麻続王・柿本人麻呂

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/omi.html 【麻続王 おみのおおきみ 生没年未詳】 より

伝未詳。麻続は正しくは麻績であろうが、万葉集の古写本には「麻續王」とある(續は続の正字)。日本書紀によれば、三位の位にあった天武四年(675)四月、罪により因幡に流される。同時に一子は伊豆島(伊豆大島か)、別の一子は血鹿(ちか)の島(長崎県の五島列島)に流されたという。如何なる罪を犯したかなど、詳しいことは不明。この時ある人が詠んだ歌が万葉集に載るが、詞書に「伊勢国伊良虞島」に流されたとある。この歌に和した麻続王の歌は、後年の仮託の作と見られている。なお『常陸国風土記』の行方郡板来村(今の茨城県の潮来)の条には、同地を麻続王の配所とする記事を伝えている。

麻続王をみのおほきみ、伊勢の国の伊良虞いらごの島に流さゆる時に、人の哀傷かなしびて作る歌

打ち麻そを麻続をみのおほきみ海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります

【通釈】麻続王は海人なのだろうか。伊良湖の島の海藻をお刈りになっている。

麻続王、これを聞きて感傷かなしびて和こたふる歌

うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻苅り食はむ(万1-24)

右、日本紀を案ふるに曰く、「天皇の四年乙亥きのとゐの夏四月戊戌つちのえいぬの朔つきたちの乙卯きのとうに、三品麻続王罪有り、因幡に流す。一子は伊豆の島に流す。一子は血鹿ちかの島に流す」といふ。是に伊勢の国の伊良虞の島に配すと云ふは、若疑けだし、後の人、歌の辞ことばに縁りて誤り記せるか。

【通釈】命が惜しいので、私は波に濡れながら、伊良虞の島の海藻を刈り取って食べている。

【語釈】◇うつせみの 「命」の枕詞。原文は「空蝉之」。◇命を惜しみ 命が惜しいので。「惜しみ」は動詞「惜しむ」の連用形でなく、形容詞「惜し」のミ語法であろう。接尾語「み」は、形容詞の語幹に付いて原因・理由をあらわす。◇伊良虞 愛知県の伊良湖岬であろうという。一説に伊良湖岬の西方沖、三重県志摩郡の神島とも。◇玉藻(たまも) 海藻の美称。

【補記】天武天皇の御代、麻続王が流罪に処せられた時、時の人が作った歌が「打ち麻を麻続の王…」なのであろう。それに王自身が和した歌として、後年仮託された作と思われる。海辺に流された都人が海人のような侘しい暮らしを送るといった物語――折口信夫言うところの「貴種流離潭」の淵源をなすかのような一首である。須磨に配された在原行平の「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」、さらには源氏物語須磨の巻へと、この歌の情趣は引き継がれてゆく。なお、柿本人麻呂に「荒栲の藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を」と自らを海人に擬える歌があり、発想に通ずるところがある。

https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/hitomaro2_t.html#TR03 【柿本人麻呂 かきのもとのひとまろ 生没年未詳 略伝】 より

父母等は未詳。生年も未詳であるが、大化元年(645)前後と見る説が多い。その名は上代の史書に見えず、閲歴については万葉集が唯一の確実な資料とされている。

制作年の明らかな最初の歌は持統三年(689)の草壁皇子挽歌(2-167~170)である。持統四年(690)二月の持統天皇の吉野行幸に従駕し、歌をなす(1-36~39)。翌年九月、川島皇子が薨じ、殯宮のとき泊瀬部皇女に献る歌(2-194,195)がある。持統六年三月の伊勢行幸に際しては京に留まり、行幸に従駕した「妹(いも)」を恋慕する歌を詠んでいる(1-40~42)。同年冬には、軽皇子の安騎野遊猟に供奉し、作歌(1-45~49)。持統十年(696)七月、高市皇子が薨ずると、挽歌を作る(2-199~202)。万葉集最大の雄編である。

持統天皇譲位後の文武四年(700)四月、明日香皇女(天智天皇の皇女。新田部皇女と同母)薨去の際、挽歌をなす(2-196~198)。この歌が制作年の明らかな人麻呂最後の歌である。ただし翌大宝元年(701)九月、文武天皇の紀伊国行幸の際、有間皇子の結び松を見ての作歌に人麻呂歌集中歌がある(2-146)。大宝二年(702)冬には持統上皇の東国行幸がなされ、長意吉麻呂・高市黒人ら歌人が従駕して歌を残しているが、人麻呂がこの行幸に従駕した形跡はない。

万葉集の歌を見る限り、宮廷を離れた人麻呂は、和銅元年(708)以降、筑紫に下ったり(3-303,304)、讃岐国に下ったり(2-220~222)した後、石見国で妻に見取られることなく死んでいる(2-223)。

万葉集には少なくとも八十首以上の歌を残している。また万葉集中に典拠として引かれている「人麻呂歌集」は後世の編纂と思われるが、そのうち少なからぬ歌は人麻呂自身の作と推測されている。勅撰二十一代集には二百六十首程の歌が人麿作として採られている。

古来、至高・別格の歌人、というより和歌の神として尊崇されてきた。大伴家持は倭歌の学びの道を「山柿之門」と称し(万葉集巻十七)、紀貫之は人麿を「うたのひじり」と呼び(古今集仮名序)、藤原俊成は時代を超越した歌聖として仰いだ(古来風躰抄)。石見国高津の人麻呂神社創建は神亀元年(724)と伝えられている。

人麻呂像 水垣所蔵

人麻呂像 作者不詳 [拡大・解説]

万葉集より、人麻呂作歌七十二首、および柿本朝臣人麻呂歌集を出典とする歌二十八首、計百首を載せる。また付録として、拾遺集と新古今集に人麻呂作として採られた歌より十九首を抜萃して併載する。訓は主に伊藤博『萬葉集釋注』、佐竹昭広ほか校注『萬葉集』(岩波新古典大系)に拠った。カッコ内の数字は万葉集の巻数と旧国歌大観番号である。

※注釈の付いていないテキストはこちら。

万葉集の人麻呂作歌 72首(羇旅歌 11首 相聞 10首 雑歌 20首 挽歌 31首)

万葉集の人麻呂歌集歌 28首

付録:勅撰集に採られた伝人麻呂作歌 19首

―人麻呂作歌―

羇旅歌

柿本朝臣人麻呂の羇旅の歌 (七首)

玉藻刈る敏馬みぬめを過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ(3-250)

【通釈】海女たちが海藻を刈る敏馬を過ぎて、夏草が生い茂る野島の崎に私の乗る舟は近づいた。

【語釈】◇玉藻(たまも) 海藻。玉は美称。◇敏馬(みぬめ) 神戸市灘区岩屋付近。「見ぬ妻(め)」の意が掛かり、家郷を離れる寂しさが滲む。◇夏草の 夏草が生い茂る「野」から「野島」に掛けた、枕詞風の修飾句。◇野島(のしま)の崎 淡路島北端の岬。

【補記】一見、旅のA地点からB地点への移動を詠んだだけのような歌だが、「玉藻刈る敏馬」と「夏草の野島の崎」の対比は大変豊かな詩的世界を醸成する。畿内と異界という対比ばかりではない。平坦な浜辺と切り立った岸の対比。また、玉藻を刈る若い娘たちの姿が彷彿とする敏馬と、刈られることもなく夏草が生い茂る無人の野島と。そしてその対照が、畿内を離れいよいよ異境へと入ってゆく緊張感をもたらすのである。

【補記】瀬戸内海を旅する連作八首の第二首。最初の一首は「御津の埼波を恐(かしこ)み隠江(こもりえ)の舟公宣奴嶋尓」。下二句未だ定訓なく、割愛した。

【他出】五代集歌枕、六百番陳状、歌枕名寄、夫木和歌抄、新拾遺集、井蛙抄

(平安朝以後の文献では「敏馬」を「としま」としている例が多い。)

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十五(人麻呂歌の異伝か)

玉藻かるをとめを過ぎて夏草の野島が崎に廬す我は

【主な派生歌】

玉藻かる野島が崎の夏草に人もすさめぬ露ぞこぼるる(藻壁門院少将[新後撰])

うちなびく野島が崎の夏草に夕波かけて浦風ぞ吹く(宗尊親王[新続古今])

夏草の野島が崎の朝凪にあまの乙女子玉藻かる見ゆ(飛鳥井雅有)

淡路の野島の崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す(3-251)

【通釈】淡路の野島の崎の浜風に、妻が門出の時に結んでくれた衣の紐を吹き返させている。

【語釈】◇妹(いも)が結びし紐 家を発つ前、妻が結んでくれた衣の紐。旅の安全を祈りつつ結んだものであろう。◇吹き返す 「浜風の吹くにまかする意」(山田孝雄『萬葉集講義』)。

【補記】妻が結んでくれた衣の紐を、異境の風が裏返して吹くのを見て、旅の無事を祈る家郷の妻に思いを馳せる。

【他出】五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄、玉葉集

(玉葉集など初句を「あふみぢの」とする本が多い。)

【主な派生歌】

あづまぢの 野島が崎の はま風に わが紐ゆひし 妹がかほのみ 面影に見ゆ(*藤原顕輔[千載])

都おもふ野島が崎の旅衣ひもふきかへす秋のうら風(行意)

荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を(3-252)

【通釈】土地の人々は藤江の浦で鱸を釣る漁夫と見ていることだろうか、舟に乗り旅をする私を。

【語釈】◇荒たへの 「荒栲(あらたへ)」は織目の粗い布のこと。藤の蔓は荒栲の原材料とされたことから「あらたへの」が「藤」の枕詞になり、地名「藤江」の枕詞に転用されたもの。◇藤江の浦 明石市西部。野島の北西にあたる。◇海人(あま)とか見らむ 知らない人は私を漁夫と見ているだろうか。助動詞「らむ」は上一段動詞に接続する場合、「見-らむ」のように終止形の語尾「る」を略することがある(あるいは連用形接続と見ることもできる)。これは古い語法のようで、平安時代以後は「見る-らむ」の方が普通になる。

【他出】古今和歌六帖、和歌童蒙抄、五代集歌枕、柿本人麻呂勘文、歌枕名寄、夫木和歌抄

【参考歌】柿本人麻呂歌集出「万葉集」巻七

網引する海人とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来し我を

  作者不詳古歌「万葉集」巻十五

白栲の藤江の浦にいざりする海人とや見らむ旅ゆく我を

【主な派生歌】

藤波を借廬に造り浦廻する人とは知らに海人とか見らむ(久米継麻呂[万葉])

すずきつる海人とだによも人は見じあるにもあらで旅をこしかば(宗尊親王)

 

稲日野いなびのも行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ(3-253)

【通釈】稲日野も行き過ぎ難く思っていたところ、心惹かれる加古の島が見える。

【語釈】◇稲日野 印南野とも。今の加古川市から明石市あたりにかけての野。「中大兄三山歌」の反歌(万葉集巻一)によれば、妻争いの伝説に関わりのあった土地。◇加古(かこ)の島 加古川河口の三角州をこう言ったか。

【補記】この歌は大和への帰路の作。

【他出】五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄

 

ともしびの明石大門あかしおほとに入らむ日や榜ぎ別れなむ家のあたり見ず(3-254)

【通釈】明石の海峡に船が入って行く日には、故郷から漕ぎ別れてしまうのだろうか、もう家族の住む大和の方を見ることもなく。

【語釈】◇ともしびの 「明石」の枕詞。◇明石大門 明石海峡。明石市と淡路島北端の間の海峡。次の歌の「明石の門(と)」も同じ。

【補記】この歌は再び往路の作。

【他出】五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄

【主な派生歌】

ともしびの明石の沖の友舟もゆく方たどる秋の夕暮(藤原定家)

 

天離あまざかる夷ひなの長道ながちゆ恋ひ来れば明石の門とより大和島見ゆ(3-255)

【通釈】田舎の長い道を通って焦がれつつやって来ると、明石の海峡から大和の陸地が見える。

【語釈】◇天離る 「夷」の枕詞。◇大和島 原文は「倭島」。「大和国を大倭秋津洲(しま)といふによりて、略て倭島といへり」(萬葉集略解)。

【補記】帰路の作。次の歌もそうであろう。新古今集は第二・三句「ひなのながぢをこぎくれば」)。

【他出】人丸集、五代集歌枕、袖中抄、新古今集、定家八代抄、歌枕名寄、夫木和歌抄

【主な派生歌】

夕凪に明石のとより見わたせば大和島根をいづる月影(西園寺実氏[新勅撰])

あけわたる明石のとより見渡せば浦ぢの霧に島隠れつつ(藤原為家)

ともしびのあかしの門より見渡せばやまと島辺は霞かをれり(田安宗武)

 

飼飯けひの海の庭よくあらし刈薦かりこもの乱れて出づ見ゆ海人の釣船(3-256)

【通釈】飼飯の海の漁場は平穏であるらしい。入り乱れて出航するのが見える。海人の釣舟が。

【語釈】◇飼飯の海 淡路島西岸の海。「家庭のぬくもりを感じさせる『笥』と『飯』が連想される」(萬葉集釋注)。◇庭よくあらし 漁場の状態が良いらしい。◇刈薦の 「乱る」の枕詞。

【他出】和歌童蒙抄、五代集歌枕、歌枕名寄、夫木和歌抄

柿本朝臣人麻呂、近江の国より上り来る時に、宇治川の辺ほとりに至りて作る歌一首

もののふの八十やそ宇治川の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも(3-264)

【通釈】宇治川の網代木に阻まれてたゆたう波は進むべき方向を知らない。そのように、我らの人生も様々の障害に突き当たり、行方は知れないのだ。

【語釈】◇もののふの八十 「もののふ」は朝廷に仕える官人。「八十(やそ)」は数の多いこと。すなわち官人の数多くの「氏(うぢ)」から、同音の「宇治(うぢ)」を導く序である。この語があるために、「行方知らずも」には、多くの人々の運命もまた行方知れないことが暗示される。◇網代木(あじろき) 氷魚を捕るための仕掛けである網代の杭。

【他出】人丸集、新撰和歌(作者不明記)、古今和歌六帖、三十六人撰、奥義抄、和歌童蒙抄、袋草紙、五代集歌枕、人麻呂勘文、袖中抄、和歌色葉、古来風躰抄、新古今集、定家八代抄、西行上人談抄、色葉和難集、歌枕名寄、夫木和歌抄、歌林良材

【主な派生歌】

おちたぎつ八十宇治川の早き瀬に岩こす浪は千世の数かも(源俊頼[千載])

網代木にこほればやがてくだくなり八十宇治川の水の白波(藤原家隆)

つきせじな八十宇治川の網代守よる年波のひをかぞふとも(〃)

あじろ木や波のきりまに袖見えて八十氏人は今かとふらん(藤原定家)

すみわたる八十氏河の網代木に月の氷もくだけてぞ行く(西園寺実氏[続後拾遺])

嵐吹く八十宇治河の波のうへに木の葉いさよふ瀬々の筏木(惟明親王[玉葉])

もののふの八十宇治川の冬の月いるてふ名をばならはざらなん(西園寺公相[風雅])

音はしていさよふ波もかすみけり八十宇治川の春の明ぼの(後宇多院[新後撰])

柿本朝臣人麻呂の歌一首

淡海の海夕波千鳥汝なが鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ(3-266)

【通釈】淡海の海の夕波に立ち騒ぐ千鳥たちよ、おまえたちが啼くと、心も撓うばかりに昔のことが偲ばれるのだ。

【語釈】◇淡海(あふみ)の海(うみ) 琵琶湖。◇夕波千鳥 「夕波に立さわぐ千鳥をかくいへり」(萬葉集略解)。◇心もしのに 心もしなうほど。しみじみした気分になって。◇いにしへ 近江に都があった昔。すなわち天智天皇の御代。

【他出】綺語抄、五代集歌枕、袖中抄、古来風躰抄、色葉和難集、歌枕名寄、夫木和歌抄、続後拾遺集

【主な派生歌】

風はやみとしまが崎を漕ぎゆけば夕なみ千鳥立ちゐ鳴くなり(源顕仲[金葉])

近江路や野嶋が崎の浜風に夕波千鳥立ちさわぐなり(藤原顕輔[風雅])

遠ざかる潮干のかたの浦風に夕波たかく千鳥鳴くなり(藤原為経[新後撰])

難波潟夕浪たかく風立ちて浦半の千鳥跡も定めず(西園寺実衡[続千載])

風さむみ夕波高きあら磯にむれて千鳥の浦つたふ也(北条政村[続後拾遺])

和歌の浦の夕波千鳥立ちかへり心をよせしかたに鳴くなり(賢俊[新千載])

塩風に夕波たかく声たててみなとはるかに千鳥鳴く也(藤原隆教[〃])

鳴海潟夕波千鳥立ちかへり友よひつきの浜に鳴く也(厳阿[新後拾遺])

ふりし世をいかにしのべとあふみの海夕波千鳥今も鳴くらむ(加藤枝直)

柿本朝臣人麻呂、筑紫の国に下る時に、海路にして作る歌二首

名ぐはしき印南いなみの海の沖つ波千重ちへに隠りぬ大和島根は(3-303)

【通釈】名の美しい印南の海の沖の波――幾重にも波が立つ彼方に、隠れてしまった。大和の山々は。

【語釈】◇名ぐはしき 名の美しい。地名(および地霊)を讃美する語。◇印南(いなみ)の海 今の播磨灘。◇大和島根 海上から眺める大和の山々を島根と言いなした。「根」は大地にしっかり食い込んだものの意。

【補記】九州に下った時、瀬戸内海の船路で作った歌。

【他出】和歌童蒙抄、五代集歌枕、八雲御抄、歌枕名寄、夫木和歌抄、玉葉集

(初句「名にたかき」、第二句「たかつの海(波)の」とする本が多い。玉葉集は初二句「名にたかき石見の海の」。

 

大君の遠の朝廷みかどとあり通ふ島門しまとを見れば神代し思ほゆ(3-304)

【通釈】大君の遠く離れた政庁へと往き通う海峡を見ると、神代の昔が思われる。

【語釈】◇大君の遠の朝廷 天皇の遠く離れた役所。大宰府を指す。◇あり通ふ (船が、また人々が)往き来する。◇島門 島と島、または島と陸地の間の瀬戸。

【主な派生歌】

あもりつく香具山見ればひさかたの天に有りけむ神世しおもほゆ(本居宣長)

相聞

柿本朝臣人麻呂の歌

み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直ただに逢はぬかも(4-496)

【通釈】熊野の浦の浜辺の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、心の中ではあなたのことを幾度も幾度も思っているけれど、じかに逢うことができないよ。

浜木綿 神奈川県横須賀市

浜木綿(ハマオモト)

【語釈】◇熊野の浦 三重県熊野市から和歌山県新宮市にかけて、長大な弓なりの海岸線をなす。「浦」に裏(心中)の意が掛かる。◇浜木綿(はまゆふ) ヒガンバナ科の草。夏に白い花をつける。葉の付け根あたりの白い葉鞘が幾重にも重なっているので、「百重(ももへ)なす心は思ふ」の比喩に用いた。

【補記】四首一組のうち冒頭の歌。以下三首は割愛した。

【他出】古今和歌六帖、人丸集、拾遺集、五代集歌枕、六華集、雲玉集、夫木和歌抄

【主な派生歌】

みくま野の浦の浜木綿夕されば我もひとへに恨みやはせし(藤原兼輔)

さしながら人の心をみくま野の浦の浜木綿いくへなるらん(平兼盛[拾遺])

忘るなよ忘るときかはみくま野の浦の浜木綿恨みかさねん(道命[金葉])

我も思ふ浦の浜木綿いくへかはかさねて人をかつ頼めとも(藤原定家)

よろづ代とみ熊野の浦の浜木綿のかさねてもなほつきせざるべし(後鳥羽院)

みくま野の浦の浜木綿いくかへり春をかさねて霞みきぬらん(藤原知家[続後撰])

とへと思ふ心ぞたえぬ忘るるをかつみ熊野の浦の浜木綿 (和泉式部 〃)

三熊野の浦の浜ゆふいく代へぬあはぬ涙を袖にかさねて(藤原範宗[新後撰])

あま雲や人は心をみくまののうらの浜ゆふいくへならぬを(三条西実隆)

柿本朝臣人麻呂の歌三首

をとめらが袖ふる山の瑞垣みづかきの久しき時ゆ思ひき我は(4-501)

【通釈】少女たちが袖を振る――その「ふる」ではないが、布留山に古くからある瑞垣――そのように久しい昔から、ずっとあの人を思い続けていたのだ、私は。

石上神宮

石上神宮 奈良県天理市

【語釈】◇をとめら 原文は「未通女等」。未婚の少女ら。◇袖ふる山 「袖」までが「振る」の縁で地名「布留」を導く序。布留山は今の天理市布留、石上神宮のある山。◇瑞垣 神域を限る垣。普通石垣であった。「瑞垣の」までが「久しき時」を起こす序。

【補記】巻十一には「柿本朝臣人麻呂之歌集出」として、よく似た歌「處女らを袖ふる山の瑞垣の久しき時ゆ思ひけり我は」が載る。また古今和歌六帖・拾遺集には「をとめごが袖ふる山のみづがきの久しきよより思ひそめてき」とあり、平安期以後の歌書にはこの形で引用されることが多い。

【他出】古今和歌六帖、拾遺集、俊成三十六人歌合、古来風躰抄、時代不同歌合、定家八代抄、夫木和歌抄

【主な派生歌】

わぎもこが袖ふる山の桜花昔にかへる春風ぞ吹く(藤原家隆)

をとめごが袖ふる山の玉かづら乱れてなびく秋の白露(〃[続後撰])

幾千世ぞ袖ふる山の水垣も及ばぬ池にすめる月影(藤原定家[新後撰])

花の色をそれかとぞ思ふ乙女子が袖ふる山の春のあけぼの(九条良経[新続古今])

ながめてもいかにかもせむわぎもこが袖ふる山の春の曙(後鳥羽院)

わぎもこが袖ふる山のうす紅葉それかとまがふ秋の夕暮(〃)

いとはやもすずしき風かをとめごが袖ふる山に秋たつらしも(*後二条院)

天津風雲吹きとづな乙女子が袖ふる山の秋の月影(津守国夏[続千載])

 

夏野ゆく牡鹿をしかの角のつかの間も妹が心を忘れて思へや(4-502)

【通釈】草深い夏の野をゆく牡鹿の、生えそめの角ではないが、ほんの短い間もあなたの気持を忘れることなどあろうか。

【補記】「鹿は夏のはじめに角落ておひかはるが、いまだ短ければ、束の間といはん序とせり」(萬葉集略解)。新古今集に人麻呂作として載る。但し下二句は「わすれずおもへいもが心を」。

【主な派生歌】

草ふかき夏野分け行くさをしかの音にこそたてね露ぞこぼるる(藤原良経[新古今])

やがてはや隠ろへぬるか夏野行くを鹿のつのの短夜の月(聖統法師[新後拾遺])

 

玉衣たまきぬのさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来きにて思ひかねつも(4-503)

【通釈】旅立ちのさわがしさが鎮まってみると、家の妻にろくに物も言わずに来てしまったようで、耐え難い思いがするよ。

【語釈】◇玉衣の 衣ずれの音から「さゐさゐ」を導く枕詞。◇さゐさゐ ざわざわと落ち着きがない様。この歌では門出の慌ただしさを言うらしい。

柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 并せて短歌

石見いはみの海 角つのの浦廻うらみを 浦なしと 人こそ見らめ 潟かたなしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海辺うみへを指して 和田津にきたづの 荒磯ありその上に か青く生おふる 玉藻たまも沖つ藻も 朝羽あさは振る 風こそ寄せめ 夕羽ゆふは振る 波こそ来寄きよれ 波の共むた か寄りかく寄る 玉藻たまもなす 寄り寝し妹いもを 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈やそくまごとに よろづたび かへり見すれど いや遠とほに 里は離さかりぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草なつくさの 思ひ萎しなえて 偲しのふらむ 妹が門かど見む 靡けこの山(2-131)

反歌二首

石見のや高角山たかつのやまの木の間より我が振る袖を妹見つらむか(2-132)

 

小竹ささの葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば(2-133)

【通釈】[長歌] 石見の海の、角の浦を、良い浦がないと、他人は見もしよう、良い潟がないと、他人は見もしよう。よしんば、良い浦は無くとも、よしんば、良い潟は無くとも、海辺を目指して、和田津の荒磯の上に青々と生えている、美しい海藻、沖の海藻を、朝に吹く風が寄せるだろう、夕に立つ波が寄せて来るだろう、その波と共に、あちらへ寄りこちらへ寄る、美しい藻のように、寄り添って寝た妻を、置いて来たので、この山道の、数多い曲がり角ごとに、何度も何度も、振り返って見るけれども、いよいよ遠く、里は遠ざかってしまった。いよいよ高く、山も越えて来た。うなだれて思いに沈み、私を偲んでいる、妻が立つ門を見よう。靡き伏せ、この山よ。

[反歌一] 石見の国の、高角山の木の間をとおして、私が振る袖を妻は見ていてくれるだろうか。

[反歌二] 笹の葉は山全体もさやさやとそよぐようにそよいでいるけれども、私はひたすら妻のことを思っている、別れて来てしまったので。

【語釈】[長歌]◇角の浦廻 島根県江津市都野津(つのづ)町あたりの入江かという。人麻呂の妻の里である。◇浦なしと 船を泊めるのに良い浦が無いと。◇よしゑやし たとえまあ。「ゑ」「やし」は共に詠嘆の助詞。◇鯨魚とり 「海」の枕詞。◇和田津 地名か(所在未詳)。あるいは穏やかな津(港)を意味する普通名詞か。◇朝羽振る 風が吹き寄せる様を、鳥が羽を振る様に喩える表現。◇波の共 波のまにまに。◇か寄りかく寄る あっちへ寄りこっちへ寄る。沖の海藻が海辺へ向かって打ち寄せる様。◇露霜の 「置き」の枕詞。◇八十隈ごとに たくさんの曲がり角ごとに◇夏草の 「思ひ萎え」の枕詞。◇妹が門 妻がその傍に立っている門。

[反歌]◇高角山 島根県江津市島の星町にある《島の星山》かという。益田市高津町の山とする説もある。◇見つらむか 「つ」は動作が成立したことを示す助動詞。「らむ」は推量の助動詞。「見ることができているだろうか」程の意。◇さやげども 原文は「乱友」。「みだるとも」「まがへども」などと訓む説もある。

【他出】[反歌二]

人丸集、新古今集、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、夫木和歌抄

(新古今集羇旅部に「ささの葉はみ山もそよに乱るなり我は妹おもふ別れきぬれば」との形で載る。)

【主な派生歌】

[長歌]

別れ来てかへりみすれば吉野山山ぞかくさふなびけこの山(本居宣長)

[反歌一]

石見潟たかつの山に雲はれてひれふる峰をいづる月影(後鳥羽院[万代集])

石見のや夕こえくれて見わたせばたかつの山に月ぞいざよふ(藤原為氏[続古今])

[反歌二]

君こずはひとりやねなん笹の葉のみ山もそよにさやぐ霜夜を(*藤原清輔[新古今])

笹の葉はみ山もさやにうちそよぎ氷れる霜を吹く嵐かな(藤原良経[新古今])

草枕夕露はらふ笹の葉のみ山もさやにいく夜しほれぬ(藤原定家)

ささ枕み山もさやに照る月の千世もふばかり影のひさしさ(〃)

この山は夕露ふかき笹の葉の都もよそに乱れてぞ思ふ(藤原家隆)

笹の葉に霰さやぎてみ山べの嶺の木枯らししきりて吹きぬ(*源実朝)

わけきつる跡ともみえず篠の葉のみ山もさやに積る白雪(藤原信雅[続千載])

垣根にもおく霜さやぐ笹の葉のみ山はさぞな雪の朝風(*清水谷実業)

〔石見の国より妻に別れて上り来る時の歌 并せて短歌〕

つのさはふ 石見いはみの海の 言ことさへく 辛からの崎なる 海石いくりにぞ 深海松ふかみる生おふる 荒磯ありそにぞ 玉藻たまもは生おふる 玉藻なす 靡き寝し子を 深海松ふかみるの 深めて思へど さ寝し夜よは 幾何いくだもあらず 這ふ蔦つたの 別れし来くれば 肝向きもむかふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大舟おほぶねの 渡わたりの山の 黄葉もみちばの 散りの乱まがひに 妹いもが袖 清さやにも見えず 妻隠つまごもる 屋上やかみの山の 雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 天伝あまづたふ 入日さしぬれ 大夫ますらをと 思へる我われも 敷栲しきたへの 衣ころもの袖は 通りて濡れぬ(2-135)

反歌二首

青駒あをこまが足掻あがきを速み雲居にぞ妹があたりを過ぎて来にける(2-136)

 

秋山に落つる黄葉もみちばしましくはな散り乱まがひそ妹があたり見む(2-137)

【通釈】[長歌]

[反歌一]

[反歌二]

【語釈】[長歌] ◇つのさはふ 「石見」の枕詞。「ツタが多く這う意で『石(いは)』にかかるか」(岩波古語辞典)。◇言さへく 「辛の崎」の枕詞。言葉が通じにくい意から「唐(から)」「百済」などに掛かる。◇辛の崎 島根県江津市波子(はし)町大崎鼻あたりかという。◇海石 海中の岩。暗礁。◇深海松 海中深く生える藻。◇はふ蔦の 「別れ」の枕詞。◇肝向かふ 「心」の枕詞。◇大舟の 「渡の山」の枕詞。◇渡の山 所在不詳。◇清にも見えず はっきりとも見えず。◇妻隠る 「屋上の山」の枕詞。◇屋上の山 島根県江津市の室神山かという。一説に「共寝した妻を強く連想させるため、異文に見える実在の『室上山』(江津市浅利冨士かという)を改めた虚構の山名であろう」(萬葉集釋注)。◇敷栲の 「衣」の枕詞。

[反歌一] ◇青駒 灰色の馬。◇足掻きを速み 馬の歩みが速いので。「あがきは、馬は足にて土をかくが如く歩めばしかいふ」(萬葉集略解)。◇雲居にぞ 雲居はるかに。◇妹があたり 妻のいる辺り。

[反歌二] ◇しましくは 暫くだけでも。◇な散り乱ひそ 散り乱れてくれるな。

雑歌

近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌

玉襷たまたすき 畝傍うねびの山の 橿原かしはらの ひじりの御代みよゆ 生あれましし 神のことごと 樛つがの木の いや継ぎ継ぎに 天あめの下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて 青丹あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離あまざかる 夷ひなにはあれど 石走いはばしる 淡海あふみの国の 楽浪ささなみの 大津おほつの宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇すめろきの 神の命みことの 大宮は ここと聞けども 大殿おほとのは ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日はるひの霧きれる ももしきの 大宮処おほみやどころ 見れば悲しも(1-29)

反歌 (二首)

楽浪ささなみの志賀の辛崎からさきさきくあれど大宮人の船待ちかねつ(1-30)

 

楽浪の志賀の大曲おほわだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも(1-31)

【通釈】[長歌]

[反歌一] 志賀の辛崎は、その名のように幸(さき)く――無事平穏であるけれど、大宮人の船を待ちかねている。

[反歌二]

【語釈】[長歌] ◇玉襷 「畝傍」の枕詞。◇畝傍の山 大和三山の一。奈良県橿原市。◇橿原のひじりの御代ゆ 神武天皇の御代から。◇神のことごと 日の御子の子孫たる天皇のことごとこくが。◇樛の木の 「いや継ぎ継ぎに」の枕詞。◇そらにみつ 「大和」の枕詞。◇石走る 「淡海」の枕詞。◇楽浪の 「大津」の枕詞。◇大津の宮 天智天皇の近江大津宮。◇ももしきの「大宮」の枕詞。原文は「百礒城之」で、《多くの岩を使った城》の意が響く。

[反歌一] ◇楽浪の 「志賀」の枕詞。◇辛崎 滋賀県大津市唐崎。琵琶湖の西岸。◇大宮人 近江朝に仕えた人々。◇船待ちかねつ 待ちかねている。いくら待っても船が来ないということ。

[反歌二] ◇大曲 湾曲しているところ。◇昔の人 具体的にはかつての近江朝の官人たちを指すのであろう。◇またも逢はめやも 再び逢うことが出来ようか、いや出来はすまい。

【補記】玉葉集雑二に入集。

【主な派生歌】

さざ波の志賀の大わだよどめりし恨もなしやこよひあふみは(橘千蔭)

吉野の宮に幸いでます時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌

やすみしし 我が大君の きこしめす 天あめの下に 国はしも 多さはにあれども 山川やまかはの 清き河内かふちと 御心みこころを 吉野の国の 花散ぢらふ 秋津の野辺のへに 宮柱みやばしら 太敷ふとしきませば ももしきの 大宮人おほみやひとは 船並なめて 朝川あさかは渡り 舟競ふなきほひ 夕川ゆふかは渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水みなそそく 滝の宮処みやこは 見れど飽かぬかも(1-36)

反歌

見れど飽かぬ吉野の川の常滑とこなめの絶ゆることなくまたかへり見む(1-37)

【通釈】[長歌] 我が大君のお治めになる国は天下に多いけれども、清らかな山川に囲まれた土地として、御心を寄すという吉野の国の秋津の野辺に、宮殿の柱を立派に建てられたので、大宮人たちは船を並べて朝の川を渡り、船を競わせて夕の川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにますます高く君臨なさる、滝の都はいくら見ても見飽きないことよ。

[反歌] いくら見ても見飽きない吉野の川――その常滑のように絶えることなく、またここへ戻って来て滝の都を見よう。

【語釈】[長歌] ◇やすみしし 「大君」の枕詞。◇聞こしめす お治めになる。原文は「聞食」で、「聞こしをす」と訓む本もある。◇清き河内と 清らかな、川に囲まれた土地として。◇御心を 「吉野」の枕詞。「心を寄す」から。◇花散らふ 「秋津」の枕詞。稲の花が盛んに散る秋-という繋がり。◇水そそく 「滝」の枕詞。◇滝の宮処 吉野の離宮。

[反歌] ◇常滑の 常滑(岩にいつも生えている水苔)のように。◇またかへり見む 再びここに戻って来て見よう。天皇の行幸が繰り返しあらんことを言う。

【主な派生歌】[反歌]

ふじ川の絶ゆることなく行きかへり見るとも飽かじ雪の高嶺は(契沖)

いはばしる滝つ山川とこなめに絶ゆることなく逢ふよしもがな(賀茂真淵)

みくまりの神のさきはふ命あらば又かへりみむみ吉野の山(本居宣長)

〔吉野の宮に幸(いでま)す時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌〕

やすみしし 我が大君 神かむながら 神かむさびせすと 吉野川 たぎつ河内かふちに 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳たたなはる 青垣あをかき山 山神やまつみの 奉まつる御調みつきと 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉もみちかざせり ゆきそふ 川の神も 大御食おほみけに 仕つかへまつると 上かみつ瀬に 鵜川うかはを立ち 下しもつ瀬に 小網さでさし渡す 山川やまかはも 依りて仕つかふる 神の御代かも(1-38)

反歌

山川も依りて仕ふる神かむながらたぎつ河内かふちに船出せすかも(1-39)

【通釈】[長歌]

[反歌]

【語釈】[長歌] ◇神ながら神さびせすと 神であられるままに神らしくお振るまいになろうと。◇吉野川たぎつ河内に 吉野川の逆巻く流れを抱えた地に。◇高知りまして 高くお作りになって。◇たたなはる青垣山 幾重にも重なる青垣のような山。◇ゆきそふ 山に沿って流れる。◇大御食 天皇のお食事。◇鵜川を立ち 鵜飼を催し。◇小網さし渡す すくい網を仕掛ける。◇山川も依りて仕ふる 山の神も川の神も服従してお仕えする。

[反歌] ◇たぎつ河内に船出せすかも 激流逆巻く川を抱えた宮地にあって船出なさる。主語は大君。

【主な派生歌】[反歌]

夕されば麻の葉ながるみ吉野のたぎつ河内にみそぎすらしも(藤原秀能[玉葉])

降りつもる雪をかさねてみ吉野の滝つ河ふちに氷るしら波(二条為氏[新拾遺])

伊勢の国に幸いでます時に、京に留まれる柿本朝臣人麻呂の作る歌

嗚呼見あみの浦に船ふな乗りすらむをとめらが玉裳たまもの裾に潮満つらむか(1-40)

【通釈】今頃、鳴呼見の浦で船に乗っているおとめたちの美しい裾に、潮が満ちて寄せているだろうか。

【語釈】◇伊勢の国に幸す時 持統天皇の六年(692)三月の行幸。◇鳴呼見の浦 三重県鳥羽湾内の入海。◇をとめら 行幸に従駕した若い女官たち。

【主な派生歌】

をとめごが玉ものすそに満つしほのひかりをよする浦の月かげ(藤原家隆)

をみの浦の玉ものすそに満つしほのひるまばかりの程だにもなし(藤原秀能)

 

釧くしろつく答志たふしの崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(1-41)

【通釈】

【語釈】◇釧つく 「答志」の枕詞。釧は腕輪のこと。「くしろは手に卷物なれば、くしろを著る手の節とかけたる也」(萬葉集略解)。◇答志の崎 志摩半島の崎。◇大宮人の玉藻刈るらむ 行幸従駕の官人たちが海藻を刈っているだろう。

【主な派生歌】

はるひの春日の野辺にけふもかも里のをとめら菫摘むらん(田安宗武)

 

潮騒に伊良虞いらごの島辺榜ぐ船に妹いも乗るらむか荒き島廻しまみを(1-42)

【通釈】

【語釈】◇潮騷に 潮騷の中で。◇伊良虞の島 愛知県知多半島の先端、伊良湖岬沖の島々か。◇妹乗るらむか 今頃いとしい妻は乗っているだろうか。◇荒き島廻を 波の荒い島のまわりを。伊良湖水道は潮の流れが速く、航海の難所だと言う。

軽皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌

やすみしし 我が大君 高たか照らす 日の皇子みこ 神かむながら 神かむさびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬はつせの山は 真木まき立つ 荒き山道やまぢを 岩が根 禁樹さへき押しなべ 坂鳥さかとりの 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎あきの大野に 旗すすき 小竹しのを押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて(1-45)

短歌 (四首)

安騎あきの野に宿る旅人うち靡きいも寝ぬらめやもいにしへ思ふに(1-46)

 

ま草刈る荒野にはあれど黄葉もみちばの過ぎにし君が形見とぞ来こし(1-47)

 

東ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(1-48)

 

日並ひなみしの皇子の命みことの馬並なめて御狩立たしし時は来向ふ(1-49)

【通釈】[長歌]

[短歌一] 安騎の野に宿る旅人たちは、草が靡くように臥して眠ることなどできようか。昔のことを思うにつけて。

[短歌二]

[短歌三] 東の野に曙光が見えて、後ろを振り返ってみると、月は既に西に傾いている。

[短歌四]

【語釈】[長歌] ◇高照らす日の御子 天を高くお照らしになる日の神の御子。「照らす」は「照る」の尊敬態。◇太敷かす どっしりと治めていらっしゃる。◇こもりくの 原文「隠口乃」。「こもりく」は山に包まれている所の意で、「泊瀬」にかかる枕詞。◇泊瀬の山 奈良県桜井市初瀬の山。古代大和政権の中心であった聖地。◇真木立つ荒き山道 杉檜の茂り立つ、荒々しい山道。◇禁樹押しなべ 遮る木々を押し伏せ。◇坂鳥の 「朝越え」の枕詞。◇玉かぎる 「夕」の枕詞。◇安騎の大野 奈良県宇陀郡大宇陀町一帯の野。◇旗すすき 吹き流しのように靡く薄。◇草枕 「旅」の枕詞。

[短歌一] ◇宿る旅人 軽皇子はじめ、遊猟の一行。◇うち靡き 「うちなびきぬるとは、身をなよらかに臥さま也」。◇いも寝らめやも 眠ったりできようか。

[短歌二] ◇ま草刈る 仮庵を作るために適当な草を刈る。◇黄葉の 「過ぎ」の枕詞。◇過ぎにし君 軽皇子の父、草壁皇子を指す。持統三年(689)、二十八歳で薨去。◇形見とぞ来し 形見の地ということでやって来た。

[短歌三] ◇かぎろひ 「かぎろひはひろく光有事にいひて、こゝは明そむる光をいへり」(萬葉集略解)。原文は「炎」。◇かたぶきぬ 「かたぶく」は「かたむく」の古形。「片向く」の意かと言われ、一方にかたよる意。ここでは月が天頂を過ぎ西の地平へ向かって沈みかけている様。

[短歌四] ◇日並の皇子の命 日(天皇)に並ぶ皇子、すなわち皇太子。亡き草壁皇子を指す。◇御狩立たしし時は来向ふ 朝の狩に踏み出そうとした時刻が到来した。

【補記】短歌第三首の訓は賀茂真淵『萬葉考』に拠る。真淵以前は普通「あづまのの けぶりのたてる ところみて かへり見すれば 月かたぶきぬ」と訓まれていた。玉葉集にもこの形で載っている。

【主な派生詩歌】[短歌三]

神島の磯間は西に打見えてかへりみすれば玉の浦みゆ(平賀元義)

かげろふのたち野の真柴をりしきてかへり見すれば花散りにけり(加納諸平)

もつれ合う内部湛えて酒を飲む東ひんがしに炎かぎろいの立つ夜明けまで(佐佐木幸綱)

〔前略〕(悲しい朝日よ……)と/しばし猟衣の男はかげろふのなかに立ち/ふり返って野の果に傾く蒼白たる世界の月をみてゐた。(安西均)

[短歌四]

かきつはた衣に摺り付けますらをの着そひ狩する月は来にけり(大伴家持)

天皇の雷岳いかづちのをかに御遊あそびたまひし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首

大君は神にしませば天雲あまくもの雷いかづちの上に廬いほりせるかも(3-235)

【通釈】

【語釈】◇天皇 どの天皇か不明。可能性があるのは、天武・持統・文武の各天皇。◇雷の丘 奈良県高市郡明日香村雷の小丘という。◇廬りせるかも 天皇が雷の丘に建てた仮宮に籠って身を浄めていることを言う。

【補記】万葉集巻三の巻頭歌。初二句は下記参考歌に同じ。大伴御行の歌は壬申の乱平定後の作と題詞にあり、すなわち天武元年(672)頃の作で、人麻呂の歌との先後関係は明らかでない。

【参考歌】大伴御行「万葉集」巻十九

大君は神にしませば赤駒の腹這ふ田居を都と成しつ

長皇子の猟路かりぢの池に遊びし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

やすみしし 我が大君 高たか光る 我が日の皇子みこの 馬並なめて 御狩みかり立たせる 若薦わかこもを 猟路かりぢの小野に 鹿ししこそば い匍はひ拝をろがめ 鶉うづらこそ い匍はひ廻もとほれ 鹿ししじもの い匍はひ拝をろがみ 鶉うづらなす い匍はひ廻もとほり 恐かしこみと 仕つかへまつりて ひさかたの 天あめ見るごとく 真澄鏡まそかがみ 仰あふぎて見れど 春草の いやめづらしき 我が大君かも(3-239)

反歌一首

ひさかたの天あめ行く月を網あみに刺し我が大君は蓋きぬがさにせり(3-240)

或本の反歌一首

大君は神にしませば真木の立つ荒山中あらやまなかに海を成すかも(3-241)

【通釈】[長歌]

[反歌] 天空を渡ってゆく月を網に捕え、われらの大君は衣笠にしておられる。

[或本反歌] 大君は神であらせられるので、槙の木が林立する荒れた山中に海のような大池を造られるのだ。

【語釈】[長歌] ◇猟地の池 所在地は奈良県宇陀郡榛原町、奈良県桜井市鹿路(ろくろ)とする説などがある。◇高光る 「日の御子」の枕詞。この日の御子は長皇子を指す。◇若薦を 「猟路」の枕詞。薦を「刈る」から「猟」に掛けた。◇鹿じもの 鹿のように。◇真澄鏡 「仰ぎ見る」の枕詞。◇春草の 「めづらし」の枕詞。

[反歌] ◇網に刺し 網を張って捕え。◇蓋 貴人の後ろから長い柄で差し掛ける絹張りの笠。月を蓋にしたとは、夜、長皇子が月を背景に狩場で宴を催している様を誉め讃えて言ったもの。

[或本反歌] ◇海を成す 猟路の池を海と言いなした。

【主な派生歌】[反歌]

うべしこそ桜は花の君なれや天つ霞を衣笠にせり(賀茂季鷹)

七夕の歌一首

大船に真楫まかぢしじ貫ぬき海原を漕ぎ出て渡る月人壮士をとこ(15-3611)

右は柿本朝臣人麻呂の歌。

【語釈】◇真楫しじ貫き 楫をたくさん通して。楫は櫓や櫂の類の総称。◇月人壮士 月の人である男子。月を擬人化した。

【補記】「ただ月をよめる歌と見ゆるに、七夕の歌と題(しる)せるは、誤なるべし」(萬葉集古義)。

挽歌

日並皇子尊ひなみしのみこのみことの殯宮あらきのみやの時に、柿本人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

天地あめつちの 初めの時の ひさかたの 天あまの河原に 八百万やほよろづ 千万神ちよろづがみの 神集かむつどひ 集つどひいまして 神かむはかり はかりし時に 天あま照らす 日女ひるめの命みこと 天あめをば 知らしめすと 葦原あしはらの 瑞穂みづほの国を 天地あめつちの 寄り合ひの極きはみ 知らしめす 神の命みことと 天雲あまくもの 八重やへかきわけて 神下かむくだし いませまつりし 高たか照らす 日の皇子みこは 飛鳥あすかの 清御きよみの宮に 神かむながら 太敷ふとしきまして 天皇すめろきの 敷しきます国と 天あまの原 石門いはとを開き 神上かむあがり 上あがりいましぬ 我が大君おほきみ 皇子の命みことの 天あめの下 知らしめしせば 春花の 貴くあらむと 望月もちづきの 満たたはしけむと 天あめの下 四方よもの人の 大船の 思ひ頼みて 天あまつ水 仰あふぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 真弓まゆみの岡に 宮柱みやばしら 太敷ふとしきいまし 御殿みあらかを 高たか知りまして 朝言あさことに 御言みこと問はさず 日月ひつきの 数多まねくなりぬる そこ故ゆゑに 皇子みこの宮人みやびと ゆくへ知らずも(2-167)

反歌二首

ひさかたの天あめ見るごとく仰あふぎ見し皇子の御門みかどの荒れまく惜しも(2-168)

 

あかねさす日は照らせれどぬば玉の夜渡る月の隠らく惜しも(2-169)

或本の歌一首

島の宮まがりの池の放ち鳥人目に恋ひて池に潜かづかず(2-170)

【通釈】[長歌]

[反歌一] 天空を仰ぎ見るように仰ぎ見た草壁皇子の宮殿が荒れて行くのは残念で悲しいことよ。

[反歌二] 日は照り輝いているけれど、夜空を渡る月が雲に隠れて見えないのは残念で悲しいことよ。

[或本歌]

【語釈】[長歌] ◇日並皇子尊 草壁皇子。皇太子であったが、即位することのないまま、持統三年(689)四月十三日、二十八歳の若さで薨じた。◇天の河原 高天原の安の川原。古事記には「天の安の河原に神集ひ集ひて」とある。◇天照らす日女の命 天照御大神に同じ。◇天地の寄り合ひの極み 天と地の寄り合う遠い果てまでも。◇神下しいませまつりし 神々が地上にお降し申し上げた。◇高照らす日の皇子 天武天皇をいう。◇神上り上りいましぬ 天武天皇が高天原にお帰りになったことを言う。◇我が大君皇子の命 草壁皇子をいう。◇天つ水 雨のことだが、ここでは「仰ぎて待つ」の枕詞。◇つれもなき 「ゆかりもない。これも挽歌の常套語で、死者を惜しむあまりに、死者の籠る所をおとしめていったもの」(萬葉集釋注)。◇真弓の岡 奈良県高市郡明日香村真弓。◇宮柱太敷きいまし 殯宮(埋葬まで仮に安置する宮)を設けたことを言う。◇ゆくへ知らずも 途方に暮れている様。

[或本歌] ◇島の宮 草壁皇子の住んでいた宮殿。もと蘇我氏の邸宅。明日香の石舞台古墳あたりかという。◇まがりの池 「島の宮」にあった池の名。◇放ち鳥 羽を一部切って放し飼いにした鳥。ここでは鴨の類。「遺愛の鳥を皇子の霊魂とも見ていよう」(萬葉集釋注)。◇人目に恋ひて 人目を恋い慕って。御殿の主が亡くなり、人気が少なくなったことを悲しんでいる。◇池に潜かず 池に潜ろうともしない。潜るとは餌をとる動作。

【補記】「是は皇子の御事を付きに譬へ奉り、上の日はてらせれどといふは、月の隱るゝを歎くを強く言む爲也」(萬葉集略解)。

【参考歌】作者未詳「万葉集」9-1712

天の原雲なき宵にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜しも

柿本朝臣人麻呂、泊瀬部皇女はつせべのひめみこと忍壁皇子おさかべのみことに献る歌一首 并せて短歌

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上かみつ瀬に 生おふる玉藻は 下しもつ瀬に 流れ触ふらばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 靡かひし 夫つまの命みことの たたなづく 柔膚にきはだすらを 剣大刀つるぎたち 身に添へ寝ねば ぬば玉の 夜床よとこも荒るらむ そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて 玉垂たまだれの 越智をちの大野の 朝露に 玉裳たまもは湿ひづち 夕霧に 衣ころもは濡れて 草枕 旅寝かもする 逢はぬ君ゆゑ(2-194)

反歌一首

敷栲しきたへの袖交かへし君玉垂たまだれの越智野過ぎゆくまたも逢はめやも(2-195)

右は、或本には、「河島皇子を越智野に葬りし時に、泊瀬部皇女に献る歌なり」といふ。日本紀には「朱鳥の五年辛卯の秋九月、己巳の朔の丁丑に、浄大参川島薨ず」といふ。

【通釈】[長歌]

[反歌]

【語釈】[長歌] ◇飛ぶ鳥の 「明日香」の枕詞。◇流れ触らばふ 流れて触れ合っている。◇玉藻なすか寄りかく寄り 美しい藻のようにゆらゆらと、ああ寄り添い、こう寄り添い。主語は泊瀬部皇女。寝所で夫と抱擁しあい愛撫しあった様を表現する。◇夫の命 亡き川島皇子。◇たたなづく 「柔膚」の枕詞。幾重にも重なる意。◇柔膚すらを やわらかな肌であるというのに。◇夜床も荒るらむ ひとり残された皇女の寝床もさびれるだろう。◇慰めかねて (皇女は)自分の心を慰めかねて。◇けだしくも逢ふやと思ひて もしかしたら(亡き夫に)逢えるかと思って。◇玉垂の 「越智」の枕詞。◇越智の大野 奈良県橿原市北越智町から高市郡高取町北部一帯の丘陵地。◇朝露に玉裳は湿づち 朝露に美しい裳は濡れて。以下、亡き皇子が葬送された野をさすらう様を描く。◇逢はぬ君ゆゑ 逢えない夫の君を求めて。

【補記】反歌の左注にあるように、持統天皇の五年(691)川島皇子を越智野に葬送した時の挽歌。泊瀬部皇女は亡き皇子の妻であったらしい。また忍壁皇子は同皇女の同母兄であったので、この二人に歌を献じたものであろう。

[反歌] ◇敷栲の 「袖」の枕詞。◇袖交へし君 袖を交わして寝た君。皇女の立場から詠む。

高市皇子の城上きのへの殯宮あらきのみやの時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏かしこき 明日香の 真神まかみの原に ひさかたの 天あまつ御門みかどを 畏くも 定めたまひて 神さぶと 磐隠いはがくります やすみしし 我が大君の きこしめす 背面そともの国の 真木立つ 不破山越えて 高麗こま剣つるぎ 和射見わざみが原の 行宮かりみやに 天降あもりいまして 天の下 治めたまひ 食をす国を 定めたまふと 鶏とりが鳴く 東あづまの国の 御軍士みいくさを 召したまひて ちはやぶる 人を和やはせと まつろはぬ 国を治めと 皇子みこながら 任まけたまへば 大御身おほみみに 大刀たち取り佩はかし 大御手おほみてに 弓取り持たし 御軍士を 率あどもひたまひ 整ふる 鼓つづみの音は 雷いかづちの 声と聞くまで 吹き響なせる 小角くだの音も 敵あた見たる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに 差上ささげたる 幡はたの靡きは 冬こもり 春さり来れば 野ごとに つきてある火の 風の共むた 靡くがごとく 取り持てる 弓弭ゆはずの騒き み雪降る 冬の林に 旋風つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きのかしこく 引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来きたれ まつろはず 立ち向ひしも 露霜の 消けなば消ぬべく 去ゆく鳥の 争ふはしに 度会わたらひの 斎いつきの宮ゆ 神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず 常闇とこやみに 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂みづほの国を 神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の 天の下 奏まをしたまへば 万代よろづよに 然しかしもあらむと 木綿花ゆふはなの 栄ゆる時に 我が大君 皇子の御門を 神宮かむみやに 装よそひまつりて 使はしし 御門の人も 白栲しろたへの 麻衣着て 埴安はにやすの 御門の原に あかねさす 日のことごと 獣ししじもの い匍ひ伏しつつ ぬば玉の 夕へになれば 大殿おほとのを 振りさけ見つつ 鶉なす い匍ひ廻もとほり 侍さもらへど 侍ひえねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに 憶おもひも いまだ尽きねば 言ことさへく 百済くだらの原ゆ 神葬かむはぶり 葬はぶりいませて あさもよし 城上きのへの宮を 常宮とこみやと 高くまつりて 神かむながら 鎮まりましぬ しかれども 我が大君の 万代と 思ほしめして 作らしし 香具かぐ山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天あめのごと 振りさけ見つつ 玉たすき 懸けて偲はむ 畏かしこくあれども(2-199)

短歌 (二首)

ひさかたの天あめ知らしぬる君ゆゑに日月も知らず恋ひわたるかも(2-200)

 

埴安の池の堤の隠沼こもりぬの行方を知らに舎人とねりは惑まとふ(2-201)

或書の反歌一首

哭沢なきさはの神社もりに神酒みわ据ゑ祈のまめども我が大君は高日知らしぬ(2-202)

【通釈】[長歌]

[短歌一] 天を治めに行ってしまわれた皇子のことを、月日の経つのも知らず、ひたすらお慕い申し上げています。

[短歌二] 埴安の池――まわりに築かれた堤で出口を失ったその隠れ沼のように、将来どうなるかも分からず、(亡き皇子の)舎人たちは途方に暮れている。

【語釈】[長歌] ◇かけまくもゆゆしきかも 心にかけて思うのも憚られることだ。◇言はまくもあやに畏き (まして)口に出して言うのも大層恐れ多い。「明日香の真神の原」にかかる。ここから百三十九句目の「鎮まりましぬ」まで、切れ目無しに続く。◇真神の原 明日香村の飛鳥寺あたりの原。「真神」は狼の異称。◇磐隠ります やすみしし我が大君 今は天の岩戸にお隠れになっている、我が天皇(天武天皇)。以下、場面は壬申の乱の戦場に移る。◇背面の国 北方の国。壬申の乱で天武天皇が拠った美濃国を指す。◇真木立つ 杉・檜の類が林立する。山深いことを示す。◇不破山 不破の関付近の山。◇高麗剣 「和射見」の枕詞。剣の柄頭の環(わ)から「和」につなげる。◇和射見が原 岐阜県不破郡関ヶ原町の関ヶ原。大垣市青野ヶ原とする説もある。◇仮宮に天降りいまして… 以下、天武天皇が不破の野上行宮にあって軍を指揮したことを言う。◇鶏が鳴く 「東」の枕詞。◇皇子ながら任けたまへば 皇子であるままに、お任せになったので。天武天皇が軍事を高市皇子に一任されたことを言う。◇小角 軍隊の角笛の一種。◇敵見たる虎か吼ゆると 「あたみたる云々は、虎の敵に向ひていかれる聲かとおそるる也」(萬葉集略解)。◇去ゆ鳥の 「争ふ」の枕詞。◇争ふはしに 争う折に。◇度会の斎きの宮 伊勢神宮。◇神風にい吹き惑はし (伊勢神宮から)神風を起こして敵を迷わせ。「下の『常闇に覆ひたまひて」とともに、主語は天武天皇に成り代わった高市皇子」(萬葉集釋注)。◇天雲を日の目も見せず… 雲を呼び起こして、空を日の目も見せず真っ暗に覆い隠して。◇木綿花の 「栄ゆ」の枕詞。◇神宮に装ひまつりて (亡き皇子の)御殿を御霊殿(みたまや)としてお飾り申し。◇白栲の麻衣 喪服。◇埴安の御門の原 香具山の麓、埴安の池のほとりにあった高市皇子の宮殿の庭。◇春鳥の 「さまよふ」(咽び泣く)の枕詞。◇言さへく 「百済」の枕詞。◇百済の原 奈良県北葛城郡広陵町百済のあたり。◇神葬り葬りいませて 神として葬り奉り。実際には埋葬したのではなく、殯宮に移したのである。◇あさもよし 「城上」の枕詞。◇城上の宮 奈良県北葛城郡広陵町あたりに建てられた殯宮。◇常宮と高くまつりて 永遠の宮殿として高くお造り申して。◇鎮まりましぬ (高市皇子の御霊は)鎮座なさった。◇香具山の宮 高市皇子の宮殿。「埴安の御門」と同じ所を指す。◇万代に過ぎむと思へや 万代の後までも無くなると思えようか、思えはしない。◇玉たすき 「懸け」の枕詞。◇懸けて偲はむ 畏くあれども 心にかけて偲ぼう。我らにとっては恐れ多いことだけれども。

[或本反歌] ◇哭沢の神社 香具山西麓の神社。哭沢女神(なきさわめのかみ)を祀る。◇神酒据ゑ 神酒を入れた瓶を神に捧げ。◇高日知らしぬ 天上を統治されてしまった。死を迂遠に言う。

【補記】持統十年(696)七月、高市皇子が薨去し、その殯宮の時の作。全百四十九句に及ぶ、万葉集最大の雄編。

明日香皇女の城上の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 石橋いはばし渡し 下つ瀬に 打橋渡す 石橋に 生おひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生はふる 打橋に 生おひををれる 川藻もぞ 枯るれば生はゆる なにしかも 我が大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥こやせば 川藻のごとく 靡かひし 宜よろしき君が 朝宮を 忘れたまふや 夕宮を 背そむきたまふや うつそみと 思ひし時に 春へは 花折り挿頭かざし 秋立てば 黄葉もみちば挿頭し 敷栲しきたへの 袖たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月もちづきの いやめづらしみ 思ほしし 君と時々 出いでまして 遊びたまひし 御食みけ向ふ 城上きのへの宮を 常宮とこみやと 定めたまひて あぢさはふ 目言めことも絶えぬ しかれかも あやに悲しみ ぬえ鳥の 片恋づま 朝鳥あさとりの 通はす君が 夏草の 思ひ萎しなえて 夕星ゆふつづの か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰なぐさもる 心もあらず そこ故に せむすべ知れや 音おとのみも 名のみも絶えず 天地の いや遠長く 思しのひ行かむ 御名みなに懸かせる 明日香川 万代よろづよまでに はしきやし 我が大君の 形見にここを(2-196)

短歌二首

明日香川しがらみ渡し塞せかませば流るる水ものどにかあらまし(2-197)

【補記】皇女の逝去を押し止め得なかったことを痛惜する。

 

明日香川明日だに見むと思へやも我が大君の御名忘れせぬ(2-198)

【通釈】[長歌]

[短歌一]

[短歌二] 明日香川の名のごとく、せめて明日だけでも逢いたいと思うせいだろうか、明日香皇女のお名前は忘れることがない。

【語釈】[長歌] ◇明日香皇女 天智天皇の皇女。忍壁皇子の妃。文武四年(700)四月四日薨。◇石橋渡し 飛石で橋を渡し。◇打橋渡す 板橋を打ち渡す。◇絶ゆれば生ふる ちぎれれば、また生える。◇生ひををれる 生い茂っている。◇我が大君 亡き明日香皇女を言う。◇立たせば玉藻のもころ お立ちになれば玉藻のようになよなよと美しく。◇臥やせば川藻のごとく靡かひし 床に臥せれば、川藻のように靡いて抱擁し合った。◇宜しき君が朝宮を 立派な夫君の朝宮であるのに、それを。「朝宮」は「夕宮」と対になって、朝夕夫婦が馴れ親しんだ宮殿を示す。◇夕宮を背きたまふや 夕宮に背を向けて去ってしまわれるのか。◇うつそみと思ひし時に (夫君が皇女を)この世の人と思っていた時に。◇袖たづさはり 手を組んで連れ添う様を言う。◇鏡なす 「見れども飽かず」の枕詞。◇望月の 「いやめづらしみ」の枕詞。◇いやめづらしみ思ほしし いよいよ愛しくお思いになった(夫君と…と続く)。◇御食向ふ 「城上」の枕詞。◇城上の宮 明日香皇女の殯宮。奈良県北葛城郡広陵町大塚あたりかという。◇あぢさはふ 「目」の枕詞。◇目言も絶えぬ 会うことも言葉を交わすことも絶えてしまった。◇ぬえ鳥の 「片恋づま」の枕詞。◇片恋づま 片恋をなさる夫君。◇朝鳥の・夏草の・夕星の・大船の いずれも次句の枕詞。◇たゆたふ見れば 心が落ち着かないさまを見ると。◇そこ故にせむすべ知れや そういうわけで、一体どうすればいいのか、知り得ようか。反語。◇音のみも名のみも絶えず せめてお噂だけでも、お名前だけでも絶やすことなく。◇御名に懸かせる明日香川 明日香皇女の御名にゆかりの明日香川。◇はしきやし いとしく懐かしい。感動詞的な使い方。◇形見にここを 亡き皇女の形見としてこの明日香川を(いつまでもお慕いしてゆこう)。

[反歌一] ◇しがらみ 川の流れを堰き止めるための柵。◇のどにかあらまし ゆっくりと流れただろうに。

【主な派生歌】[反歌二]

高円の峯の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや(大原今城[万葉])

柿本朝臣人麻呂、妻死にし後に、泣血きふけつ哀慟あいどうして作る歌二首 并せて短歌

天飛ぶや 軽の路は 我妹子わぎもこが 里にしあれば ねもころに 見まく欲ほしけど やまず行かば 人目を多み 数多まねく行かば 人知りぬべみ さね葛かづら 後も逢はむと 大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵いはかきふちの 隠こもりのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れゆくがごと 照る月の 雲隠くもがくるごと 沖つ藻の 靡きし妹は 黄葉もみちばの 過ぎて去いにきと 玉梓たまづさの 使つかひの言へば 梓弓あづさゆみ 音に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 音おとのみを 聞きてありえねば 我あが恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと 我妹子わぎもこが やまず出いで見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍うねびの山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾たまほこの 道行く人も 一人だに 似てし行ゆかねば すべをなみ 妹いもが名呼びて 袖ぞ振りつる(2-207)

短歌二首

秋山の黄葉もみちを茂み惑まとひぬる妹を求めむ山道やまぢ知らずも(2-208)

 

黄葉もみちばの散りぬるなへに玉づさの使を見れば逢ひし日思ほゆ(2-209)

【通釈】[長歌]

[短歌一] 秋山の黄葉があまり密に繁っているので、迷子になってしまった妻――その妻を捜しに行くのに、山道が分からないことよ。

[短歌二] 黄葉が散りゆく折しも、使いの者がやって来るのを見ると、あいつと逢った日のことが思い出される。

【語釈】[長歌] ◇天飛ぶや 「軽」の枕詞。天飛ぶ「雁(かり)」と音が通じることから。◇軽の路 藤原京の西南の大路。市が立った。◇ねもころに見まく欲しけど 心を込めて見たく思うけれども。◇人目を多み 人目がうるさいので。◇人知りぬべみ 世間の人たちに知られてしまうので。◇さね葛 「後も逢ふ」の枕詞。葛のつるは分かれてもまた逢うことから。◇大船の 「思ひ頼み」の枕詞。◇玉かぎる 「磐垣淵」(岩がそそり立っている淵)の枕詞。◇沖つ藻の 「靡き」の枕詞。◇黄葉の 「過ぎ」の枕詞。◇過ぎて去にきと 死んでしまったと。◇玉梓の 「使」(使者)の枕詞。◇梓弓 「音」の枕詞。◇音のみを聞きてありえねば (妻が死んだとの)報せを聞いただけでは気がすまないので。◇吾が恋ふる千重の一重も… 私の恋しい思いの千分の一でも慰められる気持もあろうかと。◇玉たすき 「畝傍の山」の枕詞。◇畝傍の山 奈良県橿原市の畝傍山。◇玉鉾の 「道」の枕詞。◇すべをなみ なすすべもなくて。◇袖ぞふりつる 袖を振って亡き妻の霊魂を招いた。

〔妻死にし後に、泣血きふけつ哀慟あいどうして作る歌 并せて短歌〕

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し 走出はしりでの 堤に立てる 槻つきの木の こちごちの枝えの 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹いもにはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世の中を 背そむきしえねば かぎろひの 燃ゆる荒野に 白栲の 天領巾あまひれ隠り 鳥じもの 朝発だち行いまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子わぎもこが 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに 取り与あたふる 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人我が寝し 枕付づく 妻屋つまやのうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども 為せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易はがひの山に 我あが恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思へば(2-210)

短歌二首

去年こぞ見てし秋の月夜つくよは照らせども相見し妹はいや年離さかる(2-211)

 

衾道ふすまぢを引手ひきての山に妹を置きて山道を往けば生けりともなし(2-212)

或本の歌に曰く

家に来て我が屋を見れば玉床の外ほかに向きけり妹が木枕こまくら(2-216)

【通釈】[長歌]

[短歌一] 去年見た秋の月は今年も同じように照っているけれども、その月を一緒に見た妻は、年月とともにますます遠ざかって行く。

[短歌二] 引手の山に妻を残して独り山道を行けば、生きている心地もしない。

[或本歌]

【語釈】[長歌] ◇取り持ちて (妻と)手に手を取って。◇我が二人見し 私たち二人して見た。◇走出の 家から走り出たところの。「門近き所を云」(萬葉集略解)。「長く突き出た」意とする説もある。◇槻の木 欅(けやき)。◇こちごちの枝 あちこちの枝。◇春の葉の茂きがごとく思へりし 春の葉がぎっしり繁っているように、絶え間なく思っていた。◇世の中を背きしえねば (無常という)この世の定めを逃れることはできないので。◇かぎろひの燃ゆる荒野に 陽炎の燃え立つ荒野に。妻を葬送した野をいう。◇白栲の天領布隠り 真っ白な天人の領布で装って冥界に隠れ。埋葬された妻の姿をいう。「領布のような雲に隠れ」と解する説もある。◇鳥じもの 鳥であるかのように。◇男じもの脇ばさみ持ち (女なら子を胸に抱くが)男のやり方で脇に抱きかかえ。◇枕付く 「妻屋」(妻と寝る部屋)の枕詞。◇うらさび暮らし うら寂しく暮らし。◇息づき明かし 溜息をついて明かし。◇大鳥の 「羽がひ」の枕詞。◇羽易の山 奈良県天理市の龍王山であろうという。◇岩根さくみて 岩を踏み分け。◇なづみ来し 難渋してやって来た。◇よけくもぞなき その甲斐もないことだ。◇玉かぎる 「ほのかに」の枕詞。

[短歌] ◇衾道を 「引手の山」の枕詞か。◇引手の山 不詳。歌からすると、羽易の山と同じところを指すはず。

[或本歌] ◇玉床 寝床の美称。◇外に向きけり あらぬ方を向いていた。

【主な派生歌】[短歌二]

山城の美豆野の里に妹をおきていくたび淀に舟よばふらん(*源頼政)

吉備津釆女きびつのうねめが死にし時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

秋山の したへる妹いも なよ竹の とをよる子らは いかさまに 思ひ居れか 栲縄たくなはの 長き命を 露こそば 朝あしたに置きて 夕へは 消きゆといへ 霧こそば 夕へに立ちて 朝あしたは 失すといへ 梓弓 音聞く我も 髣髴おほに見し こと悔しきを 敷栲しきたへの 手枕たまくらまきて 剣つるぎ大刀たち 身に添へ寝けむ 若草の その夫つまの子は 寂さぶしみか 思ひて寝ぬらむ 悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし子らが 朝露のごと 夕霧のごと(2-217)

短歌二首

楽浪ささなみの志賀津の子らが罷まかり道ぢの川瀬の道を見れば寂さぶしも(2-218)

 

そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しくは今ぞ悔しき(2-219)

【通釈】[長歌] 紅葉した秋山のように、顔色美しい少女、若竹のように、嫋(たお)やかな娘は、どのように思っていたからか、長いはずの命なのに、露ならば朝に置いて夕方には消えると言うが、霧ならば夕方に立って朝には失せると言うが、露や霧でもないのにはかなくこの世から消えてしまったという。噂を聞くだけの私も、生前ぼんやりと見ただけなのが悔しいのに、ましてや手枕を交わして添い寝したその相手の人は、どんなに寂しく思って寝ているだろう。どんなに心残りに思って恋しがっているだろう。思いもかけず亡くなってしまった娘、朝露のように、夕霧のように。

[短歌一] 志賀津の少女がこの世を去って行った道――川瀬を辿るその道を見れば、心寂しいことよ。

[短歌二] 大津の少女と出くわした日に、ぼんやりと見過ごしてしまったのは今になって悔しい。

【語釈】[長歌]◇秋山の 紅葉した秋山のように。「したへる」の枕詞とも見られる。◇したへる 赤く色づいている。少女について言う場合、肌の色艶がよいこと。◇なよ竹の 「とを」または「とをよる」の枕詞。なよ竹とは細くしなやかな竹。◇とをよる しなって傾く。なよやかな女性の形容。◇栲縄の 「栲縄」は楮(こうぞ)の繊維で作った縄。長いので、「栲縄の」で「長き」にかかる枕詞として用いられる。◇梓弓 弓の縁から「音」の枕詞として用いる。◇敷栲の 「枕」の枕詞。◇剣大刀 「身に添ふ」の枕詞。◇若草の 「夫(つま)」の枕詞。◇その夫の子 吉備津采女の相手の男。「つま」は契り合った相手のことで、男女どちらにも言う。

[短歌]◇楽浪の 「志賀」の枕詞。「楽浪」は琵琶湖西南岸地方の古名。◇志賀津の子ら 志賀津の若い娘。長歌の題詞からすれば采女ということになる。志賀は今の大津市北部。津は港。「ら」は親愛を示す接尾語。◇罷り道 死出の道。◇川瀬の道 浅瀬を辿って川を渡る道。「志賀津の子」が入水自殺したことを暗示するか。◇そら数ふ 「大津」の枕詞。◇大津の子 前の歌の「志賀津の子」に同じ。◇おほに見しくは… 長歌の「おほに見しこと悔しき」を繰り返している。

【補記】吉備津采女が死んだ時に作った挽歌。吉備津采女は吉備国の津の郡(都宇郡)出身の采女。采女とは諸国から貢進された容姿端麗な女性で、天皇の食膳などに奉仕した。臣下との結婚は禁じられていたので、歌にある「夫の子」は密通の相手か、あるいは采女退官後の夫ということになる。なお、短歌には「志賀津の子らが罷り…」「大津の子」と歌われ、題詞と矛盾がある。伊藤博『萬葉集釋注』は「人麻呂と同時代の事件を近江朝の采女に託してうたったもの」と見ている。すなわち人麻呂が接したのは吉備津采女が死んだ事件であるが、勅勘に触れた事件を表立って歌うのは憚られたため、過去の志賀津采女の事件に仮託して詠んだ、というのである。

讃岐の狭岑さみねの島にして、石の中の死人しにひとを見て、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 并せて短歌

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神かむからか ここだ貴たふとき 天地あめつち 日月ひつきとともに 満たり行かむ 神の御面みおもと 継ぎ来たる 那珂なかの港ゆ 船浮けて 我が榜ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺へ見れば 白波騒く いさなとり 海を畏かしこみ 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑さみねの島の 荒磯面ありそもに 廬いほりて見れば 波の音おとの 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床あらとこに 自臥ころふす君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾たまほこの 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ 愛はしき妻らは(2-220)

反歌二首

妻もあらば摘みて食たげまし沙弥さみの山野の上うへのうはぎ過ぎにけらずや(2-221)

 

沖つ波来寄る荒磯ありそを敷栲の枕とまきて寝なせる君かも(2-222)

【通釈】[長歌]

[反歌一] 妻がいたなら、摘んで食べさせてあげることもできたろうに。狭岑の山の野辺に生える嫁菜は、もう盛りが過ぎてしまっているではないか。

[反歌二] 沖から波が寄せる荒磯を枕にして横たわっている貴方であることよ。

【語釈】[長歌] ◇狭岑の島 香川県坂出市沙弥島。◇石の中の死人 岩の中に横たわる、行き倒れの死人。◇玉藻よし 「讃岐」の枕詞。讃岐が海藻の良好な産地だったことから。◇国からか 国柄が良いゆえか。◇神からか 土地の神が本来持つ霊威がすぐれているゆえか。◇ここだ貴き こんなにも尊い。◇満り行かむ 満ち足りて行くであろう。◇神の御面 古事記に四国を「此の島は身一つにして面四つ有り」としているのに拠るか。讃岐は飯依比古という神の名を持つ。◇那珂の港 丸亀市西南部中津、金倉川河口付近という。◇時つ風 「潮の滿來る時起る風をいへり」(萬葉集略解)。◇とゐ波 うねる波。◇辺見れば 岸辺の方を見ると。◇いさなとり 「海」の枕詞。◇海を畏み 海が恐ろしいので。◇梶引き折りて 楫も折れるばかりに漕いで。◇名ぐはし 名の霊妙な。◇荒磯面に廬りてみれば 荒磯の上に仮小屋を作ってみると。◇敷栲の 「枕」の枕詞。◇荒床にころ臥す君が 荒々しい岩の床にたった一人臥している人の。◇玉鉾の 「道」の枕詞。◇おほほしく待ちか恋ふらむ 心配しながら待ち焦がれているのではないか。

[反歌一] ◇うはぎ 嫁菜の古称とされる。若芽は食用。

柿本朝臣人麻呂、香具山の屍かばねを見て悲慟ひどうして作る歌一首

草枕旅の宿りに誰たが夫つまか国忘れたる家待たまくに(3-426)

【通釈】旅の宿りで、誰の夫なのだろうか。故郷へ帰るのも忘れて臥せっている。家では妻が待っているであろうに。

土形娘子ひぢかたのをとめを泊瀬の山に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌一首

こもりくの泊瀬の山の山の際まにいさよふ雲は妹にかもあらむ(3-428)

【通釈】泊瀬の山の山あいにたゆたう雲は、亡くなった娘子なのだろうか。

【語釈】◇土形娘子 伝未詳。遠江国城飼郡土形出身の娘か。◇こもりくの 原文「隠口能」。「こもりく」は山に包まれている所の意で、「泊瀬」にかかる枕詞。◇あらむ 「あるらむ」の意で用いる。現在推量・原因推量の助動詞「らむ」はそもそも「あらむ」から来ている語なので、「あらむ」で「あるらむ」の意を代用し得るのであろう。

溺れ死にし出雲娘子いづものをとめを吉野に火葬せる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首

山の際まゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく(3-429)

【通釈】山あいから湧き出る雲のような出雲娘子は霧なのだろうか。そんなはずはないのい、吉野の山の峰にたなびいている。

【語釈】◇出雲娘子 伝不詳。出雲国出身の娘子。

 

八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ(3-430)

【通釈】盛んに湧き上がる雲のようだった出雲娘子の黒髪は、吉野川の沖に漂っている。

【語釈】◇八雲さす 「出雲」の枕詞。◇なづさふ 水にひたって漂う。

【補記】娘子は火葬に付されたのだが、溺死した時のさまを吉野川に幻視しているのである。黒髪は玉藻のイメージと重なる。

柿本朝臣人麻呂、石見の国に在りて死に臨む時に、自ら傷いたみて作る歌一首

鴨山の磐根し枕まける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ(2-223)

【通釈】鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを知らずに、妻は私の帰りをずっと待っているのだろうか。

【語釈】◇鴨山 島根県邑智(おおち)郡美郷町湯抱(ゆがかい)の鴨山、浜田市の城山、益田市高津の鴨島など諸説ある。奈良県葛城山中の山とする説も。

【参考歌】磐之媛「万葉集」巻二

かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根し枕きて死なましものを

―人麻呂歌集歌―

天(あめ)を詠む

天の海に雲の波立ち月の船星の林に榜ぎ隠る見ゆ(7-1068)

【通釈】天空の海に雲の波が立ち、月の舟が星の林に漕ぎ隠れて行くのが見える。

【補記】万葉集巻七巻頭。天空を海に、雲をその海に立つ白波に喩え、さらに月(上弦の月であろう)を舟に、星の集まりを林になぞらえた。

【他出】拾遺集にも人麻呂作として載る。但し結句は「こぎかへるみゆ」。

【主な派生歌】

月は船星は白波雲は海如何に漕ぐらむ桂男は唯一人して([梁塵秘抄])

雲の波かけてもよると見えぬかなあたりを払ふ月のみ船は(待賢門院堀河)

月の舟さしいづるより空の海星の林は晴れにけらしも(読人不知[新後拾遺])

ほのかにもあけゆく星の林まで秋の光と見れば身にしむ(*荷田春満)

天の海の月のみ舟を名ぐはしき大湊べにきみ見るらむか(荷田蒼生子)

桜ちる木の本見れば久方の星の林に我は来にけり(*上田秋成)

雲を詠む

あしひきの山河の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ち渡る(7-1088)

【通釈】

【語釈】◇山河(やまがは) 山中を流れる川。谷川。◇鳴るなへに 鳴り響くとともに。◇弓月(ゆつき)が岳(たけ) 奈良県桜井市の巻向山の峰。

山を詠む

鳴神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも(7-1092)

【通釈】噂にばかり聞いていた巻向の檜原の山を、今日見ることができた。

【語釈】◇鳴神(なるかみ)の 「音」の枕詞。雷の音の意。◇巻向(まきむく)の檜原(ひばら)の山 奈良県桜井市の巻向山。「檜原の山」は檜が林立する山。

【補記】拾遺集490に入集。「なる神の音にのみきくまきもくのひばらの山をけふ見つるかな」。

【主な派生歌】

まきもくや檜原のしげみかきわけて昔の跡をたづねてぞ見る(藤原定家)

河を詠む

ぬば玉の夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾とき(7-1101)

【通釈】

【語釈】◇ぬば玉の 「夜」の枕詞。◇巻向の川 三輪山の北裾を流れ、初瀬川に合流する。穴師川とも呼ぶ。◇嵐かも疾き 嵐が激しいのだろうか。

葉を詠む

いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の檜原に挿頭かざし折りけむ(7-1118)

【通釈】昔ここを訪れた人も、私のする通りに、三輪の山林で檜(ひのき)の枝を挿頭に折ったのだろうか。

【補記】「挿頭」は枝や花を折り取って髪に挿すこと。植物の霊威あるいは生命力をおのれに付着させるための呪的行為。この歌は拾遺集に人麻呂の作として採られている(第三句「わがごとや」)。

【他出】古今和歌六帖、人丸集、拾遺集、五代集歌枕、定家八代抄

【主な派生歌】

かざし折る三輪の檜原の木の間よりひれふる花や神の八乙女(*清輔)

かざし折る人もかよはず成りにけり三輪の檜原の五月雨の頃(藤原家隆[続後拾遺])

幾とせのかざし折りけむいにしへの三輪の檜原の苔の通ひ路(藤原定家[新後撰])

かざし折る袖もや今朝は氷るらむ三輪の檜原の雪の曙(後鳥羽院[新拾遺])

かざし折る三輪の檜原の夕霞むかしやとほくへだてきぬらむ(藤原公経[続古今])

花の色になほ折知らぬかざしかな三輪の檜原の春の夕暮(*順徳院[新後拾遺])

かざし折る三輪の檜原の杉の葉や年ふる色のしるしなるらむ(亀山院[新続古今])

神さぶるみわの檜原に立ちまじりかざし折りけむむかしとはばや(橘千蔭)

覊旅にて詠む (二首)

大穴牟遅おほなむぢ少御神すくなみかみの作らしし妹背の山は見らくしよしも(7-1247)

【通釈】大国主の神と少彦名の神がお作りになった妹背の山は、眺めが美しいことよ。

【語釈】◇大穴牟遅少御神 大国主命と少彦名命。協力して国土を作り成したと記紀神話等にある。◇妹背の山 和歌山県伊都郡かつらぎ町の妹山と背ノ山。紀ノ川を挟んで北に背ノ山、南に妹山がある。

 

我妹子わぎもこと見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば吾に告げこそ(7-1248)

【通釈】いとしいあの子と思いながら眺めよう。沖の藻の花が咲いたら、私に告げてほしい。

【補記】「故郷に妹を殘し置てよめるなるべし。告こそは、海人などにいひかけたるさま也」(萬葉集略解)。

所に就けて思ひを発ぶ

巻向の山辺やまへ響とよみて行く水の水沫の如し世の人吾等われは(7-1269)

【通釈】巻向山のあたりを轟かせて流れてゆく水の、あっという間に消えてしまう泡のようであるよ、この世の人間である私たちは。

【語釈】◇水沫(みなわ) 川面を流れて行く泡。◇世の人吾等は 原文は「世人吾等者」。上代「われ」で一人称複数を意味することが多い。

【他出】人まろ「拾遺集」

まきもくの山べひびきてゆく水のみなわのごとに世をば我が見る

【主な派生歌】

岩代の湯川の谷にたちまよふけぶりのごとし旅人われは(太田水穂)

行路

遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒(7-1271)

【通釈】

【語釈】◇雲居に見ゆる 雲の彼方に見える。◇妹(いも)が家(いへ) 妻の待つ家。

物に寄せて思ひを発ぶ 旋頭歌 (四首)

夏蔭の妻屋の下に衣きぬ裁たつ我妹わぎも うら設まけて我あがため裁たばやや大おほに裁て(7-1278)

【通釈】夏の木蔭になっている妻屋の下で、衣を裁っている妻よ。気を利かせて、私のために裁つならば、やや大きめに截ってくれ。

【語釈】◇妻屋 結婚する夫婦のために建てられる別棟の家。◇うら設けて 心に思い設けて。◇やや大に裁て もう少し大きめに裁ってくれ。

 

梯立はしたての倉梯川くらはしがはの石いはの橋はも 男盛をさかりに吾が渡してし石の橋はも(7-1283)

【通釈】ああ倉橋川のあの飛石は。若い盛りに、あの子のもとに通うために俺が渡した、あの石の橋はどうなったことか。

【語釈】◇梯立の 「倉梯」の枕詞。◇倉梯川 多武峰山中に発し、奈良県桜井市倉橋を通り、末は寺川となって大和川に注ぐ。

 

春日はるひすら田に立ち疲つかる君は悲しも 若草の妻なき君し田に立ち疲る(7-1285)

【通釈】のどかな春の日でさえ、田で一所懸命立ち働いて、疲れ果てているあなたは痛ましいことだ。助けてくれる伴侶もなく独りぽっちのあなたが、田で立ち働いて、疲れ果てている。

【語釈】◇春日すら こんなにのどかな春の日なのに、といった気持を籠めて「すら」を用いる。◇若草の 「妻」の枕詞。「つま」は夫婦・恋人などペアの片方を言う。◇立ち疲る 「君」にかかる。本来なら連体形「立ち疲るる」とあるべきところだが、終止形で代用した。

 

青みづら依網よさみの原に人も逢はぬかも 石いは走る淡海県あふみあがたの物語せむ(7-1287)

【通釈】依網の原で誰か人に出逢えないものか。近江の県の物語をしよう。

【語釈】◇青みづら 「依網」の枕詞。◇依網の原 所在不詳。大阪市住吉区庭井の大依羅(よさみ)神社付近とする説、愛知県安城市・刈谷市に編入された旧依佐美(よさみ)村とする説などがある。◇人も逢はぬかも 誰か人に出逢えないものか。◇石走る 「淡海」の枕詞。◇淡海県 近江の県(あがた)。県は大和朝廷の地方行政組織。

【補記】『萬葉集略解』には宣長説として「此歌は、近江國の司、參河のよさみの郷にてよめる也」とある。

【主な派生歌】

荒魂の淡海県の物語廃帝ののち生れたりしか(山中智恵子)

木に寄す

天雲あまくものたなびく山に隠こもりたる我あが下心木の葉知るらむ(7-1304)

【通釈】雲がたなびき、山は覆い隠されている。そのようにひたすら隠した私のひそかな思いを、木の葉だけは知っているだろう。

【補記】「木の葉」に相手の恋人を暗喩。続く歌「見れど飽かぬ人国山の木の葉をし我が心からなつかしみ思ふ」もまた、「木の葉」を思い人に譬えている。

花に寄す

この山の黄葉もみちの下の花を我あれはつはつに見てなほ恋ひにけり(7-1306)

【通釈】

【語釈】◇黄葉の下の花 ちらりと姿を見た恋人を譬える。◇はつはつに ほんの少しだけ。原文は「小端」。◇なほ恋ひにけり (少ししか見なかったために)却って余計恋しくなってしまった。

弓削皇子に献る歌

さ夜中と夜は更けぬらし雁が音ねの聞こゆる空を月渡る見ゆ(9-1701)

【通釈】もう真夜中と、夜は更けたらしい。雁の鳴き声が聞こえる空を、月が渡ってゆくのが見える。

【補記】古今集秋上に読人不知として入集(第四句は「聞こゆる空に」)。

舎人皇子に献る歌

泊瀬はつせ川夕渡り来て我妹子わぎもこが家の金門かなどに近づきにけり(9-1775)

【通釈】

【語釈】◇泊瀬川 三輪山を巡るように流れ、佐保川と合流して大和川となる。◇金門 家の門。金属製の門かという。第四句の原文は「家門」で、「家の門辺(かどべ)に」の試訓もある。

春の雑歌

久方の天あまの香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも(10-1812)

【通釈】天の香具山は、今日の夕方、霞がたなびいている。春がすがたを現したようであるよ。

【語釈】◇久方の 「天」の枕詞。◇天の香具山 奈良県橿原市。大和三山の一つ。天から降ってきた山であるとの伝承があり(伊予国風土記逸文)、それゆえ《天の》が付いたらしい。◇霞たなびく 霞が水平方向に薄く長く広がる。霞は春の訪れの徴候。

【補記】万葉集巻十、春雑歌の最初に「柿本朝臣人麻呂歌集出」として載る七首の頭。新勅撰集春部に「題しらず よみ人しらず」で入集。

【他出】五代集歌枕、新勅撰集、歌枕名寄

【主な派生歌】

朝まだき霞たなびくまきもくのゆつきが岳に春立つらしも(藤原家隆[続後拾遺])

ほのぼのと春こそ空にきにけらし天のかぐ山霞たなびく(*後鳥羽院[新古今])

ひさかたの雲居に春のたちぬれば空にぞ霞むあまのかご山(藤原良経)

あづさゆみ春立つらしももののふの矢野の神山霞たなびく(西園寺実兼[玉葉])

あら玉の春立つらしも天の原ふりさけみれば霞たなびく(宗祇)

海原や霞もともにみつ潮の浪路はるかに春立つらしも(細川幽斎)

久かたのはてなき空に朝霞たなびきわたり春立つらしも(上田秋成)

秋の相聞

誰たそ彼と我をな問ひそ九月ながつきの露に濡れつつ君待つ吾を(10-2240)

【通釈】

【語釈】◇誰そ彼 あれは誰か。夕暮を「たそかれ時」と呼ぶ所以。

冬の雑歌

巻向の檜原もいまだ雲居ねば小松が末うれゆ沫雪流る(10-2314)

【通釈】巻向の檜林にもまだ雲がかからないのに、小松の梢から沫雪が流れてくる。

【補記】三十六人集の一つ家持集には「まきもくの檜原のいまだくもらねば小松が原にあは雪ぞふる」と見え、同じ形で新古今集春上に中納言家持作として入集した。

相聞 旋頭歌 (二首)

新室にひむろの壁草刈りにいましたまはね 草のごと寄り合ふ処女をとめは君がまにまに(11-2351)

【通釈】

【語釈】◇新室 新妻と籠るために新しく造った家。◇壁草 新築の家は、刈った草で囲い、これを以て壁の代りにする風習があったらしい。◇いましたまはね おいでくださいな。娘の親が、夫となる男へ向かって言う。◇寄り合ふ処女 草が寄り合うように、しなやかな姿態のおとめ。◇君がまにまに あなたの思いのままに。

【補記】「女持たる人のもとへ、心ありて通ふ男のあるを、おやのゆるして、聟にせむと思ふ意を告てよめるなるべし」(萬葉集古義)。

 

新室を踏み鎮しづむ子が手玉たたま鳴らすも 玉のごと照らせる君を内へと申せ(11-2352)

【通釈】新居の柱を踏み鎮める少女が手玉を鳴らすよ。さあ、玉のように輝く婿殿に内にお入りなさいと、花嫁よ、申し上げよ。

【語釈】◇踏み鎮む子 舞踏をして地霊を鎮める踊り子。◇手玉 手に巻いた玉。

正に心緒を述ぶ歌 (三首)

たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに(11-2368)

【通釈】

【語釈】◇たらちねの 「母」の枕詞。タラチネは「足ら・霊(ち)・根」で、「満ち足りた生命力の根源」が原意か。万葉集以下「垂乳根」などと書くのは宛字であろう。◇すべなきこと どうしようもなく切ないこと。恋をいう。

 

人の寝ぬる味寐うまいは寝ずてはしきやし君が目すらを欲りて嘆くも(11-2369)

【通釈】世の人が寝る快い眠りを私は寝ることができずに、愛しいあなたに一目逢いたいと、そればかりを願って歎くことだ。

 

朝影に我が身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去いにし子ゆゑに(11-2394)

【通釈】朝の影法師のように我が身は痩せ細ってしまった。ほんのわずかに逢っただけで去ってしまった子のために。

【語釈】◇玉かぎる 「ほのか」の枕詞。玉がちらちら光る意。

【参考歌】作者不詳「万葉集」11-2619

朝影に我が身はなりぬ韓衣裾のあはずて久しくなれば

 作者不詳「万葉集」11-2664

夕月夜あかとき闇の朝影に我が身はなりぬ汝を思ひかねて

【主な派生歌】

月影のそれかあらぬかかげろふのほのかにみえて雲がくれにし(*源実朝)

物に寄せて思ひを陳ぶ歌 (三首)

月見れば国は同おやじそ山隔へなり愛うつくし妹は隔りたるかも(11-2420)

【通釈】月を見上げれば分かる、いるのは同じ国なのだと。でも、山を間にへだて、可愛いあの子と遠く隔てられているのだなあ。

 

大野らに小雨降りしく木このもとに時と寄り来こね我あが思ふ人(11-2457)

【通釈】広い野に小雨が降りしきる。木蔭に、ちょうどよいと、寄ってらっしゃいな。我が恋する人よ。

【補記】「木のもとに」までは「時と寄り来ね」を導く序。

 

遠き妹が振りさけ見つつ偲ふらむこの月の面おもに雲な棚引き(11-2460)

【通釈】遠い故郷の妻が、振り仰いでは私のことを偲んでいるだろう。この月の面に、雲よ棚引いてくれるな。

―付録:勅撰集に採られた伝人麻呂作歌より―

奈良のみかど龍田河に紅葉御覧じに行幸ありける時、御ともにつかうまつりて

龍田川もみち葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし(拾遺219)

【通釈】龍田川には紅葉が流れている。三室山に時雨が降っているらしい。

【語釈】◇奈良のみかど 平城天皇、または奈良に都を置いた天皇。但し人麿が平城遷都後まで生きていた証拠はない。◇龍田川 生駒山地東側を南流し、大和川に合流する川。◇神なびのみむろの山 もともとは「神の降臨する山」の意。ここは奈良県生駒郡、龍田神社背後の神奈備山。この歌によって紅葉の名所となった。

【補記】古今集は読人不知とし、古今和歌六帖は「ならのみかど」の作とする。金玉集・拾遺集などは柿本人麿作とし、また三十六人集の人丸集にも収載されている。

【他出】人丸集、古今集、古今和歌六帖、大和物語、金玉集、三十人撰、袋草紙、五代集歌枕、万葉時代難事、人麻呂勘文、古来風躰抄、俊成三十六人歌合、詠歌大概、定家八代抄、秀歌大躰、時代不同歌合、歌枕名寄、桐火桶、井蛙抄

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十

飛鳥川もみぢ葉流る葛木の山の木の葉は今し散るらし

【主な派生歌】

吉野川もみぢ葉ながる滝のうへのみふねの山に嵐吹くらし(源実朝)

湊川秋ゆく水の色ぞ濃きのこる山なく時雨ふるらし(*西園寺実氏[新勅撰])

龍田川もみぢ葉ながるみよしのの吉野の山に桜花咲く(花園院[風雅])

題しらず

あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(拾遺778)

【通釈】林の奧深く、木の枝にとまり、独り夜を明かすという雄(おす)山鳥の尾、その垂れた尾――そのように長い長いこの夜を、私は恋しい人と離れ、一人ぽっちで寝るのだろうよ。

【語釈】◇あしびきの 「山」に懸かる枕詞。万葉集には「足比木乃」などと書かれ、奈良時代以前は「あしひきの」と濁らずに読んだと思われる。◇山鳥 山に住むキジに似た鳥。雌雄は峰をへだてて棲むと信じられたため、独り寝の例にひかれて歌に詠まれた。オスの羽毛は赤銅色で美しい。参考サイト:野鳥紀行 ◇尾 尾羽。山鳥のオスは、横縞模様の入った長い尾羽を持つ。◇しだり尾 長く垂れ下がる尾。◇ながながし夜 長い、長い夜。形容詞終止形を連体形として働かせる例は上代に多い。例えば「見津見津四 久米能若子(みつみつし くめのわくご)」(万葉集巻三)、「可奈之伊毛(かなし妹)」(同巻十四)など。◇ひとりかも寝む 「かも」は疑問を含んだ詠嘆。

【補記】万葉集巻十一に「思へども思ひもかねつ足引の山鳥の尾の長き今宵を」の異伝として載る歌。作者不明歌であり、人麻呂の作ではない。

【原歌】「万葉集」巻十一(作者不明記)

足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 永長夜乎 一鴨將宿

【他出】人丸集、古今和歌六帖、深窓秘抄、和漢朗詠集、三十六人撰、俊成三十六人歌合、時代不同歌合、定家八代抄、秀歌大躰、近代秀歌(自筆本)、詠歌大概、八代集秀逸、別本八代集秀逸(後鳥羽院・家隆・定家撰)、百人一首

【主な派生詩歌】

山陰や山鳥の尾のながきよを我ひとりかもあかしかねつつ(慈円)

花みつつけふもくらしつ足引の山鳥の尾の長き日影を(藤原家隆)

山鳥のすゑをの里もふしわびぬ竹の葉しだり長き夜の霜(〃)

秋はまだ遠山鳥のしだり尾のあまりてをしき有明の空(〃)

独りぬる山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月かげ(藤原定家[新古今])

うかりける山鳥の尾の独り寝に秋ぞ契りし長き夜半とも(藤原定家)

ふるさとは遠山鳥の尾のへより霜置く鐘の長き夜の空(〃)

なきぬなり木綿付け鳥のしだり尾のおのれにも似ぬ夜半の短さ(〃)

桜咲く遠山鳥のしだり尾のながながし日もあかぬ色かな(後鳥羽院[新古今])

足曵の山鳥の尾のながらへてあらば逢ふ夜をなくなくぞ待つ(源家清[続後撰])

山鳥の尾のへの里の秋風にながき夜さむの衣うつ也(衣笠家良[続後撰])

しぐるらし紅葉の錦しきしまの山どりのをのなが月の空(後二条院)

かひなしや山鳥の尾のおのれのみ心ながくは恋ひわたれども(藤原経継[玉葉])

ねをかけよ鳴くや軒ばの山鳥のしだり尾ながきあやめをぞふく(正徹)

たへてすむ山鳥の尾のながき夜もいづらは月のあかず更けぬる(木下長嘯子)

山鳥よ我もかもねん宵まどひ(芭蕉)

大津の宮の荒れて侍りけるを見て

さざなみや近江あふみの宮は名のみして霞たなびき宮木守みやぎもりなし(拾遺483)

【通釈】

【語釈】◇さざなみや 「近江」の枕詞。◇宮木守 内裏の用材を管理する官人。「宮城守」なら宮殿を護衛する官人。

【補記】人麿集に見える。

題しらず

奥山の岩垣沼のみごもりに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ(拾遺661)

【通釈】奧山にある石で囲まれた沼に深く沈むように、私も心中深くひそめて恋し続けるのだろうか。逢う手立てもないので。

【語釈】◇岩垣沼 石で囲まれた沼。第二句までが序詞風に「みごもりに」を導く。◇みごもりに 水中深く沈んで。恋の思いを心中深く隠すさまの比喩。

【他出】古今和歌六帖、和歌童蒙抄、和歌色葉、古来風体抄、定家八代抄、秀歌大躰

【参考歌】作者不詳「万葉集」11-2707

青山の岩垣沼の水隠りに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ

【主な派生歌】

奧山のいはかき沼のうきぬなは深き恋ぢに何みだれけむ(藤原俊成[千載])

奧山の岩垣沼に木の葉おちてしづめる心人しるらめや(*源実朝)

題しらず

無き名のみたつの市とはさわげどもいさまだ人をうるよしもなし(拾遺700)

【通釈】根も葉もない噂ばかり立って、辰の市のように騷がしいけれども、はてさて未だに恋しい人を得る手立てはないことよ。

【語釈】◇たつの市 古代、奈良の地に立った市。「辰」は開催日とも方角とも言う。「(名のみ)立つ」意が掛かる。◇うる 「売る」の意が掛かり、「市」の縁語となる。

【補記】群書類従の『柿本集』では結句「うる由なし」、新編国歌大観の『人丸集』では「うるよしもがな」。

【他出】人丸集、五代集歌枕、定家十体(面白様)、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、歌枕名寄

 

我が背子を我が恋ひをれば我が宿の草さへ思ひうら枯れにけり(拾遺845)

【通釈】

【語釈】◇思ひうら枯れにけり 同情して葉先が枯れてしまった。

【補記】原歌は万葉集11-2465(人麻呂歌集歌)。末句の定訓は「うらぶれにけり」。

 

朝寝髪われはけづらじうつくしき人の手枕ふれてしものを(拾遺849)

【通釈】

【語釈】◇朝寝髪 朝の寝起きの髪。◇うつくしき人 いとしい人。

【補記】原歌は万葉集11-2578(作者未詳)。

 

たらちねの親の飼ふ蚕この繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて(拾遺895)

【通釈】親が飼う蚕が繭の中に籠っているように、私は鬱々としていることよ。いとしいあの子に逢うことができなくて。

【補記】原歌は万葉集12-2991(作者未詳)。第二句の定訓は「ははがかふこの」。

 

恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙たまぼこの道ゆき人にことづてもなき(拾遺937)

【通釈】恋い死にするものなら、いっそしてしまえと言うのか、わが家の前を通りかかる人に、あの人からの伝言もありはしない。

【補記】原歌は万葉集巻十一、人麻呂歌集歌「恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の言も告げなく」で、本来この「言(こと)も告げなく」とは、夕方、辻に立って道行く人の言葉から吉凶を占う「夕占(ゆふけ)」のことを言っている。

【他出】人丸集、古今和歌六帖、定家八代抄

【参考歌】「万葉集」巻十一(人麻呂歌集歌)

恋ひ死なば恋ひも死ねとか我妹子が我家の門を過ぎて行くらむ

【主な派生歌】

恋ひ死なば恋ひも死ねとや思ふらむ逢はば逢ふべき程のすぎぬる(藤原教長)

たまぼこの道行びとのことづてもたえてほどふる五月雨のそら(*藤原定家[新古今])

 

荒ち男をの狩る矢のさきに立つ鹿もいと我ばかり物は思はじ(拾遺954)

【通釈】狩人が射る矢の先に立っている鹿も、全く私ほどには苦しい思いをしないであろう。

【語釈】◇荒ち男 荒々しい男、ここは狩人。

【補記】射殺されんとする鹿と比較して、恋の絶望感の深さを歌い上げた。

【他出】人丸集、猿丸集、定家八代抄

(第四句は「いとわがごとに」「いとわがごとく」「いとかくばかり」など本によって異なる。)

【主な派生歌】

荒ち男の狩る矢のさきに猛(たけ)る猪(ゐ)も人の憂きにぞ身をば棄つなる(宗良親王)

幾度か言ひはなちつる荒ち男の狩る矢のさきに身を忘るらむ(武者小路実陰)

 

山科の木幡こはたの里に馬はあれど徒歩かちよりぞ来る君を思へば(拾遺1243)

【通釈】山科の木幡の里に馬はあるけれども、歩いてやって来るよ。あなたを思う余りに。

【語釈】◇木幡 今の京都府宇治市木幡。この歌により遠妻のいる里として歌枕化された。

【原歌】「万葉集」巻十一、人麻呂歌集歌

山科の木幡の山を馬はあれど徒歩(かち)より吾が来し汝を思ひかねて

【他出】古今和歌六帖、俊頼髄脳、歌枕名寄、夫木和歌抄。また源氏物語や謡曲にも引用されている。

【主な派生歌】

若駒をしばしとかるかやましろの木幡の里にありとこたへよ(源俊頼[千載])

馬はあれどかちのの道のをざさ原しのびにかよふ程の露けさ(宗良親王)

こよひだに心をやみん馬はあれどかちののはらの雪のふぶきに(肖柏)

木幡山ゆふつけ鳥のこゑ待ちて越えこそやらね馬はあれども(細川幽斎)

馬はあれどかちよりわたる木幡川こはたが為にぬるるかよひぢ(下河辺長流)

 

なく声をえやは忍ばぬほととぎす初卯の花の影にかくれて(新古190)

【通釈】泣く声を漏らすのは堪えておくれ。時鳥よ、初咲きの卯の花の影に隠れたまま。

【語釈】◇えやは忍ばぬ 我慢できないのかい、我慢しておくれ。「やは~ぬ」の形で、慫慂・希望の意をあらわす(例:「木の間より散りくる花をあづさゆみえやはとどめぬ春のかたみに」拾遺集、一条)。「ぬ」は打消の助動詞「ず」が、係助詞「や(やは)」と呼応して連体形で結んだもの。ここで句切れ。◇初卯の花 その年の夏初めて咲いた卯の花。

【補記】ほととぎすの初音は待望されたものであるが、卯の花が咲き始めたばかりの四月頃の忍び音は切ないので、聞きたくないというのであろう(自身の恋の切なさを思い出させるゆえ)。新古今集では時鳥の声を待つ歌のグループに入っているので、この排列を重んずれば、時鳥はまだ鳴いていないと解すべきであろう。すなわち「このまま鳴かずに堪えておくれ」との思いである。出典不明で、なぜ人麿の歌として新古今集に採られたか不審の歌。

【主な派生歌】

ほととぎすなくや雲まの夕月夜はつ卯の花のかげやしのばむ(順徳院)

待ちいづる雲まの月に時鳥をしむ初音もえやはしのばぬ(花園院[新千載])

 

さを鹿のいる野のすすき初尾花いつしかいもが手枕にせむ(新古346)

【通釈】牡鹿が入って行く入野の薄の初尾花ではないが、早くあの子の腕を枕にして寝たいものだ。

【語釈】◇いる野 万葉集由来の歌枕。所在未詳。地名に動詞「入る」を掛ける。

【補記】原歌は万葉集10-2277「さを鹿の入野のすすき初尾花いづれの時か妹が手まかむ」(作者未詳)。

【他出】人丸集、古今和歌六帖、和歌童蒙抄、五代集歌枕、袖中抄、古来風体抄、定家八代抄、歌枕名寄

【主な派生歌】

たましひの入野のすすき初尾花わがあかざりし袖とみしより(*下河辺長流)

 

秋萩のさき散る野辺の夕露にぬれつつ来ませ夜はふけぬとも(新古333)

【通釈】

【補記】原歌は万葉集10-2252(作者未詳)。

【他出】人丸集、家持集、定家八代抄、秀歌大躰

【主な派生歌】

春雨にぬれつつきませ我がやどの花の盛りはけふは過ぎなん(藤原家隆)

 

秋されば雁の羽風に霜ふりてさむき夜な夜な時雨さへふる(新古458)

【通釈】

【語釈】◇秋されば 秋になったので。◇雁の羽風に霜ふりて 雁の羽ばたきの風に霜が降り散って。

【補記】出典未詳。

 

さを鹿の妻どふ山の岡辺なるわさ田はからじ霜はおくとも(新古459)

【通釈】牡鹿が妻問いをする山の麓あたりの早稲田は刈るまい。霜が置くとしても。

【語釈】◇妻どふ 牝鹿のもとを訪ねて求愛する。◇山の岡辺 山続きの岡のほとり。◇わさ田 早稲田。早熟の稲の田。

【補記】秋も長けた頃の山田を詠む。求愛する牡鹿に対する思いやりは、生殖を通じて豊穣を願う心ゆえである。もとは万葉集の作者不明歌であるが、新古今集に人丸作として入る。定家は幽玄の作として高く評価した。

【他出】家持集、古今和歌六帖(作者名不明記)、定家十体(幽玄様)、定家八代抄、詠歌大概、近代秀歌、秀歌大躰、桐火桶、歌林良材

【参考歌】作者未詳「万葉集」巻十

さを鹿の妻よぶ山の岡辺なるわさ田はからじ霜はふるとも

【主な派生歌】

を鹿なくわさ田はからじ霜はとも庵もる民のかみにてぞみる(正徹)

なほさえて霜はおくともかへすべき岡べのわさ田はる雨ぞふる(宗祇)

霜やいつ露猶みんとをかべなるわさ田はからじいなづまのかげ(後柏原院)

 

垣ほなる荻の葉そよぎ秋風の吹くなるなへに雁ぞなくなる(新古497)

【通釈】

【語釈】◇垣ほなる 垣の上にある。◇吹くなるなへに 吹いているのが聞こえ、その音につれて。

【補記】原歌は万葉集10-2134「葦辺なる荻の葉さやぎ秋風の吹き来るなへに雁鳴き渡る」(作者未詳)。人麿集にも小異歌が見える。

 

秋風に山とびこゆる雁がねのいや遠ざかり雲がくれつつ(新古498)

【通釈】秋風に吹かれて山を飛び越える雁の列が、ますます遠ざかり雲に見えなくなってゆく。

【補記】原歌は万葉集10-2136「秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし」(作者未詳)。

 

やたの野に浅茅色づくあらち山峯のあは雪さむくぞあるらし(新古657)

【通釈】矢田の野に浅茅が色づいている。愛発山の峰に降る淡雪はさぞ冷たいことであろう。

【語釈】◇やたの野 今の奈良県大和郡山市矢田町にあたるかという(この場合、大和の地にあって遠い北国の雪を想起している歌ということになる)。有乳山と同じく越前国とする説もある。◇あらち山 滋賀県高島郡から福井県敦賀市に越える山。愛発(あらち)の関があった。

【補記】原歌は万葉集10-2331「八田の野の浅茅色づき有乳山峯の沫雪寒くふるらし」(作者未詳)。なお新古今集は結句「さむくあるらし」とする本もある。

【他出】古今和歌六帖、人丸集、家持集、五代集歌枕、定家八代抄、秀歌大躰、夫木和歌抄

【主な派生歌】

やたの野に霰ふりきぬあらち山嵐も寒く色かはるまで(藤原家隆)

あらち山峰の木がらしさきだてて雲のゆくてに落つる白雪(藤原定家[新後拾遺])

あらち山やたのの野べも春めきぬ峰のあは雪きえやしぬらむ(後鳥羽院)

やたの野に打出でてみれば山風のあらちの峰は雪降りにけり(藤原為家[新後拾遺])

あらち山みねのあは雪ふるままにやたのの浅茅うちしぐれつつ(九条道家)

あらち山みねのあは雪きえなくにやたの野原は若菜つみけり(飛鳥井雅有)

あらち山夕こえくれてやたの野の浅茅かりしき今宵かもねむ(後伏見院[玉葉])

有乳山あさたつ雲のさゆるよりやた野をかけてふれる白雪(足利尊氏[新千載])

あらち山峰の白雪やたののに浅ぢをかけてうづむ比かな(正徹)

朝戸あくる袖にさえ来てあらち山はらふばかりの峰のあは雪(宗祇)

あらち山ふもとのあさぢ露のまにはやくもふれる峰の淡雪(三条西実隆)

 

みかりするかりはの小野の楢柴のなれはまさらで恋ぞまされる(新古1050)

【通釈】

【語釈】◇みかり 天皇や貴人の狩猟。◇かりは 原歌は「雁羽」の字をあてる。地名であろうが、未詳。◇楢柴の ここまでが「なれ」を導く序。◇なれはまさらで 馴れ親しみは増さらず。

【補記】原歌は万葉集12-3048「御狩する雁羽の小野の楢柴のなれは益さらず恋こそまされ」(作者未詳)。

奈良のみかどををさめ奉りけるをみて

久方のあめにしほるる君ゆゑに月日も知らで恋ひ渡るらむ(新古849)

【通釈】天上で雨に濡れている大君のために、月日の経つのも忘れて、思慕し続けるのでしょう。

【語釈】◇月日も知らで 月日が経つことも知らずに。「あめ」「月」「日」は縁語をなすので、天体の月・日の意が掛かり、「月のことも太陽のことも知らずに」程の意も兼ねる。

【補記】「奈良のみかど」すなわち平城天皇の葬儀を見て詠んだという歌。中世、柿本人麿は平城天皇に仕えたとの伝承があった。原歌は万葉集2-200「久堅の天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひ渡るかも」で、柿本人麻呂作の高市皇子挽歌である。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

0コメント

  • 1000 / 1000