身軽に

https://mainichigahakken.net/hobby/article/post-637.php 【宗教学者・山折哲雄「人生100年時代の終活ヒントは"軽み(かろみ)"にあります」】 より

これまでにない長寿の時代を迎えたいま、日本人の死生観をもう一度見直してみる必要があるのではないか。山折哲雄さんがそうした思いで書き下ろした『死者と先祖の話』。お話は、一昨年、山折さんが心臓の手術を経験し、涅槃[ねはん](煩悩[ぼんのう]を滅して悟りに至ること)の境地を味わったという経験から。宗教学者として長年仏教の研究に携わってきたが、病を得て涅槃への道を発見したのだとか! さて、そこへ至る道とは?

仏教で言う理想の死は存在を軽くすることから

子どものころから体が弱く、内臓系の病気を繰り返してきた山折さん。それは常に、激痛、鈍痛、疼痛(とうつう)との闘いだったと言います。ところが今回は、初めて経験する循環器系の病気。痛みというより、毎日ふわりと軽くなる瞬間が訪れたそうです。

「まるでろうそくの火が消えていく感じ。そこで気付いたことがあります。涅槃とは、サンスクリット語(古代インドの言語)でニルヴァーナ。比喩的には、ろうそくの火がだんだんと弱くなり消えていく状態を意味する。つまりそれが、煩悩が滅した悟りの境地だというんですね。仏教で言う理想的な最期を迎えるためには、身を軽くしていくこと。それを身をもって実感できたのは、意外な発見でした」

手術後は涅槃(?)への道を求めて、書物から身軽になる決意をしたという山折さん。

「ところが、なかなか断捨離ができない。最後まで手放せなかったのは、これからの日本を考える上で必要不可欠な柳田國男全集と、寺の息子である私にとっては特別な意味を持つ親鸞全集でした。しかし、身を切る思いで手放してみると、ものすごい解放感があった。自分がかぶれてきた知識や思想からの解放です。年を重ねたら身軽になった方がいい。その教えの元は2500年も前の古代インドにあり、自分でも長い間、皆さんに説いてきた。それなのに、自ら実践できていなかったんです(笑)」

古代インドの人生観「林住(りんじゅう)期」「遊行(ゆぎょう)期」に学べ

山折さんの言う古代インドの教えとは、いまでは日本でもおなじみになった、人生を4段階に分ける考え方・四住(しじゅう)期のことです。20歳ぐらいまでが知恵を付ける学生(がくしょう)期。次が、結婚をして子どもを持って経済活動をする家住(かじゅう)期。仕事を離れたら、林に庵(いおり)を構えて自らを見つめて自由に生きる林住(りんじゅう)期。最後は、林(庵)から出て旅をしながら人に道を説く遊行(ゆぎょう)期です。

「日本人が長寿になり、人生80年が当たり前といわれるようになったころから、セカンドステージを豊かにするには、『林住期』が大切ですよといわれるようになった。しかし、いまや人生100年時代。遊行期までの人生モデルが必要です。日本にもこうした人生を実践した人がいただろうかと思いを巡らすと、3人が浮かびました」

その3人とは、平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した歌人の西行。江戸時代前期に俳諧(連句)を完成させた芭蕉。そして、江戸時代後期の僧侶であり歌人の良寛だと山折さん。

万葉からの日本人のリズム五七五こそ軽みの神髄

「西行は、由緒ある貴族の出で、武士として宮中に勤めていたのに、23歳で出家し、旅に出て歌を詠み続けた。

『吉野山 梢(こずえ)の花を 見し日より心は身にも 添はずなりにき』 

日本人の美意識を象徴する桜の歌が多いことでも有名です。

芭蕉も、『野ざらし紀行』や『おくのほそ道』で知られるように、旅をした人。最も有名な句は、『古池や 蛙飛び込む 水の音』 

その魅力は、西行のような風雅な和歌ではなく、日常を自由に詠んだ"軽み"です。

そして良寛も、18歳で出家をし、34歳で全国行脚に出た人。辞世とされる句がいいですね。

『散る桜 残る桜も 散る桜』 『うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ』

どんなに美しい花も、やがて散る。死期が近づいたら、表だけでなく、普段は見せたくない裏の部分も見せながら、はらはらと散っていく。こうした句が詠めるようになったら、涅槃の境地ということです」

そして最後に、山折さんは昨年亡くなられた日野原重明さんのことを話されました。

「最晩年まで親交がありました。日野原さんは牧師さんの息子でキリスト教徒です。でも、98 歳で俳句を始められて、その死の直前に『10月4日 104歳に104句』(ブックマン社、2015年刊)という句集を出版された。最初の句は、

『百三歳 おばけでなくて ほんものだよ』

わかりますねぇ。

こんなユニークな三行詩もあれば、奥様のお骨を庭にまいておられるので、

『亡き妻が 眠りし庭に 彼岸花』

という句もある。あの陽気で、一生懸命な日野原さんは、天の羽衣をまとってひらりひらりと、心軽く、往生していったのではないか。これこそが涅槃の境地だと思いました。

そして昨年は、瀬戸内寂聴さんも俳句集を出された。『これからは恋と革命よ』と言っておられた寂聴さんですが、句集のタイトルは『ひとり』(深夜叢書社)。ちょっとまねできない、上等な句が並んでいます。

人生100年時代を代表するようなお二人の句集を読んでいたら、五七五は万葉以来の命のリズム、魂のリズムだと実感しました。息を吐いて、吸って、止める。このリズムに乗ったとき、ある解放感を得ることができる。それは、人間が生き、死んでいくときのリズム。林住期から"軽み"を身に付けるには俳句がいいというのが、今日の私の話のオチであります(笑)」

山折さんの新刊本にも、自身の長詩が記されています。詩や俳句や歌で、涅槃の境地に近づけるなら、始めてみてはいかがでしょう。

取材・文/丸山佳子  撮影/後藤利江

山折哲雄(やまおり・てつお)さん

宗教学者。1931年サンフランシスコ生まれ。54年、東北大学文学部インド哲学科卒業。東北大学大学院を経て、春秋社編集部入社。76年、駒澤大学助教授、77年、東北大学助教授、82年、国立歴史民俗博物館教授、88年、国際日本文化研究センター教授を経て、同センター所長などを歴任。『わたしが死について語るなら』『「ひとり」の哲学』など著書多数。


https://mainichigahakken.net/hobby/article/post-271.php 【ものを手放し、身軽になる―。それこそが最期への準備です~山折哲雄さん(宗教学者)に聞く日本人の死生観)】より

生と死を見つめてきた宗教学者・山折哲雄さんに、人生百年時代の死生観、そして〝身じまい〟の仕方について伺いました。

前の記事「医療の進歩で選択が難しくなった生と死~山折哲雄さん(宗教学者)に聞く日本人の死生観(2)」はこちら。

国が死を規定しているから自由に死を選べない

「この夏、ある出版社の主催で安楽死などに関するアンケート調査がありました。内容は、『安楽死、尊厳死に賛成か否か』。私は安楽死に賛成。尊厳死をするなら、断食死がいいと思っています。結果はどうだったかというと、半数以上が安楽死に賛成でした。これだけ高齢者が多い世の中なのだから、80歳を過ぎたら、自分の身じまいは自分で決めていいのではないか。認知症が重度まで進んだら、何も分からないのだから、安楽死がいいという意見が多かった。

しかし、いまの法律では安楽死は認められない。医者が殺人罪に問われます。かといって、坊さんも引導を渡してくれない。心臓死から脳死が『死』と認定されるようになるなど、科学者や政治家が死を決め、国家が死を規定している。それがいまの時代です。ところが少し前の時代を紐解くと、老人たちがゆっくりと死を迎えるための共同体があったのです」

例えば、柳田國男の『遠野物語』に登場する老人共同体の話などがそれに当たるという。

「そして思ったのです。何でも即断即決で、スピードと合理性が要求されるいまの時代に最も欠けているのは、ゆっくりと死を受け入れる準備ではないのかと。二千年もの間、日本人は死と、死者や先祖とどう向き合ってきたのか。それを考える中で、今回は一つのヒントを見つけました。それは、平安時代中期の僧侶、源信が記した『往生要集』です」

過去から離れることこそより良く死ぬ一歩になる

『往生要集』とは、死にゆく者の実相を源信が直視しながら、看取りと往生の実践を記した書です。そこには、人が往生するときには阿弥陀如来のイメージが現れる「迎接の想」と、地獄の苦しみが現れる「罪相」があると書かれています。

「そう書いてあることは、もちろん私も知っていました。しかし、それが腑に落ちたのは、不整脈の手術をしてからです。

私は、子どもの頃から体が弱くて入退院を繰り返してきた。小児喘息、十二指腸潰瘍、急性肝炎、すい炎、胆嚢切除と内臓系の病気はほとんど経験しています。鈍痛、激痛、疼痛。ずっと痛みとの闘いでした。

ところが、今回は循環器系の病気なので、痛みというより、毎日ふわっと軽くなる瞬間が訪れる。ろうそくの火が消えていく感じ。何度か、涅槃の境地を味わったと言えるかもしれません。ここから妄想が始まるんですが、軽さの中で死ぬということは、その源信の言う『迎接の想』ではないかと思ったのです。そこで声が聞こえました。重さから離れろ、身軽になれ、と。

長年生きてきた人間の『癖』というのは、なかなか変えられないものです。しかし、たくさんの知識、思想、信仰などの重みといったものから離れて、身軽になることが、第二の人生の目標であり、ゆっくり身じまいをする準備であるように思えてきました。職業病として、本を買い込むので、これまで溜め込んだ本を寄付したり、譲ったりしてきました。でも、柳田國男全集と長谷川伸全集は残してあった。それも、術後、教え子に引き取ってもらいました。それでも最後に残った全集が一つだけあった。親鸞全集です。私は寺を継ぎませんでしたが、この全集は手放せなかった。でも、ついこの前、天の声が聞こえてきて、これも教え子に譲りました。親鸞の思想、信仰から自由になった。これは、ものすごい解放感でした。

こだわってきたものから離れて自立していくこと。それが、がんじがらめの死から解き放たれ、死の彼方への旅立ちにつながる。そして同時に、残りの生をより良く生きることにつながっていくのだと思います」


下の記事はソリューションフォーカストアプローチですね。


https://ameblo.jp/itsuki-coaching/entry-11706666011.html 【あなたを苦しめる過去の束縛から自由になる方法】 より

今回は、これから本当の意味での自分らしい人生をスタートさせる心構えとして、あなたを苦しめる過去の束縛から自由になる方法をお話します。

今回の話をしっかり体感にまで落とし込んでもらえれば、過去の出来事にまつわる悩みがあったとしても、不思議と気にならなくなり、常に前向きな姿勢で毎日を過ごすことができるようになります。

これをしっかり身につければ、あなたが今までどんな人生を歩んできたとしても、そういった過去をピョーンと飛び越えて望んだ未来を引き寄せることができるようになります。

そして、日常生活がプラスのサイクルで回り始めるため、あなたはいつでも最高のパフォーマンスを発揮できるようになり、ますますゴール達成が加速していくようになります。

どこかへ出かけるときもルンルンッ♪とついついスキップをして歩いてしまうように毎日がとても楽しくなります。

なぜ多くの人が過去に囚われて心が自由になれないのか

過去の束縛から自由になる方法、それは「今までの過去とこれからやってくる未来には何の因果関係もない」と理解することです。

実は、多くの人が過去に囚われて心が自由になれないのは、「過去の選択の結果が現在を作っている」と考えてしまうところにあります。

例えば、「ギターの練習をしなかったから、ライブでミスをした」「勉強をちゃんとしなかったから、受験に失敗した」という感じです。

「えー!?でもその通りだと思うんですけど・・・」確かに・・・その気持ちとてもよくわかります。普通は誰でもこう考えますよね。私も昔はそう考えていました。

しかし、こう考えてしまうと、過去の束縛をどんどん強めてしまって、どんどんマイナスのサイクルにハマッてしまうので要注意なんですね。

「今の自分の状況は、過去の行動の結果だ」「今の行動が、未来の自分の状況を作る」というふうに考えてしまうことが多いと思いますが、それでは過去を基準にしか未来を見ることができなくなってしまうんです。

私の場合で言えば、「自分は貧乏な家庭に生まれたから、希望する道に行こうとしても経済的な理由で断念せざるを得ない」と思っていました。

しかし、そういった考えは何の生産性もないことに気がつき、適切な思考法ではないと思うようになりました。それではいつまで経っても不満ばかりが溜まっていき、ずっと過去に束縛されたままになってしまうなと思い、考え方を180℃変えるようにしました。

「現在」を決める原因は「過去」ではなく「未来」側にある

実は、過去の選択の結果とこれからやってくる未来には影響を及ぼすことはあっても

因果関係はまったくありません。例えば、このように考えてみてください。

まず川の上流からあなたの元に赤と白のボールが流れてきたとします。

先に「赤いボール」、その次に「白いボール」が順番に流れてきました。

あなたはまず「赤いボール」を拾います。

このとき、あなたは「赤いボールを拾うという選択をしたから 白いボールが次に流れてきたんだ」と思いますか?

おそらくそうは思わないですよね。

「赤いボール」を拾っても拾わなくても「白いボール」は流れてきたはずです。

これは「赤いボールを拾った」という過去の選択と「白いボールが流れてくる」という未来の出来事にはまったく因果関係がないということなんですね。

決め手になるのは、川の上流にいる人がどの順番でボールを投げたかということです。

この川の流れを「時間の流れ」として考えてみましょう。川の上流でボールを投げる人が「未来のあなた」です。そして、ボールを拾う人が「現在のあなた」です。

「未来のあなた」がボールを投げるからこそ、「現在のあなた」がそのボールを拾えるんですね。つまり、「現在」を決める原因は「未来」側にあるんです。

同じように「過去」を決める原因は「現在」側にあります。

よ~く考えてみてください。

このブログを読んでいる「現在」も時間が経てば、どんどん「過去」の出来事になっていきますよね。つまり、「現在」という時間が経過して「過去」になるわけです。

「過去」を決めている原因は「現在」側にあるんですね。

「現在」の出来事はいつだって「未来」側のあなたが評価する

大切なのは、「時間は未来から過去に流れている」という時間感覚を、徹底的に体に馴染ませることです。

それが体に馴染んできて当たり前になってくると、過去を後悔して落ち込んだりすることが一切なくなります。

また、今の状況を過去の不遇な環境のせいにして限定した見方でしか未来を描けないという状況から脱出することができます。

どんなにつらい過去もどんどん現在から遠のいていくだけなので、「過去にこだわる必要は全くないな」「もっと未来に目を向けよう」と常に前向きな姿勢でいられるようになります。

そして、過去の出来事に対する評価は未来の自分次第でいくらでも書き換わるということも知っておいてください。

例えば、朝寝坊して仕事先へ向かうための電車に乗り遅れたとします。「あーっ最悪!遅刻だぁぁ(゚д゚)」あなたは朝寝坊したことを後悔して落ち込むかもしれません。

しかし、朝乗る予定だった電車が脱線事故を起してしまったらどうでしょう?

「もしあの電車に乗っていたら、自分は死んでいたかもしれない!!」「あの電車に乗らなくてよかったー!」と思うはずです。

このとき朝寝坊をしたという過去の出来事がいきなり自分にとってプラスの出来事に変わってしまうんです。

「現在」の出来事が良いか悪いかは、常に「未来」側のあなたが評価します。

こういう考え方が馴染んでくると一時的に失敗を経験したとしても「現状が常にベスト!」と思えるようになり、毎日がとても楽しくなっていきます。

先日私にとってとてもショックな出来事がありました。

バックアップをとっていなかった

パソコンのハードディスクが急に壊れてしまったのです。

ギターのレッスンに使うプリントや教材ファイルも全て失ってしまったのです。

壊れたハードディスクからデータを救出するにしても見積もりを確認したら30万円以上もかかるじゃありませんか!?一瞬頭が真っ白になりましたが、

セルフコーチングが馴染んでいる私は直ぐさま「こんな現状もベスト!」「いいネタになるわ~」「ハードディスクの修理はめっちゃ高いんだなぁ」「色々勉強になったなぁ」

とケロッと立ち直ることができました。

今ではまた楽しみながら新しいレッスンプリントを作り直しています。

「こんなレッスンプリントだったら生徒さんがもっと笑顔になってくれるだろうな」とイメージしながら、

新たに成長した自分をレッスンプリントに反映させるいい機会として捉えています。

どうですか?少しずつイメージがつかめてきましたか?

「うんうん、なるほど(゚д゚)」「確かにそうかもしれない」そう思えてきたらとてもいい感じです。足かせが少しずつ外れてきています。

大切なのは自由に好きなゴールを「未来」側に設定すること少し整理しておきましょう。

過去の束縛から自由になるために重要なのは、

「今までの過去とこれからやってくる未来には何の因果関係もない」と理解することです。

そのために必要なことは、

「時間は未来から過去に向かって流れている」という体感を自分の中にしっかりと作っていくことです。

そして、川の上流から好きなようにボールを投げてください。

これはつまり、あなたの自由に好きなゴールを「未来」側に設定するということです。

ゴールの設定の仕方はまた後ほど紹介していきますね。

まとめ

・「過去の選択の結果が現在を作る」と考えている限り、どんどん過去の束縛を強めてしまい、望む未来を引き寄せることはできない。

・「時間は未来から過去に向かって流れている」という時間感覚が体の隅々まで馴染んだ瞬間、過去の束縛から一瞬にして解き放たれて、自由に望む未来を引き寄せることができるようになる。そして、毎日がとても楽しくなっていく。

Let’s Action!

では、早速行動に起こしていきましょう。

Step1

最寄りのコンビニに足を運んでください。そして、好きなカップラーメン買ってきてお湯を注いでください。

Step2

3分経過してカップラーメンが出来上がったときに「お湯を注いだという出来事は、

時間が3分経過して過去になった(゚д゚)」と自覚してください。

Step3

そして、カップラーメンを堪能しながら「今現在、自分がやっていることはどんどん過去に流れていくんだなぁ」と臨場感豊かに感じて味わってみてください。

こうして、「時間は未来から過去に向かって流れている」ということが当たり前になってくると、「未来」側に働きかける、

つまり、ゴールを設定することの重要性がとてもよくわかるようになってきます。

私の場合であれば、過去にギターの練習をしたから、プロのギタリストになったのではなく、「プロのギタリストになる」というゴールを未来に設定したから、当然の結果として

「ギターの練習をしてきた」という、そんな感覚が当たり前になってくるんです。

「現在」や「過去」にこだわるのではなく、その原因である「未来」側にゴールを達成した理想の自分を想定していくんですね。

そうすれば、あなたは一瞬にして過去の束縛から解放されて、本当に自分らしい人生をスタートさせることができます。

私はこの考え方を身につけてから過去に囚われることが一切なくなりました。

過去の失敗や自分の境遇もすべて財産に変わると思えるようになりました。

現状が常にベストと思える状態になりました。

そして、これから先の未来を考えるといつもワクワクして毎日を過ごすことができるようになりました。


コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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