尾張蕉門成立の俳壇史的意味について

https://www.jstage.jst.go.jp/article/haibun1951/1983/64/1983_64_12/_article/-char/ja/ 【尾張蕉門成立の俳壇史的意味について 】 より

https://www.jstage.jst.go.jp/article/haibun1951/1983/64/1983_64_12/_pdf   【尾 張 蕉 門 成 立 の 俳 壇 史 的 意 味 に つ い て 】

引用文献 (55)

1 石田元季氏の『俳文学考説』 (至文堂昭和十三年刊) の「名古屋の古風俳人」や「蕉門七部初三集の主要作家」に詳しい. 石田氏は. 名古屋は東西文化の交錯融合の地で. この文化の特色は古典的. 茶人的であるとされる. また. 広末保氏は. 名古屋には. 生産的で活動的な. それだけ民衆的な感情と直結した地方都市の商人たちの詩情が流れており. それが『冬の日』を生みだす文化的土壌を形成したと考えられる (『元禄文学研究』東京大学出版昭和三十年刊) .

2 本稿の続篇を『中央大学国文』に掲載予定. 併読下されば幸甚です.

3 石田元季氏の『俳文学考説』 (至文堂昭和十三年刊) の「名古屋の古風俳人」や「蕉門七部初三集の主要作家」に詳しい. 石田氏は. 名古屋は東西文化の交錯融合の地で. この文化の特色は古典的. 茶人的であるとされる. また. 広末保氏は. 名古屋には. 生産的で活動的な. それだけ民衆的な感情と直結した地方都市の商人たちの詩情が流れており. それが『冬の日』を生みだす文化的土壌を形成したと考えられる (『元禄文学研究』東京大学出版昭和三十年刊) .

4 森川昭氏は. 「江戸貞門俳諧の研究」 (『成蹊論叢』特別第一号・昭和三十八年十月発行) で本書の刊行を寛文十年と考証された (同論文八六頁) . 今これに従う.

5 俳句講座第二巻『俳人評伝上』 (明治書院昭和三十三年十一月二十五日刊) 所収の「山本荷兮」の項三八一頁.

6 「『冬の日』成立前後より『春の日』まで」 (『共立女子大学短期大学部紀要』第十号・昭和四十一年十二月発行) 六二頁.

7 村山美帰子氏「貞門期の荷兮-蕉風離反の要因を探る-」 (『香椎潟』第二十六号・昭和五十六年三月二十日発行) . 芭蕉講座第一巻『生涯と門弟』 (有精堂昭和五十七年九月十日刊) 所収の乾裕幸氏の論考「『冬の日』まで」四十九頁.

8 現存するのは「誹諧言之羽織巻第二夏」一巻のみ. もとは六冊と推定され. 東大総合図書館竹冷文庫蔵の中本一冊の零本『阿波千句』は第六冊に相当するという (森川氏上掲論文九十頁) .

9 十五名の入集者名と入集句数を示す. 流水28 香枝16 吟和9 籬雪9 飛水9 恵和8 任風6 花市5 祐木付発14 友量1 如柳1 甘蛙1 夢山1 一洗1 三和1

10 村山美帰子氏「貞門期の荷兮-蕉風離反の要因を探る-」 (『香椎潟』第二十六号・昭和五十六年三月二十日発行) . 芭蕉講座第一巻『生涯と門弟』 (有精堂昭和五十七年九月十日刊) 所収の乾裕幸氏の論考「『冬の日』まで」四十九頁.

11 本稿第三章参照.

12 『続阿波手集』 (元禄二年刊. 蘭秀軒横船編) がその情況を示す資料となる. 詳細は注2にあげた拙稿を御覧下さい.

13 本稿第三章参照.

14 近世文学資料類従古俳諧編45所収『旅衣・十種千句』 (勉誠社昭和五十年九月刊) 五一一頁-五一二頁.

15 森川昭氏編『谷木因全集』 (和泉書院昭和五十七年十月二十日刊) 十二頁.

16 延宝六年刊の『歳旦三つ物揃』に見える渡辺友意・三輪李石・一流軒友全らの歳旦三つ物中. 友意について「尾州旅衣撰者」という注記があるので. 『旅衣』刊行は延宝四・五年ごろであったか.

17 句引には名が見えなかったが. 冬発句下「帰花」に一句入集している事実が判明した.

18 『阿羅野』 (元禄二年刊. 荷兮編) に二句入集.

19 『誹家大系図』 (天保九年四月刊. 生川春明著) に友意を椋梨一雪の門弟として挙げ. 「友意. 渡辺氏. 通称八弥. 尾〓名古屋ノ人ナリ. 或人云. 友次門弟ナリト. 家書旅衣四巻アリ. 万治・寛文中. 」とあるが. 友意の師として一雪や友次を挙げる説は疑問視すべきだろう.

20 『連歌俳諧研究』第十七号 (昭和三十三年十二月二十日発行) .

21 虎竹が熱田神宮に奉納した『蓬嶋誹諧発句合・木曾川誹諧合』 (熱田神宮文化叢書第二『熱田神宮連歌俳諧資料目録』に翻刻) の存在にも注目したい.

22 「延宝七未己名古屋歳旦板行之写シー千代倉家代々資料考 (一) 」 (『俳文芸』第二号・昭和四十八年十二月二十五日発行) . 本稿第四章参照.

23 友全派の歳旦句参加者には. 左のように『旅衣』入集者六名の名が見える. () 内の数字は『旅衣』入集句数. 友意 (28) 友能 (79) 東川 (32) いぬ (14) 不汲 (3) 意任 (1)

24 調査の際. 『貞門時代俳人大観』 (今栄蔵氏・榎坂浩尚氏編) の恩恵を蒙った. 深謝申し上げます.

25 本稿第三章参照.

26 注14同書五一三頁-五一四頁に. 雲英末雄氏作成の年譜あり.

27 流水・花市の俳歴については. 付表2「『旅衣』上位入集者の俳歴」参照.

28 『旅衣』全入集者の俳歴調査の結果報告は他日に期したい.

29 吉田友次主導による尾張俳壇の生成過程については. 中央大学大学院『論究』第十五巻一号 (昭和五十八年三月発行予定) に若干の考察を試みた.

30 注1同書三〇七頁.

31 詳細は注29の拙稿参照.

32 有斐閣ブックス『芭蕉物語』 (白石悌三氏・乾裕幸氏編. 有斐閣昭和五十二年六月三十日刊) 所収の雲英末雄氏「季吟との出会い」十一頁-十三頁に詳しい.

33 付表1「季吟系俳書尾張俳人入集者一覧」の『続連珠』の項参照.

34 特に. 『阿波手集』 (寛文四年刊. 吉田無能子友次撰) に. 心和百五句・自睡五十五句の入集を見る事実は注目してよい.

35 『古今誹諧師手鑑』 (延宝四年成. 西鶴編) に尾張の代表的俳人三名の一人として友意の名が見えるのは. 『旅衣』撰集の功によるものか.

36 友能一派の歳旦三つ物があることに注意したい.

37 友意グルー. フの俳壇的な基盤の弱さに誘発された構成員の流動性に一因があるかもしれない.

38 『熱田宮雀』に西武・季吟・一雪・保友・調和・重頼・任口ら貞門系俳人が入集する一方. 宗因・重安・幾音・由平・旨恕・以仙・友雪・西鶴ら宗因系俳人団の有力メンバーの入集が見られることに気をつけたい.

39 今栄蔵氏の御教示による. 詳細は注29の拙稿参照.

40 西鶴と連繋した兼頼ぐらいであった.

41 本詞章が. 同じく延宝八年刊の『誹諧破邪顕正返答』 (岳西一時軒著) 中の一時軒独吟中でも. 生薑のいはほ峨々とそびえて鱠の酢三日かけて以前よりと圏点部のように用いられている事実は延宝末期の宗因流俳諧のマンネリズム化の一端を示して興味深い.

42 石田元季氏上掲書三三五頁.

43 石田元季氏上掲書三三五頁. 石田氏は. 「木因が. 芭蕉と季吟門系の吟友であった関係から. 新風を志して句行脚する芭蕉を季吟に因むこと深きこの地方の俳人等に紹介したであろう」 (圏点引用者) と推測され. 現学会でも. 本稿第一章で上述したようにこの説を補強発展させる方向にある.

44 『続連珠』 (延宝四年刊. 季吟編) に「野水」なる人物が尾張の部に見えるが. 姓は「水野」であるから. 岡田野水と別人ではないか.

45 今のところ正平が. 『如意宝珠』 (寛文九年成. 延宝二年刊. 荻野安静編) に一句入集していることは判明.

46 富山奏氏「蕉風俳諧の異端性」 (『国語国文』昭和四十二年十一月号) .

47 『冬の日』奥付に「貞享甲子歳」とあるが. 実際に刊行を見たのは年を越した貞享二年とするのが一般的見解であろう.

48 これらの連衆については. 石田元季氏上掲書に詳しい.

49 学燈社別冊国文学No. 8『芭蕉必携』 (尾形仂氏編) 所収の桜井武次郎氏の「芭蕉と元禄俳壇」一六八頁-一七三頁に詳しい.

50 学燈社別冊国文学No. 8『芭蕉必携』 (尾形仂氏編) 所収の桜井武次郎氏の「芭蕉と元禄俳壇」一六八頁-一七三頁に詳しい.

51 木村三四吾氏は. 「俳諧七部集初版本考」 (『ビブリア』四十七号) において. 元禄二年覆刻寺田版『春の日』を紹介された.

52 石田元季氏上掲書に詳しいが. 全入集者の俳歴の闡明による実態把握が必要である.

53 特に村俊は. 『鸚鵡集』 (明暦四年刊. 梅盛撰) に一句入集. 『新続犬筑波集』 (万治三年正月刊. 季吟撰) に二句入集以来の古参者であった.

54 繋がりが見られた渡辺友意も. 天和以降全く俳壇から姿を消している.

55 越人・横船・荷兮・露川の四名. 横船以外蕉門系俳人.

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