在,哲学と物理学,認知科学にまたがる"Time: From the Inside Out"を執筆中。ただし,時間に対する飽くなき関心と自分の苗字との間には,何の関係もないという。


https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201612_post_11737/ 【「時間は実在しない。幻想である」物理学者2人が“時間の定義”を完全に覆す理論を提唱!】より

 我々は1日中時間に追われて生活している。ある作業に極度に集中して時間を忘れることもあるが、それも永遠には続かない。カレンダーや時計など時間を告げる道具がなければ、日常生活に支障をきたす人がほとんどだろう。出席したくない会議やテストが目前に迫っている時など、「時間が止まればいいのに」と願っても、時間は無常に経過し、(生きている限り)必ずその時はやってくる。いくらあがこうとも人間は時間の奴隷でしかない、そんな絶望を感じるほど時間は我々にとって絶対的だ。しかし今回、物理学者が、時間は実在しないことを理論的に証明してしまったという驚きのニュースが舞い込んできた!

■時間は実在しない

 英紙「Express」(12月3日付)によると、世界的に著名な2人の物理学者が、時間は実在せず、人間の幻想に過ぎないと主張しているという。我々にとって時間はあまりにも当たり前すぎて、その存在を疑うことさえ困難であるが、一体どうして彼らは時間が実在しないと言うのだろうか?

 本題に入る前に、まずは我々が知っている日常的な時間について考えてみよう。いうまでもないことだが、1度起きてしまった出来事は取り戻すことができない。時間を巻き戻して、やり直すことはできないのだ。なぜだか理由は分からないが、時間とは非―対称的なもので、矢のように一定方向にしか進まず、元に戻ることがないという奇妙な性質を持っている。

【その他の画像はコチラ→http://tocana.jp/2016/12/post_11737.html】

 しかし、物理学においては、時間は未来にも過去にも自在に進むことができる対称性を備えているという。ちょうど映像を逆再生するように時間を遡ることがあっても良いと考えるわけだ。そのため物理学では、膨張する宇宙が時間を遡って収縮してしまう「ビッグクランチ」を想定することが可能となる。むしろ一部の物理学者にとっては、時間を一定方向に進む矢のように非―対照的だとみなすことの方が理解しがたいという。では、彼らが考える時間の本質とは一体何なのだろうか? 2人の物理学者が「ブロック宇宙論」と「現在主義」という異なる立場から時間の非—実在を説明している。

「ブロック宇宙論」

 米マサチューセッツ工科大学の物理学者マックス・テグマーク教授は、「ブロック宇宙論」の立場から時間の実在を否定することができるという。「ブロック宇宙論」とは、時間とは現在から未来へ向かって流れていくものではなく、過去・現在・未来が等しいものとして存在すると主張する物理学的時間論である。やや分かりづらい概念で恐縮だが、中学校で習う二次元座標、いわゆるグラフを思い浮かべてもらえれば案外理解しやすい。二次元座標のx軸を時間軸とすると、x軸上の点を移動することで過去から未来まで自由自在に時間を設定することができる。そして、その点を操るあなたは、すべての時間を等しいものとして扱うことができるのだ。

 映画「インターステラー」に登場する4次元立方体も同様である。主人公クーパーが4次元立方体の中を移動することで、任意の時間に自由に“行く”ことができる。ちょうど3歩進むと明日になり、3歩下がると昨日になるようなものだ。彼にとって過去・現在・未来すべての時制は等しいものとして存在している。

 同じように、「ブロック宇宙論」では、過去・現在・未来にわたる全ての時間が空間的に位置づけられている。すると、取り返しのつかない過去や、自分が確実に死んでしまっている1億年後の未来などというものは存在しないと言えそうだ。このことから、テグマーク教授は、時間とは客観的な物理世界に実在するものではなく、「人間が生み出した幻想にすぎない」と結論する。

「流れる時間という幻想は脳が生み出しています。すでに過ぎた過去があるように感じるのは、我々の脳が記憶をとどめておくからに他なりません」

■現在主義

 一方、英物理学者ジュリアン・バーバー博士は、「現在主義」という別の立場から、時間の非実在性を主張する。博士は、物理学者であり作家のアダム・フランク氏との対談(「時間について:ビッグバン末期におけるコスモロジーと文化(About Time: Cosmology and Culture at the Twilight of the Big Bang)」)で、全ての場所がそれぞれの“現在”と対応するという想像上の国家「プラトニア」について言及している。空間と時間が対応する「ブロック宇宙」に似ているが、博士がここで特に注目するのは“現在”の特権性である。プラトニアではどこに移動しても、ある任意の時間が現在になってしまうため、ここには過ぎ去った過去や、未だ実現していない未来という時間の流れは存在しない。この思考実験から、次のような結論が導き出せると博士は言う。

「あなたが先週存在したという唯一の証拠は、あなたの記憶です。ところで、記憶は“現在の”脳のニューロン構造が生み出します」

「地球に過去があったことを証明する唯一の証拠は、岩や化石です。しかし、岩や化石から過去の存在を知るのは、それら岩や化石を調べている“現在の”我々です」

「要は、全ての記録(記憶)は、“現在の”あなたが持っているということです」

 英哲学者バートランド・ラッセルが考案した「世界5分前仮説」という奇妙な思考実験がある。ラッセルは、過去から現在に至るまで138億年にわたり存在してきたはずの宇宙(世界)は、実は今からたった5分前に作られたと考えても全く差し支えないという。1億年前の化石も、現在の我々にとって“1億年前の化石として”5分前に作られ、我々の記憶も5分前に“我々の記憶として”作られたため、客観的に1億年前という過去が実在しなくても、1億年前があったと考えることはできるというわけだ。ラッセルはたまたま5分前と想定したが、1分前でも、1秒前でも、仮説の本質は変わらない。それどころか、一瞬毎に世界が創造されていると考えることも可能だ。

 バーバー博士の「現在主義」が言わんとしてることも、突き詰めれば「世界5分前仮説」と同じである。つまり、記憶は“現在の”記憶でしかないため、どこまでいっても過去が客観的に実在したと証明することはできないのだ。

 狐につままれたような印象を受ける議論であるが、これら2つの説を理解する鍵は、物理学者が対象としている時間は物理学的な時間であり、我々が経験するような流れる時間は主観的なものに過ぎず“実在”の名に値しないと考えているということだ。

 かといって、物理学者の時間理解が我々にとってまったく面白みがないとも言い切れない。4次元立方体に住むことはできないとしても、時間の本質が本当に「ブロック宇宙」や「プラトニア」のようなものだとしたら、いずれはタイムトラベルだって可能になるかもしれないのだ。そう考えると、物理学者らの奇妙な時間理解も夢のある話に聞こえないだろうか?

コズミックホリステック医療・現代靈氣

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吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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