古舘曹人

https://tsukinami.exblog.jp/28857918/    【俳句はノン・リーダー】より

面白い古本を読みました。

昭和の俳人たちの証言集で、黒田杏子さんを聞き手にして、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田千空、古舘曹人、津田清子、古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄といった当時すでに高齢であった13名の俳人たちが、自分史ならびに俳壇史を、じっくりと詳細に語っておられます。総合俳誌「俳句」に連載されたあと、平成14年に上下2巻の角川選書『証言・昭和の俳句』として出版されました。

当BLOGの過去記事を補足したくなるような興味深い逸話も2つ、3つありました。そんな中から、古舘曹人さんの語りの一部を引用します。

さいきん歌舞伎も落語もダメになったと断じたあと、こんなふうに語っておられます。

<落語というのは決まった小さな小屋でやるものなのです。寄席の芸です。/俳句も同じで、俳句も正岡子規は「ノン・リーダー、即興」ですよ。これが正岡子規の教えた俳句です。虚子になってからそれがなくなっていって、みな先生になった。いまは全員、先生。俳句が座でなくなった。これは危ない。やがて落語と同じようになりゃせんかと心配です。>

先生と生徒が向き合った教室式俳句、習いごと俳句への批判でしょうね。たとえ、主宰のもとに会員が集まったにせよ、作品評価は会員相互(というより、作り手と受け手の間)で徹底して叩きあう方がよろしい。そういう考え方が、本来の「座」なのかもしれませんね。

結社誌の主宰と同人会員と一般会員、同人誌の同人、それから超結社の会員・・・結社に何年間か籍をおいても、いまだ人の組織はよくわかりません。


https://fragie.exblog.jp/833952/  【古舘曹人氏にお目にかかる】 より

1月11日

今日は寒さが少しやわらいで、道行く人の顔にもどことなく優しさがただよっている。

去年の暮にお電話をいただき、約束をした俳人の古舘曹人氏に会いに麹町の和菓子のお店「鶴屋八幡」まで出向く。

2時ちょっと前に着くと、すでに氏は来ていて、お目にかかるのは氏の句集『日本海歳時記』を刊行して以来ということになるので七年ぶりかもしれない。

「もう、僕は八六歳です」と言われたのには驚いてしまう。ご本人も言われるように、大変お元気そうである。

今日は、氏のエッセイ集のことでの打ちあわせなのであるが、その前に話題はやはり俳句のことになる。

氏は、俳句をつくることを止められてもう10年以上経っているが、やはり俳句の修練の方法についての話しとなる。多捨多作という俳句の修練の方法において氏がかつていかに厳しい方法をご自身に課しておられたか、ということは一部の人しか知らないかもしれない。

「季題を目の前にして、2時間で100句つくるのです」

「考えてはいけない、季語をいれること、五七五であること、この二つのことだけを心がけて、次から次へつくる。つくり書き留めたら、忘れること。そうして次をつくる」

「いわば、捨てるためにつくるのです」

「そうして100句もつくったらそれをもう一度見ていくと、10句くらい句が残るのです」

そういうふうにして、句を生みだして来た、というのである。更に驚いたのは、この方法で俳句をつくろうと思ったのは、七〇歳になった時であるということ、何十年と俳句をつくり続けて来て、七〇歳になって新しい課題を自身に課す、そのことに私は驚いてしまう。

氏が、七〇歳にして、その俳句のつくり方に如何にして目覚めたか、それは蕪村を研究した結果であるということ、蕪村がやはりそのようにして俳句を作った、それが本来の「写生」であると、氏は語るのである。

お目にかかって、あっという二時間という時間が経ってしまったのである。(山岡喜美子)

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