https://www.reikobefree.jp/posts/4743413/ 【悠久を越えていく侘び寂びという宇宙】より
一度は聞いたことがあるであろう「侘び寂び」それを端的に説明することは可能なのでしょうか。レナード・コーエン著「わびさびを読み解く」には、「わびさびは、不完全で、はかなく未完成のものが織りなす美」「宇宙は消滅する一方で生成もする。新しいものは無から生じる」「無は可能性に満ち溢れている」
・万物は、無常である・万物は、不完全である・万物は、未完成である わびさびものは、時の流れを映し出す。と、あります。
侘び寂びものは、退色、錆、変色、ひび割れなどが時間の流れを記録し、引っ掻き傷や、へこみなどが使った人の履歴を語っている。
さらにコーエンは、侘び寂びを説明するのに、モダニズムと比較しています。
モダニズム わびさび
・論理的、合理的 ・直感の世界
・大量生産 ・一点もの
・未来志向 ・即今志向
・テクノロジーを美化 ・自然を美化
・人工素材 ・天然素材
・鋭く正確で一定 ・ソフトで曖昧
・行き届いた管理 ・劣化や消耗を受け入れる
・恒久的 ・あらゆるものに季節感がある
こうしてみると、どちらが良い悪いではなく、どちらも必要に思える。
このどちらをも自由に行き来することが、現代に生きる人々に求められているのではないかしらん。言わば、計測可能な外側の世界と、曖昧な余白のある内側の世界。
それはまるで、「わたし」と「ひと」の入り交じる宇宙のよう。
時に置き去りにされがちな、「わたし」や「直感」という内側の宇宙。
大抵の場合において優先されがちな、「社会」や「論理」という外側の宇宙。
世の中が経済的に豊かになればなるほど、「侘び寂び」の世界は、ごく一部のヒトのもの、特別なものになってしまったのでは…。ほんの少し前まで、それは生活の中の「美」だったはずなのに。柔らかく曖昧な、それでも、そこにある凛とした静謐な空気。
その余白には、曖昧さを残すという緻密さまで漂う。
ひとが自分である、自分自身であり続ける。ことを、表現した宇宙。
余分なものを削ぎ落とし、研ぎ澄ませ、わたしという宇宙を創造していく。
そうして創造したわたしは、外側の世界と調和し繋がっていく。
そこには、どんな生き方も自身の手で選択できるという、わたしの生き方が存在する。
複雑なように見える自分も、実は、ひとつの「矜持」を軸に、それを表現するために、歩み続けているのでは?
侘び寂びは時の移ろいを映しだす。時を経ることによって手に入れた、あなた自身そのもの。
いにしえから、現代まで、人は迷いながらも揺れながらも、今あるあなたを生きること、
すでにある自分を磨き上げることに、歩み続けているのだと。
時代を越えて息づくこころの中の「侘び寂び」をトランクに入れて。
https://note.com/toprojet/n/n9f717574a6de 【わびさびとモダニズム~レナード・コーレン『わびさびを読み解く』を読んで~】より
「日本は西洋のモダニズムに先駆けること数百年、室町時代の中期に、既に簡素に美を見出す価値観を生み出していた」(原研哉 『白』 2008)
簡素さを尊ぶ日本の価値観とモダニズムの類似性は、近代を輸入し、モダニズムを輸入した日本にとって、永遠に気になるテーマだ。
外からの目を気にする、というのもやはり、明治期に近代を受け入れ、追いつき追い越せで頑張ってきた日本人が、容易には払拭できない心性といえる。
「桂離宮に示された原理こそ、絶対に現代的であり、また今日のいかなる建築にも完全に妥当するのである」(ブルーノ・タウト 『日本の美の再発見』 1939)
ブルーノ・タウトのこの言葉は、伝統と近代の狭間で悩む昭和初期の建築家を大いに勇気づけたに違いない。
レナード・コーレン著『わびさびを読み解く』(2014)も、外からの目が気になる日本人にとって興味が尽きない書である。
本書は、原著が1994年にアメリカで出版され、90年代に”Wabi-Sabi”ブームを引き起こした書籍の日本語訳だ。
わびさびを頭で理解することは、意図的に阻害されてきた
日本人にとって馴染み深いわびさびを、平易に解説する類書が、今までなかった理由を著者はこう解説する。
日本においては「歴史を通じて、わびさびを頭で理解することは、意図的に阻害されてきた」。その背景には、文字や言葉を介さない理解という禅の思想の影響、言葉に置き換えられない価値こそがわびさび独自の価値だとする美的曖昧主義、家元制度による独占の歴史があると。
長らくこうした影響下にあり、感覚的には解るが、うまく言葉にできない日本人に代わり、外国人ならではの立ち位置から果敢に言語化を試みたのが本書だ。そしてその試みは大いに成功している。
モダニズムとの対比でその類似点と差異が説明されているところが興味深い。その差異を対比したものを抜粋してみた。
モダニズムとわびさびの差異 『わびさびを読み解く』から一部抜粋して作成
わびさびとモダニズム
例えば「物質性」をめぐる両者の差異。「完璧な物質性」を理想とするモダニズムに対して、わびさびは逆に「完璧な非物質性」が理想だという。わびさびの概念の根底に流れるのは、「非実在性への憧れ」だとも述べられている。物質や実在、つまりモノや実際に「ある」ということは、わびさびを解する上で本質的なポイントだ。
隈研吾が『反オブジェクト』で語った次のような言葉が思い起こされる。
「物質のミニマライゼーションとミニマリズムとは、別の概念である。ミニマリズムとは形態の単純化であり、抽象化であり、そこには物質そのものに対する嫌悪はない。そしてモダニズムの中にはミニマリズムはあっても、ミニマライゼーションは希薄である」(隈研吾 『反オブジェクト』 2000)。
隈研吾は、石や木やセラミックなどの自然素材を使いながら、これまでの建築の常識を覆す寸法や断面を実現することによって、物質性のミニマライズを志向する建築を作ってきた。
「物質は時間の凝集であり、物質の中に時間が内蔵され、壁(ひだ)のように折り畳まれている」、素材の「ヴォリュームを殺ぎ落とす事によって、物質が消去され、時間が露出されてゆく」。隈研吾は、自らの手法の意味を、ライプニッツとドゥルーズによる物質の定義を援用してこう説明する。
物質性の消去は、隈研吾に限らず、モダンデザインの行き詰まりとその後のポストモダンによる表層の宴を経て、日本の建築デザインに共通した戦略でもあった。それは、本書に従えば、わびさびの価値観によるモダニズムの限界を乗り越える試みであるということができるだろう。
モダニズムの隘路にはまり、完璧な物質性を求めて止まない近代以降の主体。永遠の新しさへの願望、効率的な都市計画や土地利用、ユニバーサルな空間、立派な建物などは、我々が求めてきた完璧な物質性の産物だ。
わびさびは、オブジェクトよりも、むしろサブジェクトの問題
物質性を極限までミニマライズしたとしても、、物質としての建築、実在としての建築は依然として残る。物質性の消去という戦略も所詮、モダニズムの手の内ということか。
しかしながら、完璧な非物質性が存在しないように、完璧な物質性も存在しない。それらはともに「理想」であり「憧れ」の姿なのだ。
わびさびは、知覚とそれに対する態度が心の中で溶け合い、像を結んだ結果である」(同書)。
わびさびは、オブジェクト(物)よりも、むしろサブジェクト(主体)側の問題といえる。オブジェクトレベルでの物質性の消去は、主体の気づきへの働きかけなのだ。主体が変われば、世界は変わる。わびさびはそう教える。
わびさびを失うと「私たちの世界が縮小してしまう」
今日、わびさびが重要な理由を、レナード・コーレンは以下のように説明する。
「無限大の繊細さ」を表現するわびさびは、「0」と「1」に還元するデジタルでは表現できない。デジタルにおける「0」は不毛な空だが、わびさびの空は「存在への潜在的可能性を孕んだ」概念であると。
わびさびは、「「実際の生活」の中に存在しているはずの微妙さ、精妙さを理解し、察知する能力であり、これを失ってしまうと「私たちの世界が縮小してしまう」と危惧を表明する。
わびさびには、物質性に偏向するモダニズムの行き詰まりから、われわれを解き放ってくれるヒントが詰まっている。
最後に本書の著者レナード・コーレン氏についての余談を。
同氏はUCLAで建築を学んだ後、70年代にアメリカ西海岸で『WETマガジン』というカウンター・カルチャーの雑誌を創刊した日本通のアメリカ人だそうだ。
確証が取れないので、おそらくと言い添えておくが、著者は80年代前半に日本の雑誌BRUTUSで「西海岸共和国だより」というコラムを連載していた同姓同名の人物だと思われる。西海岸ではコカインを日本の茶道のしきたりで吸引するコカイン茶会が開かれているなど、ほんとか嘘かわからない、しかしながら、そこに漂う、60年代のカウンター・カルチャーの残り香を感じさせる西海岸の独特の雰囲気が印象的だった。
本書が関心をよせる対象からそう推察して間違いなさそうだ。
https://danslegris.com/ja/blogs/journal/minimalism-vs-wabi-sabi?srsltid=AfmBOoqLE6c3HngmLbkGbCZeyIyvtraMOx8ZA4ObGuIn0Wc5kiWlmZkm 【ミニマリズムと侘び寂びの比較:シンプルさを追求するデザインと生活の哲学】より
ミニマリズムと侘び寂びという 2 つの哲学が、現代のデザインとライフスタイルの議論の最前線に浮上しました。侘び寂びについて、一部の人は「日本のミニマリズム」と表現するかもしれません。しかし、私たちは根本的な違いがあると考えています。時間が経ったとはいえ、これらの概念の間には自然な相乗効果を見出すことができます。それでも、私たちはそれらの起源を掘り下げ、さまざまな観点から生活とデザインに対する独自のアプローチを探りたいと考えています。この記事では、ミニマリズムと侘び寂びのさまざまな側面について説明し、独自のアプローチを発見し、文化的起源を掘り下げ、美学を探り、日常生活への影響を調べます。
https://www.youtube.com/watch?v=ZefDhy-zMtg
1. 文化的起源
ミニマリズム
20 世紀半ばに西洋のデザインに現れたミニマリズムは、モダニズム運動と密接に絡み合っています。これは、第二次世界大戦後の西洋社会を特徴づける、ペースが速く、工業化され、消費者主導の文化に対する反応として生まれました。ミニマリズム運動は、急速に変化する都市環境における商品や材料の圧倒的な流入に対抗しようとしました。
ミニマリズムはすぐに芸術の領域を超えて広がりました。多くのデザイン史家は、ミニマリズムのルーツは 1917 年から 1930 年代初頭にかけてオランダのデ・ステイル運動によって提唱された簡素化された形式にあると考えています。ミニマリズムは、伝統的な日本庭園やインテリアの禅のようなシンプルさ、およびスカンジナビア デザインの純粋な美学からインスピレーションを得たと広く認められています。
ミニマリズムの根底には、秩序、清潔さ、効率、シンプルさへの深い欲求が体現されています。整理整頓された合理的なライフスタイルを提唱しています。ミニマリズムの哲学は、すっきりとしたライン、飾りのない表面、デザインにおける機能性の優先を推奨しています。形よりも機能を重視するこの考え方は、デザインと建築の簡素化と合理化を追求したモダニズム運動を反映しています。これは、少ないほどより豊かになるという考えと密接に関係しています。
わびさび
侘び寂びの文化的起源は日本に深く根ざしており、禅仏教と密接に絡み合っています。この美的哲学と生き方には、日本の室町時代 (1336-1573) まで遡る豊かな歴史があります。この時代に、侘び寂びは東山文化として知られるより広範な文化運動の不可欠な部分として登場しました。
東山文化は、当時の将軍であった足利義政(1436-1490)の庇護に大きく影響されました。義政は日本の文化発展において影響力のある人物であり、芸術を深く理解していました。ヨーロッパのバイエルン王ルートヴィヒ2世のように、義政は美的ユートピアの創造に資源を注ぎ込みました。しかし、ルートヴィヒ2世のビジョンが壮大で贅沢であったのに対し、義政の芸術的パラダイスは、シンプルさ、繊細さ、控えめなものへの感謝を受け入れることに重点を置いていました。
禅仏教は侘び寂びに深い影響を与えており、今この瞬間を受け入れ、その中で平穏を見出すことの重要性を強調しています。この禅の影響は、自然で有機的な要素を侘び寂びのデザインに取り入れることで、静かで穏やかな雰囲気を醸し出すことにすぐに表れています。禅とのつながりは、日本の美的原理である侘び(シンプルさ)と寂び(自然な経年変化の美しさ)に一致し、マインドフルネスと満足感を促進します。
禅哲学では、不完全さを受け入れ、人生のはかなさを受け入れることで悟りを求めます。わびさびは、不完全さ、衰退、そして時の流れの中に見出される美しさを称えることで、この観点を共有しています。どちらの哲学も、万物の無常性を強調し、現在の瞬間との深いつながりを奨励しています。
2. 美学
ミニマリズム
ミニマリズムの美学は、まさにシンプルさの中にある美しさを讃えるものです。このミニマリズムの美学は、落ち着いた感覚を呼び起こす、中立的な色調の整然とした広々とした環境が特徴です。「少ないほど豊か」という哲学は、物質的な所有物から衣服の選択、建築デザインまで、生活のさまざまな側面に及んでいます。この文脈では、「美学」は美の視覚的および芸術的な認識に関係し、本質的にはミニマリズムのレンズを通して美を定義します。
ミニマリズムの基本的な側面は、広大で整然とした環境を作り出すことです。ミニマリスト デザインの主な目的は、すべての要素が目的を果たし、全体的な調和感に貢献する、深い秩序感覚を確立することです。ミニマリスト インテリアの家具や装飾は、その特徴としてシンプルさと機能性を体現しています。すっきりとした幾何学的な形状や表面は装飾がなく、洗練された機能的な美観を生み出しています。
色の選択に関して、ミニマリズムでは単色のパレットが頻繁に採用されます。これらの配色は、ニュートラルトーンや白を多用し、時にはソフトパステルカラーも取り入れます。これらの意図的な選択は連携して、空間内に視覚的な純粋さ、広さ、静けさの感覚を呼び起こします。これは、ミニマリズムの本質とその美的原則を流暢に表現しています。
(ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの追求 - dans le gris)
ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの受け入れ - dans le gris
わびさび
(ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの追求 - dans le gris)
対照的に、わびさびの美学は、不完全さ、はかなさ、そして人生の日常的な側面に見出される生来の美しさを深く讃えるものです。わびさびは、不規則性、非対称性、そして手作りの作品に対する深い感謝の気持ちを巧みに融合しています。完璧な完璧さよりも本物であることに高い価値を置き、深い平穏と気取らない感覚を呼び起こします。
わびさびの世界では、本物であることの価値はいくら強調してもし過ぎることはありません。この哲学は、時間が物に与える独特のしみや傷を喜ぶものです。たとえば、風化した木材は、長年の旅の証、風化した環境の証、そして歴史の証と見なされています。古くなった陶器の表面の傷や引っかき傷は、その使用と時間の経過の物語を語り、懐かしさや過去とのつながりの感覚を呼び起こします。
錆びた金属は、その酸化した美しさから、軽蔑されることなく、むしろ自然の止められない流れの反映として受け入れられています。錆びる過程は、生と死の継続的なサイクルを反映し、万物のはかなさを強調しています。風化、老化、錆びを讃えることは、わびさびの美学の中核をなしています。
Wabi Sabi のカラー パレットは、自然との深いつながりを体現したもう 1 つの例です。落ち着いた緑から土っぽい茶色、柔らかい灰色まで、地球の微妙で控えめな色合いからインスピレーションを得ています。これらの色は、石、木、地球そのものなどの天然素材から抽出されています。Wabi Sabi のカラー パレットの選択は、自然界のシンプルさと本物らしさを凝縮した意図的なものです。
(ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの追求 - dans le gris)
ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの受け入れ - dans le gris
3. オブジェクトへのアプローチ
ミニマリズム
ミニマリズムの世界では、オブジェクトに対するアプローチは単なる機能性を超え、時代を超越したデザインと永続的な関連性というより深い精神を体現しています。実用性を重視することが基礎となり、空間に選ばれたすべてのアイテムが効率的であるだけでなく、耐久性があり、進化するトレンドに適応できるように作られています。
たとえば、ミニマリストのワークスペースの本質を掘り下げてみましょう。ここでは、すべての要素が効率という全体的な原則と調和するように慎重にキュレーションされています。デスクは単なる家具ではなく、スペースの利用を最適化するための意図的な選択です。そのすっきりとしたラインと整頓された表面は、集中して作業するための理想的なプラットフォームを提供します。さらに、十分な収納スペースがあり、ワークスペースを整理整頓して邪魔にならないようにし、生産性をさらに高めます。
あらゆるワークスペースに不可欠な要素である椅子は、単なる座席ソリューションではありません。ミニマリズムでは、椅子は人間工学に基づいて設計されており、快適さとサポートの両方を確保します。このような思慮深いデザインは、機能性と美観がシームレスに融合した、すっきりとした効率的な環境を作り出すというミニマリズムの取り組みの証です。
ミニマリストのリビングルームに焦点を移すと、このデザイン哲学の別の側面がわかります。ここでは、ソファのような一見普通のアイテムでさえ、多機能な役割を果たします。ミニマリストのリビングルームのスペースは、スタイルを犠牲にすることなく実用性を最大限に高めるように設計されています。ソファは快適な座席として機能するだけでなく、巧みに収納ユニットも組み込まれています。この二重の目的は、スペースを節約するだけでなく、ミニマリズムを定義するすっきりとした穏やかな雰囲気にも貢献します。
わびさび
(ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの追求 - dans le gris)
わびさびのデザインは、ミニマリストのアプローチとは対照的で、物の欠点や本来の性質を受け入れながら、物に対する独自の視点を定義します。この哲学は、実用性に関する従来の理解を超え、日常のアイテムに内在する感情的および精神的な側面をより深く掘り下げます。わびさびでは、物の歴史と個性に深い敬意が払われ、他の文脈では欠陥と見なされる可能性のある欠点を称賛することがよくあります。
現代世界に蔓延する厳格で堅苦しいミニマリズムとは異なり、侘び寂びは、より穏やかで繊細な方法ではあるものの、平穏な感覚をもたらします。侘び寂びは、余分な要素をすべて排除しようとするのではなく、人の人生の物語を語るしわや傷のように、不完全さが物にもたらす特徴を評価します。
侘び寂びのアプローチでは、すべてのアイテムが調和のとれた穏やかな環境を作り出す役割を果たします。すべてを排除するのではなく、空間内で各オブジェクトに名誉と敬意を与えることに重点が置かれます。侘び寂びの環境におけるアイテムのこの慎重なキュレーションは、統一感と美しさの感覚に貢献します。
侘び寂びをテーマにしたリビングルームを想像してください。手作りで少し風合いのあるコーヒーテーブルが中心に置かれています。その表面が少し凸凹していて角がすり減っているのは、欠陥ではなく、充実した人生の証です。部屋には、それぞれが独自の個性を持つ陶器の食器のコレクションが飾られているかもしれません。それらの違いは、時の経過と食事を共にすることの温かさを物語るものとして、大切にされています。
4. ライフスタイル
ミニマリズム
ミニマリズムは、多くの場合、デザインを超えてライフスタイルの選択にまで及び、消費の削減、整理整頓、生活に不可欠な要素への集中を促します。ミニマリストのライフスタイルは近年人気が高まり、個人にさまざまなメリットをもたらしています。メリットは人によって異なりますが、多くの人は、物理的、精神的、感情的なスペースを作るのに役立つと考えています。過度の乱雑さが原因で不安を感じる人もいるため、ミニマリストのライフスタイルを採用することが潜在的な解決策となります。
ミニマリストのライフスタイルでは、多くの所有物を蓄積することから、量より質を重視することへと焦点が移ります。人々は所有物を細心の注意を払って厳選し、自分の生活に本当に価値をもたらすものを意図的に選びます。この識別プロセスを通じて、不必要で無関係な所有物を意図的に排除し、物理的および精神的なスペースを作り出すことができます。
こうした意識的な生活アプローチの結果、多くのミニマリストは、不要なものを手放すことで、人生のささやかな喜びに対する感謝の気持ちが深まることに気づきます。この新たな視点により、物質的なものを単に蓄積することよりも、経験、人間関係、個人の成長を優先するようになります。本当に幸福と充実感をもたらすものに意図的に焦点を合わせると、自然に満足感とバランスが生まれます。
わびさび
侘び寂びは、より幅広い文化的、哲学的概念を包含しています。それは、マインドフルネス、人生の不完全さの受容、そして日常の瞬間に美しさを見出す能力を奨励します。テクノロジー主導の世界では、完璧さが広く期待され、間違いが許される余地はほとんどありません。侘び寂びの考え方では、人生は常に変化しており、真の完璧さは実際には存在しないことを認識することが重要です。
さらに、わびさびのライフスタイルを送ることは、深い静けさと人生の本質との深いつながりにつながります。それは、人々がゆっくりと過ごし、シンプルさの中に満足を求め、無常の中に見出される美しさを受け入れることを促します。わびさびのライフスタイルはシンプルさを重んじ、不必要なものを削ぎ落とすことを提唱する一方で、気取らない姿勢を保つことを思い出させてくれます。わびさびは、シンプルさと存在のはかなさの中に静けさを見出すことを教えてくれます。それは、より謙虚で、すっきりとした、本物の生き方を促す哲学です。
(ミニマリズム vs. 侘び寂び: デザインと生活におけるシンプルさの追求 - dans le gris)
0コメント