Faceboook山川 紘矢さん投稿記事 スピリチュアルメッセージ第9弾:「目覚めの光」
あなたは今、どこにいるでしょうか?心の奥深くを見つめたとき、そこにどんな景色が広がっていますか?私たちは、日々の出来事に心を奪われがちです。
仕事、人間関係、健康、お金——こうした問題に心を揺さぶられ、
「私はこれでいいのだろうか?」と問い続けることもあるでしょう。でも、少し立ち止まってみてください。すべての出来事は、あなたの目覚めのために起きています。
人生のすべての瞬間が、あなたをより高い意識へと導く扉なのです。
「私は、私であってよい」この言葉を静かに心の中で唱えてみてください。
深く呼吸をしながら、自分の存在そのものを肯定するのです。あなたはこの地上に生まれた意味があります。あなたの存在は、宇宙にとって必要不可欠な光のひとつなのです。
苦しみは贈り物
もし、今あなたが困難の中にいるなら、それは魂が成長しようとしている証拠。
目の前の問題は、あなたの魂が求めた変容のチャンスなのです。「なぜこんなことが起きるのか?」ではなく、「これは私に何を教えようとしているのか?」と問いかけてみてください。
その瞬間、気づきの光が差し込み、心が軽くなるのを感じるでしょう。
あなたの光を世界へあなたが自分自身を愛し、受け入れるとき、その光は周囲へと広がります。あなたが微笑めば、その笑顔は誰かを癒します。あなたが優しく語れば、その言葉は誰かの心を温めます。あなたが愛を持って生きるとき、世界は少しずつ変わり始めるのです。
どうか、あなた自身を信じてください。あなたは、光そのものです。
あなたの中に眠る神聖な輝きを、今こそ目覚めさせてください。
「私は光、私は愛、私は平和」この言葉を胸に、今日も一歩を踏み出しましょう。
あなたの魂がさらに輝きますように。
スピリチュアルメッセージ第10弾:「目を覚ます時が来た」
あなたは今、目覚めの時を迎えています。あなたの魂はすでに知っています。
この人生が偶然ではなく、あなた自身が選んだ「旅」だということを。
この地上に生まれた瞬間、あなたは「忘却のヴェール」をまといました。
どこから来たのか、なぜここにいるのかを忘れ、目の前の世界だけが現実だと思い込むようになりました。しかし、あなたの内側ではずっと呼びかけが続いていました。
「思い出してほしい」「本当のあなたに戻ってほしい」「あなたはただの肉体ではなく、永遠の光である」目を覚ます時が来ました。
世界はあなたに何を教えてくれていますか?今、あなたの人生に起きていることは、何を伝えようとしていますか?すべての出来事は、あなたを目覚めへと導くために起きています。
苦しみも、喜びも、すべては「思い出す」ためのサインなのです。あなたの本質は「愛」あなたは、愛そのものです。誰かを愛することで、あなたは自分の本質を思い出します。
自分自身を愛することで、あなたは宇宙と一つであることに気づきます。
あなたは不完全ではありません。あなたはすでに完璧な存在です。ただ、それを「思い出す」ことが必要なだけなのです。幻想の世界から抜け出すこの世界は、あなたが「体験する」ために創られた舞台です。
しかし、多くの人はこの舞台が「すべて」だと思い込んでいます。
お金、名声、地位、物質的な成功——これらは幻想に過ぎません。
あなたが本当に求めているのは、それらではなく「本当の自分」なのです。目を閉じて、自分に問いかけてみてください。「私は誰なのか?」「私はなぜここにいるのか?」
静かに耳をすませば、あなたの魂が答えを教えてくれるでしょう。すべてはつながっている
あなたは宇宙の一部であり、宇宙そのものです。あなたの意識が変わると、世界が変わります。あなたが愛を持って生きるとき、世界は愛に満ちていきます。
あなたが光であることを思い出すとき、この世界は新しい次元へと移行します。
あなたは目覚めの鍵を握っています。あなたが目覚めることで、周りの人々も目覚めていくのです。さあ、目を覚ましましょう。あなたの魂は、すべてを知っています。あなたの中には、すべての答えがあります。あなたは光、あなたは愛、あなたは宇宙そのものです。
「私は目覚める」この言葉を心に刻み、今日という日を生きてください。あなたの光が、世界を照らしますように。
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/a8a5ab21876991a14ea8ae2353f08e68 【「物の見えたる光」素人の論】より
日本でいちばん偉大な詩人といったら、だれだろう?
柿本人麻呂、西行、芭蕉など、数人の名が、すぐに思いうかぶのだけれど、わたしはなんといっても松尾芭蕉だろうと考える。芭蕉は日本の詩歌の伝統の中で、ずばぬけた、他の追随を許さぬ存在であり、これからも、そうであるに違いない。
芭蕉の「俳諧」は、戯曲におけるシェークスピア、小説におけるドストエフスキー、あるいは西洋音楽におけるバッハに比肩しうる表現の最高の達成度をもっている。
このあいだ、ある本を読んでいて、つぎのような芭蕉のことばを思い出した。
“物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし”
服部土芳がしるした「赤冊子」に見える芭蕉のことばとされている。
もうひとつ、わたしが心にきざみつけているのは、芭蕉における不易流行の説。
不易流行とは「千歳不易・一時流行」のいわば短縮形。
“物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし”
ここにいう、「物の見えたる光」とはなんだろう?
わたしは俳句はつくらないし、俳句をキチンと学んだ経験もないから、もしかしたら、見当はずれの「素人の論」になっているかもしれない。
「物の見えたる光」という場合、「物」が見えていることが前提である。そうなると、ここで芭蕉がいう「物」とはなにか・・・と、そこから問う必要が生まれてくる。
しかし。しかーし、である。
あまりむずかしく考えすぎて、たちすくんでいるあいだにも、時はどんどん流れていくのである。写真を撮るとき、詩を書くとき、わたし三毛ネコは「物の見えたる光」と向かい合っている。とりあえず、そういっていいのではあるまいか。
不易流行の説で考えると、流行を排し、不易に即くとはにわかにはいえない。
不易に習い、流行を見極めるというと、芭蕉の考えに近づくかもしれないなぁ(^^;)
また「三冊子」には、よく知られたつぎのようなことばが見える。“松のことは松に習え、竹のことは竹に習え”あたりまえのことを、こうきっぱりと断言されると「うーん、いやはや。恐れ入りました」と頭を下げるしかあるまい。名言とはすべてこうしたものではあるにしても・・・。わたしは詩を書くようになってから、ノートを一冊持ち歩いている。カメラもほぼ常時携帯している。「物の見えたる光」がいつわたしを訪れるか、予想できないからである。
詩の場合でいえば、インスピレーションがやってこなければ、詩が書けない。むりに書こうとしても、つまらないものしかできない・・・ということが、経験的によくわかっている。写真においても、事情が似ている。絵画とは違うから、写真を、アトリエに座って、1ヶ月がかり、2ヶ月がかりで描くなんて芸当はだれにだって、できやしない。
物の見えたる光は、出会い頭に一瞬だけあらわれて、消えていく。それをうまくつかまえた人が、その光を語り、指し示す資格をもつ。むろん、素人たるわたしの独断の論ではあるのだけれど。
https://seikeidenron.jp/articles/6229 【平井住職に聞く「不易流行(ふえきりゅうこう)」変わることができる強さ】より
臨済宗国泰寺派全生庵七世住職平井正修 (ひらい しょうしゅう)
「不易流行(ふえきりゅうこう)」とは、いつまでも変化しない本質的なものを忘れないなかにも、新しい変化を取り入れていくこと。松尾芭蕉が提唱した、本来は俳諧の理念です。処理しきれないほど情報が溢れる毎日に、私たちはその中にある“本質的なもの”を見失いがち。一方、加速度的に進歩するテクノロジーを前に、“変わらないもの”など無いようにも思えます。激しく変化する現代において「不易流行」は何を意味するか、全生庵の平井住職に聞きました。
変わることへの恐れ
何かを変えることによって、維持されてきた状況が崩れてしまうことを恐れる人たちがいることは確かです。「暗黙の了解」「以心伝心」「和を以て貴しとなす」という言葉に象徴されるように、日本人は集団の意見を重んじ、異なる意見を唱える少数派については和を乱す存在ととらえて嫌悪する。そうした傾向がDNA的に息づいていますから、内側から変わろうとすればおそらく崩壊が起きるでしょう。
歴史を振り返っても、日本がダイナミックに変化したのは1853年の黒船来航による開国や、第2次大戦後のGHQによる民主化といった外部の影響によるものでした。記憶の新しいところではカルロス・ゴーン氏の日産代表就任後の改革があり、最近ではAmazonが日本経済における脅威的な存在になるだろうと言われています。
要するに、外部からの刺激なしに、日本人が変わることは難しいということです。
「不易」と「流行」の本質
「不易流行」の「不易」とは、永遠に変わらないものを示します。何事においても、変わらないものというのは目には見えないものです。例えば、人の心。「愛」や「平和への願い」は誰もが望む不変のものです。一方、変わるものというのは、形を持っていて、目で見ることができます。むしろどんなものでも形になった瞬間に変化するものになる。
一方、「不易流行」の「流行」とは、新しさを求めて変化するものを示します。例えば、科学。現代の科学の進歩は目覚ましいものがありますが、ただ、それを人間自体が進歩していると勘違いしてはいけません。あくまでも、使う道具が進歩しているだけであって、人が空を飛べたり、車さながらに走れるようになったりしているわけではない。人ができることは昔と変わりないのです。
現代文明のほとんどは電力で制御されていて、供給がストップしたらあらゆるものが機能しなくなります。当然、インフラは何の意味もなさなくなるでしょう。もしかしたらアナログなものが多かった昔よりも、便利に見える現代の方がよほど脆弱な世の中なのかもしれません。結局、テクノロジーや文明は“砂上の楼閣”。それをどれだけの人がわかっているか。
また、科学の進歩に関して人が“考えなくなる”ことにも懸念があります。AI(人工知能)がどこまで発達するかは予測しようもないですが、もし「人工知能の判断には誤りが無い」となったとき、人は自分で考えなくなるということが危惧されます。すでに、わからないことが出てくると、その答えをすぐスマートフォンに求める人は少なくありません。とかく、便利になりすぎると人は考えることを放棄しはじめます。科学が進歩した時代だからこそ、ちょっと足りないくらいがちょうど良いように思えるのです。
変わることができる強さ
禅の修業に行くときは、笠を被って草履を履き、調理も風呂も薪でたく。着るものも生活自体も数百年前とほとんど変わりません。それは、“人”の本質を極めようとするのが禅であるからにほかなりません。最近は坐禅の際に冷暖房を入れる、入れないという話もありますが、自然とともにあろうとする禅においては、必要の無いことだと私は思います。
昔はシンプルで今の方が複雑になっているという言い方もできますが、結局、飯を食い、水を飲まないと生きてはいけないという人の本質は変わりません。そして、本質は頭で理解するものではなく、心で感じるものです。暑いのも本質、寒いのも本質であり、それは“変えられないもの”とは絶対的に違います。
修業僧時代、師匠からよく公案(禅問答)を出されたものですが、あるとき問われた公案について、ずいぶん前に同じ問答を受けたことを思い出し、「それ、7年ほど前にもやりました」と答えると、師匠が「ではお前は7年間修業をして、何も変わっていないということか」とおっしゃる。
確かに、時代が変わり、社会経験を積むなかで、考え方が変わっていくのは当たり前のこと。「1+1=2」といった不変的な問いではない限り、答えが変わらない方がおかしいというわけです。
では、例えば「憲法」は「不易」でしょうか。戦争をしないために「憲法9条を変えるな」という人たちがいますが、憲法さえ変えなければ戦争にならない、巻き込まれないというのは極端な考えです。国を取り巻く状況が変化しているにもかかわらず、その人たちは憲法改正を反対するばかりで、「平和を守るためにどうするのか」という肝心な議論が抜け落ちているように思います。
変えるべき、変えるべきでないなどは、その人の生きている時代や経験、立場によって変わるでしょう。大切なのは、問題や困難に直面したときに“変わることができる”ということです。そのために変化を感じられる心を持ち、状況に合わせて変化できる柔軟性があれば、“変わらない”ということもひとつの在り方となり得ます。
https://www.beach.jp/circleboard/ad25106/topic/1100201790254 【【名言名句 第五十三回】 不易流行。松尾芭蕉】より
わび・さび、あるいは、かるみ・しおりなどと表される、松尾芭蕉の句風。
今日に連綿と続く、芭蕉の俳句の基調となる俳諧理念として、「不易流行」ということばがあります。
これは今日一般的に、以下のように定義されています。
〔不易流行〕 ふえきりゅうこう
俳論用語。「不易」は永遠不変、「流行」は刻々の変化の意で、両者は「風雅の誠」に基づく点で同一であるとする孝え方をいう。
俳詣は不断に新しく変化してゆくところに不変の本質があるという文学観と、俳諧の永遠不変の価値は「風雅の誠」を追求する不断の自己脱皮から生まれるという実践論から成り立っている。元禄二年(1689)『おくのほそ道』の旅行後、同年冬から門人達に説いたもので、『俳諧問答』『去来抄』『三冊子』などに祖述されている。
宇宙の根源的主宰者である「造化」の、不変の恒常的原理を「理」、万物創成の創造力を「気」、その本体を「誠」とする宋学の考え方に基づき、俳詣の本質と俳諧作者のあるべき姿について論じたもの。
(『芭蕉ハンドブック』尾形仂 三省堂2002年2月)
芭蕉は、不易流行を弟子に説き、門弟たちがそれぞれの見解を書き残しました。
しかし芭蕉自身、自らこの四文字の成語を書物に遺すことはありませんでした。
ただ、以下のような紀行文や随筆から、不易流行の思想を読み取ることはできるかもしれません。
月日は百代の過客にして往きかふ年もまた旅人なり。
(『奥の細道』序文)
倭歌(やまとうた)の風流、代々にあらたまり、俳諧年々に変じ、月々に新也。
(『常盤屋句合』跋文)
風雅の流行は、天地とともにうつりて、只つきぬを尊ぶべき也。
(『三聖図賛』跋文)
芭蕉の高弟の文には、より明確に師の教え、不易流行が語られ、同門へと伝えられていきます。
蕉門に千歳不易の句、一時流行の句といふあり。是を二つに分けて教へ給へども、その元は一つなり。不易を知らざれば基たちがたく、流行を知らざれば風新たならず。不易は古によろしく、後に叶ふ句なる故、千歳不易といふ。流行は一時一時の変にして、昨日の風、今日宜しからず、今日の風、明日の用ひがたき故、一時流行とはいふ。はやる事をいふなり。
(『去来抄』向井去来)
師の風雅に、万代不易あり、一時の変化あり、この二つに究り、その本一つなり。その一つといふは風雅の誠なり。不易を知らざれば、実に知れるにあらず。不易といふは、新古によらず、変化流行にもかかはらず、誠によく立ちたる姿なり。
(『三冊子』服部土芳)
猿簑の選を被りて不易流行のちまたを分かち、新風に臨みても幽玄の細みを忘れず。
(『風俗文選』森川許六)
さて、不易流行の「易」は、〔えき〕と読むほかに、易わる=〔かわる〕と読みます。変わる、と同義です。
中国の代表的な古典である、『易経』は占いの書というよりは、万物自然の変化をとらえ、予兆を見抜き、
来たるべき将来を見通すための書なのです。よって古来帝王の必読の書とされてきました。
そもそも、『易経』そのものの中で、「易」はどのように考えられ、説明されているのでしょうか。
生生これを易という。
(『易経』繋辞上伝)
「天地は無窮の営みを続け、途切れることがない。またそこから万物が生じる。
春夏秋冬は規則正しく巡り、冬が終われば、また新たな春がやってくる。
同じ時は再び訪れることはない。
生じるものは常に新たであり、またそこから新たなものが生じる。
このような窮まりない変化を「易」という。
我々人間も日々の変化あってこそ、生き生きと生きていける。」
(『「易経」一日一言』(致知一日一言シリーズ) 竹村亞希子 致知出版社2009年2月)
易、すなわち変化のダイナミズムの中で、生命は脈々と次代へ継がれていく、と古代中国では考えていました。
現代の科学に置き換えれば、遺伝子の突然変異も、生命の停滞を打ち破るための〔神の一突き〕なのかもしれません。
変化こそ、生命の源である。
と思い至った時、日本の美と文化に〔神の一突き〕をもたらした、千利休の法号がまさしく、「宗易」であったことに気づかされるのです。
王朝和歌の伝統をふまえつつ、詩の解体と精神の解放をもたらした、松尾芭蕉。
東山文化の遺産を引き継ぎながら、まったく新しい侘びの境地を切り拓いた、千利休。
「不易流行」は文化と歴史の壁を越えて、いまだ見ぬ未来を描いてくれるのかもしれません。
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