人生の重荷

https://bookwalker.jp/dea2ee7f38-f2e7-49d5-8b5c-c6d640ea87bc/ 【人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人著 加藤諦三】 より

あらすじ・内容

逃げてばかりの人生では孤独しか残らない。重荷を背負うことで自信が生まれる。重荷を正しく解釈し、生きる喜びを得る方法を示す。

人生における嫌なこと辛いことにあえて挑戦して、自信を持つ人とそれに押しつぶされそうになる人――その違いは単純なところにある。幸せになる人は、岐路や逆境に立たされたとき、楽なほうを選ばない。つまり、問題が起きても逃げない。その生き方の積み重ねが幸せにつながるのだ。本書は、人生の重荷を正面から受けとめ、前向きに乗り越えることの大切さを説く。「自分の過去の解釈を間違えないでほしい。悩んでいるあなたは、きっと素晴らしいことをしてきている。あっぱれなことをしてきている。自信をもっていいことを、たくさんしてきているのである」と著者は言う。「重荷につぶされない、ほんの少しの智恵と勇気」「トラブルがあなたの人生を大きくする」などの章立てで、毎日の生活に何となく空しさや苦痛を感じてしまう心理的原因を探り、重荷を生きがいの糧にするために、どう考え、何をすればよいのかを提言する。きっと勇気がわいてくる人生論。


https://bookmeter.com/books/605956 【人生の重荷をプラスにする人、マイナスにする人 (PHP文庫)】 より

感想・レビュー

つばさ

人々が重荷を逃げることばかり考えて、結局生きがいを失っているのが現代ではないだろうか――と、タイゾーさん。 人生、重荷、自信、自己不在、「つけ」「重荷」、責任回避、心のサラ金地獄、被害者意識、愛情飢餓感、自己無価値感、といったキーワードが登場する本書。 「楽しいこと、やりたいことだけして生きていく――」といった声に影響され、嫌なことから逃げていては、未来で待っているのは、心のサラ金地獄だ! ◆人生の重荷から逃げた人は「よき一日」をもつかもしれないが、「悪い人生」になるにちがいない。

楽ばかりしていると、おおきな「つけ」を払い続けることになるのである。 「心のサラ金地獄」とは、うまく言ったものだなぁ……! ◆人生の重荷には大きく分けて、二種類ある。いいかげんな生き方をしてきた結果、背負わされた重荷、つまりそれまでの人生の「つけ」としての重荷と、背負う人に充足感とか自信を与えてくれるような「重荷」との二種類ある。 ◆わがままな人間には、生きている充実感がない/責任や重荷や負担は辛い。しかしそれを正面から担おうとする時に、自分の存在の確かさを感じるのである。

「感謝の強要」で生きている人は、歳を重ねるごとに、人を恨むようになるのだなぁ。 「元婚約者に金返せ」って例も、同じやな! ◆人生の幸・不幸は人間関係で決まる/人は、自己不在のままで人を愛することは至難の業である。しかしそれでも人を愛そうと努力する以外に、悲惨な人生を逃れる道はない。 ◆愛情から相手を救う、感謝を期待しないで相手を救う、その結果として相手が感謝することはある。しかし尊敬と感謝を期待してお金を使っても何の効果もない。その場合にはたいていは恨みだけが残る。


http://blog.livedoor.jp/magokoroclinic/archives/56395197.html 【人生の重荷を下ろすこと】より

今回は人生の重荷を下ろすということについてお伝えさせて頂きます。上は鯖の缶詰が入ったままのダンボールを見つけるやいなや、その中に居座って寛ぐひろりんの雄姿です。

重量挙げ

 ウェイトリフティングといわれ、オリンピックでもおなじみですが、試合では、目標としている重さのバーベルが、選手が挙げられないことは珍しくありません。むしろ出場選手が挙げられない可能性がある重みのバーベルに挑戦してもらうからこそ、試合が成立するのです。しかし、挙がらない可能性がある重すぎるバーベルを前に、挙がるはずがない、という絶望的な心境で挑戦する選手は誰もいません。結果はどうあれ、選手の誰もが、自分は必ず挙げられる、という希望に満ちた信念とイメージをもって挑んでいるものです。

一流選手の心構え

 血のにじむような、気が遠くなるような修練の積み重ねの果てに、いわゆる一流と言われる選手たちは試合に臨む心構えを鍛え上げています。選手たちは心に抱く希望と不安が現実にもたらす結果を知り抜いているのです。試合において、その心には不安がわずかも入り込む隙はありません。たとえ現実的には無謀と思われるバーベルを前にしても、目一杯、最大限の希望を抱いて目の前のバーベルに取り組む、それが一流の一流たるゆえんなのです。

日常生活を振り返れば

 重量挙げの選手と比較すると、驚くべきことに、我々は、気が進まないあらゆることに対して、「おっくうだ」「きっとうまくいかない」「面倒だ」など、半ば投げやりで捨て鉢、消極的な姿勢を持ったままで取り組んでしまうことがとても多くはないでしょうか。これではうまくいくはずものものもうまくいかなくなってしまうものです。我々の心は、我々が何かを思い浮かべ、それを信じると同時に、それに即した目の前の現実を作り続けていのです。

私の診療

 私の診療では時に一日60人の患者さんを診なければならないときがあり、朝の9時半から夜の8時半頃まで11時間に及ぶことがあり、時に診療の途中で疲れ切ってしまうように感じることがあります。そういう時に、私がどうしているかと言えば、その時点で終えられた診療のことについて感謝します。そうすると少し気が楽になります。さらに、これからやる診療について、私がリラックスして患者さんのために効率よく診療が出来ているイメージを持ち直します。そうするとまたやる気が出てくるのです。

感謝と希望こそ

 現在自分が持っているもの、過去に自分が成し遂げたことには感謝を、未来起こり得ることについては希望を、シンプルですが、これは良好なメンタルヘルスを保つ上でとても大切なことです。現在と過去のことに不満や怒りを、未来のことについては不安を抱き続けること、それはお具合の悪い患者さんで必ずと言っていいほど、よくお見受けする状態です。

私がいつも考えていること

私はそういった患者さんがどのようにしたらそのようなマイナスの感情から解放されるか、どんな言葉をかけたらいいか、心のメカニズムをどのようにしたらわかってもらえるか、いつも考えつづけているのです。なぜなら、マイナスな感情を持ち続けることも、何らかのきっかけで、患者さんが無意識のうちに作り上げてしまった心の習慣に過ぎず、心は計り知れない可能性を秘めており、心の習慣は必ず改善できるからです。

先生は疲れ切ってしまうことはありませんか?

 私が非常勤の講師として勤務している成城大学で半ばお決まりのように毎年何度も精神科医としての診療について聞かれることです。答えはもちろん、「ありません」です。私は、日々の激務の中で、疲れを感じることはあっても「疲れ切る」ことを断固拒否しているからです。

心は万能の召使

心は我々にとって万能の召使のようなもので、私が「疲れ切る」ように感じようと決意すれば、「わかりました、ご主人様」とばかりに、それに応じた現実を作り出します。受付の多忙の中で、受付事務員さんが少しでも私が楽になればと心を込めて入れてくれたお茶にも無感動となり、次の患者さんは一層お具合が悪いように私には感じられ、私はその状況でさらに無力感を覚え、「疲れ切る」状態を強めるような「現実」を味わうことになります。

疲れるよね、わかるよ。でも、まだまだやれる、大丈夫だよ

 というように自分の疲れをあるがままに受け止めた上で、再び前向きな決意を持てば、心はそれに従います。すなわち、私は多忙な事務員さんが入れてくれた紅茶に深く感謝することが出来、その香りを楽しみ、リラックスし、次の患者さんは多少とも良くなっているように感じられます。そして、私はそういった状況において、一時的に強まっていた「疲れ」や「無力感」がいつしか和らぎ、心の中に再び仕事に必要な活力が充填されるように感じる、そういうものなのです。

「わかるよ」は魔法の言葉である

 私が患者さんのために日常診療で使っている言葉は数多くありますが、悩む人に対しても、自分の悩みに対しても、あらゆる否定的な心の状況に対して、「わかるよ」という言葉は魔法のような力を発揮します。悩む人の苦悩を和らげ、自らの心の混乱や無力感を落ち着かせる、そういう力を持っています。

 私は完全主義なところがあります

私は仕事の上で自分が失敗したと感じた時、例外なくその失敗を何度となく責める自分が出て来ます。私は失敗に落ち込む自分、その自分をさらに責め続ける自分に対しても粘り強く「わかるよ」と繰り返します。そのうちにだんだん落ち着いてくるのです。この数年のことですが、「わかるよ」を自分で使うようになってからというもの、私は自分の心の葛藤を持て余すことがなくなってきました。

偉大なクーエ先生の仕事ぶり

 以前のブログでお伝えしましたが、私は自己暗示の提唱者クーエ先生を深く尊敬しています。自己暗示を用い、想像力に働きかけることが、あらゆる病気に対し、計り知れない治療効果を持つことを自らの治療で示したクーエ先生ですが、その仕事ぶりは以下のようなものでした。クーエ先生の治療について記された本である「自己暗示」より引用します。

私など足元にも及びません

「仕事は非常に増えて、1日15、6時間を要することも珍しくなかった。70才に近づいても、彼は自分で考えだした方法の健康維持効果に支えられて、疲労の色などみせることなく、仕事を立派にやってのけた。またどんな場合でも、不平をもらしていつもの快活な表情を曇らせることなどいささかもなかった。実際、クーエは誘導自己暗示の効果をわれとわが身で実証していたのである。」一見驚くべきことですが、クーエ先生が明らかにした心理についての深い洞察に基づいた治療を十分理解していれば、何の不思議もないことなのです。

日本代表のあるサッカー選手

 海外のサッカーリーグで活躍している日本代表のサッカー選手のインタビューをこの前テレビで見ていると、とても興味深い話をしていました。その選手が日常生活で困っていることは、時折眠れなくなってしまうことだというのでした。どうして不眠になってしまうかといえば、眠れない時には、その選手は自分がゴールを決めて、試合に勝っている姿を想像するようにしているが、その希望に満ちた想像が極まって、興奮して眠れなくなってしまうというのです。

不安を祈りに変えればいい

 私はとても感銘を受けました。眠れない夜に思い浮かぶのは心配事ばかり、という人はとても多くいらっしゃいます。その心配事に伴う不安が強まって、心を落ち着かせる精神安定剤が必要になるということも良くあることです。しかし、不安がもたらすイメージを頭の中で繰り返すことは有害無益なことです。苦しいばかりではなく、心が作り上げる現実にも影響するからです。そう言う時には「わかるよ」と自分に言ってあげてください。そして深呼吸して、自分が望む自分の姿や現実を、改めて想像するようにしてください。

人生の苦しみこそ成長につながる

 人生とは楽なものではありませんが、さりとて苦しみばかりという訳ではありません。楽しみは数知れずあり、苦しみはありますが、それは例外なく心の気づきや成長をもたらしてくれるものです。

むすび

 我々は人生の重荷を下ろし、苦しみを最小限にする想像力という心のツールを与えられています。そのツールに気づけるかどうか、気づいたうえでそのツールを自分のために駆使するか、それともそのツールに無自覚なまま、自分の意図とあらぬ方向に働かせてしまって人生の苦しみを重荷にまで深めてしまうかどうかは、我々次第なのです。

コズミックホリステック医療・現代靈氣

吾であり宇宙である☆和して同せず  競争でなく共生を☆

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