https://media.toriaez.jp/y1722/275886854295.pdf 【東三河の特徴 東三河ジオストーリー(案)】 より
東三河の特徴
東三河を繋げ、特徴づけているキーワードは「中央構造線」。
日本最長の断層帯である中央構造線は、四国から紀伊半島にかけて東西に延び、東三河で大きく方向を変えて長野県へと向かっています。
東三河を縦断するこの断層を境にして、熱や圧力によって変成を受けた成因の全く異なる岩石が分布し、地形と地質、植生などに多様な変化をもたらし、くらしや歴史文化に影響を与えています。
東三河ジオストーリー(案)
愛知県の三河地方東部に位置する東三河は、日本列島形成2億年のドラマがつまった大地です。
日本最長の断層帯である中央構造線は、四国から紀伊半島にかけて東西に延び、プレートの衝突により東三河で大きく方向を変えて、北東の長野県へと向かっていきます。東三河を縦断するこの断層の右と左では、成因の全く異なる岩石が分布しており、地形と地質、植生などに多様な変化がみられます。
海底が隆起してできた渥美半島は、2億年ほど前の海底に堆積した岩石が顔を出します。その上には数十万年前の海の侵入や後退によって堆積した地層が積もり、今は太平洋の波に削られ長い砂浜と崖をつくっています。波静かな三河湾は日本有数のアサリの産地であり、干潟は渡り鳥たちの休息地になっています。
北部山間地の奥三河地域には、約 1800 万年前の海の時代に堆積した岩石と、約 1500 万年前
の大規模な火山活動による岩石が分布しています。そして、今にいたる長い陸上での侵食は、険しい山並と深い谷や美しい渓谷をつくりました。山裾には扇状地ができ、中央構造線に沿った豊川とよがわを流れる水は、谷や河岸を削りながら段丘や豊橋平野をつくり、三河湾に注ぎ、太平洋へとつながります。
このように複雑な成り立ちの大地は、多様で豊かな自然環境を生み出し、縄文時代から人の生活の場となり、貝塚が内湾に面して形成されました。やがて平野部を中心に農耕が広がり、実り豊かな「穂ほ の国く に」がつくられました。人々は山と川と海の道で行き交い、やがて人の流れは、南北をつなぐ伊那街道や別所街道、東西をつなぐ伊勢街道や東海道となっていきました。また、山あいの谷筋や集落ごとに特色をもつ奥三河の「花祭」や豊橋の「鬼祭」など、地域独自の文化を育んできました。
豊かな川が流れ、人や物の交差地であった東三河は、戦国時代には武田、今川、徳川などの群雄がせめぎあい、多くの城や館が作られ、時に戦場となりました。中世から近世への歴史の転換点となった「長篠・設楽したらが原はらの戦い」の展開にも、中央構造線が生み出した複雑な地形が影響を与えています。
また、東三河の人々は、明応、宝永、安政の大地震と津波、昭和の三河地震、伊勢湾台風と高潮、豊川の洪水と氾濫、土石流などの自然災害も経験し、それらを乗り越える知恵と努力を重ねて生活の基盤を整えてきました。昔も今も歴史や文化、くらしや産業で深く繋がり結びついた地域です。
東三河ジオパーク構想テーマ候補アンケート
東三河ジオパーク構想では、この地域の特徴を表すテーマの検討を進めています。
地域の皆様のご意見をお聞きし、今後の資料とさせていただきたいと思いますので、ア
ンケートにご協力をお願いします。
性別:( 男 ・ 女 )
年齢:( 歳代)
お住まいの市町村:( )
裏面をお読みいただき、下記の中から東三河ジオパーク構想のテーマとして、最もふさ
わしいと思うものに○をつけてください。
テーマ候補
カニのつめを真っ二つ!中央構造線
東三河の形をカニのつめに見立て、その中央を中央構造線が真っ二つに割るように縦断して
いることを表しています。
中央構造線がつなげる地!「ほの国 東三河」!
※ほの国は、平成7年に東三河の市町村が手を取り合って未来に歩みだすためにつけた名で、「穂ほの国く に」に由来しています。
中央構造線で東三河が繋がっていること、また平成 7 年から東三河の市町村が手を取り合
って未来に歩みだすためにつけられた「ほの国」という言葉を使い、東三河の一体感を表しています。
曲がる中央構造線・つながる人と大地
東三河の特徴として、中央構造線が東西から南北へ方向を変えていることを強調し、その上
で私達人々の暮らしが、陸の街道、海や川の街道で、南北・東西で繋がっていることを表しています。
その他(自由記入欄:候補案や理由などを記入してください)
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