Facebook竹元 久了さん投稿記事
🔵日本の「美意識」や「美の概念」~自然に対する「移り変わり」や「滅び」という時間概念
「侘び」「寂び」のような日本の伝統的な美意識は日本人が物事に対して感じる美の概念の一部です。
古来の日本人は職人気質でありながら、精神的で哲学的な内側の世界へ美に対する思想を抱き、完璧な空間を演出しながらも「移り変わり」や「滅び」に対して抵抗することなく自然のままに受け入れる変化を好む性質がありました。
そして、日本人はモノや空間だけでなく、その場の雰囲気や精神的な心構えに対して「美」を感じ追求していきました。
今回は、そんな日本人が抱く美意識を紹介していきます。
【日本人の自然観と神道】
まず初めに、日本人の美意識の根本にある概念として「自然」があります。
「花鳥風月」や「雪月花」という言葉から日本人は太古の時代より「自然」に対して「美」を見出してきました。自然を愛する日本人の美意識の特徴として「移り変わり」という時間の流れによる経年変化が挙げられます。
例えば日本庭園は自然をあるがままに作り出すことに重きを置いています。西洋の庭園に見られる調和の取れた景観とは異なり、自然的で混沌としている特徴があります。これは日本人が「自然のままに変化する景観を楽しむ」特徴があった事が挙げられます。
桜の花を美しいと感じるのは「刹那的に美しさと滅びていく儚さ」にあるように、日本人の美意識は「変化」や「空間」に左右されることが多く、自然の持つ得体のしれない大きなエネルギーをベースに価値観や思想が構築されています。そして、自然への畏れは日本人の思考のベースとなる神道へと発展していきます。
日本は島国で弓型の形をしており、中央に山脈が連なります。日本の気候は縦走する山岳地帯を境に太平洋に面している地域と日本海に面している地域とで大きく異なり、北海道と本州の高原地帯が亜寒帯、南西諸島の一部は熱帯、他地域は温帯に属しており、南北で寒暖差が大きく、地域ごとに自然の見せる姿が変わります。
山岳地帯から流れる河川の量も多く、水に恵まれております。また、同時に水害も多い傾向にあり、太古より日本人は自然の持つコントロール不能な強大な力に畏怖の念を抱きながら生活していました。
ある時は恵みを与えてくれる自然への感謝、またある時は全てを奪い去る自然への畏れはいつしか日本の信仰へと結びつきます。
日本はアニミズムによる自然崇拝がベースとなった神道を中心に文化が形成されました。そのため日本人にとって物事の判断基準は「神道」による信仰から生み出されてきました。
また、自然の美しさや自然の猛威と身近であったことから美意識の基盤には「自然」がもたらす変化に対して美を見出しました。
また、仏教の伝来により仏教の持つ思想や価値観が広がり日本の美意識は精神世界へと向けられていきます。特に「無常」は日本人の本来持っていた自然観と混ざり、「花鳥風月」のような自然の変化や移ろいの美を生み出していきます。
日本人は古代の時代より自然の音を雑音ではなく1つの音として捉えていたほど繊細な美意識を持っていました。
現代にも受け継がれている日本の美意識は日本という風土が生んだ文化によって独自に形成され、大陸から渡来した思想と溶け合い日本化させることで研ぎ澄まされていきました。
【無常】
無常とは「滅びゆく儚さに見える生き様の美」であり、日本人の思想や美意識において最も根本に近い概念の1つです。
「無常」とは仏教において中核教義の1つで仏教の根本思想である「無常」「苦」「無我」の三相にも含まれている思想で、飛鳥時代に仏教は日本に渡来し、国の中心的な宗教として人々の生活の中に現れました。
古代の日本ではアニミズムによる山や川、森や自然現象に神が宿ると考える自然崇拝の民族で神の依代として自然を奉ってきました。古代神道が主流の生活をしている中に異国神の教えである仏教が渡来し、日本の宗教文化に組み込まれました。
「無常」のもつ「死生観」や「儚さ」「移りゆくもの」が日本人の自然観と一致したこともあり、日本人は無常に「美」を感じるようになったのではないかと思われます。特に中世における日本文学では「無常」抜きに語ることができないほど思想の中心的な役割を担っていることから、日本人の基本的な価値観として「無常」は真ん中に位置していたと考えられます。
「無常」を代表するモチーフの1つに「桜」があります。日本人は古代より桜の花を愛していますが、桜の花が愛される理由の1つに「桜の生き様」に共感し、「美しく咲く姿は永遠ではない」という儚さや残酷さに無常を感じ取ったからであると言われています。
日本人は「移ろい」や「変化」に対して美を見出す傾向があり、西洋に多く見られる「永遠の美しさ」や「悠久の美」という姿勢とは真逆の考え方です。
「一瞬の美学」「刹那の美」「朽ちていく美学」は無常という美意識によって培ってきた日本人独特の美意識となります。
【もののあはれ】
「もののあはれ(物の哀れ)」は「をかし」と並んで平安時代における日本の美意識の中で中心的な美の概念で、平安時代の王朝文学を理解する上では避けては通れない文学的・美的理念の1つとなります。
「もののあはれ」は「哀愁さ」を指し、五感を通じて「見たもの・触れたもの・聞こえたもの・香るもの・感じるもの」によって生ずる「しみじみ」とした深く心に感じる「しんみり」とする感情を意味します。そして、その切なさや儚さは「無常」にも通じる写実的な哀愁に近い感情です。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた思想であり、叶わない想い・願いに対して感嘆する心の動きと「無常観」を合わせた美意識として世に生まれました。
そのため王朝文学で使用される「あはれ」には悲しみが付きまといます。自分の思いが届かない悲しみや、形あるものはやがて滅びゆくという自然の摂理に感じられる無常観こそが「あはれ」という美意識に深みをもたせ「傷心的な心の動き」に美しさを感じさせてくれるのです。
歌人の西行は「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり(都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった)」と「あはれ」について詠んでいます。この歌で西行は月に「あはれ」を感じ、神秘的で奥深い趣きから後の「幽玄」の境地を拓き、東洋的な表現である何もない空間「虚空」を表現しました。
「月の満ち欠け」「桜の花」「人の優しさ」「時間の流れ」といった移ろいの中で感じる哀愁さに「美」を見出した「もののあはれ」は「花鳥風月」のような自然の変化を鑑賞する自然観と、仏教思想の栄える者もやがては滅びゆく「無常」が人々の生活の中に溶け込み、戦や権力争いといった時代背景と、貴族文化と色恋のような文化的背景によって育まれました。この「あはれ」の美学は後の時代でも美意識の基盤として引き継がれていきます。
現代でも「儚さ」や「哀愁」は日本人の感情を突き動かす美意識の1つで、どこかノスタルジーを感じさせるものに惹かれる傾向にあります。今も昔も日本人は「もののあはれ」に心を動かされ続けているのかもしれません。
【をかし】
「をかし」は「もののあはれ」と並んで平安時代における日本の美意識の中でも重要な美の概念となります。
平安時代における王朝文学の中で「をかし」は重要な文学的・美的思想の1つで、もののあはれが「しみじみとした情緒美」であるのに対して、をかしは「明るい知性的な美」と位置付けられています。
「をかし」はは「趣がある」という意味を持ち、感覚的に物事を捉える性質があります。物事や景観に対して「物事や事象が感じさせる風情」「しみじみとした味わいが深いもの」に対して「趣き」を感じる心を指します。
カラッとした暑さが続く暑の日に、窓辺で内輪を仰ぎながら青い空と真っ白な雲を見上げる。その時「チーン」と風鈴の音が聞こえてきた時「なんかいいなぁ」と感じる心の動きが「をかし」です。
平安時代における「をかし」を読み解くことで日本人が何に対して「美」を感じていたのかを想像する事ができます。
源氏物語に「けづることをうるさがり給(たま)へど、をかしの御髪や」という一文があります。これは「髪をとかすのを嫌がるけれど、美しい御髪(おぐし)ですね」と現代語訳されます。また、枕草子では「また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし」では「また、ただ一つ二つと、(ホタルが)かすかに光って飛んでいるのも趣がある」と訳されます。
当時の日本人が感じていた「美しい」「素晴らしい」「綺麗だ」「物凄い」という風情に対して使われていた言葉であると思われるため。「をかし」は日本人の「ふとした時に感じる美」を表現する美意識の1つになります。
現代で言う「ヤバい」とか「エモい」にはどことなく「をかし」のニュアンスが含まれているようにも感じます。
ちなみに、室町時代では同じ「をかし」という言葉でも意味合いが変化し「滑稽である」「笑いたくなる」という意味を持つようになりました。能を大成させた世阿弥の能楽論の中に狂言の滑稽な様を「をかし」と表現していることからも言葉の意味が変化したことを裏付けています。
【雅】
「雅(みやび)」とは平安時代の王朝文化の中で生まれた美意識で、日本の伝統的な美的概念となります。「優雅さ」「洗練さ」という意味を持ち、平安時代の王朝文化や貴族の思想の中心的な美意識でもあります。
「みやび」の「みや」は「宮」を指し、「宮廷」を意味します。つまり宮廷好みの優美で優雅な美意識とそれに伴う「立ち振舞い」「姿勢」「所作」「博識さ」「マナー」「美的センス」を指します。
また、「雅」にも「無常」の思想は強く反映されており、「もののあはれ」や「移り変わり」という概念にも深く結びついていました。特に女性の装束、調度、絵画、建築、音楽の中で「雅な無常さ」は表現されます。
宮廷の女性の装束には四季折々の景色や色合いに合わせて、その彩りを装束の重ね目に表し色の変化を楽しんでいました。四季に合わせて変化させる色の重ねは貴族が女性に対して好意を抱く際の重要な要素でもありました。季節に合わせた色選びが教養として重要視されていた時代です。その変化を楽しむ様は「無常」や「あはれ」「をかし」の美意識が複雑に混ざり合った結果生まれたと想像されます。
また芸能面では雅楽が「雅」の世界を色濃く表しています。大陸文化のエキゾチックな装束と優雅さを表した舞踊と音楽は雅の持つ思想を強く反映しています。現在でも雅楽は当時の文化を維持したまま伝承され、演奏されているため平安時代の「雅」を感じることができます。
「雅」は文化的なものだけに収まらず、立ち振舞いや姿勢を表す哲学的思想としても発展をしました。優雅で博識な姿勢は貴族の教養であり、貴族社会において重要な行動指針でした。中世の日本文化の根本にある美意識であるため、後の世にも文化的にも思想的にも大きな影響を与えました。
宮廷文化で繁栄した「雅」は戦乱の世を経て一度滅びてしまいます。武士を中心とする乱世では「雅」という美意識はそぐわない価値観だった事が要因だと思われます。
しかし、乱世が終わり平和な時代が到来した安土桃山時代から江戸時代にかけて「雅」は復活します。雅を復活させた要因の一つに当時起こった芸術活動の1つ「琳派」が挙げあれます。琳派は「雅」の美意識を再現した芸術作品を多く生み出しました。
「雅」という平安時代に生まれた太古の美意識が持つ豪華絢爛な美しさは、現在においてもデザインや芸術活動、営みの中で生じる文化活動の中で影響を与え続けており、「豪華で美しいもの」「洗練されており優雅なもの」に対する美しいと感じる美意識は生き続けているのです。
【幽玄】
「幽玄」とは、日本の美意識の1つで、数多くの日本文化に影響を与えた最も重要な美の概念の1つとなります。「幽玄」は神秘的であること、奥深く味わい深い領域を指します。
幽玄とは目に見えるものではなく、目に見えない深い世界の領域から醸し出される美であり、感じるものであるため精神的であり哲学的思想の概念でもあります。そのため「幽玄」という美の感覚を言葉で伝えるのは難しく、実際にその奥深い味わいを体験したものにしか感じる事ができない感覚的な美の領域になります。一般的に「静寂さや神秘的な趣きの中で感じる心の動き」を指す事が多い美的概念です。
中世日本における文学、絵画、芸能などの芸術分野では「幽玄」は代表的な美意識で、芸術活動の中で開花した美しさの概念です。
幽玄は平安時代後期には概念として生まれており、「千載和歌集」の中で藤原俊成が歌論の中で西行の歌に対して「心幽玄に姿及びがたし」と論じられています。また、鎌倉時代に記された「方丈記」には「詞に現れぬ余情、姿に見えぬ景気なるべし」と論じられており「幽玄」は姿形で表すことができない余情であると表現しています。
幽玄は目に見えないが姿形からにじみ出ているオーラにも近い精神的なもので、天台宗僧侶で連歌作家の心敬は「ささめごと」の中で幽玄を「心の艶」と表現しています。幽玄は雅であることではなく、その奥にある「心の艶」であり、寒くやせたる「冷えさび」を表していると論じています。
この「冷えさび」を具体的な芸術の中で表現したのが世阿弥によって大成された「能(幽玄能)」となります。世阿弥は能を「老・女・軍」の三体と考え、老体を「神さび」、女性を幽玄に当てはめ「花鳥風月」「みやび」と考え、軍体を「身動き」と定義づけしました
世阿弥は幽玄を「優美」と解釈し、女性の優美な姿に幽玄を世阿弥は見ていました。静寂で神秘的な深い趣があり、優美で奥行きのある目に見えない「何か」を能の世界で表現しています。
「幽玄」は華道や茶道に代表される芸道や、和歌や俳諧などの歌、後の世に生まれる「侘び」「寂び」といった美意識など多くの文化に影響を与えていきます。
「幽玄」とは姿形で表現できるものではなく「奥深い趣き」「高尚で優美」「雅である」「上品である」という事柄であり、「そのさま」を指すため、美的理念として後世まであらゆる芸術のインスピレーション源として追求されていきました。
http://www.tetsugakusha.net/whitehead/prologue/02-00/02-02/ 【生成する出来事】より
中期のホワイトヘッドは、「出来事(event)」と「客体(object)」を基本概念として、自然哲学を展開していました。しばしば、ホワイトヘッドは、生成消滅する「出来事」や移り行く「過程(process)」のみを強調したと誤解されていますが、実際には、出来事と客体、生成と存在は、常にセットで考えられています。まず、このページでは、出来事についてみていきましょう。
生成する自然
中期のホワイトヘッドが出発点にしたのは、自然が生成しているということでした。『自然認識の諸原理』や『自然という概念』では、自然の最も直接的で一般的事実が「何かがいつでもどこでも動いている」ということに見出され、「自然を静止したままにしておくことはできないし、それを見ることもできない」と述べられています。
時空的な自然の推移 古来、自然の生成に力点を置く思想は、ヘラクレイトスをはじめ、多くの思想家・哲学者によっても唱えられてきましたが、特にホワイトヘッドは、自然の生成のうちに、新しさへと向かう自然の創造性や生命の息吹きも感じ取っています。中期著作に散見される「創造的前進」、「エラン・ヴィタル」といった言葉や、ホワイトヘッドがベルグソンの影響を受けていたというラッセルの回想録は 、機械論的な世界観を脱する際にホワイトヘッドが、自然の動性や生命を強調しようとしていたことを示しています。もっとも、ベルグソンからの影響は本質的ではなく、実は疑わしいと、伝記作家のローにより指摘されていますが、ともかくホワイトヘッドは「自然の過程」ないしは「自然の推移」に、測量可能な時間とは区別される、より根源的な自然の事実をみようとしていたことは疑いありません。科学における計量的時間と区別するためにも、自然の推移をベルグソンのように「時間」と呼ぶことは避けていますが、推移は、自然が活動的に生成・発展していく「創造的前進」という根源的特性を示していると考えられています。つまり、「自然が常に動き続けているということはこの推移のおかげである」。
時空的な自然の推移 注意すべきは、推移という自然の事実は、計量的時間でないのはもちろんのこと、時間と空間が分かたれる以前の、時空的(spatio-temporal)なものであるということです。ホワイトヘッドのいう推移とは、時間的な推移だけでなく空間的な推移も含意しており、時間と空間の分化以前の自然の事実です。中期著作では、それは「出来事」と呼ばれ、真に実在する究極的事実とはこの出来事であると考えられています。ホワイトヘッドは生き生きした持続を我々の自然認識にとって直接的かつ具体的な経験の事実とし、自然の一般的事実を、生成する出来事にみてとりました。
流れ去る出来事の一回性 生成する出来事は時間的にも空間的にも流れ去り、その都度一回限りのことです。「それは二度生成することはできない。というのも、本質的にそれは、そのとき・そこにあるそれ自身に他ならないからである」。例えば、「ある人が車にひかれる」ということは出来事であり、それは、あるとき・ある場所において車にひかれるということを指してます。また、何千年と存続し続けこれからも存続し続けるだろうピラミッドのような存在も、細部は変わり、いつかは消滅するのであるから、他の自然の諸存在と同様に生成し推移しています。生成する出来事として捉えられる限り、自然のうちに存在するどんな現存も過ぎ去りゆくことを免れません。
ただし、これら2つの例からもわかる通り、中期哲学において定義される出来事は、必ずしも瞬間的に過ぎ去ることを指すわけではなく、それぞれが時空的な厚さをもっています。「ある人が車にひかれる」という出来事は、車が人に衝突し始めてから、撃力が働いたのち、人が倒れるという一連の出来事全体です。この出来事は、我々人間の認識能力にとってみればあっという間のことかもしれませんが、ある程度の時間的な厚みをもっています。無論、この出来事には空間的厚みもあります。日常語において出来事は、時間的なある瞬間のことを指しがちですが、現実に生じるどんな出来事においても時間と空間は分化されておらず、空間なき時間的出来事も、時間なき空間的出来事も存在しません。ましてや、ユークリッド幾何学において定義される大きさや幅をもたない線や点、あるいはまた、古典物理学で想定されるような空間とは独立した線形時間は、自然の直接的な事実ではありません。アインシュタインの相対性理論が明らかにした時間と空間の非独立性は、驚くべき事実のように語られますが、自然の直接的で具体的な事実を見つめるならば、はなから自然の出来事は時空的な厚さをもった出来事なのです。
出来事は延長をもつ ホワイトヘッドは時間と空間が分化される以前のこうした出来事の特性を「延長」と呼びます。デカルトが物体と心をそれぞれ実体とし、前者の属性を延長としたとき、その延長はもっぱら空間的延長でしたが、ホワイトヘッドのいう延長は時空的な延長であり、時間と空間は時空的な出来事の延長から分化すると考えられます。先の例でいえば、「ある人が車にひかれる」という出来事全体は、衝突する、撃力が働く、人が倒れるという各出来事を時間的にも空間的にも越えて延長しています。逆に撃力が働くという出来事は「ある人が車にひかれる」という出来事によって被覆されています。空間的側面についても、(出来事としての)車は、(出来事としての)その車のタイヤを越えて延長しています。また、一年を通して存続している(出来事としての)ピラミッドは、一ヶ月を通して存続しているピラミッドを越えて延長し、さらに一日を通して存続しているピラミッドを越えて延長しています。一般に出来事は時空的に他の出来事を越えて延長しています。逆にいえば、一ヶ月あるいは一日を通して存続しているピラミッドは、一年を通して存続しているピラミッドの部分であり、車のタイヤは車の部分であるともいえます。
延長抽象化の方法 時間と空間は、諸出来事がもつこうした延長の部分‐全体関係から抽象化を通して分化します。ホワイトヘッドはその方法を「延長抽象化の方法」と名づけ、それによって、「瞬時的平面」、「瞬時的線」、「瞬時的点」、「平面」、「直線」、「点」、「非時間的三次元空間」など、幾何学や自然科学(特に物理学)の基本概念を導出しています。その実際の導出仕方は『自然認識の諸原理』や『自然という概念』を参照して頂きたいと思いますが、ここで注目しておきたいのは、出来事の延長関係およびその抽象化の方法が、出来事の連続的な部分‐全体関係にもとづいているということです。すなわち、上でみた例からもわかるように、出来事の延長関係は、ある全体がその部分を越えて広がることであり、逆に、ある部分はその全体に含まれていることです。延長抽象化の方法で時間や空間は、こうした部分‐全体関係にもとづいて抽出されます。中期哲学で時間は、より前であるとか、より後であるとかを示し、空間は、より右であるとか、より上であるとかを示すのであり、カントール‐デデキント型の連続性をもった系列的な順序関係として導出されているのです。
参考:延長抽象化の方法
出来事aが出来事bを越えて延長しているという事実をaKbと表す。ここでKは「~を越えて延長する」を意味し、延長関係を示している。Kの諸特性は次のように表せる。(i)aKbはaがbとは異なっているということを含んでおり、部分は真部分を意味する。(ii)任意の出来事は他の出来事を越えて延長し、それ自体他の出来事の部分である。出来事eが越えて延長する諸出来事からなる集合をeの部分集合と呼ぶことにする。(iii)bの集合がaの集合でもあり、かつaとbが異なっているならば、aKbである。(iv)関係性Kは推移的である。すなわちaKbかつbKcならばaKcである。(v)aKcならば、aKbかつbKcとなるようなbという出来事が存在する。(vi)aとbが任意の二つの出来事であるならば、eKaかつeKbとなるようなeという出来事がある。
参考:こぼれ話―ラッセルとのケンカ
直接経験の所与から数学的対象が抽象する「延長抽象化の方法」は、『プリンキピア』第3巻を刊行後、ホワイトヘッドが構想していたものでした。しかし、机にあったその草稿をラッセルは見て、1914年、そのアイディアを『外界の知識』 で発表します。ホワイトヘッドは、手紙の中で次のようにラッセルを叱責しています。
「私は、私の考えが、現在の所、私の名においてにしろ、他の誰かの名においてにしろ、普及されることを望みません。……私は、あなたが各章にわたって、理解しやすくなっている私の草稿を、私が全面的な真理とは考えないような一連のものに陥れるようなことをしていただきたくないのです。あなたが、私のこのノートの助けを借りないでは仕事に取りかかることができないと思われることは、誠に残念です。」
1914年の段階では、「延長抽象化の方法」は不完全だったため、ホワイトヘッドは公表しなかったのですが、ラッセルが先に発表してしまったのです。ラッセルは、その著作の中で、これはホワイトヘッドの着想だと敬意を払ってはいるのですが、ホワイトヘッドはそれに不満を感じていたようです。(その後、二人は、英国紳士の精神で、仲直りします。)
系列的時間は不可逆の時間を表現しない しかし、ここには、のちにホワイトヘッドの転換に関わるような本質的な問題があります。すなわち、連続的な部分‐全体関係にもとづく系列的な順序関係として導出される時間は、抽象された限りの時間に過ぎず、具体的な自然の事実を捉え損なっているという問題です。確かに中期哲学の延長抽象化の方法は、物理学などで用いられる時間tを、自然の直接的事実である出来事の延長から導出することには成功しています。しかし、延長の部分‐全体関係から抽象して定義される中期哲学の時間は、時間の不可逆性や動的な過程を表現し損なっています。それはちょうど、物理学などで用いられる時間tにおいて、過去・現在・未来という時間の向きは我々が恣意的に割り当てているだけで、時間の不可逆性は最初から前提されてしまっているのと同じようにです。出来事の延長がもつ空間的側面については、右と左、上と下に非対称な本質的区別がなくてもよいでしょうが、時間的側面については、本質的に過去と未来の区別がなければ、動的で不可逆な推移という自然の事実に反してしまうでしょう。つまり、出来事の延長の抽象化は時間的側面に困難を抱えていました。ホワイトヘッドは「この系列的時間は明らかに自然の推移そのものではない」といってこの問題を自覚し、『自然認識の諸原理』第2版(1924年)の注釈では次のように述べています。「『過程』が根源的な考えであるという真の思想は十分強調されて私の念頭にはなかった。延長は過程から派生しているのであり、それによって必要とされる」。この時間の問題が、中期ホワイトヘッドから後期ホワイトヘッドへの重要な転換をもたらします。(拙論・吉田幸司「過渡期ホワイトヘッド哲学の発展史研究-時間のエポック理論導入に至るまで-」『プロセス思想』を参照)
参考:発生的時間の問題
こうした中期哲学内の理論的な問題に加えて、中期哲学では、意識的な時間など発生論的な時間は最初から度外視されているという問題もあります。中期哲学における時間や空間は、自然内の出来事から抽象される自然内の時間・空間であり、意識的な時間でもなければ、認識主観がもつア・プリオリな能力のようなものでもありません。「我々はア・プリオリな必然性について考えているのでもなければ、証拠となるア・プリオリな諸原理に訴えかけているのでもない」。中期自然哲学は、自然内で知覚されるもの・知られるものを考察の対象とし、意識を含むような知覚するもの・知るものは、自然内の要素とは異質なものとして議論から排除されています。動的な過程としての時間の問題とともに、知覚するもの・知るものが関わってくる時間の考察は、後期形而上学の課題として取り残されました。
出来事と客体 さて、ここでみてきた出来事は、再現不可能な一回限りのことです。それは、とどまることなく絶えず動き続けているのだから、それ自体では自己同一性をもたず、何であるかという本質をもちえません。もし自然の要素が出来事だけであったならば、世界にはとどまるものは何もなく、すべてが流れ去ってしまうことになるでしょう。この点に寄与するのが「客体(object)」という概念です。出来事は常に、客体との相関の中で理解しなければなりません。次のページでは、「客体」、およびそれと「出来事」との関係をみてみましょう。
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