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「時間」を忘れて一気に読み進めることができる「数式なしの時間論」!
https://www.toyokan-publishing.jp/book/general/why_time_flies/?fbclid=IwAR0O_rv4jEOtsWJ9K2zegHr-FCc0JGqBnQlAltOtETKv5pyOvdFZ6wjzHHI
【異色の時間本が本邦初翻訳。気鋭のサイエンスライターが膨大な取材と文献で挑んだ「数式なしの時間論」】より
Sponsored by 株式会社東洋館出版社
コロナ禍での自粛生活で「いつも以上に、時間が過ぎるのが早い」と感じた人も多いのではないでしょうか。コロナ禍でなくとも、年末になると「1年があっという間だった」と思いを馳せてしまうものです。
ですが、「なぜ早く感じるのか」「そももそも体のどこで時間を感じているのか」と一歩踏み込むと、たちまち謎めいてくるのが時間というテーマです。
本書では、もっとも身近でもっとも謎に満ちた存在である「時間」について、実験、調査、取材を通して深入りしていきます。正しい時刻とは、今とは何か、人は時間をどうやって感知しているのか……「人の時間」の実態に迫ります。
ここでは本書3章より、脳が「今」をどう捉えているのかの一端がわかる、錯視を利用した実験を紹介します。
錯視が示す脳の情報処理の方法
スタンフォード大学の神経科学者で、時間知覚の研究をおこなっているデイヴィッド・イーグルマンは錯視がお気に入りだ。私たちの意識にのぼる経験は作り事にすぎないということ、そして脳の驚くほど確かな働きによって、ショーが夜ごとスムーズに運ばれているのだということを、それとなく教えてくれる。
これから紹介するフラッシュ・ラグ効果は「時間的錯視」という比較的小さなカテゴリーに属している。それを示すには、さまざまな方法がある。
たとえば、あなたが見ているコンピューター画面に黒いリングが一つ現れ、画面を横切っていくとする。その途中で(ランダムでも、規則的でもかまわない)リングの内側がピカッと光る(フラッシュ)ように設定する。
リングの中で光るフラッシュ
ただ、あなたにはこのようには見えない。フラッシュとリングは、絶対に、同じ位置には見えないのだ。あなたには、リングが先に動いてフラッシュを置き去りにしたように見える。
実際の見え方
このフラッシュ・ラグ効果の実験はあまりにはっきり見え、あまりに簡単に再現されるので、あなたはコンピューターのモニターがおかしいのではないかと思うかもしれない。だが、これは正真正銘、脳による一風変わった情報処理のやり方の表れなのだ。
「よくある説明は、「人の視覚系はリングがどこに動くかを予想しているから」という、1990年代に提唱された説だ。脳は「今」よりほんの少しあと(正確には約ミリ秒先)を予想して、リングが来そうな場所の画像をあなたに見せている、という説明だ。
脳は予測不可能なはずの未来を言い当てる?
この考え方は簡単に検証できそうに思えたので、イーグルマンは実際にやってみた。
イーグルマンは、リングが上・下・逆戻りにコースを変える新バージョンのフラッシュ・ラグ効果の実験をデザインした。説の通りなら、これらの実験でも、リングはこれまで通りフラッシュを置き去りにするはずだ。
なぜならフラッシュ前の動きから、そこに行くことが予想されているのだから。
しかし、そうではないことが起きた。イーグルマン自身がやっても、別の人を被験者にして何度やらせても、観察者が目にしたリングは、新しい道筋──上、下、あるいは逆戻り──に沿って、フラッシュとはわずかに離れた位置にあった。ランダムに方向転換をさせても同じことだった。
まるで観察者が、明らかに予測不可能な未来を、100%の精度で予測しているかのようだ。いったいどうすればそんなことが?
――イーグルマン博士が見出した答えは本書にてたっぷりと解説しています。
本書で「時間を忘れる」知的読書体験を!
時間について脳内で起こっていること、そのとてつもなさには驚くしかない
著者 アラン・バーディック
『WHY TIME FLIES:なぜ時間は飛ぶように過ぎるのか』
著 :アラン・バーディック
訳者:佐藤 やえ
Alan Burdick(アラン・バーディック)
ニューヨーク・タイムズのシニア・スタッフエディター。これまでにニューヨーカーのスタッフライターおよびシニア・エディター、ニューヨーク・タイムズ・マガジンやディスカバーなどの雑誌のエディターなどを経て現職に至る。ハーパーズ、GQ、ナチュラル・ヒストリー、オンアース、アウトサイドなどにも寄稿し、その記事は『Best American Science and Nature Writing』にも収載されている。1 冊目の著書『Out of Eden:An Odyssey of Ecological Invasion(翳りゆく楽園 外来種vs. 在来種の攻防をたどる)』は全米図書賞のファイナリストにノミネートされ、オーバーシー・プレスクラブアワードの環境報告部門賞を受賞した。グッゲンハイム・フェローへの選出歴がある。小惑星9291 に名前が登録されている。家族とともにニューヨーク郊外に暮らす。
訳者紹介
佐藤 やえ(さとう やえ)
翻訳家。薬剤師の資格を持ち、医学・医療情報の翻訳、自然科学系の書籍翻訳を手がけている。訳書に、『New Scientist 起源図鑑』『Beyond Human 超人類の時代へ』(ともにディスカヴァー・トゥエンティワン)、『国際移住機関 世界移民統計アトラス』(原書房)など。東京都品川区在住。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83215 【数式を知らずして、宇宙がわかるものか! ド文系が挑む「一般相対性理論」への道】より
アイザック・ニュートンの重力理論では、水星軌道の内側にもうひとつ惑星がないと、水星の動き(専門的には「近日点(きんじつてん)の移動」)が説明できなかった。ニュートンの理論は揺るぎない絶対的な正解だと思われていたので、その惑星が存在しないはずがない。なかったらニュートンが間違っていたことになってしまう。必ずあると信じたから「ヴァルカン」という名前までつけてしまった。しかし、多くの研究者たちが必死で探しても、ヴァルカンはなかなか見つからない。
その問題を解決したのが、アルベルト・アインシュタインの重力理論である。ニュートンの理論が近似であることを明らかにしたその新しい理論では、水星の動きを説明するのにヴァルカンは必要なかった。この一点だけでも、アインシュタインの偉大さがわかるではないか。
もし高校時代にこういう「数式ナシでもわかる重力理論の歴史」を教わり、それがもたらすスリルと興奮を味わっていたら、物理にもちょっとは興味を持って勉強する気になったと思う。サイエンスへの入り口として、タテガキの物語はきわめて有意義だ。
われわれも「数学の言葉」で書かれている
しかし、である。あるとき私は、いささか寂しい気分を味わった。東京大学柏キャンパスのカブリIPMU(数物連携宇宙研究機構)に打ち合わせに行き、3階の交流スペースで当時の機構長、村山斉(むらやま・ひとし)先生をお待ちしていたときだ。
2007年に発足したIPMUは、「数物連携」という名のとおり、数学者と物理学者がタッグを組んで宇宙の根源的なを解き明かそうとする国際高等研究所である。「暗黒物質」「ダークエネルギー」「消えた反物質の」といったキーワードを見るとワクワクしちゃうタイプの宇宙論ファンにとっては、憧れの聖地みたいなものかもしれない。
私は、2010年に刊行された村山先生のベストセラー『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)の編集をお手伝いしたのが、このジャンルに踏み込む最初の一歩だった。その次に手がけた物理学本は、2012年に刊行された大栗博司先生の『重力とは何か』(同)である。こちらも大ヒットになった。当時から大栗先生はIPMUの主任研究員だったが、その後、2018年には村山先生の跡を継いで2代目の機構長に就任されている。
歴代機構長との仕事を通じて「サイエンスはエンターテインメントだ!」という持論を形成した私にとって、カブリIPMUは原点ともいえる場所だ。
そのカブリIPMUには、毎日午後3時に研究者たちが3階の交流スペースに集まってお茶やお菓子を口にしながら語り合うという麗しい習慣がある。私がお邪魔したのは、そのティータイムだった。交流スペース中央の柱には、ガリレオ・ガリレイの言葉が刻まれている。
I’UNIVERSO É SCRITTO IN LINGUA MATEMATICA
「宇宙は数学の言葉で書かれている」という意味だ。その周囲では、何人もの研究者たちが黒板やホワイトボードに数式を書き並べながら、にぎやかにおしゃべ喋りしていた。数式で「交流」である。楽しそうだが、私にはさっぱりわからない。
村山先生や大栗先生の本に関わって以来、私は素粒子の標準模型や重力理論のみならず、インフレーション理論や暗黒物質、ニュートリノ実験や加速器実験、さらには原始重力波などに関する本も手がけてきた。ヒッグス粒子の発見で知られるジュネーブのCERN(セルン)を取材したこともある。この分野では多くの経験を積んだので、最先端の研究者ともそれなりに世間話ができると自負していた。
ところが、その交流スペースでは完全に圏外。いたたまれないほどの孤独感。そこに自分がいることも悟られたくない気分だ。やがて村山先生が現れたので、私はおずおずと遠くの黒板を指して、小声で聞いてみた。
「あの人たちは、何の話をしているんですかね……?」
すると村山先生は、黒板に書かれた数式をほんの数秒間、遠目に眺めてから、「ああ、あれは、湯川粒子が……」と、立て板に水で解説を始められたのである。
“数学嫌いが果敢に挑んだ、宇宙の言葉=数式。山登りのような達成感を実感だ!” (カブリ数物連携宇宙研究機構初代機構長 村山斉)
『大栗先生の超弦理論入門』『宇宙は何でできているのか』など、ベストセラーとなった科学書の編集を何冊も手がけてきた文系ライターが一般相対性理論の“数式”へと挑んだ話題作『アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた』。そのプロローグと第1章を、全6回の短期連載で特別公開いたします。
“ちょっとでいいから、数式で宇宙がどう書かれているのかをわかってみたい”
そう思ったことのあるすべての人に贈る、史上初の数式ドキュメンタリーをお楽しみください!
深川峻太郎
ライター、編集業。1964年北海道生まれ。2002年に『キャプテン翼 勝利学』(集英社文庫)でデビュー。『月刊サッカーズ』(フロムワン)、『わしズム』(幻冬舎、小学館)、『SAPIO』(小学館)などで時事コラムを連載。本名(岡田仁志)では著書に『闇の中の翼たち ブラインドサッカー日本代表の苦闘』(幻冬舎)があるほか、フリーの編集スタッフとして手がけた書籍は200点を超える。
「タテガキのサイエンス」の役割
いわゆるポピュラーサイエンスの分野では、本の帯や広告などで、しばしばこんな惹句(じゃっく)が使われる。
「難解な理論を数式ナシでわかりやすく説明!」
ふだんは数式と格闘している各分野の専門家たちが、あえて数式を使わず、巧みな比喩を駆使しながら懇切丁寧に書いてくれた入門書は多い。一般読者の大半はとにかく数式を嫌うので、タテガキの日本語による説明だけで「わかった気分」を味わってもらうのが、このジャンルの常道だ。
じつは私自身、そういう本の編集に何度も関わってきた。その分野の仕事に大きなやり甲斐を感じてもいる。わかりやすい入門書を通じて、宇宙論や物理学の面白さに気づく人が増え、基礎科学に対する理解が深まるのは、すばらしいことだ。とくに日本では近年、短期的に役に立ちそうな応用研究にばかり資金が投入され、そのせいで学術研究全体が土台からやせ細っていると聞く。この危機を克服するには、基礎科学の意義がもっと広く世間に理解されなければいけない。
これは私の持論だが、自然界の真理を探究する基礎科学は、人類にとって最高のエンターテインメントである。「宇宙はどうやって始まったのか」とか「生命はどこから来たのか」とか「われわれ人間の本性とは何か」とか、そんなことを知りたがる生き物は(少なくとも地球上では)人類だけだろう。この知的好奇心を大切にしなければ、知的生命体として生まれてきた甲斐がない。自然界のの解明こそが、全人類共通の目標だとさえ私は思っている。
したがってサイエンスは、役に立つかどうか以前に、まずは「知りたい知りたい!」という人々の欲求に応えることが大事だ。それが科学の存在意義なのだとしたら、研究の成果を広く伝える「タテガキのポピュラーサイエンス」が果たす役割はきわめて大きい。
だから私は、「数式ナシ」の説明が悪いことだとはまったく思っていない。なにしろ私も多くの読者と同じく、数学がひどく苦手だ。大学受験の際に私立文系(受験科目は国・英・社)という典型的ド文系コースを選んだ私は、自慢じゃないが高校で微積分を習った記憶がない。記憶がないどころか、それは選択科目だから自分はやらずに卒業したのだと思い込んでいた。
ところが高校の同級生に聞いてみると、「必修だから全員やってるよ」という。本当にビックリした。私は一体どうやって高校を卒業したのだ。そんなことでいいのか日本の学校教育は! ……と、それぐらい数学と縁遠い人生を送ってきたのだから、仕事で手がけるサイエンス本が「数式ナシ」になるのも当然である。むしろ、私みたいな文学部出のド文系人間が自分に何とかわかるように編集するから、誰にでも読みやすい本になるという面もあるだろう。
それに、サイエンスの話は、数式ナシでも十分にエキサイティングだ。たとえば私は、「惑星ヴァルカン」をめぐる話が大好きである。軽く紹介しておこう。
すげえ、と思った。湯川粒子とは、日本人初のノーベル賞に輝いた湯川秀樹博士が存在を予言したπ(パイ)中間子などのことだろう。数式を見ただけでそれがナニ粒子かがわかることに、私は感動した。なにしろ、数式の脇に「Yukawa Particle」などと字で書いてあるわけではないのである。私には読み方さえわからないの記号が並んでいるだけだ。それなのに、その数式は、特定の粒子を表現している。
柱に刻まれたイタリア語に、偽りはない。宇宙はまさに数学の言葉で書かれていたのだった。
嗚呼、わかりたい。ちょっとでいいから、数式で宇宙がどう書かれているのかをわかってみたい──そう思うのが人情だろう。だって、彼らは自分と同じ人間なのだ。しかも間違いなく、ものすごく面白いことを研究している。ならば、交流したいじゃないか。カタコトでいいから、同じ言葉でお喋りしてみたいじゃないか。それはもう、外国旅行から帰国するやいなや「やっぱり英語できるようになりたい!」と駅前留学しちゃうような気分である。
……いや、それとこれとは本質的に違うだろう。数学の言葉は、外国語ではない。それはある意味で、この宇宙に暮らす知的生命体にとっての母語である。なにしろ宇宙は数学の言葉で書かれているのだ。その宇宙が存在しなければ、私たちも生まれていない。つまり、宇宙の一部であるわれわれ自身もまた、数学の言葉で書かれているはずである。「数式を見ると頭が痛くなる」などと嫌悪感を露(あらわ)にする文系人間も多いが、そんな態度で自分自身のことが理解できると思ってんのかコノヤロー! と罵倒されても文句は言えないだろう。
その一方で、彼らはタテガキの日本語による「わかりやすい説明」ばかり求めるが、そこから得られるのはいわば「まんが源氏物語」みたいなレベルの知識ではなかろうか。古典文学を本当に理解したければ、原文を読め原文を! それと同様、物理学の真髄に迫りたければ、勇気を持って数式の世界に触れるべきだろう。
そもそも「自称文系」の多くは(私も含めて)文系の学問に詳しいわけでも何でもない(私は文学部出身だが、『源氏物語』の原文はほんの一部しか読んだことがありません。ごめんなさい)。自称文系のほとんどは、本物の文系ではなく、単に「非理系」なだけなのだ。
その証拠に、「文系だから数式はわからない」などと曰(のたま)う自称文系の多くは、数式などまったく出てこない哲学の専門書を読んでも、やっぱり「わからない」のである。だとすれば、「文系だから」を言い訳にして数式から逃げるのは欺瞞(ぎまん)だ。私は五十路を迎えるまで多くのことから逃げてきたけれど、宇宙の一部を構成する存在として、ここは逃げたくない。
そんなことから思いついたのが、本書の企画である。宇宙について書かれた数式を、毛嫌いせずに読んでみるのだ。同じ人間のつくった言葉なのだから、辞書や文法の教科書や先生の助けを借りれば、自分で書くことはできなくても、書かれた意味ぐらいは読み取れるはずである。
(次回、《読み方すらわからない「アインシュタイン方程式」にド文系が挑む方法とは?》は5月23日公開予定です。お楽しみに!)
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