薬飲むさらでも霜の枕かな

http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/kusuri.htm#ku    【薬飲むさらでも霜の枕かな】より

(如行子)

(くすりのむ さらでもしもの まくらかな)

 貞亨4年11月22日頃。『笈の小文』の旅で熱田蕉門の起倒<きとう>宅にて。胃痛に悩まされ病臥。このとき起倒が薬を買って芭蕉に与えたことが記録されている。

薬飲むさらでも霜の枕かな

 病身の身には寒さは身に堪える。こうして旅寝の空で薬を飲む羽目に陥ったときにはなおのこと。「霜の枕」は旅枕ということだが、霜があるだけ冬の旅を指す。


https://ameblo.jp/kk28028hrk/entry-12533577027.html 【芭蕉句049】 より

今回は旅先での一句。 国々の八景さらに気比の月     (松尾芭蕉)

(くにぐにの はっけいさらに けひのつき)

元禄2年(1689年)8月14日。『奥の細道』の途次、福井県敦賀湾(つるがわん)を臨む敦賀市の気比(けひ)に立ち寄る。式内社の気比神宮がある。「国々の八景」とは「どこの国にも○○八景と呼ばれる風光明媚なところがある」という意味である。

「どこの国にも○○八景と呼ばれる風光明媚なところがある。さらにここ敦賀の国の気比(けひ)の月も素晴らしく、敦賀八景と呼ぶにふさわしい」 という一句である。

 この一句、結句に「気比の月」とあって、気比に関する何の言葉もない。それでいて、気比はどんな所だろうと、妙に印象に残る。続いて次の一句。

 薬飲むさらでも霜の枕かな   (松尾芭蕉)(くすりのむ さらでもしもの まくらかな)

貞亨4年(1687年)11月。名古屋の熱田の門人宅にて。胃痛に悩まされ病臥。芭蕉44歳。門人は胃痛に悩む芭蕉のために薬を買って与える。数日滞在した模様である。

「薬を飲んで床につく。それだけでも大変だが、さらに霜が降りてきて冬の厳しさが身にしみる」 という一句である。

 珍しく弱気になった芭蕉が詠われている。

      睡蓮の池に浮かびし豊国社      (桐山芳夫)

  豊国社の横に睡蓮の浮かぶ池があった。


https://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/067d5e211a953bc6be31393c6b8273e0 【薬飲む】 より

  薬飲むさらでも霜の枕かな     芭 蕉

『如行子』に、「翁、心ちあしくて、欄木起倒子へ薬の事いひつかはすとて」と、如行の前書きを付して掲出。

医師に病苦をうったえる体になっている芭蕉。「さらでも」は、非常に力強く「霜の枕」の意味するさびしさへひびいている。身の寂しさを、病臥のふとんの襟にじっと噛みしめて味わっている感じがある。

「さらでも」とは、そうでなくても、ただでさえの意で、具体的には、病中でなくてもの意である。

芭蕉の動静などから、この句は、貞享四年(1687)十一月二十二、三日、名古屋市にある東海道の宿駅「熱田」での作。

 芭蕉は、胸部・腹部に起こる激痛、いわゆる「さしこみ」が持病で、このときもそれが起こったものと思われる。

 「霜の枕」は、霜の夜の寒さが身に沁みわたる旅寝の意。

 前書きにある「起倒子」は、熱田の医師。「子」は、人名に添えて、親しみや、敬称をあらわす。

 季語は、「霜」で冬。

「ただでさえ霜夜の寒さが身に沁みわたるころであるが、病に臥してこうして 薬を飲む身になってみると、旅中病臥の寂寥(せきりょう)が、寒さと共にいっそう深く身に感じられる」       霜の夜の宴席にゐてふとひとり     季 己


https://ameblo.jp/esi-jizaiten/entry-10405602404.html  【芭蕉名句集  薬飲むさらでも霜の枕かな (くすりのむさらでもしものまくらかな)】  より

薬飲むさらでも霜の枕かな (くすりのむさらでもしものまくらかな)

四十四歳(如行子)

「旅の空で病に伏し、薬を飲む身の侘びしさよ。

そうでなくてさえ、しんしんと氷りつくような、霜夜の寂しい旅寝であるのに。」

●冬ー霜

        

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